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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第104話 帰り来る

 
前書き
 第104話を更新します。

 次回更新は、
 12月10日。『蒼き夢の果てに』第105話。
 タイトルは、 『ドジっ娘メイド技能?』です。
 

 
 判る。――判るぞ!

 カリカリと言う筆記用具とテストの答案用紙が奏でる音楽が支配する世界。その、学生時代と呼ぶに相応しい一種独特の空気の中、窓越しに差し込んで来る陽光の明るさに似た晴れ晴れとした気分で問題を解いて行く俺。
 前代未聞。空前絶後。確かに、本来の俺に取っては去年。二〇〇二年の十二月――俺が高校一年生の時の二学期末テストはこんな感じで英語の試験を受けて居たのですが……。

 それでも、これほどすらすらと答えが出て来た記憶は有りません。
 まして……。

【なぁ、長門さん】

 当然のように急に天才に成った心当たりはない。確かに一度受けた試験とは言え、俺が受けたのは俺の通って居た高校で受けた試験。故に問題がまったく違うはず。
 しかし、何故か一度受けた試験の如き雰囲気で、問題を読むだけで答えがすらすらと簡単に出て来る。
 そう。まるで一度受けた事が有る試験問題のような勢いで……。

【試験中】

 非常に簡潔な言葉ながらも、無視される事もなく答えを返してくれる長門さん。確かに言葉の意味する雰囲気は拒絶。しかし、本当に拒絶するのなら無視をすれば済む事。彼女が答えを返して来た以上、これは拒絶している訳ではない。

【まぁ、そう言いなさんなって】

 別に判らない部分の解答を聞こうと言う訳ではないんやから。
 かなり冗談めかした口調でそう続ける俺。それに、

【そんな必要がない事ぐらい長門さんなら知って居るんやろう?】

 言葉の意味は少し重い。しかし口調自体は普段通りくだけた口調。まして、ここまで完璧な試験の予想問題と言うのは……。
 いや、確か同じ二〇〇二年二学期末の試験……保険体育の試験で大ヤマ的中。俺と友人の二人だけが超難問を解いたと言う例が有りましたか。

 その延長線上。それも長門さんが機械の如き精確さで試験問題の予想を行えば、俺の山勘ドコロでは済まないレベルで試験問題を予測出来たとしても不思議では有りませんか。

【あなたの特徴として異常なまでに高い記憶力がある事は理解している】

 俺の心の中でのみ響く彼女の声。そして、その内容は俺の問い掛けた内容を微妙に外した……。しかし、答えを補足するには必要な内容でした。

【あなたの記憶力ならば一度受けた試験の答えは忘れない】

 ただ、今回は少し干渉し過ぎた。
 最後の方は俺に【伝えて来た】と言うよりは、殆んど独り言のような雰囲気でそう締め括る長門さん。

 成るほど。故に、彼女が期末試験の予想問題を一番に差し出して来た、と言う事ですか。あの時の雰囲気から言えば、ハルヒも何か用意して居たような雰囲気だったのですが、有無を言わさず長門さんが先に差し出して来たので、彼女が用意した予想問題を中心にして試験勉強を行った訳ですし。
 おそらく彼女としても、ハルヒが俺に対して強く干渉して来ると言うのは想定外だったと言う事なのでしょう。確かにただの友人に対する干渉としては過分なような気もしますが、彼女……涼宮ハルヒと言う名の少女に関してもかなり友人と呼べる人間が少ない事が予想出来ますから、数少ない友人に対しては過度に干渉して来たとしても不思議では有りません。
 それに長門さんの言うように俺の記憶力が良いのは事実。ただ、完全記憶能力者と言うタイプの記憶力……その瞬間を写真の如き精確さで記憶するタイプの、完全な特殊能力者と言うほどの記憶力ではなく、ごく一般的に存在する記憶力が良いと言われるレベルの人間。

 そんな人間なら、直前に受けた……何回も同じ問題を解かせたのならば、問題自体を丸暗記して居たとしても不思議では有りません。
 ……それが、飛霊を何体も召喚させられ、試験勉強をやらされた理由でしたか。

 俺の答えに成らない思考。しかし、無理に思考をブロックしている訳ではないので、今考えて居る事は、そのまま言葉に近い形で長門さんには伝わって居るはず。
 そうして、

【あなたを召喚したのはわたし。わたしの理由であなたを召喚した以上、あなたに迷惑を掛ける訳には行かない】

 生真面目な……と表現するべきですか。淡々とした口調ながらも、内容はかなり思いつめた言葉が送られて来る。それに彼女の言う迷惑。これは試験で悪い点数を取らせられない、と言う部分と、ハルヒの死刑と言う部分の事なのでしょう。
 ただ、この件に関して俺は彼女に生命を救われたと思って居る。そして、その事は彼女に何度も伝えているのですが……。

 しかし、

【あなたを異世界から救い出した事は、二月の段階で、本来消える運命だったわたしを救ってくれた事とで等価交換可能】

 俺が【言葉】を発する前に、今まで何度か繰り返されて来た会話の答えを送って来る長門さん。
 どうにも頑固と言うか、律儀と言うか。そもそも、その最初の段階で彼女の生命を救ったのも、俺と同じ立場の人間。この世界の裏側……異界からの侵食から世界を護って居る人間の内の半数ならば取る当たり前の行動。その程度の事を其処まで感謝されても……。
 もっとも最近は有無を言わさずに、無害の付喪神(つくもがみ)の類も魔と断じて討滅して仕舞う荒っぽい倒魔士も少なくないので、その事を彼女が知ったのなら、確かに多少は感謝されても不思議ではないのですが……。

 倒魔と退魔。似ているようでまったく違うこのふたつの職業に関して思いを飛ばす俺。この差は、軍隊と警察の違いに近いモノが有るのですが……。
 その間隙を縫うかのように、普段よりも小さな。そして、重い彼女の声が心の奥から響いて来た。

【本来、この十二月にあなたを召喚するかどうかは、わたしの自由意思に任されていた】

 かなりの陰の気を纏って……。

 成るほど。本来はどっちでも良かったトコロを、彼女の意志で……。つまり、彼女が異世界同位体の俺に会いたかったから召喚を行い、其処に異世界漂流中の俺が引っ掛かって仕舞ったと言う事ですか。
 それに、それは別に奇異な事では有りません。水晶宮と言うのは組織の規模は大きいし、かなりの力は持って居ますが基本的には龍種の互助会。別に絶対的な支配者の命令の元、下位の人間がその取り決めに従って一斉に動く上意下達の組織などではなく、その現場の人間の裁量に任される部分が多い組織でも有ります。
 故に、かなり甘い……。例えば、涼宮ハルヒに起因する世界の混乱を終息させる為に、彼女の排除。元々、涼宮ハルヒなどと言う少女はこの世界に存在して居なかった……と言う結末を作る事も可能だったはずなのに、何故か彼女が存在しているこんな不安定な世界を作り出す事も有るのですが……。

 もっとも、上層部の方でその行為。ハルヒを生存させても問題ないか、と言う部分のシミュレートは何度も繰り返した上で彼女を残しても大丈夫だろう、と言う結論を得たのでしょうし、俺の召喚に関しても然りだとは思うのですが。
 それに所詮、召喚されたのは俺。ハルヒの生存ルートに比べたら世界に与える影響が違い過ぎますから、上層部の方もそんなに深く予測した訳ではないでしょう。

【もし……】

 別に、俺を召喚した事を追い目に感じる必要はない。そう言う結論を敏感に感じ取ったのか、長門さんが更に言葉を重ねる。その時に感じたのは決意。これから彼女が口にするのは、何か重要な事柄。
 ただ……。
 ただ、その決意の中に何故か感じる淡い期待。俺に何を求めて居るのか判らない。ただ、彼女が俺に()()を求めて居る事だけは感じられた。

【もし、わたしが世界に害を為す存在だと判断したのなら……】

 あなたの手でわたしを処分して欲しい。最後の部分は実際の言葉にして伝えて来た訳などではなく、余韻からそう言う考えであろう、と言う事が想像出来たと言う事。
 その瞬間、胸に熱い何かを感じる。オマエでは埒が明かないから俺に喋らせろと言う強い自己主張を行うかのような熱情。

【そんな心配は無用やと思うけど――】

 俺。……心の奥深くから湧き上がって来る現在の自分以外の想いを無理矢理ねじ伏せ、表面上は冷静な振りをしながらそう前置きを行って置く俺。まして、今現在の彼女から感じている感覚は負や陰の感情に支配された存在ではなく、陰と陽。そのどちらにも傾き過ぎない曖昧な存在。
 人から。いや、ありとあらゆる存在から変わる仙人と呼ばれる存在に相応しい安定した感情を持つ少女。

 そんな彼女が簡単に、世界に害を及ぼす存在――邪仙へと変化するとは考えられない。

 しかし、そんな事を言っても彼女を納得させる事は出来ないでしょう。多分、彼女の求めている答えはそんな気休めのような物ではないと思います。
 その程度の物ならば、かつての俺がこんなに心を揺らし、自己主張を行う訳が有りませんから。

【忘れたのか、()()

 何処か心の奥の方から湧き上がって来る想いを、そのまま【言葉】にする俺。筆記用具と答案用紙。そして、四十人に少し足りない青春期の人類が作り上げた無機質で画一的な世界の中心で、共に相手の瞳を覗き込む事もなく、ただ没個性な集団に埋没……試験問題と答案用紙にのみ視線を向ける振りを続ける彼女に向かい……。
 そして……。
 そして、俺の一番大切な名前(真名)の一部を使用して。

 その瞬間、彼女から流れて来る強い想い。その事に因り確信する。俺が彼女の名前を呼ばず、苗字を呼ぶ度に彼女が発して居た少し哀しげな雰囲気の意味と……。
 俺の異世界同位体が、彼女の事をどう想い、そして、どう接して居たのかを。

【あの冬の日に約束した内容を……】

 何もかもすべてが赤く染まり、ただ一色に塗り潰されて行く時間。冬の属性の風が強く、すべての感情や声を吹き散らせて行く世界(マンションの屋上)。正面に立つ……いや、立ち去ろうとする後姿は相馬さつき。彼女の纏う漆黒のコートが風に棚引く。

【もしも有希が世界に仇為す存在となった時には……】

 彼女……長門有希を(めっ)するのは、彼女と縁を結びし俺の役割だと。

 但し、おそらくこの約束は果たされる事はない。先ず、長門……有希が闇堕ちする可能性は非常に低い。そして何より、現状では彼女よりも俺の生命の方が危機的状況に成って居ると言わざるを得ないから。
 ハルケギニアの湖の乙女が、ここに居る長門有希の未来の姿ならば。

 彼女。長門有希が何か【言葉】を発しようとして、しかし、止めた。多分、この時の彼女には何をどう言って良いのか判らなかったのでしょう。

 そうして……。

 そうして、途切れて仕舞った会話。後ろから見つめる試験中の教室と言うのは、何故か水族館の中に居るような気分にさせられる。普段はこの年齢に相応しい活気に満ちた気を放つ生徒たちも、この時ばかりは目の前の試験問題を解く事に集中する為に、自然と静謐な雰囲気を作り出すからなのかも知れない。
 ぼんやりとそう考えながら、左腕に巻いた今回の人生で母親から最後に貰ったプレゼントに目をやる俺。
 ……時刻は九時十二分。得意教科の試験ならば、そろそろ一時限目テストの最後の見直しを行って、ケアレスミスを潰すべき時間帯。

 しかし――

【なぁ、有希。言い忘れていた事がひとつ有ったな】

 ――現実に追われるのはもう少し後でも良い。そう考え、途切れた会話を再開させる俺。
 彼女からの答えはない。但し拒絶はしていない。それは、呼び掛けた際に彼女から発せられた雰囲気が物語っている。

【ただいま、有希】

 昨日までの俺は、この世界に呼ばれた、……と考えていた。
 しかし、今では違う。俺は帰って来た。そう感じるように成って居た。

 僅かな空白。それは彼女が軽く呼吸を整える時間。
 そして、ゆっくりと。まるで一音一音に想いを乗せるかのような雰囲気で、

【おかえりなさい】

 彼女はそう伝えて来たのでした。


☆★☆★☆


 天井部より振り下ろされる殺気の刃を、こちらも同じく気を刃の形に変え弾き上げた。
 その瞬間、二人の見えない刃の周囲で活性化した小さき精霊たちがぶつかり合い、一瞬、勘の良い人間にならば気付かれたとしても不思議ではない強い輝きを放つ。

「呆れた」

 午前中だけで一日目の試験は終わり、自然と……ではないな。完全に拉致されるような形でとある少女に連れて来られた文芸部々室。
 しかし、普通に考えると……と言うか、俺が元々通って居た高校では文芸部員と言うのは図書室に入りびたりで、部室が何処にあるのかすら知らなかったのですが……。ここ、北高校の文芸部はその図書室からはるか離れた部室棟に部室がある状態。
 確かに、本棚にはそれなりの冊数の本があるのですが……。

 ここって、本当に文芸部の部室なのか、甚だ疑問。そもそも、文芸部に部室って必要なのでしょうかねぇ。特に、ハルヒが関わって居る以上、テキトーな空き部屋を勝手に自分たちの部室として占拠した可能性も有りますから……。

 そんな、現状にはそぐわない感想が心の片隅に浮かぶ俺。それは、そう一瞬の心の隙。確かに、期末試験一日目。特に、苦手教科の英語と数学がひとつずつ有った日を大過なく。むしろ、生涯に何度もない好調さで乗り切った現状では、少しぐらい心が緩んで居たとしても不思議でも何でもない。
 ……のですが……。
 そんな隙を()()が見逃してくれる訳もなく――

 再び切り結ばれる殺気。但し、双方とも表面上は普段の雰囲気のまま。
 そう。俺の方は正に昼行燈(ひるあんどん)。パイプ椅子の背もたれに体重を預け、腕と脚を組む姿勢。かなり弛緩した、良く言えば鷹揚とした。悪く言えばぼんやりとして、何も考えていないような雰囲気。
 片や彼女の方は、初めて俺がこの部室を訪れた時と同じ立ち位置。窓から冬晴れの世界にその鋭い視線を送りながら、此方……俺の方を見ようとはして来ない。
 いや、おそらく今の彼女は誰の顔も見つめる事は出来ないでしょう。俺の想像が正しければ、今の彼女は神懸かり状態。確かに、現状の彼女自身の周囲を、霊力の高まりに応じた小さき精霊たちが覆って居る訳ではありません。しかし、それはここに居る一般人。ハルヒや朝比奈さん達に気取らせない為の処置。彼女の内部を駆け巡る人の領分を越えた莫大な気を俺には感じる事が出来たのですから。

「あんた、本当に英語と数学以外は全部得意なんだ」

 有希……。俺の異世界同位体が彼女と交わした約束を思い出した事により、以後、彼女を呼ぶ時は名前を呼ぶ事に成って以降、初めての放課後。俺の見ている目の前で答案用紙――。有希が用意した、ほぼ期末試験と同じ内容の模擬試験の答案用紙に赤い丸が次々と付けられて行く。

 人知れぬ戦いが繰り広げられるその中心。長テーブルを挟んだ向こう側から、かなり間の抜けた声。俺が解いた答案用紙に赤ペンで丸を付けながら、本当に呆れた者の口調でハルヒがそう言ったのだ。
 勝気な……かなり気が強いと思われる瞳に引き結ばれたくちびる。少し仕様としては古いデザイン。昭和の香り漂うセーラー服に包まれたのは、少女から大人へと至る途上の未成熟な肢体。十八女と書いて『さかり』と読むのだが、もしそうだとすると、彼女の美しさは咲き誇る前の蕾状態だと言うべきなのだろうか。
 しかし、彼女はそんな表面的な美醜を越えた何かが存在するのも確かで有った。

 凛として人を……いや、人以外の何かさえも惹きつけるその資質。人間として、女性として本当にそんな物が必要なのか疑問符を抱かずには居られない、類まれなる存在感と言う物を、現在の涼宮ハルヒと言う名前の少女が持って居るのは確実でしょう。

 ただ……。
 ただ、問題を用意してくれた有希ではなく、基本的に何もしていないハルヒが何故かエラそうに採点をしている点が解せないと言えば、解せないのですが。更にもうひとつ。呆れた者の口調の中に、何故か少し不満げな色が隠されているような気もするのですが……。
 そう考えた直後、しかし、軽く首を横に振って直前の俺の考えをあっさり否定。
 何故ならば、この部室へと俺を無理矢理に連れて来たのはハルヒですし、更に強引に模擬試験を受けさせたのもハルヒですから、採点しているのも理に適って居ると言えば、そうなのかも知れませんが。
 但し、その彼女が発して居る不満が、何処に向かって放たれている不満なのかが、少し判断に迷うトコロですか……。

 刹那、そのハルヒの頭上で見えぬ刃が閃き、響かないはずの剣撃の音が空気を揺らす。
 まるで無造作に放たれたかのような、それ自体は見えない刃が大気を斬り裂き彼女の頭上へと振り下ろされる。その勢い、そして、その中に籠められた神威は人の域に留まるとは到底思えない。
 彼女の放つ一刀からは、今現在の彼女の実力を如実に物語って居る。それは、そう。武術と言う領域における熟練の程は俺と大きな差はない。少なくとも、表の世界の達人程度ならば、五手も使う事もなく斬り伏せて仕舞うであろう、と言うレベル。

 微かな。本当に微かな空気が焦げるような臭いが鼻腔を擽り、俺の中を沸き立つような何かが走る。

 その刹那! 
 抜く手も見せず、更に、風すら斬らぬ斬撃が俺の元より発生。窓の傍らに立つはずの少女が、何故か天井辺りから発生させた剣圧をハルヒの頭上五十センチの位置で迎撃。そして、次の瞬間には双方とも霧散して仕舞う。
 後に残るのは見えない太刀同士がぶつかり合った瞬間に発せられた精霊の輝きのみ。
 いや、現実には二人ともその場を一歩足りとも動く事なく、ただ殺気を見えない剣へと変えて争って居るに過ぎない状況。

 人工の光に照らし出された室内。無数の精霊の乱舞。その差して広いとは言えない文芸部々室内で見えない刃が交わされる際に発する、微かな精霊の発光。玉響(たまゆら)、オーブなどと呼ばれている現象のみが、ここで行われている戦闘の微かな証と言えるかも知れない。

 成るほどね。どうにも、平和な日常に身を置く事は許して貰えないらしい。
 そう考えながら、僅かに口元にのみ浮かべる類の皮肉に染まった笑みを浮かべる俺。
 身体は弛緩した状態を維持。体重は背もたれに預けながら、肺を絞って丹田に呼吸を落とし、雰囲気は表面上柔らかな雰囲気を維持しながらも、内面では練り上げた気を全身へと漲らせ、急速に戦闘状態に持って行く。

 彼女……相馬さつきとの声を用いない会話を続ける為に。
 今現在の俺と、これまで数度、この世界に訪れ、さつきとの絆を結んだ俺の異世界同位体との違いを疑って居る彼女の疑念を晴らす為に。

 尚、件の有希は昨日と同じように俺の右側で我関せずの姿勢。普段通りの無表情……いや、それは最早、澄み切った湖面の如き無機質さ、と表現すべきか。その妙に作り物めいた容貌で和漢により綴られた書物へと視線を上下させる。そうして、その他の連中もまた昨日とほぼ同じ位置。例えば、神代万結は左側のパイプ椅子に腰を下ろした状態で正面……冬の弱い陽光が差し込んで来ている窓をただ一途に。しかし、まったく熱の籠らない瞳で見つめている。
 そして、朝比奈さんはメイド服に着替え、独楽鼠(こまねずみ)のように働いている。おそらく、この模擬試験が終わった後に、それぞれにお茶を配ってくれる心算なのでしょう。
 昨日との唯一の違いは、昨日は相馬さつきが陣取って居た俺の正面の位置にハルヒが陣取って居る事ぐらいですか。

 ただ……。

「だから何度も、俺は英語と数学以外はぶっつけ本番でも八十点以下を取る訳がないから大丈夫や、と言う取るやろうが」

 かなり不満一杯の雰囲気を撒き散らせながら、そう俺が答える。
 それに、そもそも、自分の子分だと言い切る相手の話を、ここまで信用しない親分と言う段階で問題が有ると思うのですけどね、俺は。信用しない……信用出来ない相手を使う事は、普通に考えると出来ないと思うのですが。

 その刹那。

 ずん、とばかりに大気が裂ける。
 床を這う様な一閃がハルヒと朝倉さんの間を縫うようにして迫り来るのを、視覚以外の何かで察知。
 そのまま捨て置けば、急激な上昇の弧を描いて俺の首を跳ね飛ばす位置にまで上昇して来る事が確実。
 刹那――
 僅かに。本当に自然な形で上体を動かし、紙一重でその見えない刃を躱す俺。
 その瞬間、俺の右手に発生する強烈な気の塊。
 イメージする。それはすべてを斬り裂くクラウソラスの光輝。

 しかし! そう、しかし!

 俺が放った剣線は三。ひとつはさつきの頭上から。ひとつは何の捻りもなく正面から。
 そして、最後のひとつ。本命と言うべきそれは床すれすれを這うようにして、ほぼ真下から跳ね上がる軌跡を辿る剣線。
 狙い(あやま)たず彼女を捉えたかに思われた剣線。しかし、それは次の瞬間、儚い精霊の輝きを残して消えて仕舞う。

 共にその場を一歩も動く事なく。いや、余計な……。戦闘に際して行うような動きは一切行う事無く攻撃を放ち、そして、相手の攻撃を防ぎ続ける俺とさつき。
 そうだ。この時、俺は間違いなく普段以上に細密に世界を感じていた。この部室内に存在するすべての精霊に意識を広げ、僅かな気の乱れを感知。その乱れが、何に起因するのかを一瞬の内に判断。そして、まるで事態が起きる前……実際に攻撃的な波動が起きる前から予知していたかのような精確さで、その乱れの元を消滅させて仕舞う。
 そう、それは正に予知、と呼ぶに相応しい能力。
 確かに今までも気の高まりと共に微妙な魔力、霊力の流れを感じる事が出来た。そして、それが出来なければ、いくら自らの時間を操ったトコロで躱せない魔法、弾けない剣撃は存在していた。
 しかし、今はその微かな。本当に微かな流れ。まるで次に彼女……さつきが何をしようとしているのかさえ、先に判るような気がしていたのだ。
 そして、それはおそらく彼女も同じ。ハルケギニアでも彼女。崇拝される者と名乗った炎の精霊王との戦いはこんな感じでしたか。

 共に舞うように互いの刃を放ち、
 その見えない刃を、こちらも見えない刃で弾いて行く。
 それはまるで連舞。いや、現状、共に動かずに霊気のやり取りだけに終始している以上、それはテニスのトッププロ同士が行う熾烈なラリーの応酬に似ているかも知れない。
 互いが流れの中で相手の動きを読む。共に放つのは必殺の太刀。しかし……いや、故に、その太刀を真面に受ける訳には行かず、紙一重で捌いて行く。
 この時は本当に相手の生命すら奪い取ろうとする鋭さと、そしてある種の鮮やかさのみが存在していたのだった。

 但し――

 一瞬の空白。俺の三閃が防がれた後に発生した完全な無風状態。その間隙を埋める日常と言う名の風景。
 それは……。

「あんたの話は、話半分程度に聞いて置いた方が丁度良いのよ」

 冗談なんだか、本気なんだか分からない答えばかり返して来るんだから。……と、最後の方は良く聞き取れないながらも、前半部分に関してはかなり身も蓋もない答えを返して来るハルヒ。そのタイミングはまるで、俺とさつきの戦闘の合間を待ち構えて居た彼のような雰囲気。
 ただ……。
 成るほどね。異世界同位体であろうと俺は俺。肝心な部分は少しふざけて話をはぐらかして仕舞うと言う訳ですか。

 少し苦笑交じりでそう考えた刹那――
 俺の目の前に湯呑を差し出そうとして来たメイド姿の上級生。彼女自身は俺とハルヒの会話が一段落するタイミングを待って居た様子。その時、甘いコロンの香りと、横切って行く彼女の長い柔らかな髪の毛に僅かに心が動かされる。

 その瞬間――

「きゃっ!」

 
 

 
後書き
 忙しい時は体調を崩し易い、と言う事なのでしょう。
 それでは、次回タイトルは『ドジっ娘メイド技能?』です。
 
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