ソードアート・オンライン リング・オブ・ハート
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24:変わらない関係
濡れ雑巾となったボロチュニックから新しい防具一式へと着替えたユミルの隣で、俺は彼に倣って川の水を手ですくって顔を洗う。
「――という訳だったんだが……分かってくれたか?」
「ヘンタイ」
「そう言わずにさ、もう許してくれないかな……」
「ヘンタイ」
事情を説明し、己の潔白を証明しようとしているのだが、隣のユミルはずっとこの調子だ。不機嫌さに加え、憤慨さまで滲ませたジト目の表情は、何度水洗いされても一向に落ちる様子を見せない。
「ご、ごほん……それはともかくとして……むぐ」
「あ、ヘンタイが話題逸らした。……むぐ」
そう言いながら俺とユミルはコップとブラシをオブジェクト化し、コップで清水を汲んでブラシの先を口に含み、歯を磨き始めた。ちなみに、俺は少し前にマーブルからサービスで貰ったものを使っている。
「もうヘンタイって呼ふのやめようじぇ」
「……ふぇンタイ」
互いに、口内のブラシを絶えず動かしながらの対話。
端から見ればシュール極まりない光景と会話かもしれないが、このままでは埒が明かないので無理矢理話を進める。
「ともかくユひる、さっきはお前、どうやって俺の《隠蔽》しゅキルを見破ったんだ? お前は《索敵》しゅキル、全然上げてなかっただろ?」
「あー……そもしょも、索敵しゅキルって要らなくふぁい?」
「ぶぇっ? い、いや、ほぼ必須しゅキルだろ普通っ?」
「別に、索敵なんか使わなくても……敵の足音とかで、しゅぐ察知できるひ」
「音で察知って……しょれはお前……ましゃか《聴音》がそんな広範囲まで使えふってことか?」
「……《聴音》?」
「なんら、うミルは《システム外スキル》って、知らないのふぁ……?」
「……知らなひ」
「えーっほな……」
……それからも歯を磨きながらで、やや聞き取りづらい会話が続くが、要約するとこういうことになった。
――ユミルは、システム外スキル《聴音》を、驚くべきことに俺の索敵スキルに迫るまでの広範囲に渡って使うことが出来るのだそうだ。
システム外スキルとは、俺が決闘の際に自然と使う《先読み》やモンスター戦で同じく使う《ミスリード》、またパーティでもよくお世話になる《スイッチ》などといった、規定のシステムに属しない、プレイヤー自身の能力の総称だ。
その中の一つである《聴音》は、辺りの環境音から敵のSEだけを聞き分け察知するというもので、ユミルの場合、その精度と範囲が尋常ではない。それは先程、俺が身を以って体験していた。
思えば、昨日初めてモンスターと遭遇した際、ユミルは俺が索敵スキルで察知したとほぼ同時に敵の存在に感づいていた。
「へぇ……システム外スキル、ねぇ。そんな呼び名があるんだ。だけど……」
共にうがいまで済ませ、朝の空気を吸いながら苦い顔をしたユミルは言った。
「中でも《第六感》……超感覚ってのは、流石にちょっとナンセンスかな」
「いや、なかなか馬鹿に出来ないんだぞ、これが」
俺は即座に首を軽く振りながら反論する。
「それに、お前は見た限り他にもシステム外スキルに随分とお世話になってるみたいなんだから、そう言うもんじゃないぜ。昨日の戦いで使った、シリカとの《スイッチ》もそうだっただろ? それに俺との決闘の時、俺と同じく実践で充分に使えるレベルの《先読み》と《見切り》も使ってたじゃないか」
「あんなの、ただの経験と反射神経だよ。さっきの《聴音》だって、ただボクの耳が良いだけ。……なんか、自分の培った力が、勝手にカッコつけの枠組みにカテゴライズされてるようで、ヤな感じ……」
そっぽを向きながら鼻を鳴らす。
「耳が良いって……あの耳効きっぷりは、それだけで済むレベルじゃない気が……」
それを聞いた瞬間、ユミルの横顔が曇った。
「…………それもボクの、リアルに関係するからさ……。あんまり、問い詰めないでくれないかな」
「え……あ、ああ。そうなのか、悪い……分かったよ」
ユミルの少し暗い横顔を見た俺は、すぐさま話題を引き下げた。
「そ、そうだ。お前、まだこれ読んでなかっただろ?」
彼の目線を変えるべく、俺は羊皮紙のロールをオブジェクト化してユミルへと差し出した。
「なに、これ?」
「現状で分かる限りのユニコーンの情報が書かれたものだ。昨日集まってくれたお礼に他の者には見せたけど、まだお前には見せてなかったんだよな」
「ああ……忘れてた」
「お前もか……。まぁ、あの時お前は真っ先にUターンしてさっさと帰ってたもんなぁ」
「……うるさいな」
ふんす、とまた不機嫌そうに鼻を鳴らしたユミルは手にしていたタオルをストレージにしまい、受け取ったロールを広げた。
「まぁ別に……ユニコーンの情報は大体ボクも知ってるから、そんなに必要ないんだけど」
ジト目を驚きや興味のそれにも変えず、淡々と文章を指でなぞりながら読み流すユミルが言う。
「だったらお前、なんであの場に集まってくれたんだ? 俺が大声で村の全員に呼びかけた時の……」
するとユミルは当時を思い出した風に、ジト目をまた少し、不機嫌そうに吊り上げた。
「決まってるでしょ。キミの……あのサインがなんとかって一言を言い終わった直後、他の全員が目の色変えてダッシュでキミのとこ向かうんだもん。あの一言が無かったら他の人達だって行かなかったのに……。アレだと、ボクだけ残ってたら疑われるじゃん」
「はは、なるほど。お前もサインが欲しいのかと思ってたよ」
「バカ」
ジト目をこの身に受けつつ、そんな下らないやり取りの中で苦笑しながら、俺は思う。
……また少し、彼は俺達への警戒を解いてくれた気がする、と。
やはり昨日の事も大きいのだろう。久しぶりの温かい食事の後、人肌の温もりに寄り添っての一夜を過ごしたことは、彼にとって少なからず何らかの影響を与えていると思っていいはずだ。それが良い方向のものであると、俺は思いたい。
……ユミル自身は今、俺達と過ごしたあの夜のことを、どう思ってくれているのだろうか……。
「……なぁ、ユミル。昨夜は――」
そこまで言いかけて、俺はふと言葉を途切れさせた。
ユミルの読み流していた指先がピタリと止まっていた。それだけではない。
今までさんざん変わらなかったジト顔は一変し……
それは、小さな口から覗く歯が食いしばられ、憎しみを湛えたかのような表情だった。
その感情を堪えているあまり、肩が小さく震えている。
ユミルは…………静かに、激怒していた。
「お……おい、ユミル……?」
「……………」
その両目は紙のただ一点を睨んでおり、やがて肩の震えが手に持つ羊皮紙に伝染する。
俺が再び口を開けかけたその時……
――グシャ! とユミルは睨んでいた一点を指で握りつぶした。
「なっ……なにするんだ!」
「っ……」
慌ててユミルの手から紙を奪い取る。俺の声に我に帰ったらしいユミルの手からは思いの外すぐに紙を取る事が出来た。
羊皮紙は破れてこそはいなかったが、やはり一部に深いシワが出来てしまっていた。
その部分は……各ユニコーンの討伐に成功したプレイヤーの一覧だった。
「一体どうしたんだ、ユミル……。今までに狩ったプレイヤーが妬ましいからって、なにもそんな――」
「――うるさいな……!! なにも知らないくせに……!!」
「ッ!?」
唐突な、地から沸きあがるマグマのような唸り声に、俺は思わず一歩退いた。
そこには今まででも最も激しく表情を憎悪に燃やす、ユミルの姿があった。もしも俺が敵だったならば、今すぐにも斬りかかって来そうな、そんな剣幕だった。
――だがその時……ふと、胸の中に一つの疑問が生まれた。
俺は気を引き締め、ユミルと向き合う。
「……そういえば、聞いていなかったな。……お前がなぜ、ユニコーンを狙うのか。そんな顔をしてまで、なぜユニコーンを狙う」
「……――ッ!!」
俺の言葉にユミルはさらに歯を食いしばり、握った手を振るわせた。
「………………大切なものを、守るため」
震える声でポツリと言った。
そしてそれが引き金になったかのように、次々と言葉が飛び出す。
「――この世界でたった一つ、ボクが信じられる大切なものを守るため!! その為だったらっ、ボクは……! ボク、は……ッ」
だがその言葉はすぐに、やがて鎮火するように勢いを失い、震える肩と腕も力なく垂れさせてユミルは俯いた。
「……ユミル。その唯一信じられるっていう、大切なものってなんなのか、聞いてもいいか……?」
俯き、前髪で顔を隠したまま、首が左右に振られる。
「……そうか。なぁユミル――」
「――昨夜の事はっ………………感謝、してる……」
俺が再び彼に訊きたかった事を、彼に先読みされた。それでも顔は上げないが、後半の小さい声もハッキリと聞き取れた。
「……NPCじゃない他人の作った料理なんて、この世界で、初めて食べた……。目が覚めたら、マーブルの膝の上で寝てて……見上げてみたら、マーブルは眠りながら、幸せそうな寝顔で、ボクの髪、ずっとずっと撫でてくれてた……」
「……………」
途切れ途切れに、やや掠れた声で言う。
……俺は、今のユミルの表情が見て取れないのがもどかしかった。
「アスナの言ったとおり、少しだけキミ達に心を開いてみたら――……あんな温かな気持ち、ボク、もうずっとずっと長い間、忘れてた……」
ユミルは胸に手を当てて、ぎゅっと握り締める。
「ユミル……」
それを見た俺は居ても立ってもいられなくなり、彼に手を伸ばそうとした。
「だけどっ!」
ユミルは俺の手に素早く反応して顔を上げた。先程までの激しい憎悪とはまた別の……俺を拒否し、何かを訴えるような表情が俺の目を射抜く。それに俺は伸ばしかけた手を力なく降ろした。
「……だけど、もうあんなことはしないで。もしまたされたら……ボクはきっと後悔する。いずれ必ず、ボクはキミ達を憎むことになる」
「なぜ、そんなことが言い切れるんだ……自分の、その気持ちが分かってて、なんでそんな――」
「――ボクがキミ達を信用しきれないからっ!! キミ達がボクを裏切らないって保証がどこにも無いからに決まってるだろっ!!」
「…………!」
ユミルは吠えた。
その声が林の中を木霊し、驚いた数匹の鳥が空へと飛び立っていった。
「……『裏切らない』って……ユミル、お前……」
「あっ……」
それを聞いて呆然とする俺を、ユミルはしまったとばかりに目を逸らし、横髪で自分の顔を隠した。
「お前……もしかして、過去に誰かに…………裏切られたのか?」
「ッ……!」
垂れた横髪から覗く、喉頭隆起が見当たらない滑らかな喉がこくりと動く。
「そう、思うなら……勝手にそう思うがいいさ」
ユミルは俺を見ようとしないまま……少し前まで奏でられていたソプラノが嘘のような、憎悪に震える低い声を出し続ける。
「それで死神の疑惑が深まったって言うなら、べつにそれでもいい。容疑者であるボクを、疑えばいい……。……そうだよ、結局、ボクとキミ達の疑い疑われる関係はなにも変わっちゃいないんだ……変わりはしないんだっ……!」
握り締めるその手から、ギュッと力が込められた音がした。
「こんなことなら……キミの誘いに乗るんじゃなかった。あの料理を食べるんじゃなかった……。少しでも、心を開くんじゃなかった……!」
そう言い残してユミルはそのまま宿の方へ走り出し、林の中へ姿を消してしまった。
「ユミル……」
俺はユミルが消えていった林を眺めながら、その場に立ち尽くしていた。
後書き
歯磨き回。(違)
……いいえ、真剣なシリアス回でしたね。
ユミルの力の秘密、そして内情もが見え隠れする回、でもありました。
キリト達とユミルとの関係は一歩進んだはずなのに、それなのに彼からは一歩退かれてしまっていた。
そんな複雑な彼の心境は、果たして本当に《死神》に由来しているものなのでしょうか……?
次回をお楽しみに。
:蛇足
歯磨きしながらの会話は、実際に歯を磨きながら考えました。
訳はいらない…ですよね?; つ、伝わればいいなぁ…汗
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