横浜事変-the mixing black&white-
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田村要は自分の結論を汚れた世界に導き出した
横浜某所 ビル屋上
隣の横浜マリンタワーが細い身を夜の街に浮かび上がらせるのに対し、彼らが陣取るビルは無骨でデザイン性はいまいちだ。二つの縦長直方体に横長の直方体を合体させたようなそのビルは一見マンションにも見える。本来、屋上は立ち入り禁止だが、彼らはそれを律儀に守るだけの倫理観を持ち合わせていない。
「……捉えた」
感情の籠もっていない小声でそう呟いたのは、組織の中で一番狙撃を得意とする工藤という男だ。チームB所属であり、他のメンバーが地上部隊として動いている中、彼だけは狙撃班の一人として今回だけ特別にチームCに組み込まれていた。
彼の小さな声を聞いた大河内は殺し屋に似合わない真剣な瞳を各狙撃員に向けて指示を出した。
「敵は裂綿隊。全員、識別延長スコープは忘れるな」
ここから山下埠頭の敵までの位置は約1キロ。通常の狙撃銃では射撃可能範囲に届けないので、彼らは専用のスコープを使用して狙撃を有利に持ち込む。掃除機の末端みたいな筒状を形成したそれを、狙撃隊員は銃のスコープを外し、剥き出しになったスコープ部分に取り付ける。細長い突起が多いその狙撃銃は従来の物とはまるで異なった歪な形に遂げていた。
「狙撃用意」
その声に応じて、彼らは一斉に山下埠頭に銃を向ける。膝付きの体勢で銃先をビルの淵に固定し、狙いを定める。それから数十秒の空白を置いてから、大河内は狙撃隊員に対して命令した。
「撃て」
*****
同時刻 山下埠頭
「ぐおぁっ!?」
裂綿隊の一人が奇怪な声を上げて地に倒れる。突然の事態に彼らは襲撃の単語を思い浮かべ、すぐに行動を起こすのだが――数秒後に放たれた行方も知れぬ位置からの攻撃に、何人もが行動不能に陥った。
しかしそれらが予測されたものだというのは誰もが既知の事実だった。
――来たか。
要は計画の一部が再び実行に移されたのを実感し、一瞬だけ横浜マリンタワー付近を見る。そして他の仲間達と共に近辺の建物へ身体を滑らせた。彼の脳裏に次の流れが浮かび上がり、そちらの方を見やる。
そこには予想通り山下埠頭内に進入してくる黒いバンの姿があった。要は手にバタフライナイフを収め――先ほど敵からの襲撃があった場所に向かって走り出す。建物から顔を出し、そこで起こっていた事態を見て少しだけ微笑んだ。
敵からの狙撃はもう無い。これも計画通りだ。そして今自身の目に映るのは、枝毛の目立つ女性が『撃たれた筈の』敵を前にして狼狽えている光景だった。
――こっちは撃たれた連中で何とかなるだろ。なら俺はバンの奴らと戦うとするか。
今の行動は頭で描いた通りの行動を実際に目にするためだけのものなので別段意味はない。ただ自分の関わる計画が滞りなく進んでいるのを見て安心感を味わいたかっただけなのだ。
要は心中に募る安堵を感じながら、軽い足取りでバンの中にいる敵の元へと走り出した。
――そういや『アイツ』が言ってた片手撃ちの奴って誰だ?昨日俺が見てない奴らか、もう死んだ奴か……。
――ま、そんな感じの奴がいたら殺そう。
残酷な言葉を胸の内で唱え、要は敵陣へと駆け抜けていく。
その『片手撃ちの殺し屋』が先ほど口に出して呟いた少年の事だとは考えもせずに。
*****
宮条麻生は目の前で起き上がる敵達を見て、猛烈な疑問と焦りを頭に叩き出していた。
――何で、何で撃たれたのに死んでない……?
大河内率いる狙撃班からの攻撃に、裂綿隊の何人かは確実に銃弾を背中に受けていた。それを自身の目で見届けたからこそ、後方で構えていた仲間に合図を出したのだが――
――わけが分からない。1キロも離れた地点からの精密な狙撃。それをマトモに食らった筈なのに。……血すら出ていない。
まさかゾンビ、などという陳腐な事を考えてしまい、宮条は心中で自分を叱咤した。そんな異形はこの世に存在しない。
彼女は人間が作り出した裏世界での知識を掘り返していき、やがて一つの可能性に辿り着いた。
――防弾チョッキ。暴力団に雇われている連中の集まりなら試作品を譲渡して貰っている可能性も高いわ。
――けれど、これを付けているという事は……。
そのまま憶測の域に旅立ちそうになる宮条だったが、事態はかなり深刻だ。すでに全員が復活し、銃を構えてこちらを睨んでいる敵達を視認し、彼女は思考を戦闘モードに切り替えて走り出す。
その瞬間、敵の殺し屋達が銃を発砲する。しかし次の瞬間彼らは予想だにしない展開を見る事となる。
宮条は前方から音速以上の速さで飛び込んでくる銃弾を高い跳躍で全て回避した。まるで猿のような身軽さで、優に3メートルは飛んでいただろう。
その時点で異常性は目に分かる程なのだが、彼女は音も無く地に足を付け、俊足の速さで一番近いところにいた殺し屋の元へと駆けた。
当の殺し屋は顔に疑問を浮かべ、銃を発砲した体勢のまま突っ立っていた。ようやく敵が自分を殺そうとしている事に気付いた時にはすでに遅く――宮条はいつの間にか右手に収めていた投擲用ナイフを殺し屋の首に突き付けていた。
悲鳴を上げる間も無く、裂綿隊の殺し屋は血液を噴水のように首から噴出させて絶命する。そんな仲間の凄惨な最期を前にして、他の殺し屋達は改めて敵を警戒したのか、数歩後ろに下がった。
「……やっと私を見たようね。女だからっていうのは、この世界では特に関係無いのよ」
そう呟いた宮条は刃に付着した血を地面に飛び散らせながら、酷薄な笑みをもって言葉を紡ぎ出した。
「貴方達が何を目論んでいるのかは、後々聞かせてもらうわ。そのためには顔と胴体と足は必要よね。足は切り離すけれど」
どうして足を残しておく必要があるのだろうか。宮条の言葉に素朴な疑問を覚えた殺し屋達だったが、その答えは本人の口から何気ない風に飛び出てきた。
「ちなみに、拷問中にお腹が空いたら自分の足を食べなさい。食糧を分け与えるつもりはないから」
*****
「予定通りアタック掛けるから、ちゃんと捕まっとけよお前ら」
宮条から携帯で合図を受け取った赤島達のバンは、左曲りの道の時点で少しずつ速度を上昇させていた。そして埠頭内に建てられた無数のビルや工場の一つから人の姿を確認した赤島は、運転手に対してキッパリ言った。
「あそこに隠れてる奴ら、見えるか?」
「はい」
「よし、んじゃ轢こう」
「り、了解」
『じゃ飲もう』的な明るい感覚で指令を下す赤島に動揺しながらも、運転手はアクセルを強く踏み込み、建物に隠れる敵目掛けてバンを走らせる。窓からの景色にブレが浮かんでくるのを見て、ケンジは背筋に冷水を浴びせられたような悪寒を感じた。
「これ、建物にぶつかったりしませんか……?」
意気のない声に赤島が敏感に反応する。
「それは運転手の腕次第だ」
「そんな!」
悲痛な声で叫ぶケンジに、隣で拳銃のチェックをしていたモヒカンが彼の肩をポンと叩き、
「何事も経験だよ、新人君」
「こんな経験はあまり欲しくないです!」
鋭い突っ込みを受けるものの、モヒカンの顔は依然として笑みを浮かべたままだ。そして運転席の方を指さして声を上げる。
「あ、敵だ」
その言葉を証明するかのように、彼らの乗るバンが何かに乗り上げてスピードが強制的に失速した。しかし、それでも目の前の建物に衝突しそうになり、ケンジは思わず目を瞑った。
だが運転手は寸でのところでハンドルを右に切って、建物との衝突を上手く避ける。とはいえ、完全に避けたわけではなく、左ミラーを根っこから損壊させてしまっていたが。
そのときバンの後方から何かが弾けるような音が連発した。恐らく敵の攻撃だろう。このバンが防弾に優れた車体でなければ、今頃タイヤを狙われて行動不能になっていたに違いない。
そこでバンは迂回するように車体を左に曲げていき、再度スピードを上げていく。もう一度敵の元へと突っ込む気なのだろう。
しかし相手もそう簡単にはやらせてくれない。
「全員何かに掴まれ!」
赤島がいつも以上に大きい声で呼びかけた瞬間、バンがこれまでで一番大きい衝撃を受けた。薄目から覗いた視界で分かったのは、バンが横に斜めっている事と、エンジン部から火が出ている事だろうか。
ドスン、という音と共に座席の下から強烈な圧力を感じる。椅子に勢いよく腰を下ろした時に似たその感覚に、ケンジはバンが態勢を戻したのだと結論付けた。
「あいつら、バンのエンジン部に簡易バズーカみたいなもん撃ち込みやがった!降りろ!」
赤島が大声でケンジ達に指示を出す。ケンジは赤島とモヒカンが銃で敵を牽制している間に、他の仲間達と共に近くの建物へと走った。二人はケンジ達が建物を壁にしたのを見届けた後、急いで彼らと同じく建物へと逃げてくる。
「走れ!」
赤島とモヒカンを待っている形で停止していたケンジ達だが、ここにいたらバンの爆発に巻き込まれる事を悟る。彼らは燃えるバンを遠ざけるように走っていき、背に爆音と軽い衝撃波を感じ取った。それだけで命が削らり取られていくような感覚に陥るケンジ。そのまま建物に沿って走り続けていると隣の道路に出てきた。
そこで遠い前方で長髪の女性が複数の敵を相手取って戦っているのが見え、ケンジは思わず息を飲んだ。
「あれ、宮条じゃね?」
モヒカンが疑問を滲ませた言葉を吐き出す。
港用のライトが辺りを照らす中、血の飛び交う殺し合いの中心にいるのは宮条麻生だった。
それを確認した赤島が、ケンジやモヒカン達に指示を飛ばしていく。
「館林と暁は宮条を援護しろ。俺達はその辺にいる裂綿隊の連中を叩く」
「了解」
チームがさらに分担されたそのとき、左斜め前の建物から敵が飛び出してきた。敵は六人。それに対して赤島達は三人で挑む事になる。
「うわぁ、久しぶりに死ぬ感が出てきた」
「赤島さんそんな事言わないで下さいよ!」
赤島の弱音で不安が釣られたのか、モヒカンがやや顔を引きつらせながら叫ぶ。赤島はそれにニヤッと笑い、ケンジ達の動きを援護する形で銃を撃ち始めた。モヒカンはケンジに「今のうちに行くぞ!」と言って先頭を切って走り出した。
無事に敵の射程範囲外に達したケンジ達を見送ってから、赤島は無口なメンバー達に対してこう言った。
「俺達が遮蔽物に隠れたら暁達が挟み撃ちされちまう。お前らは俺との距離を2メートルにキープしながら敵に攻撃しろ」
「……赤島さんは」
「俺は敵の近く行って適当に頑張るわ」
あまりに主体性のない言葉に、感情表現に乏しい彼らでさえ顔に戸惑いの色を見せている
そんな彼らに対し、ベテランの殺し屋は自嘲気味の言葉を呟いてから敵の元へと踏み込んでいった。
「大丈夫だって、歳取った分だけ狡猾なんだからよ」
*****
裂綿隊としての仲間である殺し屋が目の前で轢き殺された。あともう少し自分も前にいたら、上限速度を無視したあのバンの餌食になっていたかもしれない。そう思うと苛立ちでは無く純粋に安堵が湧いてくる。
――俺はまだちゃんと戦っていないからな。
――あの金髪野郎の首狩っただけで納得出来るかよ。
***
田村要という人間は人を殺す事に何かしら魅力を見い出すような狂気性の持ち主ではない。とはいえ、刺激的なものが嫌いなわけでもない。
どうしてこの世界に身を浸しているのか。いつ頃から殺し屋をやっているのか。その理由を彼は覚えていない。気が付いたらここにいた。そんな感覚だった。
しかし自分が小学生の頃から周りとは違う事だけは分かっていた。何事もそつなくこなし、誰よりもクールな子供。それ故に彼の周りに人が集まるような事は無かった。
彼は最初、友達が欲しかった。そのためにいろいろな事に挑戦し、それらを全てクリアしてきた。見返りを求めたわけではない。ただ、頑張れば友達が増える。そう考えただけなのだ。
しかし彼の打算とは裏腹に、クラスメイトは彼を敬遠した。表向きでは笑みを見せていながら、裏では非難していた。それを知った要は、ここで初めて物事に対して『諦め』を覚えた。
そしてそれが、要の倫理を大きく捻じ曲げた。
人との結びつきは、どこかで途切れる。次に出会った時にはもう希薄な関係へと一転している。いつまでも仲が良いというのは、それこそ互いに仲を認め合っているからなのだろう。その人物にとって欠かせない存在となっている証拠だ。とても素晴らしい事なのかもしれない。
だが、やはり彼にとって人間関係というのは特定の期間だけ発生する中途半端で偽りのものだった。それを彼は身をもって経験した。故に、彼はこう解釈したのだ。
中途半端な生き方をする人間と一緒なのは嫌だ。
たった、それだけ。人間の繋がりから得られた理論は、あまりにも単純であまりにも悲しいものだった。
秀才で全てを完璧にこなし、矜持の強い彼だからこその結論。けれどそこには、自分が輪の中に入れなかった事に対する負け惜しみのようなものが含まれている事に、本人は気付いていない。
今、要が過ごす血生臭い世界は、自分にとって安心出来る居場所だった。それだけ聞けばやはり狂気に満ち溢れている。だがそれは彼が提唱する人間関係があるからこその結論だった。
この殺伐とした場所でなら、自分は自分の力を十二分に引き出せる。何故なら、自分よりも強い人間がいて、自分を認めてくれる人間がいるから。そしてその関係は自分が死ぬまで続くから。
田村要は殺人が好きなわけではない。ただ居場所と関係が欲しいだけなのだ。
秀才過ぎて歪んだ少年は、人殺しが常々である泥水のような世界で今日も安寧を実感しながら人を殺す。
誰か個人のためではなく、自分と自分の周りにいる人間の世界を守るために。
***
バンが無茶苦茶な急カーブで再びこちらに迫ってくる。さすがの要も車相手に身体を張れる程強靭な肉体はしていない。ここは一旦物陰に隠れようと足を動かしたのだが、周りの殺し屋が取った行動を見て、自分はまだまだだと反省した。
ここにいる殺し屋は裂綿隊の仲間ではあるが、考えようによっては『バンを潰す』と考えた個人が集まった集団とも言える。何故なら彼らは本来、個人営業の殺し屋だからだ。
『バンを潰す』という名目で他の殺し屋と行動を共にしている要。彼は目の前で二人組になって試作型対物用バスーカを構えている殺し屋達を注視していた。
「それ、どこから持ってきたんだ」
そう聞くと二人組のうち台になっている方が答えた。
「伊都木会。あいつらが外国の会社から引き取った試作タイプだってよ。何が起こるか分かんねえけど」
「そんなもん使うなよ……」
――お前ら大人だろうが。後始末は殺し屋統括情報局に任せるっつっても、これはさすがにニュースになる。
言葉には出さず、要が心の奥底で非難の言葉を呟いた。殺し屋統括情報局が一部の警察と癒着があるのはすでに既知の情報だ。この殺し合いも組織の警察によって塗り潰されるのだろうが、それでも武器の規模が大きすぎる。
しかし学生である自分が何を言っても無駄なのは承知済みだ。要は二人組から少し幅を開けて、その行末を見守る。数秒後、バスーカ砲が火を噴き、標的となったバンの方から爆発が聞こえてきた。
「あれ、威力低いな。おい、生き残ってんぞ」
「田村、手前働けや!」
「……」
答えるのも億劫になりながらも、再び彼らの方へと足を向ける。バンを見てみると、エンジン部を狙った結果さらに当たり所か悪かったのか、奇跡的に中が無事だった。とはいえ、あのバンに乗る事はもう出来まい。
「アンタらガラスにぶち込めよ。どんだけ下手くそなんだか」
「うっせえ!手前一人でやってみろよ!」
「ガキが知ってる口聞いてんじゃねえ。今は仕事しろ」
――俺もバカだよな。言っても無駄だって分かってんのにさ。
一人心中で愚痴りながら、敵に向かって銃を撃つ要。射撃技術はあまり芳しくないので、当たるとは思っていない。それを一度でも口に出したら他の殺し屋にバカにされそうだが。
そんな事を考えていると敵が建物に隠れた。近くには爆発したバンがある。だとすれば、彼らの行先は建物の反対側しかない。
要達は180度方向を変えて走り出した。建物を挟んだ敵とのレース。どちらが先に反対側に辿り着けるか。
徒競走でゴールするような形で建物の先から身体を出す。すると少し先には殺し屋統括情報局の殺し屋達が何か話していた。今なら狙える。そう感じて拳銃を向けた時、相手に気付かれた。彼らは二つのグループに分担して、一斉に駆け出した。一方が自分達に対し攻撃しているのは一目瞭然で、その一人が徐々にこちらに近付いている。
「あ?あの髭野郎、銃向けられてんのが分からねえのか?」
隣にいる殺し屋が手に持つ銃を連射させながら嘲笑と共に言葉を吐き捨てる。確かに、他の二人を置いて一人で接近しようなど無謀にも程がある。
そこで要の視界にもう一方のグループが飛び込んでくる。一人は茶髪のモヒカン、もう一人は――
――あれ?
――なんだ、あの横顔……。
モヒカン頭の後ろを走る殺し屋が、昨日目撃した制服姿の人物に似ている気がした。そう感じた要は、自分が憶測の中から掘り出した人物と脳内で照合してみる。
――やっぱり。
――あれって……暁ケンジだよ、な?
語尾が怪しくなったのは、尚も信じられなかったからだ。クラスで見る温和な少年が、自分と敵対する殺し屋。そんな夢想にも近い現実があるのだろうか?だが、現にあの殺し屋の横顔は彼に酷似している。
そのとき右耳の近くで自分の名を呼ぶ声がした。
「田村!」
「!?」
いつもとは違う慌てた仲間の声に、要の反射神経が脳内変換を超えるスピードで起動した。
右わき腹を凹ませるようにして身体を九の字に折り、腸を狙った銃撃を躱す。要自身、どこから銃弾が飛び込んでくるのか理解していなかった。悪運とは恐ろしいもので、時に誰もが予想していなかった事態を引き起こす。
それは相手にも同じようで、いつの間にか自分達と5メートル程しか空白を作っていなかった無精髭を生やした殺し屋は二ヘラと笑いながら要に声を掛けた。
「おいおい、そこは避けずにちゃんと当たってくれよ。それが倫理ってもんだぜ?」
「お前、どうやってここまで幅を詰めた。アンタこそ倫理を大事にしろよ」
「俺はまあ、ちょちょっとやっただけだよ。で、ここからどうする?降参して話す気になる?」
「何を?」
「何をって……本部も他の連中も気付いてないだろうけどよ、俺は気付いて……っと!」
敵が朗々と喋っている間に、要は相手の足目掛けて拳銃の引き金を引いた。だが無精髭はそれに気付き、勢いよく左足を上げて攻撃を避ける。相手は相当の手練れのようだ。常人ならば音速以上で放たれる銃弾を躱せたりはしない。
「くそっ、こいつさっきから俺らの攻撃避けやがって!」
隣で仲間の殺し屋が憎々しげに言葉を放つ。それに対して敵の殺し屋は笑いながら敵の脳天に狙いを定め――
「――――」
声もないままに絶息した仲間。そのとき要の視界には、額辺りから血の尾を引きながら後ろへと倒れる彼が映った。要が反射的に銃を相手の顔に向けたとき、もう一発乾いた音が木霊する。
今度はもう一方の仲間へ吸い込まれていった。腹部を押さえながら前のめりに倒れて呻く彼を見て、要は舌打ちする。
「……一気に片付けて追い込むって、性格悪いな」
「俺が喋ってる途中に撃ってきた奴が言う言葉かよ。つかよ、先手取るってのはこの世界での基本。常套手段だぜ?」
「普段は街の裏でコソコソしてるから、それしか出来ないんだろ。逆に」
「言ってくれるねえ。じゃあお前は表で人殺しするのかい?」
「まさか。でも、横浜を牛耳ってるつもりのアンタらは、俺達が好き勝手するのを嫌がるだろ?仮に俺らが街中で暴れても、ちゃんとポリの仲間呼ぶぐらいにさ」
「だろうな。まあ、そんな事する奴は俺達が消すまでだがな」
皮肉に皮肉で返しながら、互いを言葉で翻弄し合う。だが次の瞬間、要は左腕の裾から小型のナイフを取り出し、流れ作業でそれを敵の顔面に投げつける。
ダーツの矢さながらの勢いと凶器さが顔に向けて放たれるが、無精髭はそれを紙一重で躱す。しかしそれだけでは終わらない。
要は相手が顔をのけ反らせている隙にもう一本のバタフライナイフを右腕の裾から抜き出し、腹へ一直線に向かわせた。敵はその動きに気付き、急いで身体を捻らせる。
そして腹部に凶刃が吸い込まれると思われたそのとき――敵は自身の手でもってナイフを防御した。手の平は薄いとはいえ、ナイフの威力を弱めるだけの力は果たしてくれる。
それでもナイフが恐ろしい刃物である事には変わりない。殺し屋の右手は見事ナイフによって突き抜けており、手の甲から切っ先が覗いていた。
「……なに?」
相手の予想外だった動きに、さすがの要も訝しげな顔をして敵の顔を見る。ガクリと顔をこちらに向けた男は、少し息を荒くしながら呟いた。
「手なら……ちょっと治療すりゃ治る。腹は、死ぬかもしれねえし」
「……」
――これが、殺し屋統括情報局。
――あの金髪といい、コイツといい……。
「……そういうの、良いな」
「あ?」
今度は敵が目に嫌疑の色を浮かべてこちらを見ている。それを無表情で受け流して、彼は思いきりナイフを手から引き抜いた。
「っが……!」
敵の呻きは黙殺して、要は背を向けて歩き出した。今は気分が良い。あの男との戦いは次回に持ち越そう。要はフッと珍しく素の笑みを浮かべながらその場を離れた。
のだが。
後ろから息の荒い声が聞こえてきた。
「……で、お前らは何がしたい?」
敵の発した言葉の意味が分からぬとでも言うように、要は相手の顔を見て言った。
「何が?」
「隠しても無駄だぜ。お前、今、時間稼ぎしたろ」
「……」
「何が目的なのかは知らねえ。けど、変な事に首突っ込んでんなら……」
「……早く手当しないと、死ぬぞ」
そう言って、仲間の死体は見捨てたまま要は今度こそその場から姿を消した。途中、別の場所で行われていた殺し合いがチラリと見えたが、入り込むのは止めた。あそこに行けば気になっている殺し屋の正体が知れるかもしれないが、それも次回のお楽しみにしておく。
要は脳裏で数分前まで殺し合いをしていた男の顔と言葉を思い浮かべながら、心の中で呟いた。
――ああそうだ、俺は時間稼ぎをした。
――『アイツ』の計画通りなら……これからが本番だ。
少年は感情を通さぬ鉄仮面の裏で、近い将来に確かな楽しみを感じながら、夜の街へと消えて行った。
「……でも、あの殺し屋は本当に誰なんだ?」
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