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命の荒野

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第1話 降り立つ、客人

荒野は、地平線が剥き出しだ。
赤茶けた大地を、さらに赤い太陽が照らし、その太陽も大地に削られていき、
やがて消えせて闇が一面を覆う。
山の多い日本では、中々お目にかかれない。
そんな夕焼けが、仲嶋裕太は好きだった。


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「こんにちは仲嶋少尉!夜勤明けはやっぱり顔色悪いっすね〜お疲れ様です〜」

基地の中を歩いていると、仲嶋に声をかけてくる男が居た。灰色のブルゾンの右肩には、「新日石」と社名が刺繍されたワッペン。顔は少し埃に汚れている。この男は最前線で作業にあたるような身分ではないが、それでも現場指揮などでちょっと外に出ておれば、風に運ばれた砂塵粉塵ですっかり汚れてしまうのがこの過酷な土地であり、ここではそれとセットで油臭さも付いてくる。

「尾上さんこそ、この暑い中、ご苦労様です。日石の皆さんがよく働いてくれるので、護衛の僕らも気が引き締まりますよ」

仲嶋に話しかけた、この尾上という老け顔の男は新日石というエネルギー開発企業の社員だった。見渡すばかりの荒野を灼熱の太陽が焦がすここは、中東のアザディスタン王国。尾上は、日本政府が獲得したバルスタン鉱区の燃料開発事業の一員として送り込まれており、このガス開発基地には尾上と同じように派遣されてきた新日石の社員が100人は居る。

「いやいや、帝国陸軍の皆さんがおるからこそ、私らも仕事に専念できるんですよ!ロケット弾が何度かブチ込まれた時は焦りましたけどね!」

尾上の口調は実に軽やかで、仲嶋もつられて苦笑してしまったが、しかし同時に背筋にひやりとしたものを感じるのは、その状況が全く冗談にならないものだったからだ。開発当初は当然ながら、まだどこでガスが出るかも分からず、様々な所を掘り返すのだが、それは基地の位置が定まらないという事でもあり、護衛の日本陸軍の守備態勢も試行錯誤を重ねるしかなかった。拠点が暫定的なものでしかないので、資金を節約する為に防壁も使えないし、つまりはずっと仮設陣地で敵に備えねばならなかった。一度ガス田が確立して、基地をしっかりと要塞化することができれば不安はやや払拭されたが、そもそも何でここまで不穏な空気に怯えねばならなかったのかと言うと、畢竟アザディスタンが内乱に満ちた危険な国だからだ。中央政府と軍閥、テロリスト達の睨みあいや小競り合いは日常茶飯事、宗教や部族間対立も考慮に入れると、これはもう火薬庫としか言いようがない。そんな国のガス田に、国際入札とはいえ果敢に入札しないといけないあたり、今の日本の苦しい事情も窺え、そうした台所事情のツケは当然ながら尾上や仲嶋たち、現場の人間が払わされる事となる。

「設営当初はそれこそ、よくある事でしたからね。早めにガスが出てくれなかったら、いつまでも基地を固められずに、死者も出ていたかも。日石の方々の技術のおかげで助かりました。」
「ま、私らも必死の思いでしたから!あの枯れた列島からもガスを搾り出した、私らの大和魂を見せてやりましたよ!」

自分よりずっと年上の尾上がニカっと笑い、胸を張るのを見て、仲嶋は「元気だなあ…」と思った。自分のような軍人と違い、民間人である尾上ら日石の社員は、それこそ会社に入った時はこんな物騒な土地で仕事をする羽目になるとは思いもよらなかっただろう。にも関わらず、今も元気に仕事に励み、不安だったあの頃を笑い飛ばせるとは、自分たちよりよほどタフだと思う。

「じゃ、私は仕事に戻ります!また今度、あのオートジャイロにも乗せて下さいよ!」
「……閃電の事ですか?いやいや、さすがにそれには……」

離れていく尾上の背中に苦笑いで手を振りながら、仲嶋は基地司令部へと歩みを進めていった。



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「夜勤明けに済みませんね、用事を言いつけたいんですが」
「ハッ、喜んで」

バルスタン基地司令部の隊長室で、日本陸軍バルスタン基地守備隊司令の松見典夫少佐が仲嶋を待っていた。
体格が良く、半袖防暑衣から覗く二の腕は太いが、しかし、部下に対しても必ず敬語を話すなど、見た目によらず物腰が柔らかなそのギャップにはナイスミドルの雰囲気が漂っている。良いところの坊ちゃんという話も聞いていたが、その良いところの坊ちゃんが何故こんな辺境の守備隊司令なんかになっているのかまでは仲嶋は知らなかった。

「ダグラム空港まで飛んでくれますか?ここまで運んで欲しい人が居るんです。」
「ハ、政府からの査察官ですか?抜き打ちですね、ビックリです。」

わざわざ基地航空隊の貴重な一機を迎えに差し向けるのだから、偉い人の訪問なんだろうなと、仲嶋は思った。治安の悪いアザディスタンで陸路移動となると、護衛車両を付けたとしてもいくばくかの不安が残ってしまう。テロリストだけでなく、強盗団なども獲物を待ち構えているのだ。街と街との距離がある不毛の地では、そういった非合法の武装集団のキャンプもポツリポツリと点在して、その数は脆弱な政府軍の掃討作戦などでは一向に減る気配がない。これまでも仲嶋は政府関係者を何度か首都の空港まで送り迎えした事がある。どいつもこいつも、砂塵に顔をしかめてふて腐れたような顔をしている嫌な奴だった。

「いえ、今回は民間人です。国際NPOのエージェントで、このバルスタンでの事業の助言役として政府に任命された、という事らしいですが。」
「民間人…ですか。それはまた珍しい積荷ですね」

仲嶋は口をひん曲げた。国際NPO?エージェント?またまた、そういう日本式の考えは古いとか、軍は引っ込んで民間に任せろとか、そういう左巻きな事を言って回る「国際人」のお出ましじゃあないだろうな、と仲嶋は密かに警戒した。日本でも最近増えているのだ、閉塞した母国に見切りをつけたのか、自ら日本人を捨てたような連中が。

「近々、この基地も生産拡大の為に動員をかけますし、更なる支援事業が必要だと政府は踏んだんでしょうね。民間人ですが、政府の息のかかった、つまり査察官と変わりません。丁重にお出迎えをお願いします。」
「了解しました。すぐにでも出発します。」

仲嶋は隊長室を出て、基地格納庫へと向かった。


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「ええ〜、またバルスタンの支援拡大するんっすか〜?もうこれまでも散々やってきたでしょ〜、給水に医薬品、道路の補修とか」
「ガス生産が軌道に乗って、これから更に基地が大きくなるんだ。今だって、よそから見りゃ俺たちの基地なんて日本軍の要塞だぞ?快く思わない奴も居る。だからそれくらいの機嫌はとらないとな。」
「まあ良いですけどね〜。僕ら航空隊はそんな事しなくて良いし。でも、仕事が増えて重岡中尉の機嫌がまた悪くなりますよ〜。あの人そもそもが外人嫌いなのに〜。」
「そればっかりは、しょうがないな」

眼下のガンナー席で間の抜けた声でブー垂れているのは、岡田辰起准尉。ひょろっとした長身で、色が白く、少しとぼけたような所もある男だ。最初バルスタンに来た時は暑さにすっかりやられていたり、少し人格的には頼りないが、しかしいざ実戦になると、強力な兵装を果敢に使っていく意外と積極的な所を見せてくる。

仲嶋と岡田が乗っているのは、回転翼機の「閃電」である。機体上部の固定翼の両端にエンジンと共に回転翼が設置されており、今は巡行モードで回転翼が前を向いているが、このプロペラは垂直の角度まで可変させる事ができ、ヘリコプターのようなホバリングも可能である。胴体には兵員輸送用のキャビンがあり、また固定翼下にはミサイルポッド、機首にはバルカンなど設置され、輸送力と攻撃力を両立した、まさに器用貧乏のティルトローター機である。攻撃機と輸送機を別々に用意する金のない日本陸軍が貧乏性を発揮して作った機体だ。この仲嶋の愛機も、既に何度も実戦に参加している。地方ゲリラくらいなら、携行ミサイルにだけ気をつければ重武装で押し切れる。そうして、バルスタン基地の安全を守ってきた。

「あ〜、たまには可愛い女の人でも来ないかな〜」
「何を言ってるんだ、鹿本中尉すごく可愛いだろ。贅沢言うなよ、あんな美人がこんな辺鄙な所に1人居てくれるだけでも有難いんだから」
「鹿本中尉は可愛いですけど、そろそろ別の顔が見たいです〜」

高度を高くとれる輸送任務は、下方からの携行火器を警戒しなくていい為か、岡田は普段よりも饒舌だ。
仲嶋は間の抜けた部下の様子を微笑ましく思いながら、ダグラム空港へと閃電を急がせた。



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「仲嶋少尉、機体整備の方はどうします?」
「ああ、ここでは良いよ。すぐ出発する気だし、オイルの規格も違うし、軍用機を民間に見せるのはね。」

岡田が空港の格納庫から出張ってきた整備サービスを断っているのをコクピットから見下ろしながら、仲嶋はため息をついた。ここの整備は高くつくうえに、場合によってはパーツの一つや二つパクっていかれるかもしれない。仲嶋は民族主義者ではないが、それでもこの紛争地帯の民度を信用する程にはお人好しでも無かった。前にダグラム空港に来た時から、整備の顔ぶれも結構変わっているようだ。若い整備士が多い。ベテランの腕のいい整備士は、またどうせ待遇の良い地方軍閥にでも移籍したのだろう。首都の空港がこの体たらくという辺り、アザディスタンの悲しい現状が浮き彫りになっている。

「じゃ、お客さん呼んできますね。すぐ出発するって事で、管制の方に連絡お願いできます?」

岡田に言われた通り、仲嶋は後部に座った通信士に言いつけて航空管制への連絡をさせた。来てすぐ帰るなんて、まるで泥棒みたいだな……と仲嶋はぼんやりと思った。しかし、それは間違ってないのだろう。この国は自分達の国ではない。日本人の居場所がある訳ではないのだ。

今回乗せていく客人が、岡田に連れられてこちらに歩いてくるのが見えた。仲嶋は違和感を感じた。いや、仲嶋が勝手に今回の客のイメージを自分の中で作り上げていて、そのイメージと食い違っていただけなのだから、違和感と言うのはおかしいだろう。しかし、驚いたのは確かだ。長身の岡田に連れられて歩くその身体は小さく、頭にはヘジャブを被っていたのだから。

形良く尖った顎、抜けるような鼻筋、薄い唇。岡田の希望通り、その顔立ちは立派な美人だった。しかし、仲嶋はそこには目が向かなかった。
目つき。その若い女の目つきは、実に鋭く、そして感情がなく、乾燥していた。
遠目で目が合っただけの仲嶋の背筋が、ゾクゾクと震えた。

 
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