クルスニク・オーケストラ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第八楽章 エージェントの心構え
8-1小節
「最終勧告です。あの娘を渡しなさい。渡さなければ貴方も彼女諸共、抹殺します」
「そんな言葉を聞かされて、よけいに渡せるか!」
「そうですか。残念です」
ジゼルのキャンドルスティックは、狙い違わず《エリーゼ》の胸を貫いた。
キャンドルスティックが抜かれる。穂先には黒い歯車。
ジゼルはキャンドルスティックを厳かに直立させる。すると時歪の因子は粉々に砕け散り、その破片はジゼルに降り注いで、消えた。
世界が、ひび割れ、崩れ落ちた。
…………
……
…
事の始まりは今日の夕方まで遡る。
ガイアスが(今度はちゃんとルドガーのGHSに)連絡を寄越し、ジゼルに会いたいと言った。目的は聞くまでもなくジゼルの「見極め」だとルドガーにも分かった。
ジゼルにガイアスのことを伝えると、ジゼルはあっさり了承した。社会のルールやマナーに厳しそうな彼女だから、断られるかと思っただけに拍子抜けした。
そして。ルドガーとエル(とルル)がガイアスと待っていると、ジゼルが来た。
「お会いできて光栄です、ガイアス陛下。ジゼル・トワイ・リートです」
ジゼルはルドガーと初めて会った時と同じ、貴族のような礼をガイアスに向けて取った。
「任務ではルドガーに常に付いて指導をしていると聞いた」
「はい。わたくしは彼の指導係ですから」
「つまりはルドガーの指針になる人間だな。お前がどのような人間か知るために来た」
「ご随意に。わたくしはわたくしの仕事をするまでです」
ジゼルがGHSを取り出す。ルドガーからの連絡で、すでに用を見越して座標を登録してきたのだという。そつのない女性だ。
「ルドガー」
「う、あ、ハイ!」
「今回の任務は全てわたくしの判断で行います。申し訳ありませんが、サポートに徹してくださいまし」
「わ、分かった」
ルドガーは新人らしく、深く考えずにイエスを返した。
――それが彼女の恐ろしい一面を思い知ることに繋がるなど、思いもせずに。
――そもそも入り込んだ分史世界が、ルドガーがやった時以上に酷かった。
ルドガーがガイアスの「見極め」を受けた、ガイアスでなくウィンガルがリーゼ・マクシア王になった世界。その世界と同じ枝だったのかもしれない。そこでもウィンガル、つまりリイン・ロンダウが王で、カン・バルクの玉座にいた。
大きく違ったのは、王城にいた《リイン》のすぐそばに分史世界のエリーゼがいて、彼女から時歪の因子特有の黒煙が噴き上げていたことだ。
「やめてください! リインにヒドイことしないで!」
《エリーゼ》が時歪の因子と見るや、ジゼルは白金の懐中時計を出して、骸殻に変身した。
「来るな、エリーゼ……隠れていろと言っただろう」
「だって、だってリインが! ――やめて、やめて! リインは酷い王様なんかじゃないです。ただ友達がいなくなって、ちょっと不安なだけ。本当はわたしみたいな子を助け出してくれた、優しい人なんです。だからお願い、殺さないで!」
《エリーゼ》は《リイン》に必死の面持ちで、《リイン》を背中に庇って訴える。
「いいですよ」
ジゼルは呆気なく言って《エリーゼ》の顎に指をかける。
「貴女が代わりに死んでくださるなら、彼は助けてさしあげます」
本気で背筋が冷えた。
間違ってはいない。時歪の因子である《エリーゼ》さえ破壊できれば、あえて《リイン》を殺す必要はない。だがどうしてもルドガーの中で抵抗感が頭をもたげた。
「これは俺が友から託された娘だ……どこの誰とも知らん人間に殺される謂れはない!!」
《リイン》が剣を構えた。増霊極での変身を使わないということは、彼は《ロンダウの虚塵》を持っていないことになる。
ジゼルはキャンドルスティックで《エリーゼ》を叩き飛ばした。飛ばされた《エリーゼ》がバウンドして転がる。《リイン》の注意は《エリーゼ》だけに向かう。
「最終勧告です。あの娘を渡しなさい。渡さなければ貴方も彼女諸共、抹殺します」
「そんな言葉を聞かされて、よけいに渡せるか!」
「そうですか。残念です」
嫌な予感がした。ルドガーはとっさに、傍らにいたエルの顔を腹に押しつけるようにして、エルの視界を閉ざした。
続き刃でジゼルは《リイン》の腕を切り落とした。さらに、抵抗の術を失くした《リイン》を、骸殻を解いてナイフを一閃、首を、刎ねた。
ごろっ、ごろろろ、と絨毯を転がる生首。
「いやああああああああああっ!! リインッ、リインッ!!」
「ル、ルドガー…何でエリーゼ、あんなに怖がってるの? 何があったの?」
言えるわけがない。容赦がない、という次元ではない。どれもこれも、ただ彼らを嬲るための余事。
「誠実な任務」を最優先するジゼルが、なぜこんな残虐行為に手を染めるのか。ルドガーには皆目見当がつかなかった。
「ルドガー。よく見ていなさい。これからわたくしがすることを。これがわたくしに教授できる、エージェントの最も大切な心構えです」
ジゼルは再び臙脂の殻と蓮の鎧を纏い、常磐緑へ染まった髪を揺らめかせて《エリーゼ》にキャンドルスティックを向ける。
《エリーゼ》は目にいっぱい涙を溜めて、走って逃げ出した。
――それは、おぞましい捕物の始まりだった。
《エリーゼ》はティポを持っていない。攻撃の術を持たない彼女はジゼルから逃げるしかない。誰もいない王城の中を、誰に助けを求めることもできずに。それも子供の足ではすぐに追いつかれる。
ジゼルは《エリーゼ》を歩いて追った。追いつくごとに、ペナルティとばかりに《エリーゼ》に斬りつけた。ルドガーたちからすれば細い、幼い少女からすれば鋭い切り傷を負うたびに、《エリーゼ》は転んでしゃくり上げた。
やがて《エリーゼ》は行き止まりに突き当たった。
「鬼ごっこもおしまいかしら」
「あ、あ……」
「それじゃあ、サヨウナラ。お嬢さん」
ジゼルのキャンドルスティックは、狙い違わず《エリーゼ》の胸を貫いた。
キャンドルスティックが抜かれる。穂先には黒い歯車。
ジゼルはキャンドルスティックを厳かに直立させる。すると時歪の因子は粉々に砕け散り、その破片はジゼルに降り注いで、消えた。
世界が、ひび割れ、崩れ落ちた。
後書き
基本的にオリ主含む例の4人以外だと3人称になります。
ページ上へ戻る