イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
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Interview3 鍵の少女、殻の悪女
「イケナイお兄ちゃんね」
オリジンの審判。
初耳なのに、ルドガーの心臓は大きく跳ねた。血が騒ぐとはこういう感覚なのか。全身の血管が内側から焼き切れそうだった。
「オリジンの、審判――」
ぎょっとする。エルの翠眼は茫洋としていた。魂だけどこかに旅立ったような、幼い少女がするとは思えない貌。
するとイリスは浮遊の高度を落とし、エルの前に片膝を突いた。
「この時計は貴女の?」
いつのまにかエルの胸に、ルドガーが触れて消えたはずの懐中時計が戻っていた。
「ううん…エルのパパ、の…」
「――貴女も無自覚なのね。己の業に」
つう、とイリスの細い指先が、エルの胸に下がる懐中時計をなぞる。そこでエルは、はっとしたように周囲をきょろきょろ見回した。
「ユリウス」
「何だ」
「口の利き方と背信行為は大目に見てやる。導師を捕えろ」
「……了解、社長」
驚いて顧みた兄は、真鍮と銀の懐中時計を正面に構えていた。
直後、ユリウスの姿が変質した。
腕と二の腕のケモノのような装甲。白いコートの下に顕れたダークブルーの鎧。メガネが消えた顔に奔る蒼い光の筋。
「変なのになった!」
「これ、精霊の力!?」
少女たちが驚く間に、ユリウスはイリスへと向かってくる。イリスは前に漂い出てエルを巻き込まない位置に浮いた。
「はあああ!!」
「できればクルスニクの子とは争いたくないのだけど」
「イリス! ――待ってくれ! ユリウス!」
ユリウスが蒼黒く染まった双刀でイリスに斬りかかった。
瞬きの間にくり出された斬撃は10を超える。やはりユリウスは強い。なのに、イリスに斬撃は一つとして届かなかった。
触手、だ。イリスを封印していたチューブやコードといった触手が、イリスが巻いた布の中から生えて、ユリウスの剣の全てを受け止めたのだ。
「な、なに!?」
レイアが後ずさった。エルもレイアの腰にしがみついて怯えている。ルルはしきりに威嚇している。
ユリウスは軌道を変えて双刀を揮う。だが触手が身代わりとなって斬られるため、一太刀たりともイリス本人には届かない。
イリスはただ悠然と漂っているだけで優位に立っていた。
「これはどういうことかしら、ビズリー」
斬撃を躱しながらイリスはビズリーに目線を流す。
「どうもこうも。我が社から姿を消した重要参考人が目の前にいるのだ。見つけたなら連れ戻そうとするのが道理ではないかね」
「それについては話がついたはず。イリスと貴方では目指すモノが違う。貴方は人類の守護を至上とする。イリスは『審判』そのものをブチ壊して2000年の負債を払う。同じ道を往けても、同じ願いは懐けない」
「ああ、充分に存じているとも。ゆえに貴女のその他と一線を画する力、そして貴女だけが知る2000年前の真実を、我らが切り札とさせてもらう」
「――生憎とイリスはそこまで縛られてあげることはできないのよ」
イリスを中心に紫の歯車が現れ、イリスは姿を変えた。ルドガーが初めて会った日にまとっていた紫暗のアーマードスーツだ。
イリスはスーツの装甲を盾にし、ユリウスの剣戟を受けた。イリスが初めて素手で攻撃を捌いた。
「いい太刀筋。研鑽と意志が滲み出ている」
「ぐぅ…っ!」
鍔迫り合いが解かれる。
離れたイリスの手に顕れる、水晶のロングブレード。イリスはブレードをユリウスの双刀に大上段から振り下ろした。
ユリウスは刀身にブレードを掠らせるに留め、バックステップでイリスから距離を取る。
(信じられない。あのユリウスが防戦一方だなんて)
「『ヴィクトル』を除けば貴方は間違いなく当代最強の戦士よ。この域に至るまで挫けずに前進してきて――本当にえらかったわね」
イリスが不意に口にした労いは、数秒、わずか数秒だけユリウスの戦意を削いだ。
数秒がイリスにとって絶好の隙だった。
イリスはユリウスの両手を、腰のパーツから射出した触手でがんじがらめに捕えた。そして、ふわりと懐に入った。
「でもね。『それ』だけは感心できないわ。弟のモノを奪うなんてイケナイお兄ちゃんね」
「がっ!? あああああっっ…!」
鋭い刃物が肉を裂く音がした。音だけだ。それがよけいに生々しかった。
触手の拘束が解ける。ユリウスは胸を押さえて苦しげに膝を突いた。とたんにユリウスを覆っていた蒼黒の殻が消えた。
「許してね。コレを返してもらうには、貴方に一度殻を解いてもらわないといけなかったから。痛い思いをさせて、ごめんなさい」
イリスのかんばせには紛れもない申し訳なさと憐憫。さすがのユリウスも、自分をこてんぱんにした相手の心からの謝罪に泡を食っている。
銀髪を翻して立ち上がり、イリスはルドガーを顧みた。触手の尖端には、真鍮の懐中時計が吊られている。
イリスは時計を取ると、何とルドガーに向かって晴れやかにそれを投げた。
「受け取りなさい。それは貴方の資格よっ」
「やめろッッ! 取るな、ルドガー!!」
兄の制止は遅すぎた。ルドガーは腕を宙に伸ばしていた。意図したわけではない、完全な反射。
真鍮の時計を手にした瞬間、ルドガーの全身の血が沸騰した。
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