Fate/Fantasy lord [Knight of wrought iron]
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番外之刻
東方春眠暁
前書き
これは Fate/Fantasy lord [Knight of wrought iron] 以前の話です。設定としては風神録の三ヶ月前、とシロウはその一年を跨いで更に三ヶ月に登場しますとしていますが、それが本編に反映されるかは不明。ていうかされない。ぶっちゃけパラレルとして見ても何ら問題なし。
ここに初めて来た人は、epilogue and prolog からが本編なのでそちらをご覧下さい。
春が来ると、何故か眠たくなるというのは誰しも味わったことのある出来事だろう。
自然が持つ魔力のひとつなのかもしれないが、魔とつけるには害のない現象ではある。
私も普段はその三大欲求への訴えに抗うなんて馬鹿な真似はしないのだけれど、今日だけはそうするほかない。
「っ………たく。なんなのよこの花びらの数!」
手にしていた竹箒を乱暴に投げ捨てる。集めていた桜が散りばめられ、苛々に拍車をかける。
自業自得とはいえ、怒りで沸点が高まっている今の彼女には何の関係も無い。
今年の春、異常ともいえる桜の花びらが辺りを彩り、視界の大半を桜色が占めるという無駄に明るい世界が構築されている。
やっと冬の寒さと雪掻きで疲れた身体を休めると浮かれていた矢先、今度は桜の掃除。怒りに満ちるのも無理はない。
ただの一軒家程度の土地ならばこれ程までに憤ることもなかったのだろうが、彼女は巫女であり、彼女の家は神社。一度神社の境内から外観を覗いたことのある人ならばその億劫さは容易に想像がつくだろう。
更には、彼女の神社の周囲は桜の木で満ち溢れている。こうなれば美しい光景もただの地獄絵図にしかならない。
「はぁ………なんだってこう………」
掃いても掃いても終わることのない無限ループに軽く発狂しそうになるも、諦めるように捨てた箒を再び拾い、杖にするように体重を預ける。
「おーい、霊夢ぅー!」
そんな陰鬱な心境とは相反する明るい声が頭上から高らかに聞こえてくる。
聞き慣れたその声に一応顔を向けると、案の定そこに居るのは白と黒の服装の魔法使い―――霧雨魔理沙が箒に跨って此方へと降下してきていた。
ある程度の高さで彼女は飛び降り、華麗に着地する。でもそれは本人の中だけであって、私からすれば桜を散らせる風を発生させた邪魔者としか思えない。
「何よ魔理沙。私はここの桜を片付けるのに忙しいの。邪魔するだけなら帰って頂戴」
「そんな雪掻きの時の失態を繰り返さないような行動したところで、今回に関してはここら中の桜を燃やしでもしない限り暫くは解決しないぜ?」
そうなのだ。私はとある冬の時期、寒さと炬燵の暖かさに負けて暫くの間外に出ることもなく自堕落な生活をしていたのだけれど、そんな感じで雪が溜り、さらに暴風雪がそんな時に限って数日続いたのだ。
結果、襖は雪の圧力で悲鳴を上げ開けれる状況ではなくなり、屋根もみしみしと音を立てていていつ倒壊するものか不安で仕方が無かった。
そのときは魔理沙が偶然うちに現れていつものノリでぶっ飛ばしてくれたから助かったけど、下手をすれば生き埋めか、それとも圧死か。
以来、明らかに危険性のないこういった桜の花だろうと紅葉だろうと駆除せずにはいられなくなっていた。地味にトラウマ植えつけられてるのが恥ずかしい。
「そうかもしれないけど、やっぱりこういった事はきちんとやっておかないと後で後悔するからね………」
「ったく、そんなみみっちい事考えるのなんて霊夢らしくないぜ?そんなわけで、暗い雰囲気なお前には朗報だぜ」
楽しそうに笑う魔理沙。この悩みのなさそうな楽観的な笑顔が疎ましくもあり、羨ましくもある。
魔理沙は魔法の森に住んでいるから、石段とは違い地面は元より自然で埋まるのが摂理にある土地である。桜の花びらがあろうと気に留めることもなく酒の肴辺りにでもしてそうだ。
「この桜だ、紅魔館でどでかい花見が行われるんだってさ。疲れた身体を癒す為にパーっと飲み明かすのがいいぜ!」
確かに、普段の私ならそんな誘惑になら迷わず食い付いただろうけど、今の私にとっての癒しは桜の花びらを視界に入れないこと。これが一番の治療法だ。
「遠慮するわ。ただでさえ見飽きた桜を肴に呑むなんて、とてもじゃないけどできないわ」
「別の場所から、かつ眺めるだけって条件なら世界が違って見えるかもだぜ?」
「桜を見れば境内の状況を思い出して気が気じゃなくなるでしょうね」
一瞬の静寂。やがて魔理沙は諦めたように肩を落とした。
「そっか………。ま、霊夢がいうならこれ以上は強要は出来ないな」
魔理沙にしては呆気ない引き際だった。何かある気がしなくもないが、問いただす気力も今の私には無い。
「御免なさいね、私の代わりに沢山楽しんでらっしゃい」
まるで母親みたいな発言だが、疲労困憊で悟りでも開いてしまったのかもしれない。
「あぁ、じゃあな霊夢」
箒の推進力で大きく空を飛び立ち、後腐れなく高速で去っていった。
彼女の向かった先は紅魔館があった方。ということは結構間も無くだったのかもしれない。
そんなことを考える。まあ、宴会の時間指定なんてあってないようなものなのだけど。
魔理沙が来たことで完全に掃除する気は失せた。まだまだ残っているが、今は寝て少しでも後に備えたほうがいいかもしれない。
箒を適当な場所に片付け、敷いたままの布団へとダイブする。
間も無く睡魔が訪れ、彼女は刹那の安らぎに身を委ねた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
突如の意識の覚醒。見慣れた天井を眺める程暇ではないので、とっとと起きることにする。すっきりした意識で外の景色を眺めると、日が傾いて夕方になりつつあった。
桜の雨は止んでおり、気のせいか境内に積もった桜が寝る前と大して変わっていない気がする。私が寝たすぐに収まったと言うのなら、なんという間の悪さだろうか。
魔理沙達は、未だに花見を楽しんでいるのだろうか。
人のことを言えた立場ではないがあいつらは普通に明け方まで飲み明かすような暇人と疲れ知らずばかりだ。十分有り得るだろう。
「―――今からでも行ってあげようかしら」
断ったあの時、罪悪感がなかった訳ではない。
身体の調子は回復したし、お腹の空く時間でもあるから行ってみましょう。
―――ただ単に、後ろ髪を引かれているってだけなのかもしれないけど。
足袋を履き直し脱ぎ捨てた草履も履くと、私はそのまま空へと飛翔する。
空から眺めた地上はその殆どが桜色に染め上げられており、なんだか目が疲れてしまう。
そんな桜色に混じって佇んでいる真紅の館、紅魔館へと一直線に向かう。
向かう最中、当に終了してるかもしれないという焦燥感と、今頃現れたことによる魔理沙達の驚愕ぷりを想像する。
まぁ罪悪感を持つことはないのだけれど。何せうちの神社で騒ぐだけ騒いで片付けは全部私という理不尽を体験してるのだから、異論を認める気なんてないわ。
「………と、」
紅魔館も目と鼻の先にまで迫ってきた頃、ふと違和感を覚える。
静かだ。静かすぎる。
花見がどうのとかの問題ではなく、聞こえないのだ。鳥の囀りも、獣の啼く声も、人々の喧騒も。
まるで何もかもが死に絶えた世界に独り存在しているようなおぞましい感覚。絶世の孤独感。
そして目にする。
「なに、これ――――――」
確かに居た。魔理沙も妖怪も紅魔館の連中も。
言えばきりが無い数―――私が今まで出会ってきた奴等の殆どがそこにはいた。
でも、その姿は余ることなく………まるで死人のように動かない魔理沙達の姿がそこにはあった。
「ちょっと、どうしたのよ!」
慌てて急降下して、そんな彼女達の肩を揺さぶる。しかし誰もがこの声に反応することはなく、強制された首の上下運動だけが虚しく繰り返されていた。
誰もが死んでいる訳ではないのはすぐに分かった。胸は規則的に上下していたのは一目瞭然で、一部悔しい思いをしながら全員の確認をした。
「どういうことなの………」
全員で集団睡眠で揺さぶられて起きないのは流石におかしい。紫ならまだしも。
また異変が起こったのか、そう思った瞬間後ろから誰かが来る気配がした。
「誰!?」
振り向くとそこには、永遠亭の薬師である八意永琳と月の姫だとかいう蓬莱山輝夜がいた。
「あら霊夢。まさか貴女も無事だとは思っていなかったわ」
「ちょっと、これはどういうことよ。まさか今回もあんた達の仕業ではないでしょうね」
こいつらは一度異変を起こした張本人なのだから、警戒するのは当然だ。
「残念ながら今回は私達ではないわ。私達だっていつの間にか寝ていて、起きてみればこの有様だったんだもの。だいたい、この宴会にはうどんげやてゐだって参加してたでしょう?何かするのならそういった対策はしてるものよ」
永淋が人を莫迦にする様に鼻で溜め息を吐く。
確かに、この寝ている集団の中にはその二人も含まれている。
でも、それも一種の対策かもしれない。異変を解決する者としては、疑いは掛ける程苦労が減る。
「今回のこの異変………なんとも特殊な気がするの。この皆が昏睡してるって状況、何もここだけに留まった問題じゃないのよ。少し人間の里を訪ねてみたら、案の定死んだように眠っている人間が多々居たわ。道端だろうと、何処だろうとお構いなしにね。人間だけって場合は納得いくけど、妖怪であり力の強いものでさえこの異変の被害者になってる。かなりの力が渦巻いた異変だと構えていいわね」
道理で、ここに辿り着くまでの経緯で感じた静けさはそれも含めた結果だったのか。
そうでもしないと、あの耳を傷める静けさは訪れる訳がない。
紫や文といった、妖怪では力のある部類の存在ですらこの始末なのだから、永琳の言うことも眉唾と捉え聞き流すのは控えておこう。
「でも、全員が眠っていた訳じゃないわ。里の中にこの状況を見て混乱している人達に色々聞いてみたのよ。
そこでひとつ、共通する部分が出てきたの」
「それ、は?」
「その異変に気付くまで―――その人達は共通して、その前に睡眠状態にあったのよ」
それってつまり、寝ていたってことよね。意識が戻ったらこの状況下に放り込まれていた、という。
もしかして、私が今こうしていられているのも―――
「霊夢、貴女は確か疲れているという理由で花見を辞退していたわね。魔理沙が喋ってるのを小耳に挟んだわ。もし私達が花見に勤しんでいる間に貴女は睡眠を取っていたのなら―――全ての辻褄が合う」
「確かに………。でもそんなことは今は瑣末事よ。問題は、どうしてこうなったのかよ」
そう、仮に誰かが起きていた所でそれが異変解決に繋がるとは思えない。
犯人が寝ているなんて間抜けなことは有り得ないだろうし、こういった可能性を考えない馬鹿の癖ここまで力があるなんて二分を与えられなかった可哀想な奴がいれば、間違いなく特定出来るし。
まぁ馬鹿だけなら心当たりあるけど………有り得ないし共通点もない。
「そこまでは永琳と一緒に調べたけど分からなかったわ。昏睡薬みたいな薬品系統なら専門なんだけどね」
ずっと口を閉ざしていた輝夜がいきなり割り込んでくる。いるのにいない扱いってのに堪えたのかもしれない。
取り敢えず最後の良心として何も言わず話を続けようと思う。
「結局は振り出しのようなものね。ったく面倒ね」
「貴女も少しは動きなさいよ本業」
「うっさいわね。誰が言わなくてもやるわよ」
そう、私の仕事は異変解決及びそれに伴う障害の排除。
うん、力押しで解決できるってのは後腐れないけど疲れるのよね。
「まぁ、私達の方でも調べてみるけど。取り敢えず気になったところへ行ってみれば虱潰しだろうといずれ辿り着くんじゃない?」
何という無責任発言。調べるけれどどうせ解決に直接関わるなんてことはしないでしょうね。
まぁ無責任かつ自由奔放な奴が多いのが幻想郷らしいとも言えるのだが。
「後、もしかするとまだ力のある奴が動ける可能性もあるから犯人じゃないなら手伝って貰いなさい」
「そうね、あんた達じゃ頼りないし」
捨て台詞を吐き、逃げるように私は飛び立つ。
下ではなにか言ってる気もするが気にしない。
相変わらず景色は桜色だが、夕闇の朱色と合わさった情景は変わらず幻想を残している。
幻想という言葉にハッとする。
桜の異常なほどの数………今思えば桜の木でもない筈の木すら桜を咲かせているなんてのはおかしい。
花が咲き乱れた異変もあったが、あれはあくまでも多種の花が無尽蔵に、かつ季節を無視したものだったから気付いたが、今回は季節は春。なにもおかしいところは無い、数を除いては。
桜といえば―――幽々子しかいない。
けどあの宴会には妖夢も参加していた。幽々子はいなかったが、妖夢の方は普段纏わり付いてる魂もいなかった。
こういった異変を起こすなら、従者である妖夢の存在は不可欠。だからこそ憶測は混乱へと変貌する。
取り敢えず白玉楼へ向かってみるのがいいかもしれない。というか当てがそれくらいしか無いような気もする。あとは幽香が………程度にしか。
白玉楼へと進路を一直線に向かう。
遠目から分かるくらいに、そこもまた桜で満開になっているのが分かる。というか、花見ならあそこが一番お誂え向きな気がするのだが。
中庭にまで到着すると私は着陸して砂利の感触を楽しむ。この痛みが意外と癖になる。
そうやって歩いている内に、私が一番怪しいと目を光らせた場所―――西行妖が根を張っている裏庭への曲がり角にまでやってきた。
西行妖―――以前幻想郷中の春を奪い、その桜へと還元することで枯れ果てたその桜に再び桜を咲かせようと模索し、実行した異変があった。
それは満開になる前に解決はしたが、それが仮に満開になっていたとして………どうなっていたのかは定かではない。
見てみたいという誘惑は確かにある。だがあれを一度見たときに………何というか、儚さや無骨さなんかよりも、怖さの方が倍上を行った。
どんな妖怪であろうと決して怯まず退治してきた私だけれど、あれはそう、虚無と対峙してるかのような気分になった。
妖怪だろうとなんだろうと所詮は生き物、絶対無二の存在ではない。
でも西行妖、あれは………手を出してはいけない領域にある。
直感………というよりも本能に近い形で理解しているのかもしれない。
あれは―――そう、伝承とかで聞いたことのあるパンドラの箱みたいなものだ。開ければ取り返しのつかない結末へと無条件で辿り着く。
そんなもの、本来なら近づくことも御免なのだが―――今回だけはどうしようもない。
裏庭に辿り着いた矢先目についたのは、やはり西行妖―――ではなかった。
その大木の下、世界と同化したかの様に佇んでいる金の長髪の少女の姿が、何故だか一番に目に焼きついた光景だった。
この視界の中、最も矮小な存在であった少女が何故こうまでも存在感を放っている?
とにかく、私はその少女が何故こんな誰も寄り付かない様な場所で天を仰いでるのかが気になった。もしかすると犯人それに準ずる何かかもしんないし。
「貴女、どうしてこんなところに」
問いかけるも、少女は魂の抜けた様に不動のまま反応がない。
骸の如く静然としていた少女は、ただ呟きを残すのみ。
「桜が、悦んでいる………?」
少女の横顔は悦んでいる、という言葉とは反して顔色は憂いにしか包まれていない。
そんな中私の気配に気付いたのか、そんな表情を隠すことなく此方へと振り向く。
「――――――?」
振り返る少女は、よく見ればどことなしに見たことある服装と装飾をしていた。
色はほぼ完全に白で統一されており、リボン付きの三角の帽子にフリル袖のドレスにロングスカートには統一してピンクのギザギザ模様がでかでかと刻まれている。
シンプルイズベストなその姿は、幻想郷の住人ならば一度は見たことがあるであろう程有名な現象の象徴。
「―――リリーホワイトじゃない」
リリーホワイト。春という現象を象徴する妖精。
彼女が通る道は春が訪れ、満開の桜が開花する。
彼女が辿る道は彼女の綺麗な春を告げる声が響き、誰もが春の訪れを理解する。必要不可欠な存在。しかし春を告げる妖精である故、その時期から外れれば別の場所へと飛び立つ運命にある。
そんな状況下でも、彼女を見れば常に笑顔だった。でも今の彼女はその時の笑顔は欠片ほどもなく、魔逆の儚げな姿だけが存在している。
「そういう貴女は誰?」
「私は博麗霊夢。巫女をやってるわ」
確かに彼女は有名だ。でも彼女自身がそれに比例した数の知り合いがいるかといれば別。
外の世界で言う大統領とかそこらの存在と一緒で、知名度の高さは世界になんらかの形で大々的に伝わりはするが、それは決して直接的なものではない。
各言う私も彼女と会話するのはこれが初だ。
彼女という存在を知り、こうやって言葉を交わすだけでもした存在はどれ程いるのだろうか。
「レイム………ね。こんなところに人間が来るようなものじゃないわ」
「まぁ普通の人間ならこんな場所酔狂でしか来ないでしょうね。素面なら尚更。
でも残念だけど、今起こっている異変の解決の糸口がここにあるって思って。気が進まないけどね』
「異変って、生物が昏睡状態になったこと?」
「そうよ。貴女も私と一緒の理由で来たんじゃないの?」
最初こいつが犯人かと勘繰ったが、あの時の哀しい姿がそれを否定した。
もしそうじゃないとすれば、この桜が妖しいと春の妖精だから感じ取ったとしか思えない。
「ちょっと違うわ。私はここに来る前から異変の正体を理解してたわ」
「本当?じゃあ教えてくれないかしら、後は私がさくっと解決できると思うし」
「無理よ、少なくとも貴女だけではね」
素直に教えてくれるかと思いきや、次に出た言葉はまさかの否定。
「これでも私、数々の異変を解決してきてるから頼もしいわよ?」
「そう―――なら、貴女は現象が敵だろうと解決できる?」
現象が―――敵?
その意味を理解できない私に、リリーが続ける。
「昏睡の正体は―――桜の木。というよりも春そのものね。春という現象が、春の象徴である桜を媒介として行ったことよ」
「はぁ?」
「そうね、幻想郷中の桜が意思の様なものを持ったって考えて。この枯れた桜のように。ひとつひとつの力は限りなく弱い―――とは言ってもそれはあくまで齢を重ねた年期あるものと比較する場合だけど、異変と呼べる程の桜の量………その力は生物が勝てる様な代物ではない。喩えどんなに最強と詠われていたとしても」
つまり、桜が原因なのは確定。
その力は紫さえも昏睡させる力を持ったとんでもないもの。
春というものは物理的な解決方法は無いだろうし、リリーの言う通り私のやり方では無理があるのかもしれない。
「桜の木を全部切っちゃうとかは?」
「それでも解決しなくはないけど、問題はその後ね。自然のバランスが崩壊すれば、おのずと生物にも被害が現れる。幻想郷中の木々が桜の木になった今、それらを全て破壊すれば………想像できるでしょ?」
「うん、まぁ………」
何というか、妖精に物を教えられる日が来るとは思ってもいなかった。
普通妖精って頭が悪いという風に伝わってるけどどうにもその情報には語弊があったようだ。
「それに、自然のバランス云々よりももっと勧めない理由があるの」
「他にもあるの?」
「まず、どうして春が擬似的意思を持つに至って住民がこんな状態に陥ったのか―――思いつくかしら?」
そこは盲点だった。春という前代未聞の相手の犯行動機だなんて思いつかないに決まってる。思想が根本的に異なる可能性の方が強いのだから。
外の世界の奴等みたいに木々を問答無用の伐採とかはしていないから、怨まれることはない………とは思うけど。
「そう、思いつく筈がない。生物の大半が自然を根本から慈愛することはない。だってそれは最初から存在し得るものであり、自分達の日常に当たり前のように存在してるから。当たり前のことに興味を持っても、疑問には思わない。それは、遥か昔からの遺伝子にまで刷り込まれた《常識》だからで、それを否定することは絶対に不可能。ただでさえ言語が通じない相手を、知ろうとも思わないで理解できる訳がない」
………確かに、私はさも当たり前のようにこうやって春夏秋冬を満喫し、そして巡り巡る。
私が死んでも、その摂理が覆ることは世界が滅ぶ勢いでもない限り有り得ないと思う。
人間や妖怪が誕生する途方もない位遥か過去の時代から存在している自然。四季だってその枠の中にある。
そんな雄雄しく、理解に及ばないほどの広大さを有したそれを、あたかも自分の所有物かのように根を張り、踏みつけていった人間達。
私達のような人間が、こうしてそれなりに快適な生活を約束されているのも、この自然あってのこと。
それなのに何も知ろうともせず、感謝しようともせず、脛齧りを繰り返すだけ繰り返し続けている。
これほどの愚行、今思えばどれだけ愚かしいことなのかが理解できる。
そしてこうやって、春の権化に伝えられるまで何一つ分かっちゃいなかった自分もまた、自然を穢すだけの愚者に過ぎないのだと。
「――――――ごめんなさい」
気付くと、私は謝っていた。
普段の自分なら、だからどうしたと一蹴している出来事を、今私は真剣に見据えている。
自分でもわからない心境の変化に、戸惑いを隠せないでいた。
「別に謝って欲しい訳じゃないわ。ただ、理解して欲しかっただけ。自然だって成長し、最後には土に還る存在なの。それはどんな生き物にも共通する、生命の結末。言葉を発せないからって、意思表示が出来ないからって、自然に感情や意思が存在しないだなんて、勝手に判断して欲しくなかったの」
ということは、この桜はそんな私達に復讐をするためにこんなことをしてたの?
もしそうならば、解決することが本当に正しいことなのか憚られる。
悪いのは全面的に私達なのに、自分の立場や存在保身の為に傷跡を消すというのは間違いなのではないか。
「安心して―――とは言えないけど、貴女の思ってるような理由でこの異変が起こった訳ではないわ」
「じゃあ、一体」
これ以外に理由が本当にあるのか。
今更理解しようとしてもその考えに及ぶ筈もなく、僅かな間で悩み繰り返す。
「………寂しかったのよ、春は」
「さび、しい?」
それは、予想だにしなかった答え。
リリーは西行妖を我が子のように撫でる。いや、ある意味で春の権化である彼女は、春から生まれた桜は子供みたいなものなんだけど。
「現象であろうと生きている。そこから派生した私達妖精だって生命であり、それと同時にカタチは違えど現象であることに変わりはないの。だから私には、春の―――この子達がとても寂しく季節を巡っていたことを知っている」
―――なんて、哀しそうな顔。
暖かさ、優しさ、そういった比喩にも使われる春の象徴が、こんな今にも泣きそうな表情をしていていいのか。
「四季の中で最も短いとされているのが、春と秋。それは、その場所に長く留まれないということを実に表している。長くていいとこ二、三ヶ月しか留まれない。それは、とても哀しいことなの。喩えどんなに繰り返したとしても、それまでに空いた時間は長すぎる。触れ合い、お互いに笑いあったり泣きあったり………そういったことも出来ないまま、ただ傍観者として生物の生きる道程を眺めることしかできない」
「――――――」
何と、この少女に答えてやればいいのだろうか。
慰め?励まし?謝罪?
―――そんなもの、何の意味もない。
それこそその場凌ぎの偽善だ。今更理解したからって、彼女の隣に立った様な気分でいられるとでも?
自分もまた、少女の憂い顔を発生させる原因のひとつなのに、隣に立つ資格があるとでも?
―――ある訳が無い。いや、本来ならば地に足を着けている事すらおこがましい筈。
資格云々ではなく、価値すら否定されてもおかしくはないのに。
それなのに、春を支配している感情は憤慨でも慟哭でも嘆きでもない。
あるのはひとつ、寂しいという孤独の存在を否定する感情。
生物は、孤独では生きられない。だから寂しいという感情が存在する。
感情と言うのは外界に対する何かしらの接触を与える為に用いる行動理念の根幹だ。
寂しいと思うのは、それは一人で生きられない生物が持つ自然な感情。
妖怪は一人で生きていける力があるから寂しいとは思わない、と聞いた事がある。
―――馬鹿馬鹿しい。そんな在り来たりな虚勢、虫唾が走る。
一人で生きられる?人間を食べることで生きている妖怪が、本当に一人で生きていると思っているのか。
生きる為に何かを食べることを必要とするならば、それは一人で生きていることにはならない。自分以外の命を糧にしている時点で、それは一人で、の定義から外れる。
もし、本当に他人との暖かさを知ってしまえば、それに抗うのは不可能だ。喩え抗っても、近いうちに必ずフラッシュバックが起こる。
―――そしてその寂しさを春が感じている。最も色んな生物を近くで眺めていた筈なのに、それに触れる事は決してない。
皆が楽しそうにしている姿も、喧嘩している姿も、慰めあっている姿も、春にとっては羨ましいの一言で纏めれる思い。
目の前でそんな羨ましい光景を何億年とかけて焦らしとして受けていたんだ。最早寂しい、なんて言葉じゃ表せない途方も無いものにまで昇華しているのだろう。
「故に、常に孤独。だから、欲しかったのよ。友達………とまでいかなくても、理解してくれる存在が、ね」
「それと今回の異変にどんな関係が………」
「そうね。昏睡、と言ってしまったのは正解であり間違いかもしれないわ。
今眠ったように動かない者全員が――仮死状態なの。正に死んだ様に眠っている彼女らは、桜の木に魂を束縛されているのよ」
「――――――!!」
自分の甘さを認識する。あの時息だけは正常だったから死んでいないと勝手な解釈をしたままリリーとも出会わず右往左往していたらと考えたら………いや、考えたくない。
何時も通り気だるくも楽観的に解決に臨もうと思っていたものが、まさか今までのどの異変よりも危険で、途方も無いものだとは思わなかった。
私はまだどこかで捨てきれていなかったのかもしれない。認識を、常識を、傲慢さを。
「桜の木の下には死体が眠っているって話は聞いたことがある?あれには色んな逸話が存在するのは知ってるでしょう?桜染めとかね。あの色を付けるのにはね、この花びらを用いてる訳じゃないの。知らない人のが多いけど、あれには桜が咲く前の枝を使ってるの。それで桜があんな色になるのは、枝が桜の色素を溜めているから。そしてその色素の出所が、死体からの血液採取。理に適ってるでしょ」
「―――考えてみると、相当恐ろしい話よね」
もし全ての桜がそういった存在ならば、春先は常にその脅威に晒されていることになる。
それは、下手な妖怪なんかよりも恐ろしい相手であり、どんな妖怪よりも安全な存在となる。
「でも事実はそうじゃない。いや、幻想郷にとっての事実は、ね。幻想郷は常識から乖離した世界。良くも悪くも、都合の良い世界。それは桜とて例外ではない。元々力のある桜が、幻想郷という"あり得ない"を撤廃した場所ではその制限がゼロ近くにまでなる。だから外の世界ではこの様な現象は絶対に起こらない。誰もが知っていたとしても、それらは全て御伽扱いになっているから。まぁ当然よね、それが真実なのかを証拠を持った上でこの目で見たことある存在なんて、生きている訳がないもの。春眠暁を覚えず、って言うでしょ。春先は妙に眠くなる現象を。あれはね、春が持つ絶対無二の力で、個人差もあるけど三大欲求を突いたそれは、生物ならば例外なく堕ちるわ」
「でも、私達は起きてるわよ」
「それは多分、その時に貴女は睡眠状態にあったんじゃないかしら。あれは眠気を誘うだけであって、相乗効果がある訳ではないわ」
………まぁタイミングは知らないが、寝ていたのは事実なのだから理に適っている。
「あと私は生物ではあるけど、それ以前に春でもあるから対象から外れたんじゃないかしら」
かしらって………自分でも分かって無いのかい。
知的な部分が露呈されたかと思えば、どこか抜けている点もある。そこまで完璧ではないと言うことか。
「その力は、先程も言ったけど際限が無いわ。私にも予測がつかない程に、ね。力の源は、この世界に住む存在がどれだけそれに連なる伝承を知識として捉えているか。それ以外に強化する術は無いと言っていい。桜が血を吸うという逸話は伝承となり、世界にとっての知識となり、常識に至る。伝承の力っていうのは侮れないものでね、浸透すればするほど真実になり、現実に侵食していく。喩え起源がまっさらの嘘だろうとね。これがどういう意味か分かる?」
ここまで言われれば馬鹿でも分かる。
春が持つ能力は、世界に住む人間達が知れば知るほど力を増す。
しかもそれは自然の一部の知識で、当たり前の様に浸透している知識だ。赤子であろうと遺伝子レベルに刻まれたそれは、言ってしまえば知らない者はこの世に存在しないということ。
常識は、太古からの永い呪法とも言い換えられるのだ。
「つまり―――生物であり、ちっぽけな人間である私には世界の基盤の欠片であるこの異変には手も足も出ないってこと?」
「そうではないわ。この程度の力は本当のものではない。もし完全に阻まれずに能力を使用してしまえば、幻想郷と隔てる結界なんか軽く通り越して文字通り世界の大半の人間が仮死状態になるわ。でも、そうなればこの世界が崩壊する。だから世界が存続の為に修正を掛けるの、力の大幅な減少という形でね」
「と言うことは―――まだどうにかできるってこと?」
無言で頷く。その姿を見て希望が沸いた。
ここまで分が悪いと私だって諦めたくもなるものだ。そう思えば、今まで力押しで解決できたことばかりだったと言う事の方が奇跡か。
「それでも、一筋縄で行かないことも事実ね。話を戻すけど、仮死状態になった彼等を助けるには、まずは奪われた魂をどうにかして取り戻す必要があるわ。言ってなかったけど、仮死状態と訂正したのは死んだ様に眠ってる訳じゃなく、正に魂のみが奪い取られ、桜に封じ込められたからなの」
「魂が―――」
つまりは、私の状況は背水の陣。退路を絶たれ、負ければ幻想郷が滅ぶのみ。
わかりやすく、なんて質が悪い。
永琳や輝夜が起きても平気で活動していたのは、蓬莱人だから死に等しい概念だけには打ち勝つことが出来たようね。
不死の力といえばもう一人いたけど、そいつは宴会にいなかったわね。或いは、永琳達同様意識が戻った後独自に探っていたのか。
「私は春だから本来なら多少の融通は聞いたりする筈なんだけど、今の私は独立してるに等しいわ。
本来、私も春なのだから狂化していてもおかしくないのに」
彼女の言う通り、今更ながらに正常だという事に疑問を覚える。
寧ろ自由に動き回れる彼女が一番異変を起こすのに効率がいい。
なのにどうして………。
「―――待って、それより気になることがあるわ。何で今回異変が起きたの?タイミングと言うか、何か引金があったとでも言うの?」
春が寂しい、という理由で起こしたのなら、とっくに起こってる筈。
何せ数字にならない程過去から存在してるのだ、寂しさの沸点なんて何万回と越えていてもいい筈なのに。
彼女からは、説明の際に過去の事例等は一切出なかった。
大抵わかりやすく説明するには不可欠なそれが、言葉で現れなかった。
それはつまり、最低でも彼女がリリーホワイトとして生まれた瞬間から今に至るまで、このようなことは一度しか起こっていないと言うことになる。
「引金は―――恐らく大量の桜が咲いたことね。本来桜が咲かない筈の木々もそうなってしまったのは、覚醒したことによる力の副作用となり、それが段々と繰り返され、結果副作用がプラスとなり………ってのが私の推測」
「え?その言い方だと、あの桜の異常なまでの吹雪は力を持った前と言うことになるわよね」
「えぇ。今年の桜がこうなのは、全く偶然のことなの。それこそ天文学的な数字で起こり得る位の確率」
―――では何か?今回の異変が起こったのは全くの偶然と偶然が合致した結果による弊害だったと。
それは桜、と言うより春にすら予測できなかった事象で、だからリリーホワイトだけでも独立させてどうにかして防がせようと考えたんじゃないか?
そして最後の良心である彼女は、その意思に引き寄せられる様にここへと来た。
まるで、私達を巡り合わせる事が予定調和の如く。
「―――やってくれるじゃない」
それは懸念の言葉ではなく、賞賛の言葉。
もしそうならば、春という奴はかなりの目ざとさを持っている、紫クラスの策士だってことになる。
もしかすると、私の神社に大量に桜を降らせたのも、ここへ辿り着かせる為の布石だったんじゃないか。
そこまでして私を来させたのだ、期待もどれだけされている事やら。
―――なら、応えない訳にはいかないでしょうに。
私は不気味な位に微笑んでるのが分かる。事実目の前の少女が怯えた眼差しで此方を見ているのだから。
世界に命運を託されたに近いこの状況―――一生に一度にも起こり得ないことを、私は体験している。それは、世界にほんの少しだけ私の力を認めて貰えたってことかしら。
「―――魂をどうすればいいの?」
「そうね………貴女巫女なんでしょ?降霊を応用して魂を元の場所に戻せない?」
「降霊………神降ろしなら練習させられたけど」
紫にやらされたんだよね、月に乗り込む前に。
「なら出来る筈よ。神という不定形な存在なんかより、貴女が見たことのある存在のイメージの方が遥かに強いに決まってる。意識しなさい。命のカタチを、肉体へ還るイメージを強く、ただ只管に。それを術式として組み立てるのよ。分かった?」
「―――あんた、なんで本職の巫女よりもそういったことに詳しいのよ」
「言ったでしょ、私は春だって。遥か昔から存在している私が、ただの人間や妖怪より知識が浅い訳がないじゃない。貴女の何万倍もの命で世界を眺めているんだから。妖怪の賢者と謳われている八雲紫にだって負けない知識量を保有していると自負しているわ」
………なんか殴りたくなった。
事実なのかもしれないけど、なんかむかつく。
だって妖精なんてそこらをへーほーとふらついてるだけの存在だって今まで思ってたのに、こうやって圧倒的劣等感を植え付けられ、一挙にプライドが崩れたようなものなんだもの。そりゃ反抗もしたくなる。
「―――もし失敗すれば?」
愚問である。そんなこと、言葉にしなくても理解しているのに。
完全な理解のために、相手に残酷な結末を口にさせる。
私は、なんて卑怯者なんだろうか。
「魂は永久に春に奪われたまま………ではないけれど、一年間魂と肉体が乖離しているってのはその間の肉体は死体同然。来年に引き伸ばしてしまえば仮にそのときに成功したとしても肉体が死滅してるから、事実上死しかないわ」
はぁ、と溜息を吐く。
こんなにプレッシャーを感じるのはもう二度とないだろう。いや、金輪際ないことを祈る。
これが命の重みだというのなら、ちっぽけな人間にそんなもの背負わせる春はどうかしてる。
それこそリリーみたいに形があるのなら間違いなくリンチにしてる。
「イメージといっても、ここに住んでいた亡霊にはそんなことしちゃだめよ。元々肉体の無いものへと還元されることはないのだから、応用したイメージじゃないと大変なことになるわ」
「ご忠告どうも」
だから幽々子があの場にいなかったり、妖夢の半身だけが消え去ってしまっていたのかと内心納得する。
ったく、こんなに面倒なんだから復活させた奴らから恩賞くらいあっても許される気がする。
「因みに桜から魂を開放した後はどうするの?それだけで終わりって感じじゃないわよね。何せ今こうやって私が意識を保っていられるのは一時的に力が弱まってるせいだからなんでしょうけど、もし第二波が来れば私も皆の仲間入りになるわ」
「大丈夫、荒療治みたいになるけど策はあるわ。だから貴女は自分のすべき事に集中しなさい」
「ふぅん」
適当な返事で話を終える。
そこからはお互い無言。私も目を閉じ、意識を集中させる。時間がない。無駄な時間は出来るだけ省くべきだ。
リリーもそれを理解してるのか、口を閉ざしそれ以上は何も語らなかった。
神降ろしをするにあたってのイメージは、自身の中にもうひとつの命を降ろす感覚だ。
命といってもそれは全くの別物であり、本来ならば決して交わることのない異端の魂だ。降ろすならば当然、それ相応のリスクを伴う。
更に今回はそれを短期間で行おうとしなければいけない。その負担は口頭では表現出来ない程だろう。
異物を内側から直接ねじこまれるような感覚、と言っても大抵分かる筈がない。
ヒトは身体に侵入した異物を取り除こうとありとあらゆる拒否反応を起こす様に創られている。嘔吐、発汗、腹痛、その他諸々。
慣れない内はそれらの反応が神降ろし―――降霊では常に付きまとう。
とは言っても、今回は元々あるべき魂を返すだけだ。拒否反応なんてものは起こる筈もない。魂を引き寄せる際に頭痛がする位だ。
だが問題は、自身に降ろす訳ではないから勝手が完全に異なることだ。しかも一人一人全てが違う。イメージを常に変化させないといけない。
漠然としたイメージで問題ないのが唯一の救いだ。
もし外観を爪先ひとつまで理解してないと降ろせないとなれば、不可能だ。
イメージする。
魂のカタチは、小さく丸い。
暗く広い世界では、その魂が尋常じゃない数で留まっている。
ピクリとも動かないのが、囚われた魂。僅かにでも抑揚があれば、それは生きた魂。
囚われた魂だけを閉じた視界で捉え、集合させる。その際にそれらは決して交わらせてはいけない。
相反するとはいえ、今の彼等の命のカタチは殆ど変わらない魂の集合体でしかない。万が一の可能性は常に配慮すべきであろう。
魂と肉体はあるべき方向へと自然と引き合う。魂が開放されるのは基本依り代が魂のカタチと合致しなくなった時―――簡単に言えば、生命活動に不備が生じた場合だ。
別に肉体が死滅しなくても魂は離れていく。植物状態?だったかそういう状況もその一例だ。そして肉体と共に弱った魂は、未だに健在の強い魂を退けて代わりに乗っ取るみたいな真似は出来る訳もなく、必然的に天国地獄行きだ。
そしてその天国地獄に至るまでの待合室、それがここ、冥界だ。
そう、私のやるべき事は桜に囚われた魂を冥界へと一時的に集合させ、元の場所へ還してやること。
顕界と冥界の境界が薄まっているせいで、今の冥界は生者であろうと容易く侵入を許してしまう。それは境界と言う膜が世界を完全に隔てていただけで、それ以外の侵入者避けがせいぜい妖夢くらいという驕りが呼んだ結果だ。
魂が弱っている完全に死んだ後の魂ではそんな薄い膜すら通れないが、元々元気な魂ならば突き抜けることなど容易い。それが喩え余命幾許も無い老人であろうと、生命のカタチが未だにしっかりしているのだ。難しいことではあるが無理なことでは決してない。
こんな時に紫の境界能力の弊害が有効活用されるとは思ってなかった。まぁ礼は言わないけどね。
こうして境界を緩めたのも何か思っての事だったんだろうし、私はそれを利用するだけ。アイツの事だからろくなものじゃないのは明らかだし。
そして集中を深めようとした矢先―――私が構成していた世界が破綻した。
「どりゃあ!!」
「!?」
私もリリーも想定外。
それは有り得ない筈の第三者の介入の産声。
しかしそれだけならば集中力でどうにでもなる。重要なのは、聞き覚えのある声と共に西行妖が揺れたという事実だけだ。
西行妖は、言わずもがな桜の中で最も力がある。当然それに比例して存在感も強くなる。
私は、今幻想郷全体にラインを繋げ、桜本体から西行妖へ誘導させるイメージで捕縛する気だった。
だが、その大元である西行妖が揺れるという想定外のパターンが起これば、理想に沿ったイメージと矛盾が生じ、ラインは乱れ、魂は道を外れる。
質が悪いのは、もう桜の木全てにラインを構成してしまったという事実。なし崩し的にラインを通っていた魂は離別する。それだけで、術式が崩壊する。
慌てて西行妖の裏へ回り込む。
そしてそこには―――妖精の中では力のあると言われている氷を操ることの出来る妖精の少女―――チルノが得意げな表情で西行妖を蹴ったり揺すったりしている姿があった。
「………何してんの」
人は怒りのボルテージが高まると逆に冷静になるらしく、質問を投げかける余裕すらあるということをこの身で知った。
「さっきこの木の下で寝てたんだけど、変な夢見ちゃって。その中身が物凄くイライラする内容だったから八つ当たりしてた」
「――――――」
何も、いえない。
まさかそんなあほらしい理由で大事な儀式を邪魔された。言葉にも表せないこの苛々、こいつで解消するしかないわね、うん。
「ねぇ、貴女が見た夢の内容、教えてくれる?」
拳骨の一発でも食らわそうと思った矢先、背後からリリーの声がした。
私は溜息を吐き、閉じた拳を開いた。リリーの話が終わった後でも殴るのは遅くない。
「あんた、リリー………なんだっけ」
「リリーホワイトよ。氷精さん」
―――そういえば二人とも妖精なんだっけ。
なのにこの差はなんだ。リリーは優雅な立ち居振る舞いをしてるに反して、チルノはまるで近所の餓鬼みたいな行動理念で動いてる。氷の妖精は脳も凍りついてるってことか。
「夢………えっと、最初アタイの友達のルーミア、リグル、みすちー、大ちゃんとかといつもみたいに遊んでたんだ。でも、最初に大ちゃん、次はリグルと倒れていったの。何でかアタイだけ大丈夫だったから、どうにかして助けようと思って色々尽くしたけど、駄目だったの。だから、悔しいけど誰かに助けを求めにあちこちを飛び回ったんだ。そしたらね、誰もいないの。いや、皆が大ちゃん達みたいに倒れてたって言った方が正しいかも。で、結局どうすることも出来なくて………皆死んじゃった。そして、残ったのはアタイだけ。そんな内容だよ」
………その内容、今のこの状況と似ている気がする。いや、似ているというレベルではない。
嘘にしては辻褄が合いすぎだし、なによりコイツがそんな器用な真似が出来る筈が無い。
リリーも同じことを思ったのか、神妙な顔つきで何か考えている。
「チルノ、良く聞いて」
リリーはおもむろにチルノの両肩を掴み、目線を合わせだす。
これから言うべきことは、とても重要なんだと眼で訴えるかのように。
「貴女が見た夢………それは決して夢では終わってないわ。信じられないでしょうけれど、皆が死んでしまうっていう最悪な現実が今ここで起こっているの。私達はそれを止めるべくいるの」
「………はぁ?そんなことあるわけないじゃん。だって夢だよ?夢の内容なんて夢じゃないと見れないようなとんでもないものばっかりだから見るんだって誰かが言ってたもん。もしや、アタイを馬鹿にしようとしてるでしょ!残念でした、そんな簡単な嘘に引っかかるアタイじゃ―――」
「チルノっっ!!」
リリーの怒号が白玉楼を包み込む。チルノも私も、そんな彼女の変貌振りに驚き竦み上がる。
温和そうな彼女がここまで必死になるのも当然だ。これは決して嘘なんかじゃないし、否定して逃げることなんか許されない現実なのだから。
「―――嘘じゃないのよ。確かに貴女からすれば夢物語のような途方も無い話かもしれない。でも、それが現に起こっているの。私を信用しなくてもいい。だけど、その事実だけは認めて欲しいの』
一瞬、しんと静まり返った白玉楼。風に靡く桜吹雪は、まるで今のリリーの心境を実に表現している風に感じた。
チルノは顔を俯かせ、微動だにしなくなる。
夢から覚めたらまた夢―――まさに夢の様なその出来事は、時に残酷なまでに私達を切り刻む。
「………それが本当なら、どうしてそんなことになったの?皆死んじゃうの?いなくなっちゃうの?アタイひとりになっちゃうの?―――ねぇ、ねえったら!」
チルノは掴まれていた腕を払い除け、逆にリリーの肩を揺さ振る。
雲の上の様な内容、突如聞かされた過酷な現実。彼女でなくとも混乱するのは当然だ。
常識に囚われないこの世界であろうと、やはりどこかで常識に縛られている。
可能性という名の常識は、常に誰しもが身近に触れているもの。
今回起こったこの異変が、喩えどんなに確率の低い可能性だったとしても、絶対起こらないという訳ではない。
しかし生物は、そんな確率の低い事象を、どこかで絶対に有り得ないものとして認識してしまっている。
だからこんな不足の事態にはパニックにもなるし、現実逃避を起こす輩も出てくる。
―――その内容が、己にとって信じたくないものだったら尚更だ。
「………霊夢、さっきのを続けて頂戴。この子は純粋だから、誰かが苦悩の捌け口になってあげないと確実にどうにかなってしまうわ。その役割は私がする。だから、安心して続けて」
「分かった、けど―――」
私はチルノを一瞥する。
リリーの胸で、涙混じりに嗚咽を隠している少女。
普段はとても強気で怖いもの知らず。愚直な思考を持った妖精。
でも今の彼女は………それを全て否定するかの様な弱々しさを晒している。
どっちもチルノという少女の一部なんだと理解すると、先程までの腹立たしさなんかよりも、親近感が沸いてくる。怖いのは、誰だって同じなんだって。
私は人間と妖怪、両方から畏れられている。
正確には人間は畏怖、妖怪は敬遠。
同じ人間であろうと力を持たない者からすれば、ひとくくりで化け物としか認識しない。
別にそれが悪い訳では無い。自分に無い物に対しての感情なんか、それか憧れ位しか無いのは承知している。
でも―――私だって生き物だ。恐怖も、悦楽も、憤怒も、皆持っている。
人間として見られなくても、化け物と畏怖されても構わない。
だが、この身は機械では無い。こういった時に、怖いと思うのは当たり前だ。
私には幻想郷の命の殆どを背負わされているのだ。失敗した事を考えるまでもなく、身体の震えは止まらない。
人間ひとりが持って良い重さなんかじゃないのに、逃げることや転嫁することも敵わない。
辛くて、弱音を吐いてしまいそうで―――私は一番にそれを恐れた。
芯が折れてしまえば、何もかもが終わってしまう。そして後悔の念と朽ちた生物の怨念だけが私の中に残り続ける。
私は、そんなものを背負って生きていける程強くは無い。この作戦が失敗したとき、それは私の命も果てる瞬間でもあるのだ。
リリー達と西行妖を挟む様に移動し、二人から身を隠す。そして私は止まらない震えを抑えるべく全力で自分を抱きしめる。
カチカチと鳴る歯は、恐怖の証。震えの根幹を絶たない限り、それは永久に私から消えてくれない。
幻想郷を護る者として、私は常に達観した視点でものを見てきた。
いち個人の感情論で判断してはいけない。全てを平等な視点で見なければ、いずれ見誤る。
人間であれ妖怪であれ、個の感情や意見、目的意識は持ち合わせている。そこには善も悪も当たり前に存在する。それを私が人間だから妖怪の意志を蔑ろにする、という事は出来ないのだ。
元々私の性格上そういった差別は思考の隅にも入る余地は無かったので問題はないが、そんな態度故か人間からは遠巻きにされ、妖怪からは眼をつけられる始末。
博霊神社の立地条件とその妖怪の件もあり、参拝客は訪れることなく賽銭箱は貧しいまま。
必然的に孤独で在り続けた私は、逆に一部の妖怪からは仲間みたいに扱われ、宴会なども嗜んでたりする。
どんな形であれ心に隙間があった私には、それはこれ以上無いという程の癒しとなった。
生まれた時からあった退魔の才。望んでもないのにいつの間にか握られていた逃れられない運命。
残酷な運命と幾度となく嘆き、自嘲し、受け入れる。その繰り返しを事あるごとに起こしていた。
私が巫女なのにひとつの神に多大な信仰をしていないのも、そんな運命を寄越した神を過去に呪ったから。
愛する、という行為が出来なくなっていると言った方が正しいのかもしれない。
だから私のことを仲間として接してくれている人物に対しても、邪険な扱いばかりしてしまう。
今の状況以上になれば、接し方にも慈愛や独占欲に近いものが出てきてしまう。今以下になれば、仲間だった者が離れてしまいそうで。
だから私は、押して引いての態度を常に意識し続け、必要以上の距離を離れなかった。
でも、そんな外観とは裏腹だけど、私は彼女達が大好きだ。
心の中では、自分以上に好きだと思っていると言っても誇張ではない。
そんな彼女達―――それ以外にも大多数いるけど―――を救いたい。喩えどんなに苦痛が迫ろうとも。命を削られる思いをしても。
「―――よし」
軽く意気込み、抱いた身体を開放する。
いつまでも尻込みしていても何も変わらない。私は再び息を整え、集中する。
さっきまでのイメージを復元させ、ゆっくりと、手際良く掻き集めていく。
魂のカタチの豊富さを楽しむ余裕もあるわけなく、無心に頭のみを回転させる。
それにしても、やはり脳に掛かる負担はとんでもない。
神を降ろせる器であろうと、膨大な魂を手中に収めるのはやはり無理を通り越しているのだろう。
表情は冷静を保っているつもりだが、はっきり言ってそれすら崩れてしまえば発狂してしまうかもしれない。
脂汗が止め処無く溢れる中、血管が所々で切れる音らしきものが聞こえる。眼を閉じているから汗も血も区別がつかないし、何よりそんな事を気にしていられるほど楽観的な状況じゃないのだ。
「はっ―――あ――――」
押し殺してきた苦悶の声もとうとう限界になったのか、意思とは無関係に放出していく。
辛いってことを嫌でも認識してしまうそれは、まさに悪魔の呻き声。
こんな切羽詰った中、自分自身で戒めを作っているなんて笑い話にもならない。
「どうしたの霊、夢―――」
痛みで五感が発達しているのか、チルノの声がとても鮮明に聞こえる。
―――あぁ、五月蝿い。少し大人しくしてなさいってのよ。
「どうしたの!そんな頭から沢山血を流して!!」
あぁ、やっぱり程度は知らないけど血は出てるんだ。
認識したことで、また痛みの種が増える。余計な事して………本気で叱らないといけないわね。
チルノが慌てて近付いて来、血を拭うかの様に私の頬に触れた。
―――刹那、まるで風船に針でちょっと突くみたいに、私の中の我慢が破裂した。
「―――■■■■■■!!!」
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い―――!!
直立不動だった身体は、蛇の様に地面でうねり悶え、獣の様な咆哮で世界を揺るがす。
周囲からは何か叫んでいるみたいな声が僅かに聞き取れるも、自身の叫びでその殆どは消え失せてしまう。
誰が何をしている、なんて事に目を向ける余裕なんて毛ほども無い。こちとら息をするのすら億劫なのに。
あんな些細な切っ掛けでここまで狂ってしまう程、私は弱っていたのか。
外界からの刺激と言う決して否定出来ない感覚が、思考すら狂わせる。
もういいじゃない。
貴女は頑張った。こんなに痛みに耐えて、血を流して、苦しんで。
コンナニ頑張ッタ貴女ヲ咎メル奴ナンテイヤシナイワ。
―――ダカラ、モウラクニナッテモイイノヨ?
―――なんて、甘い誘惑。
自身の中から響いてくるそれは、自己の意思とは相反した悪魔の囁き。
見たことも無い至高の果実を前にしてるに等しいそれは、誰もが手を伸ばしてしまうであろう究極の贅沢。
全ての束縛から逃れ、自由になるための甘言。
生という檻から抜け出す為の唯一の鍵。
考えただけで、身体から痛みが抜けていく。いや、私自身が生きると言うことを否定していく。
それは、まさに春眠暁。
春の麗らかな日差しの下、贅沢に身体を大の字にして仰向けに寝転がり、太陽の恩恵を一身に受け止め安らかな眠りに堕ちる。快楽行為も裸足で逃げ出す勢いの気持ち良さだ。
暖かい………瞼が重い………身体が軽い………眠くて仕方がない。私はそんな欲望に身を委ねるのも悪くはない、そう思った。
刹那、咄嗟に全力を以て伏していた右手の親指を自身の顔に近付け、それを喰らった。
「――――――ッッ!!」
力のセーブが効かない全力の噛み付き。それは人間の常識を超えた顎で、まるで私は妖怪にでもなった気分だった。
噛み付いた箇所からは、白い何かが自己主張している。これは私の■だろう。それ意外の何物でも無い。
そんなものが見える程の噛み付きだ、そりゃ痛いのも頷ける。
自分の■に歯を立てるなんて阿呆なこと、まさか短い生涯の内にやることになろうとは思いもしなかった。寧ろ想像することと出来ること自体がトチ狂ってる。
でも、狂っててありがとう私。頭のタガが外れてなかったら、こんな方法を躊躇うことなく行うことは出来なかった。
愚かしい甘言に文字通り喰われそうになった未熟な自分への戒めと思えば、いい経験なのかしらね。
「霊夢っ、アンタなに莫迦なことやってるのさ!」
あはっ―――チルノに莫迦扱いされちゃった。これはもう、本格的にヤバイのかもね。
そうよね。こんな擬似的なカニバリズム、誰が見たって痛みで頭をやられた故の行動と見ても不思議じゃない。いや、実際そうなんだろうけど。
息も絶え絶えにそんな少女の姿を捉える。
まるで割れ物に触れるのを躊躇うかのように利き手は出したり引っ込んだりを繰り返し、虚空を彷徨い続けている。
私にほんの少し―――それこそ一枚の和紙を指で摘む程度の力でしか触れていない筈なのに―――触っただけで発狂してしまうのだ。躊躇うのは当然であり、そこから出でる恐怖も、当然のもの。
それでも私のことを素で心配してくれる彼女の心は、とても有り難いなんてものじゃない。それこそ、泣いてしまいそうなくらいに。
それに、こんな無様な姿を晒していられるほど羞恥に慣れてはいないしね。
右手で全体重を持ち上げようとするも、異常なまでに過敏になった腕が人間ひとりを支えれる訳もなく、私は胸を思い切り潰し、咳なのか吐血なのかも分からない汚い声を吐き出す。
数々の異変を解決してきた巫女が今こうして無様な姿を晒してるなんて、天狗に見られれば即、記事物だろう。
両手で試してみるも、結局は変わらず仕舞い。まだ、こんな醜態を晒して楽になれる時間じゃない。分かっているのに、分かっているのに―――!!
「おまたせ、霊夢」
突如、天に昇るような感覚を覚える。正確には、上に引っ張られる感覚。
天使がお迎えにきたのかな。そう思えるほどに私の身体は軽くなり、使者の声は透き通っていて、聞き覚えのあるものだった。
宙に浮いた私の傍らには、この世の春を告げる妖精が優しい笑顔で佇んでいた。
否、ただ佇んでいる訳ではない。彼女は印を結ぶ構えを取っており、その構えの先に私がいるのだ。
「貴女に触れてしまえば激痛に苛まれてしまう。でもこれなら触れなくても貴女を起き上がらせることなら出来る。―――ここからは、貴女が全てを担うのよ」
理解する。彼女は何かしらの力を用いて私を支えているのだと。
それがどんな手法や原理を用いているのかはこの際どうでもいい。声に出せる余裕はないから心の中で呟く。
―――ありがとう。
見開いた視界は歪みに歪み、もはや不定形なアメーバのようになっている。紫のスキマの内部を連想させるそれは、否が応にも危険信号だと伝わる。
―――これでもう一度失神ないしは倒れるなんて真似でもしてみろ、間違いなくその瞬間全て終わりだ。
魂を、形を、集めないと。
イメージは回転を繰り返す。輪廻転生、心臓の動脈と静脈、魂を廻らせるイメージ。
そうそう、いい子だからどんどん集まって頂戴。そうしないと、お互いに命がないわよ。
………何分程経ったのだろう。殆どの魂を白玉楼に収束し終えた私は、焦っていた。
痛みと吐き気に耐えながら感じる時間と言うのは永遠だ。好きなことは短く、嫌なことは長く感じてしまう。ソウタイセイリロンだったっけな。
そんな現象のせいで時間に疎くなってしまい、タイムリミットに脅える時間だけは悠久で有り続ける。
日は当に暮れ、宵闇もまた桜吹雪の似合う舞台として君臨している。
妖怪が活発になる時間でもあるんだけど、案の定何の声も聞こえない。
「これで、終わ―――」
安堵の息を吐こうとしたその次の瞬間、大量の吐血により全てが妨げられた。
「うぇっ!げほっ、ごほっ!!」
内蔵器官の何処かがとうとうやられちゃったのかな、と他人事の様に理解する。
だって仕方ないじゃない、私が捉えたのは歪んだ視覚とビシャビシャと言う汚泥を溢すみたいな音による判断。
血の味も痛みも、ましてや今自分はきちんと地に足が着いた状態で居られてるのかどうかすら分からない。
―――言ってしまえば、身体の感覚が無いのだ。
今の私は完全にリリーの力が無ければ立っている事すら敵わない身体と化している。
まるでマリオネットの様な状況。指一本動かすのすら出来るかどうかすら怪しい。
幸いな事に魂だけは集め切った筈。
証拠に、白玉楼にはいつパンクしていてもおかしくは無いレベルの魂が無法に漂いまくってる。それこそ、居場所を求めるかのように。
ふわりと、背中に暖かいものが当たる。
それが抱擁だと分かるのには時間が掛かった。
何せ感覚が無いのだ。暖かさを感じれた矛盾と、腹部にある絡めた腕を見ないと判断出来ないのだから。
「こんなにボロボロになって………いえ、そんな陳腐な言葉じゃ表せない位に瀕死にさせてしまってごめんなさい」
―――何を、今更。
別にアンタに頼まれたからやったんじゃない。
私は幻想郷が好き。そしてそんな幻想郷を彩り続ける皆が好き。だから亡くしたくないだけ。
そうじゃなきゃ、命を張る理由も無ければ、覚悟も生まれない。
自分の命を掛ける価値が、この世界にはあるんだ。
言葉にならない返答は、文字通り誰の耳にも届かなかった。
しかし、それに呼応するかの様にリリーの腕が強く締め付けられた気がした。
「―――あと少し、貴女に負担を強いなければならない事を、謝罪する」
そうだ、まだ終わりじゃない。
リリーが頼んだのは、魂をここに集合させる事。そしたら後は彼女がやってくれると言っていた。
何よ、まだ仕事あるんじゃない。私はとっとと異変を解決して蒲団で堕眠を貪りたいのに。
「これが最後、これさえ終われば後は自然の摂理に従って全て元通りになる。だからお願い。―――私を、殺して」
「―――――――え」
いま、なんと。
「貴女が魂をここに集めている間に、私は独立していた春と精神をリンクさせて、無理矢理世界へとハッキングを掛けたの。目的はひとつ、幻想郷の春を私の支配下に置く為。こうすれば散らばった春を一点に集合させれる。はっきり言って無茶な事だったけど、貴女が血を吐く思いまでして事を成し遂げようとしてるのに私だけ甘えるなんて真似は出来ない。結果として、私は春そのものの力を得た。それ即ち、私さえこのまま消えれば無理矢理吸収されたエネルギーは破裂し、霧散する。霧散した春のエネルギーは春風となり、春風は次の世界へ春を伝える為に流れ流れて行く。全てが予定調和。世界は不変を繰り返す。今までの日常が訪れるのもまた、不変の事象となる」
うる、さい。
「貴女にこんな残酷な選択をさせるなんて本当はしたくなかった。
けれど、自分を殴れば自然と手加減をしてしまうのと一緒で、私自身を殺やめようとすれば中途半端に刺激を与えるだけで下手をすれば暴走してしまう。それなら他人がやってしまった方が確実極まり無いのは明らか。身勝手だろうけど、これが最善なの」
―――その莫迦な事しか言わない口を閉じろ。
「貴女が指一本動かすのすら辛いと言うのなら、私が貴女を操ってあげる。貴女はただ、霊力を出来るだけ沢山―――それこそ、私なんか軽く消滅出来る位のを一撃に籠めてくれればいい」
一発、いや、何度でも殴ってやりたかった。
私をこんな残酷な結末の幕引きに選んだからじゃない。
笑顔で自分を殺してくれなんて言うこの莫迦野郎の性根を叩き直したかったからだ。
この選択のどこが最善だ。人のこと言えた立場ではないが、命を散らすことが世界を救済する方法ですって?
巫山戯るんじゃないわよ。正義のヒーローの散り際を真似たって、どこもかっこよくなんかない。ただ、虚しさしか残らないわ。
だから、止めましょう?もっといい選択が絶対にある。だから、ね――――――?
でも、声にも出来なければ腕も満足に動かせないこの体たらく。私は辛酸を舐める思いで彼女が次に紡ぐ言葉を聞いていくしかなかった。
はずだった。
「巫山戯るなっ!!」
空気を振動させる強烈な声を上げたのは、今まで意識を向けていなかったチルノだった。
「アンタが何をどうしてそんなことをしたのかは分からない。けどはっきり言える事は、アンタが莫迦極まり無い奴だってことだ。確かにそうすれば異変は解決して皆は戻って来るかもしれない。それは凄く嬉しいことだけど、その皆の中にはアンタがいない。アンタが何か悪いことをしたの?自分が犠牲にならなきゃいけない最もな理由があるの?―――いや、仮にあったとしてもアタイは絶対に納得しない。してやるもんか!」
彼女の心からの叫びは、まさに私が言いたいことを実に現してくれていた。
やはり、誰もがこんな結末を否定したがってる。
それがあまりにも幼稚でその先に待つ結果が最悪なものだとしても、抗わずにはいられない。
だって、理不尽じゃない。チルノが言った通り、リリーがこの異変を起こした訳ではないのに彼女が犠牲になることで解決なんて………訳が分からないわよ。
「………大丈夫。私は貴女と一緒で妖精だから、死んでも来年には同じカタチを成して春を伝えに帰って来るわ」
「―――でも、それは今のアンタじゃない。上手く伝えられないけど、アンタが死んで喩え記憶だってそのままで見た目も一緒だからって、それは今こうして皆の為に犠牲になろうとしてるアンタとは別人だと思うんだ。
アタイ達は死んでも生き返るみたいに言われるけど、違うと思う。今まで消えていったアタイだって、別人なんだって。生き返るんじゃなくて、生まれ変わってるんだって。―――だからさ、命を無駄にするなんてこと、しないでよ』
「――――――」
リリーは何も答えない。
彼女が何を思って静寂を是としているかは知らない。けど、自己犠牲を前提として生まれた平穏なんて、虚しいだけだ。喩え、その事実を私とチルノしか知らないとしても。
リリーはゆっくり、チルノの近くまで近づき、抱き締めた。
暖と寒が触れ合うという矛盾した光景が、何故だかとても美しく思えた。
「―――有難うチルノ。そして、ごめんなさい」
そう口にした瞬間、リリーの身体が発光。その粒子がチルノへと吸収されていった。
それに毒されていく様にチルノの身体は、どんどん力なく沈んでいく。
「なに、を」
チルノが切れ切れにやっと伝えた疑問の問い。彼女自身も、何が起こったのか理解していない様子。
「―――貴女の中に春を吸収させた。氷精である貴女に加え、直接体内へ吸収させたその即効性は、昏睡した人達の倍は誇る。眠りなさい。次に起きたらきっと忘れてるから。何もかも、こんな残酷な結末は貴女みたいな純粋な子には似合わない」
「リ、リー………」
抱き締めた身体を開放すると、チルノは力なく地面に引き摺られる様に倒れていく。
それでも、チルノは抗った。雲を掴む思いで、堕ちようとしている身体を引き摺り、リリーの足首を掴む。
無様だろうか?無駄だと分かっていても抗うことは愚行だろうか?
誰かを救いたい、止めたい、自分にその力が無いと分かっていても突き進むその姿を、勇者と呼ぶか愚者と呼ぶか。
―――わたしは勇者だと思う。生物は最終的には自分を尊ぶ存在だ。我が身が一番可愛いのは誰だって一緒だから。
リリー然りチルノ然り、自分が傷つくことを厭わず他者の為に全力を尽くしている。これはそう簡単に出来ることではない。
だが、現実は無常。チルノの握力は次第に失われ、意識も混濁。その先に待つ意識の堕落を受け入れるしかなかった。
「………お待たせ。じゃあ、やりましょう」
昏睡に到った彼女の抵抗の証を振り解き、静かに私を正面から見据える。
必死に抵抗した彼女に対しての仕打ちとしては酷い。
けど、分かってしまった。彼女は悪役になろうとしてる。私が彼女を殺すことに抵抗を持たせない為に。
だって、チルノが彼女の足首を掴むまでから今に至るまで、終始泣き出しそうな表情だったんだもの。
辛酸を舐める思いで悪役を演じようとしているその姿は、私以上にボロボロに見える程。
………やっぱり納得できない。こんないい子が、何でこんな目に会わなきゃいけないの?
理不尽を通り越して、世界を呪いたい気分。こんな道を作った春にだって喧嘩上等な気分だ。
腕がゆっくりと上昇していくのが見える。その動きは、まるで時間を操ったかのように鈍足で、彼女のせいなのか私の感覚が狂ってしまっただけなのか。
喩えどちらにせよ、残酷な運命は歯車を回し始めた。
終焉へのカウントダウンが時計の針みたいな音を立てて聞こえてるかの様に、終わりへのメロディーを刻んでいく。
「やめ、て―――」
必死だった。出せないと思ってた声も、擦れ気味ながらも音となった。
それは、懇願。リリーに対してではなく、世界へと向けた言葉。
やめて、許して、助けて、リリーを助けて、私は無力だから、何も出来ないから、私の代わりに助けてあげてよ―――!!
「―――レイム、甘えないで。ここで貴女が拒めば私以外の幻想郷が住人が死ぬだけなのよ。
それでいいの?貴女はこの幻想郷を護る者なのよ。王が民草なくして成り立たない様に、この幻想郷の住民なくして幻想郷は存在し得ないのよ。貴女が護りたいものはなに?何の為にそこまでボロボロになったの?………貴女が好きな世界を護りたいからでしょ?なら、決意しなさい。私を殺したくないと我が儘を言い続け他の全てを失うか、心を鬼にして私と言う犠牲を払い他を救うか』
まるで私の叫びを聞き届け、それに答えるみたいに優しく、厳しく諭してくる。
分かってる。分かってるんだ、選ぶべき選択は。
それでも、心のどこかでは認めたくないと駄々を捏ねている。
彼女が言った通り、妖精であるその身は根幹となっている現象が世界から消滅しない限り無限の生命を持ち続ける。擬似的であり、完全でもある不老不死だと、そう解釈していた。
だが、チルノの言葉で理解した。
妖精は確かに全としては不老不死と捉えてもおかしくはない。けど、個として捉えればその時その場所にいたリリーやチルノは、決して同じではないんだと。
喩え彼女という存在のプログラムが基盤となるものと同一の複製として再生されているんだとしても、その記憶、経験は彼女の存在した証として残り、生き続ける。
でもその記憶だって次のリリーとなる存在に吸収されて、いつかは自身の記憶として磨耗してしまうのかもしれない。
「わた、しは―――」
だけど、私は決して忘れない。
今この場にいるリリーホワイトは、幻想郷を救う為に哀しみ、怒り、犠牲になろうとしたことを。
泣きたい。けど、それは彼女の望むものではない筈。
だから、絶対に泣いてやるもんか。
「あんたを、コロ、ス―――!!」
奥歯を全力で噛み締め、自己に只管抗い、やっとのことで紡いだ、覚悟の言葉。
これが、私の決意。
弱いが故に犠牲を払わなければいけなかった自分への戒め、その罪を背負っていく決意。
私は決して忘れない。この決意を枷とし、この思いを責任を持ち、この身を幻想郷を護る者として在り続ける為の誓いを。
「――――――ありがとう」
私の残酷な言葉は、満開の笑みで受け止められた。
やめて、私はそんなことを言われる様な奴じゃない。こんな選択しか選べない、無力で駄目な人間だ。
正直、甘えてた。スペルカードルールという微温湯の世界で強者として名を侍らせて調子に乗って、いざ本当の強さを求められた時には、こんなにも弱い。
リリーの力で私の腕は懐へと挿入され、一枚の符を取り出す。
それは、私が最も愛用し、幾多の戦いを勝利に導いた切り札。霊符「夢想封印」
偶然にしろ、リリーはこの状況下で一番必要なものを当てた。これなら恐らく私の全力を上乗せすれば、妖精ひとり消し飛ばすのは容易だろう。
「さぁ、お願い。霊力をありったけ籠めて」
肉体がボロボロでも霊力だけは殆ど満タンだ。まさか、リリーの補助を通じて………?
肉体は更に消耗するだろうけど、そんなことは瑣末事だ。私なんかよりも、リリーの方が辛いんだ。泣き言なんか言ってられない。
全力を以って愛符に霊力を籠める。
元々スペルカードルールには必要な程度の力しか籠めていない為、殺傷能力はない。あくまで決闘として用いてるのだから当然の処置ではある。
しかし、そんなものでも力を上乗せすれば生き物を殺める道具と化す。
そんな匙加減の差で命は消し飛ばせる。なんて残酷なのだろうか。
私は、殺人者となる。
世界の為に、仲間の為に、自分の為に、そして―――リリーホワイトの為に。
私は、彼女の意志を尊重する。
逃げていると思われてもいい。でも私のこの決断の重みは、僅かな生涯の中だけど、恐らく空前絶後のものになる筈。
キッ、とリリーの姿を見据える。
彼女の最期の姿を忘れない為に。
私が選んだ選択の重みを忘れない為に。
残酷な世界を呪わず、罪の重さに耐え続ける為に。
「霊符―――」
スペルカードを掴む指に力が入る。
リリーは笑顔のまま立ち尽くしている。その笑顔を、これでもかというくらい記憶に刻む。
そして、別れの言葉を心の中で呟く。
″さようならリリーホワイト。こんな最低な私だけど………来年会えたら、その時はきっと―――〟
「『夢想封印」――――――っ!!』」
言葉と共に現れた人間大の大きさの光弾は、私の決意を鈍る間も与えないかのようにリリーへと無慈悲に突貫していった。
「――――――」
最期、リリーが何か喋った様に見えた刹那、白玉楼全体は白で染めあげられた。
笑顔を最後まで崩さなかった少女は、完全な白となり、光と一体となった。
そして私の意識も、それを引き金に堕ちていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
最悪な目覚めというものを初めて実感した。
身体中はのた打ち回る程の激痛で悲鳴を上げ、なのに痛みで動けないという矛盾を抱え、更にはいつの間に運ばれたのか医者には言い様に身体を診察されており、お気に入りの一張羅も今は患者服。
何もかもが意に反しているそれらは、私の機嫌を更に悪くした。
「全く、突然冥界から凄い光が見えだしたから急いで見に来たら、貴女と氷精が倒れてるんですもの。医者としては何があったか言及したいところだけど、素直に答える筈もないし別にいいわ」
医者―――八意永琳は溜息混じりにそう答える。―――聞いたところによると、どうやら皆目を覚ましたらしい。当然だ、寧ろそれで元に戻ってないなんて話を聞かされたもんなら舌を噛み切る自身しかない。
チルノに関しては外傷が無かったから目を覚ましたすぐに帰らせたようだ。帰る直前、私のことを気にしていたらしい。ちっぽけだけどなんだか嬉しい。
そして一番の情報。光が見えてから数分すると、桜の花びらが一斉に落ちたらしい。事実上幻想郷中の木々が桜の木となったので、その光景は冬の訪れかと思えた程だとか。それを上から見たときは桜の木の時よりも壮観だったらしい。
あの子が春を外へ持っていったんだ。当然の結果だろう。
更に続けて驚いたことに、その枯れた木々に新たな葉が最早付き初めているとか。
これもリリーの言ってた世界の修正なんだろう。
―――あの出来事は、誰かに話すものじゃない。彼女が事件の首謀者でないにしろ、誰かは間違いなく彼女を悪者として吊るし上げる。そうなれば済し崩し的に便乗する者が増え、幻想郷を救った本当の英雄は幻想郷を陥れようとした魔女として記録を捏造されてしまう。そんなの、莫迦げてる。何より、彼女が護りたかった世界の像を穢したくない。
「取り敢えず暫くは安静にすること。肉体的な損傷は指以外無いように見えて内部はズタボロだから、大丈夫だと過信すれば悪化するわよ。もし異変が起こった場合、別の人に任せなさい。少なくとも三ヶ月程は過度な運動は禁止します」
医者の言うことは絶対、ではないけど身体のことは自分自身よりも理解している人種だから素直に聞いておくのは悪いことではない。
三ヶ月か。身体を動かしていれば一年なんてあっという間なんだろうけど、その四分の一を無為に過ごすとなればこれ程もどかしいものはない。ていうか暇だ。
会いたい。リリーと再び、笑って出会いたい。
そして、言うんだ。たった一言、些細なものだけど、私が伝えたい一番の台詞。
おかえりなさい、と。
「それじゃ、帰るわね。世話になったわ」
永琳にそれだけ告げ、さっさと永遠亭を立ち去る。
正直、薬品の匂いは好きじゃない。多種多様の薬品の匂いが混ざり合うと、形容しがたい臭気を発するようになるから。それが常にそうなってる病院みたいなところは私の肌には合わない。
治療してくれたことには感謝するけどそれだけは譲れない。
過度な運動はやめろと言われたので、出来るだけゆっくり飛ぶよう心掛ける。
こうして見ると、やはり幻想郷は美しい。落ちた桜が地を桃色に染め上げ、そこから僅かに顔を出している緑葉が眼に入る。こんなアンバランスな景色、ここじゃないとお目にかかれないだろう。
比較対象がないのにそう思わせるって凄いと思うけど、比較するまでも無いと自慢してるだけなのかもしれない。
突如布を裂くような音と共に高速で背後から駆けていった黒色の何か。それは慌てて振り返ると、此方へと戻ってきた。
「おぅ霊夢。昨日ぶりだな!」
黒の正体は、魔理沙だった。
その元気ぶりを見ると、後遺症らしきものもなさそうで安心する。
「相変わらず元気ね」
「私はいつでも明朗快活を心がけてるぜ」
その元気を分けて欲しいものだ。こちとら見た目分からないけどボロボロなんだし。とはいっても教えるつもりも悟らせるつもりもない。
今回の事件の真相、及び概要は私とチルノの記憶に刻まれるべきものだ。チルノも、あんなことがあったなんて事実を話すほど愚かではない筈。
というか、リリーがチルノを意識不明にさせる際に忘れるみたいな事を言ってたからチルノの記憶の中にはあらかたの出来事の記憶が抹消されているのかもしれない。
それが正しいのかもしれない。アイツは純粋莫迦だから下手をすればずっと引き摺る可能性がある。それはアイツの為にもならないし、リリーが一番に悲しむ。
「それにしても、桜が大量に咲いたと思えば今度は一気に枯れるなんて、異変なんじゃないか?」
「―――そうね」
えぇ、これは異変だ。
だけど、これは異変の爪痕でもなんでもない。これは、世界の為に命を捧げた聖母の様な女性が望んだ未来の在り方。平和の証なのだ。
桜に比べたら不恰好な情景かもしれないけど、私はこの幻想郷だってそれに負けない美しさを誇っていると思う。
「ま、それなら霊夢が出動するだろうし問題ないけど………それより、昨日宴会の席でまさに夢!って夢を見たんだ」
「夢?」
「あぁ。こんな光景夢じゃなきゃなんだってくらいの非現実的体験だったぜ。気がつけば白玉楼にいたんだ。宴会に出席してた奴含め、人間の里とかにいる奴らもな。話しかけても反応しないし、それで夢なんだって何となく分かってさ。取り敢えず散歩でもしようと思って裏に回ったらさ、霊夢がいた。そこでさ―――霊夢が聞いたこともないような苦痛に喘ぐ声が聞こえたから正直ビビッたぜ。最強魔人の霊夢がだぜ?んでさ、そんな霊夢をボロボロにした奴は誰なんだってすぐ霊夢の目線を追ったらさ、春の妖精がいたんだよ。ま~さか霊夢が妖精にボロ負けなんてする筈がないのは知ってるし、確実に夢だってそこで理解したね。ま、最後には霊夢が勝ったけど、なんか勝たされたって感じに無抵抗だったから拍子抜けだったぜ。もっと早く来てたらその異例の戦闘を拝めたかもしれないって思うと悔しさが募ったぜ。ま、それが終わった瞬間私は目覚めてはいおしまいって感じだな」
驚愕。その文字しか浮かばない。
当然だ、だって魔理沙が連ねた言葉のひとつひとつの情景は、あの場に立ち会った第三者という奇異なものだったから。
夢にしてはあまりにも現実に侵食していて、嘘にしては正確な部分しか存在しない。間違いなく魔理沙の見ていた光景は、あの時のものだろう。
しかし彼女はこれを夢だと勘違いしている。ということは、霊体となった状態を夢だと思い込んでいるということか。
「………人を勝手に夢でボロボロにして本人の目の前で愉しそうにするなんて、性格いいわね」
それなら都合がいい。勘違いは勘違いのまま、虚無だろうと虚空だろうとどこへだって投げ捨ててやればいい。それが、リリーだって望んでいる結果の筈だから。
「いや、私だけじゃないかもしれないぜ?そんな霊夢の姿を見たいって思ってるのは」
悪びれた様子を微塵も感じさせない笑顔に、怒りの沸点を抑えられる。
だいたい、こんなボロボロの身体じゃルーミアとかリグル辺りにすら勝てるか微妙なところなのに、魔理沙が相手じゃ単に夢想を現実にさせてしまうだけだ。それは癪に障るし、何より面倒くさいのが一番の理由だ。
身体が休憩を求めている。空を飛ぶことがこんなにも負担を有するものだなんて思いもしなかった。
「―――魔理沙、来年はうちの神社で花見をしましょう」
溜息を吐き、思考を切り替える。
とっとと帰って寝たいが、取り敢えずこれだけは言っておきたかった。
「ん?霊夢からの誘いだなんて、そんなに花見が出来なかったのが悔しかったのか?」
「別に、そうじゃないわ。ただ………、」
ただ、彼女が護った四季の欠片を、自分の世界で愛でたかったから。
そして、こんなにも綺麗なんだって今更な事実を沢山噛み締めたい。
「ただ、その花見にはゲストを呼ぼうと思っててね、主催者じゃないとゲストなんて呼べないでしょ?」
「おっ、霊夢が推薦してでも連れてきたい奴なんているのか。それは想像つかないぜ」
「そうね、アンタも交流があったか分からない様な奴だし」
「ん~?酒の席ってことだから萃香かと思ったけど、アイツとは交流バリバリだし………」
妙に真剣に考えてる魔理沙を見て、軽く笑ってしまう。
「えぇ、本当ならアンタ達が昨日みたいな宴会をやれたのだって、元はといえばソイツのお陰でもあるんだから、会ったら土下座して感謝しなさいよ」
「ほ~ぅ、ということは霊夢もソイツに土下座したって訳か。そこまでさせる奴か、今から楽しみだぜ」
土下座なんか安いものだ。彼女に対する感謝の礼は、物理的なものじゃ表現し切れない。
皆が生きていることも、私がこうして仲間と他愛のない話が出来るのも、見えない未来を救ってくれた彼女のお陰。
だけど私は不器用だから、感謝の礼の表現方法なんてよく分からない。
だからせめて、この世界を育んだ者と一緒に、世界を眺め、酒を呑み、乱痴気騒ぎでも楽しもうと願った。
喩え彼女が遠慮したって、無理矢理探し出して連れてくる気概だ。
「えぇ、楽しみにしてるといいわ」
私は持てる限りの最高の笑顔で、そう答えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
季節は春
まだまだ夏には遠い暖かさを孕んだ四季の始まり
命の芽吹く時期でもあり、命が終わりを迎えるスタート地点でもある
始まりにして終わり、終わりにして始まり
だが、悦ぶことはあれど嘆くことなかれ
私達は、この楽園で生を謳歌していられるだけでも贅沢なのだ。これ以上の贅沢は創造主への反感とみなし、世界に取って喰われるぞ
私は、これからもっと春が好きになる
桜の花を嫌っていた私に終わりを告げ、桜を好きになれる自分が生まれる
季節は巡り、私という存在もまた、流転輪廻を四季の様に繰り返す
リリーホワイト、貴方はきっと何も変わらないんでしょうね
春を迎え、幻想郷に桜の花を咲かせる為に飛び回り、幸福の権化としてニコニコと笑顔で飛んでいく
彼女の一言で、世界は暖かさを取り戻す
それは、始まりを告げる一言であり、彼女の永久に繰り返す幸せを運ぶ言葉。楽園へと導く聖母の言葉
「春ですよ~!」
新しい春が、始まる
後書き
投稿するつもりはなかったんだけど、感想でまた見たいといわれたので、今回はドッキング仕様でお送りしております。
この小説は昔サークルで売りに出してたもので、サークル作品としては処女作となっております。
だからなんだって訳ではありませんが、発展途上の時代に書いたにしてはデキは悪くないな~なんて自画自賛しているだけ。
ほんの僅かに修正しただけで、殆どテコ入れしていないので、現在の書き方とは異なる部分が出ているかもしれませんが、気にしないで下さい。
因みに、今回出たキャラの性格は本編と同一と思ってもらって結構です。
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