Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第3章 禁書目録
七月二十六日・夜:『スクール』
右の掌底からの踏み込みに打ち払い、流派も何もない我流。少女の細腕でありながら『窒素装甲』を纏うそれで、最後のドラム缶は全壊四散した。残すは、二機の駆動鎧。
しかし、厄介だからこそ最後まで残った敵。今や最初の滑らかな動きを取り戻した駆動鎧達は、対角線に動きながら最愛を牽制し────
「ちっ……!」
『空力使い』での室内の気流操作と『表層融解』で液化させた金属床材による、腐蝕の竜巻を撒き散らす。
それを、バックステップで辛うじて躱した最愛。しかし、大きく右足で鑪を踏んでしまい────拭い難い隙を見せた。
明確な隙を逃さず、一機が疾駆する。手加減無しの電撃棒を構えながら。しかし、無駄だ。鉄壁の『窒素装甲』が有る限り、その程度ならば数度は耐えられよう。
だがその鉄壁の『窒素装甲』も、離れた位置からの『空力使い』で半減させられている。堅固な窒素の装甲は、今や発泡スチロールの壁にまで減衰されている。
故に、二千ボルトで帯電する重さ十数キロの鋼鉄の塊。それを駆動鎧のフルパワーで打ち据えられれば────同年代と競べても華奢な彼女が、一撃すら耐えられる訳もない。
『『Kisyaaaaaa!!』』
その歓喜の叫びは、駆動鎧の中から木霊した。新たな『贄』に、上質な獲物である最愛に向けて────!
「────ウゼェンだよ、この」
『I、Gy?!』
跳躍にて殺傷範囲と威力を増した薙ぎ払い、新陰流『大詰』により長谷部にて両断される。『空力使い』の駆動鎧が横一線に、真っ二つに斬られて中のミ=ゴごとぶち撒けられた。
そして、そうなれば当然────凄まじい衝突音。耳障りな音、砕け散る断末魔。
『Go─────Ge?!』
「屑鉄と虫けら風情が……超粋がってンじゃねェってンです────!」
クロスカウンターで『窒素装甲』を叩き込まれ、粉砕されながら『表層融解』の駆動鎧が弾き返され、壁に叩きつけられて爆散した。
「……終わり、か。さぁて、そろそろ潮時だ。ずらかろうぜ、最愛ちゃん?」
《待たぬか、まだ────!》
(ッ何────!?)
最愛に呼び掛ければ、“悪心影”が口を差し挟む。逼迫したようなその口調に、弄んでいた“黒い雌鳥・写本”をショゴスの中に。改めて、長谷部を握り直して。
《まだ────火を放っておらぬではないか》
(今だ、はた●んば封印!)
《ぬおお、お、覚えておれ……儂は滅ぶれども、すぐに第二、第三の第六天魔王が現れるぞぉぉぉ!》
(否、数字が多過ぎて訳分からんし)
外套で血糊を拭った長谷部を鞘に納め、脳内で意味の無い駄弁りをしながら、歩み寄りつつ最愛に呼び掛ける。駆動鎧を殴り飛ばした反動でへたり込んだ彼女に、猫の手を差し伸べて。
「私の事より……あの超黒い棘の方は?」
それに返ってきたのは、照れとか反発とかそんな物ではなく。ただ、苦い表情。やはり、『麦野沈利』の恐怖はでかいらしい。いや、嚆矢とて勿論、彼女は恐ろしいが。
なので、安心させるかのように。既に拾っていた、『黒い棘』を見せる。
『回収済みニャア、後は帰り着くまでが潜入任務ナ~ゴ』
「……はは。こんな時にまで、良くも超巫山戯られるもんですね」
正確には、まだ『張本人』を捕まえていないが。今日はこれでいい、十分な成果だ。どのみち統治委員会に睨まれている輩に、学園都市からの脱出の機会はない。それに、居場所は掴んでいる。勝負はもう、ついたも同然だ。
再び変声してヘラヘラ戯ける嚆矢の掌に、小さな掌を重ねてきた最愛の小柄な体を引き起こす。少し前にもやった、しかし今は……右肋と左胸に重傷を負っている事を忘れていた。一瞬気が遠くなったが、ショゴスの猫面で隠されているのだから問題はない。
『あんまりモタモタしてると外から来るかもしれないニャアゴ、さぁ最愛ちゃん』
「は……?」
そして、最愛に背を向けてしゃがみこむ。それを、彼女はポカンと眺めて。
『足、あの槍使いのヤツが効いてるみたいだニャア。不肖ジャーヴィス、エスコートさせていただくナ~ゴ』
「っ……超何の事ですか? キモいこと言ってんじゃねぇです、この胡麻擂り猫撫で声野郎」
『し、しどいニャアゴ……』
一瞬、槍使いの『柄還』に打たれた足を庇って。その時歪めた表情を隠すように、悪態を吐く。
対し、背を向けている嚆矢はそんな最愛の機微にも気付かず────
(成る程……これが、絡繰りか)
《そうじゃ。あのみ=ご共の科学力の産物じゃな》
目の前に転がる、怪物と銀色の筒……ミ=ゴと、その携えていた『それ』──つい今まで生きていただろう『能力者の脳味噌』を、溢れ落ちた筒の中身を見詰めて。
(取り込め、ショゴス。後で調べるから、喰うなよ?)
『てけり・り。てけり・り……』
望外の良餌を顎の中に納める事しか許されず、ショゴスは不承不承それを呑み込んだ。これで魔術の隠蔽は完了した。
『さあさ、遠慮無くどうぞニャア。急がないと、ホラ、シャッターが降りて閉じ込められちまうナ~ゴ』
「この程度、超平気です。議論の時間こそ超無駄、急ぎますよ!」
と、嚆矢の脇をすり抜けた最愛。僅かに腫れた、右足を庇いながら。
「斯くなる上は……御免!」
「な────あきゃ?!」
と、痛みに一瞬だけ気を散らした最愛を────嚆矢は背中から、クラウチングスタートの構えで走り出しながらお姫様抱っこした。
「ちょ、あの、ええ!?」
「遅い! 走り抜ける!」
いきなり背後から抱き抱えられ、息を呑みながらただ為すがままとなる彼女。いつも目深に被っているフードが捲れ、ショートボブの茶髪が靡く。
まぁ、当たり前だ。突然、背後から抱きすくめられた上で平然と指揮した人間などは居るまい。最愛が虚に突かれた隙を、良いように。思う様に退路を、過たずに自在に走り抜ける。
「くっ、このぉ!」
「ンゴフ!? そ……それでもォォォグフッ?! そ…………そろそろ挫けそうです! 頑張ったよね、俺! もう、挫けて良いよね!?」
二度目、三度目と。曲がり角毎に、直に『窒素装甲』を無抵抗に受けながら。まぁ、威力自体はショゴスで無効だが、衝撃は首の間接に蓄積する。
首が取れそうな程にひん曲がりながら、既に降り始めているシャッターを次々に掻い潜り、潜り抜けながら。走り抜ける、来る時のように『黄金の娘』も『白銀の娘』も『第六天魔王』も、誰の助けもないままに────!
「チッ……ラス1、だけど────他より速ェ! もう閉じかけか!」
「寧ろ、超遅いレベルですよ!」
「煩せェェ、島の風かテメェは!」
此方にとっては一番最後、向こうにしてみれば一番最初。外界に繋がるシャッターは既に、八分以上閉じていて。
「クソッタレ……!」
そう、叫ぶくらいには無理な距離で。閉じ込められれば、後は助けを待つか。或いは、窒息消火……二酸化炭素の充填消火器が作動するだけで終わる。
外の闇、安寧の暗がりが一条に。槍に染みていた毒の為に、演算や魔力も飢えている。もう、走るだけでも苦行だ。取り返しのつかない失敗だ、こんな─────
『結局────しゃがむ訳よ!』
「「────!?」」
その、長らくジャミングされていたインカムに届いた、外界からの呼び掛けのままに。魔術や能力の選択肢を捨てて、迷わずスライディングする。勿論、最愛を抱いたまま。
刹那、閉まり掛けたシャッター。その隙間を────盲んばかりの光と爆発が、撫でる。
「ッシャァァァッ!」
叫びと共に、開いた僅かな隙間に滑り込む嚆矢と最愛────だが、間に合わない。
再び下がりだしたシャッター、対戦車ライフルの直撃にすら耐える強度の。それが今、断頭台と化して襲い来て─────
「っ……っらぁぁぁぁ!」
最愛の『窒素装甲』で押し返された。非常灯の下劣な光の下から滑り出た、静謐な夜の闇。安堵と共に、嚆矢は夜天を見上げ────
「結局、脱出経路の確保が一番重要な訳よ。後は、監視カメラの映像記録の入手と消去とか」
「ハハ、違いない……惚れ直しちまったよ、フレンダちゃん?」
頭上に佇む黒タイツ、白いミニスカートが翻る。したり顔のフレンダ=セイヴェルンが指先でUSBメモリーを弄びながら、不敵な碧眼でこちらを見下ろしている。
因みに、ナイスアングルであるが……暗くて見えない。この時ばかりは、非常灯の光が欲しかった。
「────ッふん!」
「ゴホォ!?」
と、短い茶髪を揺らしながらの最愛の肘打ちが鳩尾を抉る。地面に背中を預けていては、威力の逃がしようがない。
「さて、長居は超無用です。直ぐに撤収しましょう、足の手配は?」
「勿論、万端な訳よ。あのスットコクラッカー、呼び出してボコボコにしてやる~!」
『ゲホ、ちょっとくらい心配してほしいニャアゴ……』
翻筋斗打つ嚆矢を尻目に、フードを被り直した最愛とフレンダは敷地を脱出すべく振り返る。
《ふむ、嚆矢よ》
(火は掛けねぇ)
何にせよ、後は物品の提出のみ。入手した『黒い棘』と、監視カメラの画像、これで沈利のご機嫌が取れれば良いのだが。
《そうか。だが……降り掛かる火の粉は、払わねばなるまい?》
(……何?)
帰るばかり、そんな気の抜けた空気が満ちて。
《敵、右前方より来襲。数、三》
「ッ……待て、二人とも!」
“悪心影”は、そんな空気の破綻をさも面白そうに嘲笑う。
「────そりゃア、手間が省けた。コイツだろ、それ?」
誰何するよりも早く長谷部を掴み、フレンダと最愛を庇い立つ。届いたその声は、闇の彼方から。闇よりも尚、濃い暗さで。ジャリ、とアスファルトを鳴らしながら────びしゃりと、投げられた『モノ』により路面に『紅い花』が咲いた。
「ッ……」
首、男の。嚆矢には見覚えはない。しかし、後ろの二人は──息を飲んで。
「……超残念でしたね、フレンダ。どうやら、もうボコボコにするところは残ってないみたいですよ」
「みたいね。結局、潜入がバレたのはこのせいだったって訳か」
肯定だ。即ち、この『首』の男こそがクラッカーの『電気使い』だったのだろう。
しかし、今はどうでも良い。問題は、それを為したこの『敵達』をどうするか、だ。
「よう、『アイテム』……この前は、うちのが世話になったみたいで。まぁ、脱走したゴミだが……だからって身内には違いねぇ」
歩み出た、痩躯の少年。スーツのような服を着た、まるでホストのような橙色の髪。月の光の元、まるで映画の男優のように繊細な優男が笑い掛けてくる。
──百分の一……だな、こりゃあ。
覚えがある。知っている。その顔は、知っている。見た、白い部屋の中で。
『良く覚えておけ、第七位の次はコイツが目標だ。“観測されていない未知の粒子を産み出し、操る能力”。それが─────』
一瞬のフラッシュバックを、振り払う。呆けている場合ではない、切り抜けねば。何としても。
気付いたらしい、フレンダと最愛が身を強張らせる。当たり前だろう、暗部で『最大の組織』の頭目が目の前に居るのだから。
「で、モノは相談なんだが……ここの研究はウチも狙っててよ。何か手に入れたんなら、水に流す代わりに譲ってくれねぇか?」
『……それは、強制でニャアゴ?』
「任意さ────決まってんだろ?」
『じゃあ、仕方ないニャア。命には代えられないしナ~ゴ』
「いい判断だ。長生きするぜ、気狂い猫」
『お褒めに預かり、光栄ですニャア。超能力者・第二位────』
そうならないだろう事は、肌を刺す殺気が雄弁に。笑う少年は戯れに、獲物が足掻く様を楽しもうとでも言うのだろうか。
「『未元物質』“垣根 帝督”!」
背後にこちらには無関心にマニキュアを塗るナイトドレス姿の少女と、特徴的な形をしたゴーグルを嵌めた少年を引き連れて。
「へぇ、俺も有名になったもんだ……まさか、猫にまで名を知られてるとはなぁ?」
学園都市で第二位の実力を持つ男は、にたりと陰惨な笑顔を浮かべた。
「……二人とも、手ェ出すな……考えがある」
「考えって、けど」
「……あの『未元物質』相手に、小手先で超何ができるってんですか」
暗い、実に昏い。この夜の闇が、光かと思える程に。この『アイテム』の活動が、お遊びと思えるくらいに。能力名の通り、暗黒の物質その物を纏うかのような、その男。
嘲笑と蔑みを孕む視線を向けられているだけで、夏場だというのに息を吸う唇が震える。長谷部の柄に掛けた指が、鯉口を切ろうとする指が。疲労に────否、畏怖に、まともに動かない。
「で?」
「ッ!」
冷笑を浮かべる唇が開かれた。その一言だけでも視界がブラックアウトしそうな程、緊張が走る。頭が割れそうな程、脳が沸騰しそうな程に血が逆流する。
《阿呆、呑まれるでない。実力で負け、気持ちでまで負ければ……そこで終わりぞ》
(ッ……簡単に言うな。相手は超能力者、『一人で軍隊を相手に出来る能力者』の第二位だぞ)
《やれやれ……情けない事を》
呆れたような“悪心影”の声に、無為と知りつつ反駁を。確かに、情けない話だ。敵が強いから尻込むなど、心の底から己が情けない。
だから、という訳ではないが。今更、沸き起こる対抗心。そして────
「この研究所の成果ってのは……何処だ?」
『……此処に在るニャアゴ』
第二位『未元物質』、垣根 帝督の声に我を取り戻す。
ショゴスに納めていた、『それ』を取り出す。闇の臓腑に手を突っ込み、掻き分け、引き摺り出し────路面の『紅い花』のとなりに、投げ転がす。
「……何だ、コリャ?」
『さぁニャア、難しい事は分かんないけど……それが、『研究成果』だナ~ゴ。ソイツが、死体の内側に入って操り人形だニャアゴ』
路面に咲いた、『蒼い花』。それを為したのは、怪物の死骸から吹き出た異形の血液。即ち、ミ=ゴの死骸の血液である。『研究成果』、が何か。それは、実際に現場を目撃した者しか知り得ない。そう、『これが本当に研究成果かどうか』を、帝督達は此方の判断に任せるしかない。
その筈だ、と。嚆矢は息を飲む。下手な動きを見せぬよう、顔色を……特に、背後の二人のモノを窺わせぬようにヘラヘラと笑いながら。
まともに此方を見ていたゴーグルの少年が、ミ=ゴの悍ましい姿に堪らず目を背ける。しかし、帝督は一瞥をくれただけで。
「へぇ……そりゃ、マジか?」
変わらぬ冷笑を浮かべたまま、背後へと。
「はぁ、面倒……こんな男、趣味じゃないんだけど」
その呼び掛けに答え、少女が歩み出た。派手なドレスの、恐らく年下の。その眉目秀麗な顔立ちが、ゆっくりと近づいてくる。実に、不味い。ゴーグルの少年ならば人質に取り、脱出する算段とする事も出来たかもしれない。それが達成可能かは兎も角として。
「────距離単位20」
しかし女性ならば話は別だ、嚆矢は『誓約』により『女性には優しく』しなければならない。
即ち、本人にとって不可能なだけでなく……もしも最愛やフレンダが彼女を人質に取った場合、彼女の苦境を解消しなくてはならないのだ。
──否、そもそも……この娘は。
「ねぇ、嚆矢」
無抵抗なままの嚆矢の耳元に寄せられた唇が、小さく囁く。名乗ってもいないのに、実名を囁きながら。
「これ、本当に『研究成果』? ねぇ、本当の事、言って?」
「…………!」
──そもそも、この娘は……護らなきゃいけない娘の筈だろう?
その一言。まるで、長い時を共にした幼なじみか……或いは、恋人にでも囁かれたような。抗えない、妖魅を持っていて。
「……本当、だ。それは、死体を動かすOSみたいなものだ」
「…………あら、そう」
返した、本心からの答え。間違いではない、正しくもないだけで。少女は、あっさりと体を離す。用は済んだとばかりに、実にあっさりと。
「……嘘は吐いてない。確かに、これが『研究成果』みたいよ」
「そりゃあ驚きだ。まさか、マジで寄越してきやがるとはな……自分で言っといて何だが、本当に長生きするぜ、お前」
ナイトドレスの少女、今度は反対の手の爪にマニキュアを塗る少女の言葉に、頷いた。帝督はそれに、感心したような呆れたような表情を浮かべて。
──この女……『精神感応』か何かの能力者か?
そう、思考した。帝督が簡単に信じたからには、恐らくはそうだろう、と。
危うい話だ、虚実を入り交じらせていてよかった。もし、完全な嘘ならば見抜かれていたかもしれない。
「────『心理定規』よ。『精神感応』程度と一緒にしないでちょうだい」
「ッ……?!」
そう思った瞬間、届いた声。そしてマニキュアを塗りつつ、こちらを不機嫌そうな眇で見遣る少女の眼差し。
見抜かれたか、そうおもうよりも早く────思考の回転を止める。
「面白い能力ね、思考を止めるなんて。だけど……遅かったわ、あなた」
少女が口を開く。三日月みたいに、酷薄に。
「でもこいつ、嘘は吐いてないけど……何か隠してる」
「「「「「─────!」」」」」
その言葉が、開戦の口火を切る事を知っていながら。くすくす、と嘲笑って。
間髪などは入れていられはしない、先手を打たねば負ける。決意に両掌に力を籠めて、指の震えを押し止めながら長谷部を抜く────よりも早く、握り締めた両掌がぐしゃりと潰れた。
「─────な」
ポカンと眺める程、本当に呆気なく。在らぬ方向に指が向いている。『まるでバナナの皮のようだ』等と考える暇があって、そして後から。
「ガ────あ、ガァァぁぁッ?!?」
正気を失いそうな程の激痛が、遅れてやってきた。
「こんなものか……格好は虚仮脅しらしい」
膝を突き、苦痛に呻く。潰れた肉と砕けた骨、噴き出す血液を抱えて蹲る。
果たして、『念動能力』の類いだろうか。それを為したゴーグルの少年が、帝督の前に歩き出ながら口を開く。見下すように、静かに笑いながら。
「まっ……待ってくれ……! 分かった、渡すから」
「なっ……ジャーヴィス、アンタ!」
「……超巫山戯んじゃねェです!」
「そりゃ、こっちの台詞だ……命よりも大事なもんはねェ……頼む、助けてくれ!」
それに痛みに声を上擦らせつつ、嚆矢は憐憫を乞うた。フレンダと最愛からの非難を受けながらも腕全体で────銀色の筒を、投げ出して。
「そりゃそうだが……情けない奴だな、お前」
「────……」
拾い上げた、ゴーグルの少年は心底から嚆矢を見下す。頭を地べたに擦り付け、土下座で命乞いする彼を。
「────じゃあな」
見るのも反吐が出るとばかりに右足を持ち上げ、捻り潰す力と共に踏み下ろす。
路面すら踏み抜かん威力で────血飛沫が、路面に打ち撒けられた。
「な─────?!」
その右足を躱しながら、土下座から流れるように右膝を引き────口に銜えて引き抜いた長谷部により切られた……右足から。
「ア、ガァァぁぁッ?!?」
「おやおや、それっぽっちの傷で。その格好はどうやら、虚仮脅しらしい」
『てけり・り。てけり・り』
倒れ、悶えるゴーグルの少年を見下して嘲笑いながら。すっくと立ち上がり、万能細胞による応急処置を済ませた右掌で長谷部を構え直す。
先程、幾許かの『食事』をさせた甲斐があったと言うもの。死体二つ、お陰で手首から先を失わずに済んだ。
「新陰流“滝流”……が、崩し。ぶっつけ本番にしちゃあ上出来か」
「テ、テメェェェ!」
倒れながら、激昂して能力を行使するゴーグルの少年。しかし、痛みと怒りからか、先程ショゴスごと掌を押し潰した演算は得る事も叶わず。
「無駄だ……ショゴス、偃月刀を寄越せ!」
『てけり・り。てけり・り!』
そして、帝督が歩み出るよりも早く。玉虫色の悍ましき彩りを持つ、『賢人バルザイの偃月刀』を左掌に握る。
放たれた圧潰の力、ゴーグルの少年の。しかし、それも第一防呪印『竜頭の印』に阻まれる。軋み、砕かれた虚空に浮かぶ魔法陣。
十分だ、十分に時間は稼いだ。生命力を代償に練り上げた魔力、それを注ぎ込んだ偃月刀を振るうには。
「“ヨグ=ソトースの時空掌握”!」
「ッ────?!」
空間自体を捩じ切る、時空神の握撃がゴーグルの少年を襲い────
「おいおい……何する気かは知らねぇし、どうでも良いけどよ?」
「クッ……!」
冷笑を変えずに、舞い降りた『天使』がいた。間違いようもない、それこそは『未元物質』垣根帝督。目にも留まらぬ速さで、ゴーグルの少年と嚆矢との間に舞い降りたその白い羽が────羽撃いた。
「俺の『未元物質』に、常識は通用しねぇ────」
刹那、世界が煉獄と化す。彼にはそれしか見えず。背後の研究棟が崩壊した事は、翌日のニュースに上る事態となった。
「へぇ……あれを受けて、まだ形があるとはなぁ。部下なら重宝したんだが」
後に残ったのは、第二防呪印『キシュの印』に護られた最愛と第三防呪印『ヴーアの印』に護られたフレンダ。そして、最終防呪印『竜尾の印』にて最愛とフレンダの盾となった嚆矢だけ。
その三つの魔法陣も、同時に砕け散った。最早、彼等を護る盾はない。
──無理、だな。今の状態じゃ、逆立ちしなきゃ勝てる訳がない。
《では……儂の具足を欲するか?》
(…………)
窮地を嘲笑いながら、“悪心影”が背に凭れる。甘え掛かる遊女のように、命を握る暗殺者のように。
思い出したのは、燃え盛る天守閣。彼処で見た見事な甲冑、鎧兜を。
《欲するのであれば、与えようぞ。しかし、代償は戴こう……》
(……ハ、得るモンより喪うモンの方がデケェンだろうが。結構だよ、クソッタレ)
呵呵、と耳障りな哄笑を残して“悪心影”が離れていく。悪辣なる神の囁き、それが消えた安堵に包まれながら。
目の前の白い翼の男。その威容を回顧し、光輝く白い翼の昂りに再び緊張と絶望を取り戻して。
「んじゃ、もう一発。今度こそ……さようならだ」
「ああ……全くだ」
だが、知るが良い天使。砕けた四つの印は、虚空に消えた。四つの御印は、『この世ならざる虚空』に御座す『神』に届いたのだ。
泡立つように、ショゴスが虚空に球を為す。やがてそれは、導かれるように形を成して。
「飢える、飢える、飢える! 生け贄二体、十分だろ……“ヨグ=ソトース”!」
呼び掛けに、時空が軋む。祭具にして杖たる偃月刀、その内側より覗く無数の瞳が────嚆矢と最愛、フレンダの三人を捉えて。
「“ヨグ=ソトースの次元跳躍”」
………………
…………
……
『未元物質』が舐め尽くし、焼き尽くした空間には何も残っていない。完全に消滅したのだ、塵も残さずに。
それだけの破壊力が、殲滅力が帝督の能力にはある。だからこそ、学園都市の第二位の超能力者と自他共に認める存在だ。
「……逃した、か。一体、どんな能力だよ、あれは?」
呆れた笑みを浮かべ、羽を消す。振り返った帝督は、ドレスの少女とゴーグルの少年に向き直る。
そして、『無くなっている』怪物の姿に、一瞬二人を睨んで。
「違うわよ……気付いたら、『溶けてた』わ。水から出したクラゲみたいに、ね」
「で、ですが、この筒は確保してます」
「チッ……」
その言葉に、帝督は渋々と言った具合に髪を掻き上げて歩き出す。恐らくは、遠くから響くサイレンの音に面倒を感じたのだろう。
宥めすかす事に成功した二人、特にゴーグルの少年は酷く安堵した吐息を漏らした。だから。
「……しかし、あの猫野郎。昔……何処かで……」
帝督が漏らした、その言葉。それに気付く事は、無かった。
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