元虐められっ子の学園生活
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俺と言う名のプロローグ
前書き
努力は自分を裏切らないが、夢は裏切るものである。
ーーーーーーー不幸。
それは5歳のころから、唐突に始まった。
それまでは一生懸命であろうとひたすらの努力をし、
その目的は何時しか親に誉められたいと言う可愛いげのあるものだった。
しかし他人から見ればそれは『子供らしくない』と言う評価を受けることになる。
そしてそれは周囲へと感化され、軈ては俺の近くまで魔の手を伸ばす。
『お前は異常だ』
ーーーーーこれが親から言われた言葉だ。
それから先は会話もない。
幼稚園からの帰宅は自力。
用意される筈のご飯も用意されない。
言うところの育児放棄である。
幼稚園には行き帰り徒歩で向かい、
ご飯がなければ家のゴミ箱をあさり、食べられそうなものを探す。
こうして思うと、俺はやはり異常だったのかもしれない。
当時4歳で生存意識が発達しているのだ。
だから俺は転機と呼べるであろう5歳までひたすらに、必死で生き抜いてきた。
そして転機は訪れる。
親の交通事故。前方不注意だったそうだ。
何とも下らない理由で逝ったものだと、今ではそう思える。
その後、幼稚園から帰ってみれば誰もおらず、
机には書き置きが置いてあった。
『この家は好きに使うがいい。
俺達は消える。
願わくばお前がの垂れ死ぬことを祈っている』
これだけだ。
それだけしか書かれていない文を見て、俺は悟った。
捨てられた、と。
別に何時もと変わらないではないか。
そう思った翌日に気が付いた。
今までは食べかすや食材のゴミで凌いできた筈が、
これから先ゴミが出ないことが分かったのだ。
しかしその考えも直ぐに終わりを迎えた。
警察が来たのだ。家に。
警察の口から伝えられた言葉はとても残酷でーーーーーーー
『ははっ……』
ーーーーー何て思わなかった。
寧ろ喜びが大きかった。
その笑みを見た警察はぞっとすると共に俺の容姿に気が付いた。
服は身体の成長に逆らうかのように所々はち切れでおり、
服の隙間から除く明らかな栄養失調の事実。
俺は強引に腕を引っ張られ、警察署、児童養護施設の順でつれ回された。
俺を見る大人たちはその都度哀れみと同情の年をその瞳に浮かべる。
なんだよ…俺を見世物にしたかったのか。
眼鏡を掛けた優しそうな人はこう言う。
『今日からここが君の家だ』
そう言ったその人の瞳は………奴等と同じだと、直感的に感じた。
俺は表情を作り、大人しそうに振る舞いながら施設内へと入れられる。
そして夕食をなるべく一杯食べ、脱走した。
この場所から家までの道を俺は覚えていない。
だからこそ、俺は気の向くままに道を決め、走った。
やっとの思いで見つけたのは家があった場所。
そう過去形だ。
脱走から3週間が経っていた。
人に見つからず、ごみ捨て場の食べられるものを漁って食いつなぎ、
やっとの思いで到着したのは空き地であった。
絶望。
そんな感情が頭を埋めつくし、その場に倒れ、意識を失った。
目が覚める。
暖かい。ここが天国なのかな…と考えてしまうのは救いを求めているからなのか。
匂いがする。懐かしく、心地のよい、そして何より食欲を掻き立てる。そんな匂い。
嫌に重く感じる身体を起こし、出来る限り慎重に辺りを調べる。
そして見つけたのだ。一人の老婆を。
俺は理解する。
俺は助けられたのだと。
そして不意に声を掛けられた。
『逃げるんならこれを食べてから行きな』
逃走を制止するわけではなく、寧ろ肯定するような言葉。
ぶっきらぼうでいて、何処か優しさを感じたその言葉。
「何でたすけた…」
ご飯、味噌汁、焼き魚と、在り来たりでいて懐かしさを感じる食卓。
俺は静かに、そして警戒を込めて聞いてみた。
「そんな物、寝覚めが悪いからさね」
寝覚めとは何だろう?
この時こそ聞きはしなかったものの、今なら分かる。
結構年のいった婆さんのツンデレと言う物だったのだろう。
「それで、出ていくのかい?」
二人しかいない空間ではお互いが喋れば嫌に響く。
俺はその言葉を頭の中でリピートして、相手の、婆さんの目を見た。
その目には一切の曇がなく、美しく、綺麗だった。
だから俺は言ってやった。
何の思惑があって俺を助けたのかは知らないが、
『子供特有の覚えたての言葉は意味がわからなくても使う』を活用し、
「お婆ちゃんがこの家から居なくなったら出てってやるよ。
寝覚め悪いからな」
ーーーーと。
すると婆さんは一瞬驚いた後、ニヤリと笑う。
「働かざる者食うべからず。アタシを楽にしてみなっ」
そう言った婆さんはとても生き生きしていた。
…そう。今でも鮮明に思い出せる。
出会いがあれば別れもある。
俺と児童養護施設の様に短時間で終わる縁もあれば、
俺と婆さんの8年に渡る縁もある。
日に日に窶れ、寝込む回数が増えていく婆さんは最後、
こう言って別れを告げた。
「お前の名前は九十九…大切な物に命が宿るように…
アタシの大切になってくれたお前にこの名前を……あげる…よ」
俺は、13歳に成るまでで初めての涙を流した。
8年。感じた時間は一瞬だった。
光陰矢のごとし。
長いだろうと感じる時間さえ、経ってみれば早いものだと、知識の疎ましさを実感した。
今まで『お前』だの『アンタ』だの呼ばれ続け、最後には名前を送って逝ってしまう。
思えば8年間ずっと考え続けた名前なのだろう。
だからこそ、俺は誓うのだ。
「俺は義母さんに負けないくらい生き続けて見せるよ」
俺、鳴滝 九十九13歳。
再び独りへ返り咲く。
しかし、その心には硬い誓いが建てられる。
どんなに厳しくても、辛くても、生きることを常に求めて進んでいく。
不幸。
親族や家族の死の事。
しかし、意味はこれだけではない。
自己の環境に置ける変化の中で過酷なことや、理不尽に見舞われることだ。
しかし、俺はそうは思わないだろう。
考えたとしても、絶対にその答えを否定する。
何故なら俺は生きているのだから。
生きていないこと自体が不幸と言うのだと、そう思っているのだから。
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