外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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追憶 ~ 帝国歴486年(後篇) ~
帝国暦 489年 8月 6日 オーディン 統帥本部 シュタインホフ元帥
統帥本部に着くと副官と共に執務室へと真っ直ぐに向かった。統帥本部の庁舎の内地上に建てられている部分は殆どがテロ等の攻撃で粉砕されても統帥本部の機能には影響を及ぼさない。その多くは倉庫や備品室、売店、一般事務員の控室に使用されている。主だった部署は皆地下だ。私の執務室も地下五階にある。階段を下りて執務室に向かう。
途中、何人かの職員に出会った。皆、脇に避け敬礼をして私が通り過ぎるのを待つ。それに答礼しながら階段を下りた。緊急時以外にエレベータを使わないのは表向きは健康のためと言っているが本当は周囲に気を使わせないためだ。エレベータで一緒に乗り込んだ職員の気まずそうな顔は見ていて楽しいものではない。乗り込むのを躊躇われるのも同様だ。階段を下りるのは問題ないが上るのは辛いかなと思う時がたまに有る。息が切れて立ち止まるようになったら引退だろう。軍務尚書も同じような事を言っている。年は取りたくないものだ。
ミュッケンベルガーも同じ事を言っていたな。あれは何時頃だろう、ヴァンフリートの前だったか。だとすれば心臓に異常が出る前という事になる。この男ならあと三十年は階段を上り下りしそうだと思ったが……。人の運命など分からぬものだ。まさかあんな事が起こるとは思わなかった。そして全てが変わった、人も国家も全てが……。あの時は分からなかったが今なら分かる。歴史に転換点が有るとすればまさにあれが転換点だったのだろう……。
ヘルトリングが困惑した表情で執務室に入って来た。そして入れ替わりに私の副官が部屋を出ていく。情報部長が報告に来た時は必ず余人を交えない、それが統帥本部の決まり事だ。それだけ情報の扱いには注意が要る。妙だな、ヘルトリングは自信無さげであるのに部下が付いていない。いや、そう言えばTV電話で御耳に入れたい事が有ると言ってきた時も妙な顔をしていた。ん? 何だ? ヘルトリングは入り口で躊躇っている。何故近付いてこない? 何を躊躇っているのだ? 待て、御耳に入れたい事が有ると言っていたな? 正式な報告ではないという事か?
席を立ってソファーに向かった。ソファーに座りヘルトリングに視線を向けた。対座する席を指差す、ヘルトリングがおずおずと近寄ってきた。そして躊躇いながらソファーに座った。だがそのままだ、ソファーの方が話し易いかと思ったのだがヘルトリングは何も言おうとしない。
「如何した、ヘルトリング情報部長」
「……」
落ち着け! 世話の焼ける奴だが怒鳴ってはいかん。ヘルトリングは明らかに困惑している、そしてここに来た事を後悔している。怒鳴れば物音に驚いた鳥のように飛び立ってしまうだろう。大事なのはこいつがどんな話を仕入れて来たかだ。少なくとも一度は私の耳に入れた方が良いと判断させた話だ、聞かなければならない。
「私に報せたい事が有ったのだろう、何を聞いた?」
ゆっくりと囁くように話しかけた。この方がヘルトリングの緊張もほぐれる筈だ。
「……昨日の第三次ティアマト会戦ですが、妙な話を聞きました」
「うむ、どんな話だ。教えてくれ」
「戦闘の最中に、……ミュッケンベルガー元帥が人事不省に陥ったと。指揮を執れなくなったと。そのような噂が遠征軍に流れているそうです」
まじまじとヘルトリングの顔を見た。怒鳴られると思ったのか、ヘルトリングが身体を竦ませた。
「本当か?」
いかんな、声が少し掠れ気味だ。だがヘルトリングは怒鳴られなかった事でホッとした様な表情を見せた。
「噂の真偽については分かりません。しかし遠征軍にはそういう噂が流れているとこちらの情報源の一人が報せてきました」
思わず太い息を吐いた。どういう事だ?
「戦闘中負傷したという事か?」
「いえ、それが……」
「それが?」
問い掛けるとヘルトリングが困惑している。
「病気だと言うのです」
「病気?」
「はい」
熱でも出たのか? 高熱で人事不省? どうもよく分からんな。
「少し体調を崩した、一時的に指揮権を委ねた、それが大袈裟に広まっているのではないか?」
「……そうかもしれません。しかし遠征軍将兵はかなり混乱しているようです。情報源が言っていました」
「混乱している? 遠征軍内部で混乱が生じている、そういう事か」
だとすれば状況は深刻と言って良い。一体何が起きているのだ? ヘルトリングに視線を向けたがヘルトリングは困ったような表情で首を横に振った。
「分かりません。彼もかなり困惑をしていました。躊躇いながら小官に報せてきたのです。何かが起きた様だが何が起きたかが良く分からない、ただ何かが起きたと」
何かが起きた……。どうもはっきりせんな、普通なら報告はもっとはっきりしろと怒鳴り付ける所だが……。
待てよ、これは報告なのか? むしろ警告と受け取るべきではないのか? 警告なら何かが起きたと言うのは十分に意味が有る、調査をしろという事だ。ヘルトリングも報告とは言っていない、耳に入れたい事が有ると言っていた。つまりヘルトリングも警告と受け取ったのではないか? だから曖昧な内容でも報せに来た。思わず唸り声が出た。
「ヘルトリング、第三次ティアマト会戦は帝国軍の大勝利に終わった、そうだな?」
ヘルトリングが頷いた。
「はい、反乱軍に二万隻近い損失を与えました、止めこそ刺せませんでしたが大勝利と言えます」
「ミュッケンベルガー元帥が人事不省になったにも拘らずか? そんな事が可能かな、ヘルトリング」
私が問い掛けるとヘルトリングは考え込むような表情を見せた。
「……やはりただの無責任な噂なのでしょうか?」
「……分からんな、だが……」
「……」
「ミュッケンベルガー元帥が人事不省になったにも拘らず大勝利を収めたのだとしたら……」
「……だとしたら?」
「何かが起きたのだろう」
今度はヘルトリングが唸り声を出した。
総司令官が人事不省になった。事実なら軍は混乱する。とてもではないが大勝利を収める事など不可能なはずだ。良くて引き分けだろう。だが現実には遠征軍は大勝利を収めた。辻褄が合わない、何かがおかしい、不可解なのだ。報告者を含めた遠征軍将兵が混乱しているのもそれが理由だろう。私もヘルトリングも混乱している。
やはりミュッケンベルガーが人事不省というのはデマなのかもしれん。しかし総司令官の健康に関してデマが流れるなど有るだろうか? 有っても直ぐに打ち消されるだろう。そうすれば混乱は収束する筈だ。それが無いという事はやはりミュッケンベルガーは何らかの理由で人事不省になった。そう見るべきではないだろうか。
「ヘルトリング、ミュッケンベルガー元帥が人事不省になったとすれば誰かが代わりに指揮を執ったはずだ。誰が指揮を執った?」
「それが、はっきりしないのです。総司令部が指揮を執ったようですが……」
「総司令部? それも妙な話だな」
ヘルトリングが“はい”と頷いた。参謀達が合議で指揮を執ったと言うのか? それで大勝利? 有り得ん話だ、空中分解して大敗北という方が未だ有り得る。どうも何かがおかしい。
「ちぐはぐだな、何一つ整合性が取れん」
呟くとヘルトリングがこちらをじっと見た。
「如何した?」
「しかし御味方は大勝利を得ております」
また唸り声が出た。そうなのだ、どうして勝てるのだ? 勝てる要素がまるで見えてこない。
「ヘルトリング、ミュッケンベルガー元帥が人事不省になったとして本来なら誰が指揮権を継承する筈だった?」
「……序列から言いますとミューゼル大将です」
「……」
それを早く言え! ミューゼルか、いきなりキナ臭くなってきたな。考えているとヘルトリングが“閣下?”と声をかけてきた。ヘルトリングはこちらを窺うような表情をしている。
「引っかかるな」
「はい、例の件が有りますからどうにも引っかかります」
「そうだな、……ヴァレンシュタインに動きは」
「特に目立ったものは有りません」
無関係か? しかし気になる。ヘルトリングがここに来たのはミューゼル、ヴァレンシュタインが絡んでいると思ったからかもしれない。だが遠征軍はティアマト、ヴァレンシュタインはオーディン、関係が有る? そうは思えん。
「もう少し噂を追え、どうも気になる。ひょっとするととんでもない裏が有るかもしれん」
「承知しました」
ヘルトリングがゆっくりと頷いた。ヘルトリングの表情には先程までの困惑は無い、私も何かがおかしいと感じた事で安心したのだろう。ふむ、この男、自信が無いだけである程度の能力は有るのかもしれない。だとすれば情報部長には適任かもしれんな。多寡を括るような奴には情報部長は務まらん。
「それと、第三次ティアマト会戦の戦闘推移が知りたい、そこから何かが分かるかもしれん」
「総司令部に直接要求しましょう、閣下のお名前をお借りしますが」
「それで良い、変にコソコソすれば向こうを刺激するだろうからな」
「はい」
それを機にヘルトリングは席を立った。
どうも妙だ、何かがおかしい。得体のしれない何かを踏みつけた様な気がする。踏んだのが汚物なら良い、腹は立つが時間が経てば忘れるだろう。だが踏んだのがそれ以外の物なら一つ間違うととんでもない事になる、そんな感じがした。気が付くと何時の間にか副官が部屋に戻っていた。妙な顔で私を見ている。ふむ、ソファーに座ったままだったか……。やれやれだ、ゆっくり考える事も出来ん。
全てが明らかになったのは三日後、十二月七日の事だった。
「つまり、全てはヴァレンシュタインが脚本を書きあの九人がその通りに動いたという事か」
「そういう事になります」
ヘルトリングが執務机の前に立っている。今日はシュミードリン少佐も一緒だ。正式な報告、そういう事なのだろう。
ミュッケンベルガーが戦闘指揮を執れない状態になったのは事実だった。但し、人事不省ではなく心臓発作によるショック状態になったらしい。ミュッケンベルガーは心臓に疾患が有ったのだがそれを隠して出兵していた。ショック状態になったミュッケンベルガーに代わって遠征軍の指揮を執ったのはメックリンガー少将だった。
新参の少将に他の参謀達が自ら指揮権を委ねるわけがない。メックリンガーが指揮権を得る事が出来たのにはヴァレンシュタインの工作が有ったらしい。但し、その工作は非合法なものであったようだ。ヴァレンシュタインは責任を取って軍を辞めたいとミュッケンベルガーに書状を送っている。もっともミュッケンベルガーはそれに対して反対の様だ。そしてミュッケンベルガーも退役を宣言している。
「ミュッケンベルガー元帥が退役されるとなると宇宙艦隊司令長官はどなたが就任されるのでしょう」
ヘルトリングの発言は質問と言うよりも呟きに近かった。おそらく後任者が思いつかない、そんなところだろう。
「さて、何とも言えんな。第一退役が許されるかどうかも分からん。ミュッケンベルガー元帥は陛下の御信任も厚い、或いは慰撫されてその地位に留まるという事も有り得る」
エーレンベルク元帥、リヒテンラーデ侯もミュッケンベルガーの留任を望む可能性は低くない。
「しかし戦場には……」
「出られんだろうな、代わりに戦場に出る人間を副司令長官に任命しミュッケンベルガーの下で経験を積ませる、落としどころはその辺だろう」
ヘルトリングが“なるほど”と頷くとシュミードリン少佐も頷いた。
「では、どなたを副司令長官に?」
「さて、それが難しい」
私が答えると二人も考え込んでいる。名将ミュッケンベルガーの後継者選びだ、なかなか難しいものがある。
「卿らは如何思うか?」
私が問い掛けると二人は顔を見合わせた。“遠慮は要らん、思った事を言え”と促すとヘルトリングがメルカッツをシュミードリン少佐がミューゼルの名前を出した。
「情報部長がメルカッツの名を出したのは実績を買っての事だろう。少佐はミューゼル大将の名を出したようだが」
私が視線を向けるとシュミードリン少佐が僅かに姿勢を正した。
「ミューゼル大将は今回の勝利で上級大将に昇進するでしょう。それにローエングラム伯爵家も継ぐ事が決まっています。用兵家としても有能である事は間違いありません。まだお若いですが陛下の御覚えも目出度く御内意が有れば宇宙艦隊副司令長官、或いは司令長官も有り得るのではないでしょうか」
少佐の言葉にヘルトリングは少々面白くなさそうだ。なるほど、自分より若いミューゼルが恵まれすぎているのが気に入らんか。ヘルトリングはもう五十を過ぎたが未だ中将だ、まあこの先は大将で退役だろう、気持ちは分からんでもない。しかし、これからのミューゼルは決して楽では無い。ヘルトリングだけではない、シュミードリン少佐も知っていた方が良かろう。
「かもしれんな。だがミューゼルは決して楽しめんぞ。例え宇宙艦隊司令長官になってもな。むしろ地獄だろう」
「……」
「今回の会戦でミューゼルは武勲は上げたかもしれんが評価はされておらん、分かるか?」
二人が顔を見合わせた。そしてヘルトリングが“どういう事でしょうか?”と質問してきた。シュミードリン少佐も訝しげな顔をしている。
「遠征軍に於いてミューゼルは次席指揮官の筈だった。だが会戦を通してミューゼルは前線で戦う一指揮官でしかなかった。代わって全軍の指揮を執ったのはメックリンガーだ。この事を軽く考えてはならん。メックリンガーを総司令部に入れたのはヴァレンシュタインなのだからな」
二人が愕然としている、ようやく理解出来た様だ。今回の一件、脚本を書いたのはヴァレンシュタインだった。ならばどういう意図を持って脚本を書いたのか、それを理解しなければならない。
「あの小僧、ミューゼルを排除にかかると思ったが潰しにかかったわ。怖い事を考えるものよ」
「……」
「ミューゼルに指揮権を渡さなかった。つまりミューゼルには大軍を指揮する資質無し、帝国軍将兵六百万の前で盛大に宣言しおった。これ程までに派手な不信任の表明も有るまい、前代未聞だな」
ヘルトリング、シュミードリン少佐の二人が顔を強張らせている。中将とはいえ軍の実力者であるヴァレンシュタインが不信任を表明する、その影響を考えたのだろう。
「皆が思うであろうな。ミューゼルが頼りにならぬから新たに二個艦隊を編成した。ミューゼルが頼りにならぬから総司令部にメックリンガーを入れたと」
「……」
「そしてミューゼルが頼りにならぬからヴァレンシュタインは非合法な手段を取らざるを得なかった。その所為で軍から追放されようとしていると」
二人の顔は蒼白だ。多分、私も同様だろう。以前から容赦の無い男だとは思っていたがここまで冷酷になれるのか、そういう思いが有る。
メックリンガーの指揮が拙ければ責められるのはヴァレンシュタインだった。だがメックリンガーは十分過ぎる程に戦果を挙げた。誰もメックリンガーを、ヴァレンシュタインを責める事は出来ない。そしてミューゼルでは同じことは出来なかったに違いないと思う筈だ。
ミューゼルは厳しい視線に晒されるだろう。これまでも孤立していたがこれまで以上にあの男は孤立する筈だ。だがそれに耐えて実力を養い機会を待たなければならない。そして誰もが認めるだけの武勲を上げる……、それが出来て初めて皆から認められるだろう。出来るかな? かなりの忍耐が必要とされるが。
おそらくヴァレンシュタインは出来ないと見ている。そしてミューゼルは焦りから自滅すると見ている。私も同じ思いだ、ミューゼルは自滅する。ヴァレンシュタインはただ黙ってそれを見ているのだろう。私も黙って見ている。ミューゼルよ、簒奪を目指すならヴァレンシュタインの陥穽から這い上がって見せろ。それが出来たら多少は認めてやろう。
後書き
外伝 「追憶 ~ 帝国歴486年(後編) ~」 をアップしました。
シュタインホフによる「追憶 ~ 帝国歴486年 ~」はこれで終了です。この後の部分は「追憶 ~ 帝国歴487年 ~」で書きたいと思います。多分回想者はエーレンベルクかリヒテンラーデ侯になると思います。
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