イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
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Interview1 End meets Start Ⅰ
「倒れられない理由がある」
ルドガーがトリグラフの街へ出て目にした光景は、異様、としか表しようがなかった。
あちこちのベンチや床に大勢の人が無気力に座っている。まだ仕事時間帯で人が少ないトリグラフ埠頭でさえそんな感じだ。
「普通の人、どうしていないんだよ…」
「……」
トリグラフの商業区へ向かった。さすがにあそこなら正常者の一人や二人はいるだろうと踏んで。
――確かに人は、いた。だが、それはルドガーの期待を大きく裏切った。
ここでも人々は無気力に座り、あるいは横たわっていた。
ルドガーはその中の適当な一人の肩を掴んで揺さぶった。
「おい! しっかりしろ! お…」
眼球があるべき場所にはひたすら暗い眼窩があった。だらしなく開いた口から、ぽわ、ぽわ、と白い風船のようなモノが絶え間なく吐き出されては、空気に融けて消えた。
気持ち悪い。
ルドガーは後ずさり、尻餅を突いた。多少のことで動じない自信はあったが、これは、無理だ。
「マナ、ね。この街の……いえ、下手するとこの世界の人間は総じて、ただのマナを吐く物体にされてしまったかもしれない」
「う……っ」
ルドガーは適当な街路の隅へ走り、嘔吐した。ひたすら、「ここ」の人間たちの有り様が気持ち悪くて堪らなかった。
吐く物も尽きてえづいていると、背中を優しく撫でられる感触がした。
「イリ、ス」
「大丈夫よ。大丈夫」
ルドガーはイリスにされるがまま体を預ける。イリスはルドガーの頭を優しく、一定の律で叩いてくれた。大の男としては情けなくもあるが、ずっとこうしてもらいたいとさえ思った。
だが、現実はそう優しくなかった。
「まだ生き残りがいたか」
直後、イリスはルドガーを抱き締め、大きく跳んだ。ルドガーたちがいた場所が抉れ、煙を上げている。
もしイリスがいなければ――考え、ルドガーの背筋は冷えた。
イリスは接地するなり、ルドガーをすぐ近くの建物の陰に押し込んだ。
ルドガーはその陰から空を見上げ、息を呑んだ。
「何だよ、あいつら……」
炎の巨人。水の女。惑星儀に乗った猫。緑毛の少女。氷のドレスの乙女。和太鼓を持つ小人。光輝を放つ巨鳥。ヒト型の黒いオブジェ。
それらが一列に並んで、宙に浮いている。
人間が単独で空を飛べるはずがないのに、飛んでいる。
中でも異色なのは、中心にいる褐色の肌をした男。
「見るのは初めて? なら忘れてしまいなさい。精霊に記憶を割くなんて労力の無駄遣いよ」
「精、霊? あいつらが?」
イリスは答えず、ルドガーを隠す位置に立った。
「久しいわね、クロノス」
クロノス、と呼ばれてイリスを見下ろした――睥睨したのは、中心で浮かぶ褐色の男。
「蝕の精霊――なぜ貴様が地上にいる」
「そんなことも分からない? 封印が解かれたから以外に何があるというのかしら」
物陰にいても分かるくらい、明確な殺気が立ち込めた。
イリスが精霊と称した全ての存在が、殺意を等しくイリスに向けている。
「――ルドガーはここにいなさい。進んで死地に赴く必要はないわ。大丈夫。すぐ片付ける」
「あ、イリ…ッ」
イリスはふり返らず、銀髪をひらめかせて歩き出す。
あちらの先制攻撃は水だった。激流のような滝がイリスに降り注ぐ。しかしイリスは、巨大な水晶刃のブレードをどこからか持ち出し、そのブレードで水流を割った。
するとその水は氷へと転じ、イリスの水晶ブレードを捕えてしまった。
イリスは無手で一歩下がった。だが、緑毛のゴーグル少女がそれを許さず、小規模な竜巻を起こしてイリスを捕えた。イリスの足が数センチ地面から浮いた。
「この程度」
イバトルスーツのあちこちから細いコネクターが何本も射出された。イリスはコネクターの尖端を街路に突き刺した。そして、コネクター収納の勢いを借りて竜巻から脱出した。
和太鼓の小人が太鼓を打つと、いくつもの小さな雷球が生じ、イリスへと放たれた。コネクターや他の触手を代わりに受けるが、イリス本人にも数発着弾した。
「う…っ゛…」
感電したイリスは前屈みになったものの、決して膝を突きはしなかった。
「往生際の悪い――」
「生憎とイリスには倒れられない理由があるのでね」
イリスが一瞬だけ視線を流したのは、他ならぬルドガー自身だった。
(俺のために? 俺なんかを庇うために、イリスは戦ってくれてる)
今でこそ順に攻撃をくり出している精霊軍団だが、いつ一斉攻勢に出るか分からない。
その時、ルドガーはこの剣でイリスを守り抜けるか?
ここまで動かなかった褐色の男が手の平をイリスに向けた。
「その理由とやらもどうせ下らぬものだろう。ここで散華しろ、精霊殺し」
大きな攻撃の発射の兆候。さすがのイリスでも躱しきれるか分からない。
(成長して剣が使えるようになっても、俺は役立たずなのか?)
脳裏に走る、ルドガー・ウィル・クルスニクの根幹ともいえる、ある記憶。
自分にひたすら哀しげに笑いかけ、自分を強く抱き締めた母。
銀の長い髪をふり乱して××××に襲いかかった母。
××××の必死の抵抗によって致命傷を負った母。
呆然とする××××に覆い被さるように、血を胸から噴き上げて倒れた母。
(『あの時』は見てるしかできなかった。でも、今なら。大人になった今の俺なら、何かできなきゃいけない。いや、絶対にできる!)
感情ではなく、自身の実力と現況を分析した上の判断を下し、ルドガーは飛び出した。
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