バレンタインは一色じゃない
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4部分:第四章
第四章
「いよいよ今日だな」
「そうだよな」
その憔悴した顔で友人達の言葉に応えるのであった。
「遂にな」
「それで御前のとこのチョコレートは何なんだ?」
「貰えるだろ?」
「それは間違いさ」
これだけははっきりしていた。
「ただな」
「ただ?ああ、そうか」
「麻紀子ちゃんだからな」
「それを考えて最近全然眠れないんだ」
その憔悴した顔でまた述べる。憔悴は声にも出ていた。
「成程ねえ」
「鬼が出るか蛇が出るかか」
「鬼や蛇であってくれればいいさ」
完全に本音の実に切実な言葉であった。
「もっと凄いのが出るかも知れないからな」
「中に爆弾が入っているとかな」
「それも考えたさ」
考えていたのであった。
「ダイナマイトとかな」
「何か阪神みたいだな」
「そうだな」
クラスメイト達はまたえらく古い話を出すのであった。
「じゃあそのチョコ食ったらバックスクリーンに一直線だな」
「それも三連発で」
「そうなるかもな、本当に」
これもまた本気で思っていた。
「今日のチョコ次第でな」
「まあいいじゃないか」
「彼女から手作りのチョコが貰えるだけでもな」
「それはわかってるさ」
バレンタインにおいてそれは最高位にあると言ってもいい。大抵はどうでもいいといった感じの義理チョコであるし悪ければ貰えもしないからだ。バレンタインという日は男にとっても女にとっても実に色々なことがわかる日であるのだ。その色々わかるチョコレートを平気で酒の肴にする変人はとりあえず置いておいていいのだが。
「だから。俺も」
「受けるんだな」
「ああ、受けることは受ける」
最初からそれは決意しているのだった。
「ただ。何が出るかと思うと」
「坊さんは呼んだか?」
つまりは葬式の用意ということであった。
「それか神父さんか」
「一応正露丸は用意してあるさ」
いざという時の備えは忘れてはいなかった。
「何かあってからじゃ遅いからな」
「いい心掛けだな」
本当にそうであった。しかしそもそもハレの日であるバレンタインにそんなものを用意しなければならないところに彰浩の苦労が見て取れる。
「それでいけ。いいな」
「わかってるさ。本当に何が出るか」
あらためて考える。
「怖くて仕方がないよ」
「その怖いのが来たぜ」
「本番だぜ」
麻紀子が彼等の教室に入って来たところでクラスメイト達の言葉の調子が変わった。
「さてさて、どうなるか」
「見物だな」
「気軽に言っていればいいさ」
彰浩もかなり開き直ってもいた。
「どうせ他人事だしな」
「そりゃ俺達はなあ」
「なあ」
彼等はここで顔を見合わせ合って笑うのであった。
「義理チョコ組だし」
「彼女なんていないし」
「むしろ羨ましいっていうのか」
「そうさ。わかったらさあ」
「観念するんだな」
「だからそれはわかってるさ」
彰浩はその顔に憔悴だけでなく憮然としたものまで入れてきた。
「それじゃあ。いざ」
何だかんだで腹を括った。その前に麻紀子がやって来ていた。満面に笑顔を浮かべてその両手に何かを持って彼の前に来るのであった。
「お早う」
「うん」
彰浩はまずは麻紀子のいつもの挨拶に応えた。
「今日は何の日か知ってるわよね」
「勿論だよ」
ここまでのやり取りはまずは予定調和であった。もう言うまでもないやり取りであった。
「バレンタインだよね」
「ええ。だから」
そうしたここまで話したうえで彼女はまた言うのであった。
「チョコレート。作ってきたわ」
「作ってきてくれたんだ」
「そうよ」
その満面ににこりとした笑顔を浮かべるのも予定調和である。バレンタインだけではないが誰にとっても非常に喜ばしい予定調和である。
「それがこれなのよ。はいっ」
いきなり切り札を出してきた。その切り札を。
「これ。よかったら食べて」
「さて、逃げないとはいっても」
「勝負には勝てるかな」
さっきまで彰浩と話していたクラスメイト達は彰浩を見ながら呟くのであった。確かに彼も憔悴しきっているがそれが彼だけではなかった。見れば麻紀子にもまた憔悴が見られる。それがチョコレートを作ったせいであることは一目瞭然であった。何しろバレンタインだからだ。
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