あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.
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06
小河内ダムに見下ろされた多摩川第一発電所。
その内部、二基の巨大なフランシス式発電機を囲む様にして、人質たちが数珠繋ぎに拘束されている。
三十八人いた人質は、一人減って三十七人になった。
全員が顔に麻袋を被らせられて表情は窺えないが、俯き震え、恐怖が全身の汗腺から汗と共に噴き出している。
彼らを取り囲むのは日本山林保護戦線が三人と、御堂が雇った密入国者が八人。
そして御堂と、日本山林保護戦線のリーダーの相野という男。
相野は唾を飛ばして御堂に詰め寄っていた。
「どうして勝手なことをした!? 人質は極力殺さないと言っていたじゃないか!」
彼は御堂が人質を突き落としたことに、激昂していた。
もともと日本山林保護戦線は、テロリストとは言っても穏健派。
特に最近はダムや高速道路の建設を邪魔しに行くことはあっても、人を傷つけるような活動をすることは無かった。
今回も人は出来る限り殺さないと、実行前に決めていたはずだ。
にも関わらず、御堂は早速人質を殺害してしまった。
「だから一人しか殺さなかったじゃないか」
御堂が不思議そうな顔をするのを見て、相野はこの計画に乗ったことを後悔した。
そもそもこのダム占領計画も、御堂が彼らに持ちかけてきた話だ。
長年弱小団体として日本国内で燻り続けていた自分たちに、御堂は目も眩む様な資金と、大量の武器と、共に戦う人間。そしてダム占領計画とそれを実行する行動力を持ってきた。
爆破テロなど自分たちの手に余る。荒唐無稽だ。
初めはそう感じていたはずだった。
だが御堂と話をしているうちに、何故か自分たちには何だって出来るような気になり、そして崖から転がり落ちる様に現在の境遇にある。
まさに、口車に乗せられた。
御堂は蛇だ。巧みな言葉で、そして金で出来た果実で人の心を惑わせる。
気付いた時には、もう取り返しのつかない状況に陥っているのだ。
「一人殺しただけでSATの動きを止められたんだ。割のいい抑止効果じゃないか。
そうだ、これを渡しておく。ダムに仕掛けた爆弾の起爆装置だ。ここぞという時に使え。
テレビのリモコンみたいに失くしたりするんじゃないぞ」
御堂は安物の携帯電話を相野に手渡す。
これに登録されている番号に通話すると、仕掛けられた高性能爆薬がダムを吹き飛ばすのだ。
そんな危険な物を、本当にテレビのリモコンのような気軽さで持たされて、脂汗を全身から滴らせる相野と対照的に、御堂は気楽そうに笑う。
「御堂さん、応急処置終わりました」
御堂の連れの青年が、全身血まみれになって駆け寄ってきた。
彼は今まで負傷者の手当てをしていたのだ。
御堂は頷き、相野を置いて処置の手際を確認しに行く。
「どこまでやった?」
「とりあえずの処置はしましたけど、ここじゃ止血までですね。
ていうか御堂さん、SAT滅茶苦茶強かったじゃないですか! 素人って言ってたのに!」
「お前……SATだぞ。日本屈指の戦闘のプロだ。
私が言ったのは、戦争の素人って意味だ。立て籠もり犯の相手が主任務だから、先制攻撃されることに慣れてないって事だよ」
「先にそれを言ってくださいよ……油断して死にかけたじゃないですか」
血に塗れた青年、天城健太郎は憮然として口を尖がらせた。
彼の野戦服の肩口が、銃弾の擦過で破れている。確かにあと10cm横にずれていたら、喉を貫かれて死んでいただろう。
「まあ、死ぬ奴は何をしてても死ぬから気にするな。それよりどうだった。初めての実戦は」
「怖いの半分、なんだこんな物かって気持ちが半分ってところですかね」
「ま、それが分かったならお前を連れてきた甲斐があったよ……お前包帯巻くの下手だな!」
映画に出てくるミイラの様にグチャグチャに巻かれた負傷者の包帯に、御堂は思わず突っ込んだ。
天城には色々と戦場のイロハを教える必要があるから衛生兵の役をやらせてみたが、これだと一人前になるまでに死傷者で一山築けそうだ。
天城はさらに唇を高く尖らせ、包帯を解いて巻きなおす。
その雑な手際に、負傷者が呻きを漏らした。
「それで、これからどうするんですか?」
「お前は包帯巻きなおしたら、撤退だ。今なら狙撃手も撃ってこない。教えた通りに山を抜けろ」
「分かりました。御堂さんは?」
御堂は釣り糸を巻き上げる様な仕草をして、一笑。
「釣った魚を見てから帰る」
一人目の人質が殺されてから四十二分後。
緊迫し、膠着した多摩湖周縁に動きがあった。
初めに気付いたのは、浅間神社で特Ⅱ型輸送車の周りを警邏していたSAT隊員だ。
黒塗りのホンダ・ハイエースが二台、境内に入ってきたのだ。ガラスにはスモークが掛けられており、中を窺うことは出来ない。
「停まれ!」
SAT隊員の停止命令に従ったのか、ハイエースはSATが乗ってきた特Ⅱ型輸送車の前に停車する。
SAT隊員はMP5を構え、すぐに発砲出来る様にセーフティを外し、トリガーに指を掛ける。
先頭のハイエース。その助手席の窓が開いた。
中から伸び出た二つの手。右手には白い紙が二枚。
続いてドアが開き、助手席にいた者が両手を挙げながら出てきた。
黒い戦闘服に同色のタクティカルベスト。フェイスマスクで頭部を覆い、その上からメガネを掛けている。大腿には拳銃が収まったホルスター。所属組織を表すワッペンも見当たらない。
どう控えめに見ても、堅気の連中ではない。
「何者だ?」
「政府の人間です。これが指令状。君の指揮官に通していただけますか?」
若い、柔和な女の声だ。
SAT隊員は銃口を黒衣装に向けながら、掲げられた紙を見る。
確かに警視庁公安部の証印が押されていた。
「待っていろ」
SAT隊員は一応銃を降ろすが、警戒は解かずに黒づくめの女に身体の正面を向けながら、輸送車のドアを叩く。
「どうした」
指揮官のSAT隊長がドアを薄く開く。
「おかしな連中が来ました。警視庁の指令状を持っています」
「来たか……」
隊長は顰み面を作る。そして渋面のままドアを開き、黒装束を車内に招き入れる。
「どうも。これが指令状です。ご確認ください」
彼女は隊長に指令状を手渡し、内容を把握するのを待つ。
「…………了解した」
黒く物々しい出で立ちに、車内のSAT隊員たちはギョッと凍り付いていたが、
「では現時刻を持って、この現場の指揮権は我々に移ります。よろしいですね?」
女の言葉で熱り立った。
「お前、いきなり来て何を……!」
「止めろ!」
抗議に立つ隊員たちを指揮官は諌める。
「…………よろしく、お願いします…………!」
搾りたての苦虫の体液を千匹分飲み干した様な憎々しげな声で、錆固まったブリキ人形の様なぎこちない動きで、ゆっくりと頭を下げた。
「はい。これより小河内ダム及び多摩川第一発電所の奪還作戦を決行します。
時間が無いので手短に。我々が突入するので、SATは後続して援護をしてください。それ以外のことはしなくて結構です。後は現場の隊員の指示に従ってください。
今から十分後に行動開始です。急いで準備してください。以上」
女は最低限の説明を矢継ぎ早に言い、一礼。輸送車から降りて行った。
何から何まで突然すぎて、SAT隊員たちは呆然とするのみだ。
「……行動開始! 早く動け!」
隊長に怒鳴られ慌ただしく動き始めたSAT隊員を背後に、女はハイエースへ戻る。
「坂崎、首尾は?」
運転手に問われ、サムズアップでSATとの顛末を伝える。二台の車両の戸を拳で叩いて降車を促した。
「作戦開始ですよー。降りてきてくださーい」
「うーっす」
間の抜けた返事をするのは、坂崎と同様の黒装備。
国立児童社会復帰センターの面々だ。
まず初瀬。
「うっすうーっす」
次に彼の腰ほどの身長しかない義体、タンポポが毬のように跳び出てくる。
続いて蔵馬とモモ、常盤とアザミ。そしてセンターの後方支援要員たち。
「はい、それじゃあ打ち合わせ通り蔵馬さんと常盤さん達は発電所。初瀬さんはダムの上を制圧してきてください。
今回も例によって生け捕りが目的ですので、間違っても全滅させないように」
「サキちゃんサキちゃん!」
手を挙げてピョンピョン跳ねるタンポポに、坂崎は膝を折って視線を合わせる。
「どうしたのかなタンポポちゃん?」
「一人残せばオッケー?」
「出来れば三人くらいは残してほしいかなぁ。あとテロリストのリーダーである相野賢治は絶対確保」
「オッケー! 了解!」
絶対に了解していなさそうな能天気な声でオッケーオッケーと連呼するタンポポの頭を、坂崎は優しく撫でる。
そのまま黒い兵士たちに穏やかに、たおやかに、のどやかに言った。
「それでは行動開始。国家の敵に血と鋼鉄の粛清を」
小河内ダム提頂天端は、テロリストが点けたライトに照らされ視界良好だ。
土のうが積まれたバリケードを眺めるのは、黒装備の二人組。
ブッシュマスターACRを肩に担いだ男と、ベネリM3ソードオフを背負ったチビ。
初瀬とタンポポだ。
この場を死守していたSAT隊員たちは、明らかに困惑していた。
この場を指揮するらしい二人組は、素性を明かさず、武器も日本の治安組織が持つ装備では無く、一人は大人の半分ほどの背丈しかない。しかもチビは散弾銃の他に、腰に軍用トマホークまで吊っている。
一体こいつらは何なのだ、という当然の疑問が彼らの脳内にふつふつ湧くが、自分から言わないならきっと機密事項なのだろう。
「ねーねーシンイチ、このマスク取っていい? 息し難い」
「ああ? 部長が被れって言ってたんだし、取っちゃダメだろ」
言ってる間に、タンポポは頭をすっぽり覆うマスクを脱いでしまった。
出てきたのは、髪の短い、小動物めいた風貌の少女の顔だ。
「な!?」
「……あー、これ機密事項な。部外秘」
どよめくSATに、初瀬は口に人差し指を当ててシーッと仕草を見せた。
「んで、どうすんのシンイチ。突っ込む?」
「そうだな……」
突っ込んでもいいが、ただ突っ込めば間違いなく死ぬ。
遮蔽物のない直線の地形で、アサルトライフルの弾幕に晒されるのは自殺行為だ。
初瀬はSAT隊員に振り返る。そして彼らが持っていたバリスティック・シールドに目を付けた。
無言で一つ手に取り、持ち上げて重さを確かめる。
「これくらいなら大丈夫か。なあおい、この盾のNIJ規格は?」
「レベルⅢです」
話を振られたSATが答えたNIJ規格とは、防弾性能の国際規格のことだ。レベルⅢだとライフル弾にも耐えうる防弾性能を有する。その硬さは先ほどの戦闘でも実証済みだ。
「よしよし、これ借りるぞ。タンポポ、持てるか」
「何これ、盾? ……うわっ重っ!」
初瀬が両手で抱え渡したシールドを、タンポポは重いと言いつつ片腕で持ち上げた。
レベルⅢのバリスティック・シールドともなると、重量は15kgを超える。義体でなければ出来ない芸当だ。
テロリストもこちら側で動きがあったのを悟り、小銃を構える。
その射線上。
右手にM3を、左手に盾を携えたタンポポは、天端の口に立った。
「行け!」
初瀬が告げるなり、タンポポは並ぶ敵に疾走した。
同時に噴いたAK-47の銃火に盾を掲げ、弾を防ぐ。
彼女の後ろでも初瀬とSATの銃撃が始まり、タンポポの頭上に左右に弾丸が飛び交う。
義体の脚力は約五十メートルの距離を五秒で縮めた。
土のうの前に迫ったタンポポは、上に跳んだ。
弾幕を、土のうを、テロリストを眼下に超えて、擦れ違いに散弾を放つ。
鉄粒の雨に降られ、一人肉微塵になった。
テロリストのすぐ後ろに着地し、踵で回る。遠心力を乗せてシールドで横に薙いだ。
盾の打撃を食らい、テロリストが二人まとめて吹っ飛ぶ。
一人は運よく堤縁のコンクリート塀に叩き付けられ失神しただけで済んだが、片方はダムの断崖に吸い込まれ、悲鳴を上げながら落下していった。
防壁の後ろを取られたテロリストたちは慌てて銃を反すが、タンポポに向く前にM3の射撃。射撃。射撃。
ソードオフされ絞りのない散弾は爆発的に飛散し、テロリストを四人、瞬時に肉塊に変えた。残り二人だ。
AK-47の銃口がタンポポに追いついた。
シールドを前に構えて攻撃を弾き、盾の陰から三連射。
テロリストは血をまき散らしながら千切れ飛んだ。
背後から銃声。
堤縁に叩き付けられて気を失っていたテロリストが、意識を取り戻して撃ってきたのだ。
だが狙いも定まらない射撃はタンポポの遥か右方を通り過ぎ、AK-47は弾を撃ち尽くす。
テロリストは慌てて替えの弾倉を装填しにかかった。
それに、返すようにタンポポはM3を向けて引き金を引く。が、何も出てこない。こちらも弾切れだ。
リロードはAk-47の方が早い。
テロリストは勝ちを確信し笑みで唇を歪めた。
だがタンポポはリロードなどせず銃を手放し、腰のトマホークを抜いて投擲した。
頭蓋骨ごと脳幹を叩き割られ、テロリストは笑みのまま死亡した。
小河内ダム堤頂部の戦闘が終わった。
血と肉が四散する戦場に佇むタンポポに、初瀬が走り寄ってきた。
タンポポは笑顔を弾かせ、テロリストの頭に刺さったトマホークを引っこ抜く。
脳漿をボタボタ滴らせ、斧を振り回す。
「どうだったどうだった!? タンポポ格好良かった!? ねえねえ!」
「めちゃ格好良かったぜ! アクション映画みたいだ!」
「でしょー! てしょでしょー! 最後斧がいい感じに刺さった時は自分で
も『格好いい~!』って思ったもん!」
はしゃぐタンポポの頭を乱暴に撫でながら、初瀬はインカムで坂崎に通信する。
「――こちら初瀬。小河内ダムの制圧完了。捕虜は蔵馬さんか常盤になんとかして貰ってくれ」
タンポポたちがダムを攻撃したのとほぼ同時刻。
多摩川第一発電所でも、センターとテロリストの攻防が開始していた。
発電所は背に切り立ったダムの提体があり、発電所の正面には橋が一本かかっている。
発電所に侵入するにはこの橋以外に道は無く、故に最もテロリストたちの防御が厚い。
その橋の防衛ラインが突破され、戦場は発電所内に移りつつあった。
「ほら、敵が来たぞ。迎え撃て」
残り少ない戦闘員たちを発電所入り口に向かわせ、御堂は逆方向、人質を拘束しているタービンフロアに入って行った。
先ほどから聞こえる銃声は、SATのMP5ではない。何種類かの異なる音だ。
M4カービンとMG4。他は聞いたことが無い。
「釣れたぞ……!」
銃の種類はどうでもいい。
今、この場に日本の警察にも自衛隊にも配備されていない銃器が持ち出されている。
つまり公ではない政府の組織が動いているという事だ。
御堂が起こした、このダム占拠作戦。
この男の目的はダムの解体でも、環境開発の阻止でも、国内の弱小組織の手助けでもない。
政府が設立したと思われる、非公式組織が本当に存在するのか確認するためだ。
その為に、扇動家に連絡するのに使った、普段なら絶対に二度使わない公衆電話で日本山林保護戦線に連絡を取った。
件の扇動家を攫った組織があるのならば、扇動家との繋がりに気付いて、この事件に介入しようとするはずだからだ。
結果、思った通りにやって来た。
マスコミに情報を流させなかったのは、非公式組織であろう連中が出てきやすいようにする為。
ダムに爆弾をしかけてタイムリミットを設けたのは、警察に時間をかけた包囲戦をさせない為。
人質を殺して脅しをかけたのも、事件の即応性を増して組織の出動に大義名分を作ってやる為。
こうして散々金と人命を掛けて御堂が仕掛けた釣り餌は効果を発揮し、狙い通りの大魚を釣り上げたのだ。
政府の非公式組織が存在することは分かった。
想定よりも大分早い登場だったが、それだけ身軽な組織ということだろう。
後は釣った新種の魚がどんな姿をしているのかを一目見て、さっさと退散しよう。
そんな御堂の思惑など露程も知らない日本山林保護戦線の者々は、囮の羊にされた事にも気付かずに迫る敵と戦っていた。
「あああ……!」
相野の隣で銃を乱射していた古株のメンバーが、額を撃ち抜かれて絶命した。
戦闘員は相野を入れて、もう三人しか残っていない。
やはりダム占拠など無茶だった。
自分たちはしがない環境活動家として、細々と生きていれば良かったのだ。
御堂と関わったばっかりに。
御堂にさえ。御堂にさえ出会わなければ。
「御堂おおおおおおお!!!」
戦いが始まったと思えば姿を消した男の名を、相野は憤怒に満ちた声で呼んだ。
しかし返事は返ってこず、来るのは敵の弾幕だけだ。
相野のAK-47が弾を切らした。同じタイミングで残り二人の仲間が弾丸を受けて冷たい床に伏した。
もう負けだ。これ以上は戦えない。
このまま一人で戦っても、殺されるだけだ。
では降参するのか?
降参して捕まったとしても、自分はこの事件の主犯だ。
殺人か、国家反逆罪か、とりあえず何かしらの罪で死刑になるだろう。
「う、ううううわああああ!」
相野は仲間が落としたAK-47を拾い上げ、弾を撒き散らしながら後ろに逃げた。
廊下を曲がり、階段を登り、とにかく施設内を逃げた。
そしてたどり着いたのは、発電所の屋上だった。
逃げ場はない。小銃の弾ももう空だ。
捕まったら殺される。
ダム占領前は死を覚悟したはずなのに、今は死ぬのが恐ろしくて堪らない。
何かないか。何か、何か……。
「動くな!」
相野を追ってきたのは、ドイツ製短機関銃MP7を構えた常盤だった。後ろにはSAT隊員が連なっている。
機関銃の照準を相野に合わせ、投降を促す。
「投降しろ。両手を挙げて、地面に伏せるんだ」
常盤の声に、相野はゆっくりと振り返った。
そして両手を挙げる。が、その右手には小さな箱状の物が握られていた。
安物の携帯電話。爆弾の起爆スイッチだ。
「お、おお前らこそ動くな! 動いたらダムを爆破するぞ! いいか、全員銃を捨てて退け! 出ないとダムごと全員爆は―――」
相野の言葉を遮るように、銃声。血飛沫。そして悲鳴。
携帯電話を持っていた相野の右手。その手首から先が撃ち抉られて飛んで行った。
痛みに膝から崩れて悲鳴を上げ続ける相野を、常盤は慣れた体捌きで組み伏せる。
ベストから出した手錠で左手と、右手が無いので左足首を繋ぎ合せた。
その様子を眺めていたのは、山の傾斜で一部始終を観察し続けていた石室とムラサキだ。
樹木の陰。人質が殺された時から寸分違わない座射姿勢。
一時間近く、延々同じ姿勢で、いつでのタイミングでも撃てる姿勢で、耐え続けていた末の一射だ。
ムラサキが構えたステア―・スカウトの銃口からは、薄く紫煙が上っている。
「やるわね、ムラサキ。上手くなったじゃない」
「……うち狙撃好きやから」
蔵馬はモモとアザミを連れて、発電所を奥へ奥へと進んでいた。
残存の敵戦闘員はいないようで、一発も撃たないままタービンフロアに辿り着いた。
タービンを囲んで縛られた人質の一団は、見た感じでは無事なようだ。
「クラマさん、人質がいます」
ドイツの軽機関銃MG4を掲げたアザミが、人質に寄って行こうとするのを制する。
「アザミ。人質の解放はSATに任せて、残りのテロリストがいないか警戒しろ」
タービンフロアは天井が高く、水車と水が通る太いパイプ以外はすっきりとした造りになっている。
身を隠せそうな所は無さそうだ。
モモがフロアの最奥、外へ出られる裏口を見つける。
「裏口がありますね。ここから逃げたんでしょうか」
「だとしても、この先はダムの壁と天端に続くエレベーターだけだ。
上はさっき初瀬たちが制圧したらしいから、そっちに逃げてたとしても袋の鼠だな」
言いながらクリアリングを完了させ、蔵馬を構えていたM4カービンを下げた。
どうやら常盤が追って行ったテロリストが最後だったようだ。
発電所の外での戦闘で、既に二人のテロリストを捕縛している。後は警察に現場を明け渡して、作戦完了だ。
一応人質の人数確認だけしておく。
「人質は何人だ? 全員いるか?」
義体二人に尋ね、彼女らは二手に分かれて人質を数える。
「一、二、三………………三十五、三十六、三十七人です」
「三十七、三十七…………っ!?」
人質は事件発生時で三十七人。一人殺されて三十六人のはずだ。
一人多い。
「気付かれたか」
男の呟き。
声が耳に届き、蔵馬の眼がその主を探そうと巡る。
「ぐっ!」
しかし見つけるより先に、銃声と、胸と腹に重い衝撃が来た。
撃たれた。そう直感し、ともかく射線から身を逸らすために地へ転がる。
二発目の弾丸が蔵馬の傍を通り抜け、マズルフラッシュが暗いフロアの中で燃えた。
近い。十メートルと離れていない。
やはり人質の円の中。コルト・ジュニアを握っている者がいた。御堂だ。
周りの人間と同じ青い作業着を着て麻袋を被っているが、目の部分に穴があけられている。
人質の中に紛れて、隙を突くつもりだったのだろう。
蔵馬は、まんまとしてやられた。
「クラマさん!」
三発目から蔵馬を守ろうと、モモは猫のような俊敏さで二人の間に入った。
そしてタボールを構える。
モモの指がトリガーに掛かるより先に、駆け寄ってきた御堂に銃身を蹴られた。タボールはモモの手を離れてクルクル宙を舞い、配管の裏に落下した。
蔵馬とモモを見下ろす御堂は、拳銃を二人には向けずにMG4で狙いをつけていたアザミに発砲した。
連続射撃の一発がアザミの頬を裂き耳を射抜く。
25口径の小さな傷だが、それでもアザミの射撃を一瞬遅らせるには十分だった。
「それでは失礼」
手の平サイズの拳銃で作ったほんの一瞬の隙に、御堂は身を翻して脱兎の如く裏口へ走り抜けた。
蔵馬の胸の一発が無線機を砕いてしまっていて、他の職員と連絡が取れない。
このまま行かせては駄目だ。
蔵馬の本能が最大級の警鐘を鳴らす。
「追え!」
「でもクラマさん、撃たれて!」
「25口径なんて効かん! いいから行け!」
怒鳴り声に近い蔵馬の命令に、モモはそれ以上言わずに御堂を追った。
モモよりも数秒早くに逃走を図った御堂は、既に裏口に辿り着いていた。
ドアノブを捻りながら、作業着の裏に隠しておいた閃光手榴弾を二個取り出し安全ピンを抜く。
ドアを潜ると同時に、一つを宙高くに放り投げた。
約一秒後、強烈な発光が一帯の闇を白く塗りつぶす。外から発電所を見張っていたムラサキたちも、屋上で相野を拘束していた常盤とSAT隊員も、思わず目を覆った。
瞳孔の開ききった夜の眼に、この光は痛みすら呼び起こす。
外の人間の視界が奪われたこの数秒間。御堂は発電所の裏庭を通り抜け、二個目の閃光手榴弾を投げる。
こうしてムラサキたちの狙撃を躱し、ダムの排水溝上部にある通路に入った。この通路はダム内部に造られた、天端の展望塔に繋がるエレベーターに続いている。
薄暗く冷えた空気に満ちた通路を中ほどまで走った。あと数十歩でエレベーターホールだ。
「――!」
硬い足音が迫るのを、御堂の耳が捉えた。
首を後ろに捻ると、硬いブーツの裏が見えた。
モモのドロップキックだ。
「おっとっと」
寸でのところで蹴りを躱され、モモは御堂の前に転がるように着地した。
蹴りを避けはしたが、御堂も体勢を崩して走りが停まる。
「派手なことするじゃないか」
「黙れ……!」
モモは腰を低くして、エレベーターへ続く通路を塞ぐ。彼女を排除しなければ、御堂は前には進めない。
ここで御堂を足止めしていれば、応援が駆けつけて作戦は終了だろう。
だが。
モモはマスクの下で犬歯を剥き出して怒りを露わにし、御堂に殴り掛かった。
「よくも!」
大振りの拳は御堂のスウェーで簡単に躱される。
「よくも!」
当たらなくても、拳を振り続ける。よくも、と歯を軋ませながら、殴り続ける。
――よくもクラマさんを撃ったな……!
担当官を撃たれた怒りが、モモの行動を単純化させる。
「何を怒っているんだ?」
単調な空振りの殴打に合わせるように、御堂のコンパクトなストレートがモモの顔面を穿った。
「人質を殺したことか?」
挑発的に言葉を重ねながら、モモの顔を滅多打ちにする。
「アザミと言う背の低い、君の仲間を撃ったことか?」
脳を揺らされ、モモの動きが鈍る。
「それとも、あの男――クラマだったか? 彼を撃ったことか?」
的も同然となったモモの鼻頭に、強烈なストレート。
「っぷぁ!」
「ところで」
鼻血を吹いて仰け反るモモのフェイスマスクを掴み、
「私は君たちの事が知りたいんだ。クラマに、アザミ。そして君の名前は何だ?」
剥いた。
つるりと艶やかな黒髪の滝が零れる。
赤く腫れ、鼻血を垂れ流した酷い顔でもなお、美しいと感じさせる端正な、そして十代にしか見えない未成熟な容貌が外気に晒された。
「……子供?!」
さすがの御堂も、子供の顔が出てくるのは予想外だったらしい。
面を食らって注意力が落ちた。
御堂は背後からアザミのドロップキックを察知できずにモロに受けて、身体をくの字に曲げて前に吹っ飛んだ。
「モモ! 大丈夫!?」
「だいじょびだいじょび」
「全然大丈夫な呂律じゃないよ……立てる?」
アザミの手を借りて、モモは膝に力を込めて立ち上がった。アザミもマスクを脱いで、顔の半面を血で黒く濡らしている。
「そうか、モモと言うのか」
モモと連動するように、御堂もムクリと起き上がった。
アザミの蹴りの直撃は、しかし大してダメージを与えていないようだ。
「君たち二人とも、もっとプロレスを見てドロップキックの練習をしたほうがいい」
言って投げたのは、三個目の閃光手榴弾。
光と音の爆発がモモとアザミの眼を奪い、御堂はエレベーターに向かって駆け出す。
二人の眼が闇を取り戻した時には、御堂は既にエレベーターの中に入っていた。
階数指定のボタンが押され、エレベーターの扉はゆっくり閉じる。
「…………化け物か」
しかし閉じきる前に、アザミの跳躍力が十数メートル離れた扉に一蹴りでたどり着いていた。
半開きの扉に体ごと突っ込んだアザミは、両開きの板を強引に開き、そしてその後ろからモモが御堂に飛び掛かる。
義体の体当たりを受けて奥の壁に叩き付けられ、御堂の肺は押し潰される。
腹にしがみ付き、両腕で締め付けてくるその力は、見た目どころか人の域を超えている。
肋骨と背骨が軋みをあげ、内臓が圧力に激痛を生む。
モモを引き剥がそうと御堂がもがく間に、三人をまとめて腹内に収めたエレベーターは今度こそ扉を閉ざし、ダムの天端へと昇って行く。
御堂は今日で一番の危機を感じていた。
ゴリラ娘にベアハッグされ、バッタ娘は腰のホルスターから拳銃を抜こうとしている。万事休すだ。
だから、少し本気を出す。
御堂は動く左足でアザミを蹴り、エレベーターの壁に押し付けた。
アザミが動きを制され銃を抜くのが遅れているうちに、モモの後頭部に両肘を振り下ろす。
「ぐぅ……!」
今の打撃で腕の力が緩んだ。アザミを押さえていた足を戻して強引にモモとの間に入れ、前蹴りの要領で蹴り放した。
銃を抜き終えていたアザミにモモをぶつけ、銃を向けさせない。
前蹴りで上がった左脚を踏み込みに使って半歩詰め、再度向けてこようとするアザミの拳銃を左手で払う。
そして右手ですくい上げる様に掌底をモモの顎に入れ、左手にあるアザミの腕を掴んで引き寄せ、腰を入れた右肘打ち。
側頭部にめり込んだエルボーがアザミの鼓膜を破いて耳から血が噴いた。
この肘打ちで御堂の全身に左回転がかかった。
その勢いを殺さず、右足を軸にして身体を左に回す。
右掌底と右肘打ち。右からの攻撃を受けていたモモとアザミはエレベーターの左側に寄っていた。
空いた右側のスペースに御堂は身体を滑り込ませる。
そして身体を一回転させて遠心力が乗った右フックを、モモの左頬に叩き込んだ。
拳と壁に顔面が殴挟される。モモの咥内から血に混じって歯が数本吐き出た。
二人が仲良くエレベーターの左面の壁に衝突し、そして狭い戦場となっていた箱はダムの天辺に到着した。
上昇が停まり、扉がゆっくり開く。
モモとアザミは血まみれになってエレベーターの床に崩れて、動く気配はない。
御堂は優雅に歩いて、エレベーターからダム提頂の展望塔に降りた。
「では、また会おう。モモ、アザミ」
エレベーター内の二人に笑顔で手を掲げ、懐からRGD-5手榴弾を二個取り出した。これが最後の武器だ。
展望塔の外には、SATと黒い戦闘服を着た連中の姿が見える。まだ御堂がここに上がってきたことには気付いていないらしい。
初めの閃光手榴弾に気を取られ、多くはダムの下を見下ろしている。
蔵馬の無線機が壊れたのは偶然だが、これが御堂の逃走を容易にしていた。運まで彼の味方であるようだ。
両手に持った安全ピンを抜き、外のSAT隊員たちに向けて投擲の姿勢を取る。
「ま……で…………!」
御堂の足首に、軽い衝撃。
ズタボロになったモモがしがみ付いていた。姿は弱弱しいが、膂力は健在。このままでは御堂の足首の骨が握り折られる。
「……。四秒だ。急げ」
手榴弾を片方、アザミがいるエレベーター内に放った。
レバーが外れ、信管が作動する。
一秒。
「ぐ――ッ!」
モモは御堂の脚から手榴弾に首を巡らし、手を放す。
二秒。
脳震盪が脚を上手く動かさせない。両腕で床を掻いて手榴弾を追う。
三秒。
人間離れの義体の筋肉は、辛うじて腕での跳躍を可能にした。モモの手が手榴弾に届く。
四秒。
エレベーターの外へ投げる。手榴弾は展望塔の窓を破って屋外に出た。
爆発が爆風と熱と破片を飛ばし、爆発音が小河内ダムに響いた。
展望塔の窓ガラスは、爆発に面した物全てが砕け散った。
爆音が外にいたセンターの職員とSAT隊員の視線を集める。
一連の様子を眺めていた御堂は、輝き散るガラス片の中で拍手と一笑をモモに送る。
「やるじゃないか」
そして、空いた窓からSATに向かって、御堂も手榴弾を投げてよこした。
精鋭らしく、彼らはすぐに手榴弾に気付き、殺傷範囲内から退避する。
だがその行動は、天端に警戒の空白を作った。
二度目の爆発に紛れて御堂は展望塔から外に出る。
その隙間を通って、御堂は天端を悠々と横切り、多摩湖に飛び込んだ。
水飛沫があがり、黒い水面が波打つ。
そしてそのまま、御堂は姿を消したのだった。
二台の黒のハイエースが山道を走る。
奥多摩の奥地へ沈むその車の他に、この道を走る物は無かった。
先頭のハイエースには捕縛したテロリストが乗せられ、次走の車内には傷を負った蔵馬とモモが、治療を終えてシートに身を預けていた。
作戦を終えてから、二人は一言も話していない。
ただ蔵馬は虚空の一点を睨み続け、モモは目を閉じ彼の隣にいる。
拳一個分。それが二人の間にある距離だ。
「……負けました」
ようやく出たモモの言葉は、敗北の宣言だった。
言って、モモの目尻に涙が玉を作る。
「負けました」
もう一度言い、貯まった涙が雫となって落ちた。
「私……義体なのに……素手の人間に……」
涙は止まらず、モモのすすり泣く声が車内を満たす。
義体なのに。戦うための兵器なのに。担当官を守る盾なのに。
戦いに負け、命令を守れず、担当官は負傷した。
今、モモは間違いなく、使えない兵器だった。
使えない道具はどうなるのだろう。
使用目的を果たせない道具は、一体何なのだろう。
――私は一体、何なのだろう。
「弱くて……ごめんなさい……ごめんなさい……クラマさん……ごめんなさい……」
この夜、少女の泣声が止むことは無かった。
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