クルスニク・オーケストラ
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第八楽章 エージェントの心構え
8-3小節
「以上がわたくしの、ルドガーへの『指導』です。ご満足いただけまして? ガイアス陛下」
「新人に物を教えるために、人を嬲り、世界を壊した所業には、思う所がないわけではない」
あらら。お眼鏡には適わなかったようですわね。
「ですが今日のことがある以上、ルドガーは無闇やたらと分史世界で破壊行為に走ることはないでしょう」
「ショック療法にしても、悪質だ」
「――わたくしを不適格と見なしてお斬りになります?」
もしガイアス陛下がそうなさるのなら、わたくしは骸殻を使ってでも逃げてみせますけれど。……え? 戦いませんわよ。だって勝てませんもの。
「一つ聞きたい。お前は、殺した者の記憶を受け継ぐ《呪い》に罹っていると聞いた。では今のお前の頭にはリインの一部があるのか」
「ある、と申し上げましたら?」
「話がしたい」
……予想外でした。答えを用意してません。
「あれは俺が選択して分岐した世界だった。ルドガーの時は上手く行かなかったが、機会が巡り来るならば、リインとは腹を割って話をしたいと思っていた」
さあ困りました。わたくしの中に《リイン》はおりません。むしろそれを避けるため、わざわざ骸殻を解いて討ったのです。
「――やはりリインを出せないようだな」
っ! この方、分かった上でおっしゃいましたのね。悪質はどちらですか。
「お前の《呪い》が時歪の因子を破壊した場合、お前は時歪の因子そのものではなく時歪の因子に成り果てた何かの過去を知る。違うか、ジゼル・トワイ・リート」
瞑目した。――敵いません。ビズリー社長とは違った意味で、この御仁もまた「王」ですわ。
「相違ございません。わたくしの中にはリイン・ロンダウの《レコード》はございません。王を謀ったこと、お詫びのしようもございません」
「構わん。薄々察していた。本当に奴がお前に宿ったなら、その瞬間に俺の首を狙うはずだ」
ガイアス陛下とリイン・ロンダウは生前どんな仲だったのでしょう? 物騒ですわ。
「聞かせろ。時歪の因子とは一体何だ。分史世界の核というだけではないだろう」
「機密事項につきお答えすることはできません。ご容赦ください」
「答えられない、か。知ってはいるのだな」
口を閉ざした。嘘は言わない。でも、本当のことも、言わない。
時歪の因子はわたくしたちクルスニクの成れの果てで、骸殻の限界までの使用が生むものだなんて。
王様にだって、教えてなんてあげられませんもの。
ガイアス陛下の前から辞去して、無人のチャージブル大通りまで早足で来た。
携帯注射器を取り出す。
もうすっかり夜ね。きっとヴェル、破壊成功の報告を待っている。早く行ってあげなくちゃ。そのためにも早く注射を……
「あっ」
ふらついた。《レコード》吸収後の立ち眩み。
地面と激突する――はずなのに、何ともない。誰かが胸下に腕を回して体を支えてくださってる。
「ハイお疲れさん。今回もいい具合に脳みそシェイクされてきたみたいだな」
「リドウ、せん、ぱ」
「鎮静剤打ってないのか」
「今、打とうと、して、たんです。ほら」
無理やり笑って、握っていた携帯注射器をリドウ先生に掲げて見せました。リドウ先生はむすっとなさって、携帯注射器をわたくしの手からひったくられました。
髪を払いのけているのが感触で伝わる。そして、髪留めのちょうど真下に鋭利な痛み。
「ぃ゛っ」
「自分で打つより何倍もマシだろ?」
「ふ、ふ、そ、です、わね。さす、が、先生」
これは本心。クランスピア社医療チームのトップエージェントを張るだけあって、リドウ先生の医師としての腕は国内随一ですわ。不謹慎な態度でいても許されているのは、ひとえにリドウ先生が名医だから。
「何ですぐ打たなかった」
「後輩への指導と、お隣の国の王様とのおしゃべりが、長引いて」
徐々に意識にかかっていた霧が晴れていく。
深呼吸一つ、リドウ先生の腕を解いて自分の足で立った。
「特務エージェントじゃなきゃさっさと主治医やめてるぜ。お前みたいな面倒な患者」
「すみません。リドウ先生のようなお優しいお医者様に恵まれて、わたくしは果報者です」
これも本心。医療部門の社員は、人の神経を逆撫でするリドウ先生のふるまいを敬遠してらっしゃいますが、わたくしは、リドウ先生は最高のお医者様だと思いますの。
「……いい気味だと思われておいででしょう?」
「まあね」
ただ、リドウ先生のほうがわたくしをお好きでないだけで。
「生き急いで先に時歪の因子になるなよ。お前が死んだら俺かユリウスが《橋》にされるんだからな」
「ご安心ください。その時は責任を持って代わりに死んで差し上げます」
リドウ先生は言い返さない。一本勝ち、です。
後書き
「代わりに死んで差し上げます」
割と本気なオリ主です。
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