あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.
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03
奥多摩。国立児童社会復帰センター。
山に囲まれたこの場所は、元は昭和末期の箱物建設ラッシュに建てられた野外活動施設だった。子供たちが楽しく自然と触れ合えるようにと作られた、どの都道府県にも二つ三つはあるアレである。
箱物行政の終焉と共に政府から切り捨てられて、長年売りに出されていたここを、再び政府が拾い上げて義体の研究施設として改築したのだ。
故にセンターの内装や備品は、野外活動施設だった頃の物がそのまま使われていたりする。
義体たちが寝泊まりする寮などは、特に流用品が多い。
秋葉原での仕事を終えて、モモが寮に帰ってきた時にはもう夜の九時を回っていた。
義体寮の二階。
蛍光灯に白く照らされた寒々しい廊下。
同じ形の扉が並ぶ、その中の一室。二〇二号室が彼女の部屋だ。
少し質素すぎるだろうか。
昼間ケバケバしいほど色とりどりな色彩を見たせいか、普段気にしたこともなかった寮の装飾に、つい意識が向いてしまう。アニメのポスターを貼ろうというわけではないが、もう少し、何か彩りが欲しい。ついでだから何だかんだで今まで一度も触れなかった部屋の内装も、少しいじってみようか。生後6ヶ月とは言え乙女の部屋に、ベッドと机と大型ロッカーだけというはかえって不健全である。まるで教育期間中の自衛官の部屋ではないか。明日クラマさんに相談してみよう。
「ただいまー」
「おかえりー」
自室に帰ったモモに返すのは、ルームメイトのアザミだ。二段パイプベッドの上段でうつ伏せになりながら、上身だけ起こす。
ふわふわのくせ毛をショートカットにした、やる気のなさそうな垂れ目の少女である。見た目の年齢は一三歳程度。高校生ほどの容姿に作られたモモと並べば、友人というよりは姉妹に見える。
モモのひとつ前に作られた義体で、仕事でも組むことが多い。昨夜の東京湾での仕事で、モモたちを狙撃で援護したのも彼女である。
「アザミ、昨日の狙撃凄かったね! 銃を持った手に一発!」
「凄いっしょー、私も正直当たるとは思わなくてさー」
怖いことを言ってくれる。
モモは空笑いしながらカーデガンを洗濯籠に入れた。中には昨日の負傷で血の付いた服以外の衣装と下着が詰め込まれている。明日は非番なので、まとめて洗ってしまう算段だ。ベッド脇のロッカーから洗面用具とタオルと寝間着を出し、
「アザミ、お風呂行こう」
ベッドの上でうだうだしているアザミに声をかける。
寮の浴室の使用時間は十時までだ。早くしないと風呂に入り損ねる。
「……ん? 私は、入りました、よ?」
ベッドから動こうともせず、アザミはすでに入浴は済ませたと嘯く。
モモは入浴グッズを机に置くと、不動の姿勢のアザミに鼻を近づけた。
「……硝煙臭い。どうせ昨日からお風呂入ってないんでしょ。ほら、行くよ」
「……いーやーだー!」
ミノムシのようにベッドに張り付くアザミを寝床から引き剥がし、彼女の不整頓なロッカーから適当なタオルと下着とTシャツを引っ張り出す。なお抵抗を続ける往生際の悪いアザミを器用に抱えて、モモは一階の浴室へ向かった。
アザミは顔を水に濡らすことを極端に嫌がる。
これは義体になる前に受けた心的外傷に寄るものであるらしい。条件付けを施せばこの症状も無くなるらしいのだが、日本政府は義体をなるべく長期的に使うつもりであるらしく、脳に多大な負担を掛ける条件付けは必要最小限しか行われない。
担当官の意向もあるが、それこそ昨夜モモがしたような、作戦遂行に影響を及ぼすようなことが無ければ原則条件付けはされないのだ。
それが、日本の義体運用である。
作戦遂行には影響なしと判断されたアザミの水嫌いだが、放っておけば彼女はいつまで経っても風呂に入らない。
いくらサイボーグとは言え身体の半分は人間のままである。汗だって掻く。訓練や仕事で汚れだってする。
要するに臭くなる。
アザミが野良猫のような臭いを放ち出す前に、風呂へ連れ込み洗浄するのが、センターでのモモの役割なのである。当初は大格闘の末に大根でも洗うかのような様相を見せていた二人のお風呂戦争も、今ではモモに軍配が揚がっているようだ。
慣れた手つきで嫌がるアザミの服をひん剥き、浴槽へ蹴り入れ、隙あらば逃げ出そうとするのをがっちりホールドして温まった後に、まるで気が触れたかのように大暴れする彼女の髪をさっさと洗ってからその痩躯もゴシゴシタオルで擦り、ボディソープをシャワーで流してから、やっと解放する。
部屋に戻ってグロッキー状態になったアザミのふわふわの髪を乾かしてやり、ようやくモモの仕事は終わるのだ。
これでも初めよりはだいぶ水にも慣れた方で、昔は頭を洗っている最中によくゲロゲロ吐いた。
「はい、終わり」
ドライヤーを切ってアザミの肩を叩くと、青虫みたいにベッドの梯子をもぞもぞ登って、再びうつ伏せの姿勢に戻った。
続いて自分の長い黒髪を丁寧に乾かしながら、モモは独りでに語り出す。
「今日は秋葉原に行ったんだ」
「…………へえ」
「凄い街でね、あちこちポスターとかいっぱい貼ってて、すごい派手だった
よ」
「…………へえ」
「そういえば、クラマさんたちがいつもいる事務室のコピー機とシュレッダーとコーヒーメーカーに名前があるんだよ」
「…………へえ」
「あとね、日本ってすごい平和なんだって。変だよね、私たちはいつも戦ってるのに」
「…………へえ」
モモは話し続ける。
独り言のようなでもあるモモの言葉に、アザミは返事をし続けた。
これが彼女たちの日常。彼女たちの、いつもの時間だった。
「というわけで、クラマさんが言うにはこの国は平和らしいですよ」
「ははは、蔵馬君らしいなあ」
渋谷駅前のスターバックス。アザミはスーツの青年と並び、熱いキャラメルマキアートに、ストローを刺してちゅうちゅう吸っていた。
隣の青年の名は常盤大輔。センターの職員で、アザミの担当官だ。柔和な風貌を持った美男子で、ホワイトモカを美味そうに飲む姿もキマッている。
「『これ』でも、平和なんですかね」
「平和の定義も人それぞれさ。『これ』も、まあ、ある意味平和な世の中じゃなきゃ出来ないことではあるよね」
駅前スクランブル交差点に面したガラス張りの席に座る、二人の眼下。
彼らが言う『これ』とは、スクランブル交差点内にひしめき合うデモ隊である。
老若男女が、参加と離脱を繰り返し、人の波を作る。その流れを堰き止めるのは、警視庁から派遣された機動隊だ。このデモは渋谷駅前までしか道路使用の許可が下りていない。もしここより先へ行こうものなら、屈強な警察官たちが取り押さえにかかるだろう。
しかしデモ隊の熱気は止まるところを知らず、それどころか次第に熱気から熱狂へとボルテージを上げつつある。
このままでは、いずれデモ隊と機動隊の間に何らかの衝突が起こるだろう。
それを察してか機動隊の隊員たちは殺気立ち、またその殺気がデモ隊を刺激する。
負の連鎖に陥った渋谷駅前。確かに蔵馬が言う平和とは乖離した光景だ。
一触即発のスクランブル交差点を見下ろしながら、常盤は甘いホワイトモカを口に運ぶ。
「蔵馬君にとっての平和じゃない状況っていうのは、日本国民が外敵から攻撃を受けている状況のことを言うんだろうね。軍人らしい考え方だ」
「ならトキワさんはどう思っているんですか」
「ん? まあ、元警察官の立場からだと、平和ではないね。それにこれ、広く言えば外敵からの攻撃だし」
アザミは敵という言葉に反応し、キャラメルマキアートの白い泡からデモ隊へと視線を変えた。
「このデモ隊には扇動家(アジテーター)が混じっている」
「アジ……何ですかそれ?」
「扇動家。一言で言うと盛り上げ屋さんだね。アザミちゃん、これが何のデモか知ってる?」
問われ、首を横に振る。
「何故デモが起こるのかは?」
再び横振り。
「なら順を追って話そうか。イタリアのジャコモ・ダンテは知っているね?」
「はい」
ジャコモ・ダンテ。
本国イタリアで数々のテロを実行した凶悪なテロリストだ。
イタリアで義体を運用していた社会福祉公社の主敵である五共和国派を率いて、去年一連の戦闘の後に身柄を拘束された。
彼がいなければ、イタリアは義体の運用に踏み切らなかっただろう。それほどまでにイタリア政府に大きな影響を及ぼした人物である。
「彼は起こしたテロで、世界中にメッセージを送ったんだ。『戦え』とね。そして、そのメッセージを受け取った人たちは戦闘を始めた。我々もイタリアに続け、と。ジャコモのテロ自体は失敗したけれど、彼が撒いた火種は、着実に世界中に燃え広がっている。イギリスのIRAやスペイン・フランスのETA、コロンビア革命軍、そして中東地域のイスラム系武装組織」
一旦区切り、ホモイトモカで舌を湿らす。
「中東でテロ組織が活発化したのがまずかった。他のテロ組織と違って、中東のそれは規模が桁違いに大きい。何とかしないといけないけれど、英仏西は自分の国が忙しい。イタリアは五共和国派との戦いが終わったばかり。すると動ける大国はドイツだけだけど、一国だけで行くのは嫌だから、出来ればアメリカを引っ張り出したい。
一方アメリカは、今軍事費を削減している真っ最中。またイラクの時みたいな泥沼の対テロ戦争に突入するのは避けたい。とは言えイスラム系テロ組織は反米を謳っているから、野放しには出来ない。ではどうする?」
「わかりません」
「アザミちゃん考えようともしなかったね……。まあ、ドイツと同じだね。参加者を増やして自分たちの負担を軽くしようとした。そして、アメリカのスケープゴートとして選ばれたのが、日本だ。
日本は今年集団的自衛権の行使容認を認めたから、アメリカが戦闘に参加すれば、日本も一緒に行かざるを得ない。これまで資金援助と後方支援のみを行ってきた日本が、とうとう戦争に参加することになる」
そして常盤は、外の群衆を指差した。
「そしてこれは、いわゆる左派デモだ。日本のPKO活動参加反対の人たちだね」
「話めっちゃ逸れた上に長いですね」
「ご、ごめん……」
しょげる常盤を無視して、アザミは話を戻した。
「それで、扇動家がどうしたんですか?」
「ああ、うん。日本ではデモ行進ってあんまり派手にならないんだ。警察が取り囲んで監視してるから、みんな結構冷静だ」
「でも、私が知ってる限りでは、デモって最終的に暴動に発展しているの多いですよ?」
「それはここ最近。ちょうど君たちが作られたくらいからのことなんだ。見てごらん。もう誰かが石一つ投げたら、デモ隊と機動隊の衝突が起きそうなくらい緊迫してる。少なくとも、ここ数十年はあんまり無かったことだ」
「つまり、扇動家がデモ隊を煽っているんですね」
「そういうこと。デモに参加する人たちは、多少の差はあれ心の中に怒りを持っている。扇動家は集団意識を利用してそれを突き、心のタガを外すんだ。これも一つのテロの一環だね。まあ扇動家はテロリストに雇われているだけだけど」
「なるほど。今日の目当てはその扇動家なんですね。テロリストとの繋がりがあるから。……あ!」
アザミが外を指差す。デモ隊の一人が、手に持っていたペットボトルを機動隊に向かって投げつけたのだ。
引き金は引かれた。
それからはもう、デモ隊が手に持っていたもの機動隊に投げつけ、封鎖された道路へと流れ込もうとする。機動隊もそれに応じて動きだし、人の奔流は渦を巻いて騒乱となる。
「あーあ、始まった」
「最初にペットボトルを投げた人が扇動家ですか?」
「違うよ。扇動家は煽るだけだ」
一瞬、常盤の目の雰囲気が変わる。森の全てを見渡す梟のような、動物的な目だ。
「…………いた、彼だ」
人が入り乱れてごった返すスクランブル交差点を一望する常盤の目が、あ
る一人の男を捕えた。紺色のシャツにジーンズの、どこにでもいそうな痩せた中年だ。男は暴動から逃げ出すデモ参加者に混じって、道玄坂通りに入って行った。
「彼だ。アザミちゃん! 追うよ!」
「はい!」
常盤はアザミの肩を叩いて、店外へ駆けて行った。アザミもそれを追う。
二つのカップだけが、店に残されていた。
騒然とする道玄坂通り。
騒ぎから逃れそうとする者と、騒ぎを見物しようと近づいていく者。そうして出来た人の渦を、常盤はするすると器用に進む。一方アザミは人波に弄ばれ、思うように身動きが取れていない。
「トキワさん!」
「アザミちゃん! こっち!」
常盤はアザミが伸ばした手を掴むと、一気寄せて、そのまま引いて行く。
背の低いアザミには周りがどうなっているのか把握出来ていないが、身長一八五センチの常盤は周囲から頭一つ飛び出しており、かろうじて目指す先が見えている。
前方、30メートル先に、扇動家の男がいる。彼も常盤と同じように、慣れた身のこなしで人混みを避けていた。
「トキワさん、どうしてあの人だと分かったんですか?」
「まあ色々だね。例えば今だって、彼はこの混雑の中を滞り無く進んでいる
よね。あれはこういった混乱の中を歩きなれている証拠だ。扇動家は一度場の空気が燃えたらすぐに姿を消さないといけないから、自然とああなるんだよ」
「もしかして、さっきの一瞬で探し出したんですか、トキワさん」
「そんな訳無いじゃない。彼はデモ行進中から目を付けてたうちの一人だよ」
道玄坂を半ばまで進み、扇動家は左の細い路地に入った。追って二人も路地に入り、ようやくすし詰めから解放される。人のいない路地の奥。この先は、
「入り組んだ路地だ。アザミちゃん、行って!」
命じられ、アザミは弾けるように走り出した。デニムのホットパンツから伸びる細脚が高速で回転する。
辛気臭い細路地の突き当り。落書きだらけのその場所に、スクーターが一台隠すように停められていた。
「待て!」
扇動家は駆けるアザミを眉一つ動かさずに一瞥する。何者か訝しんでいるようだが、動きは止めない。アザミを無表情のまま無視した。いち早くここから逃げることを最優先としている。
扇動家は素早くスクーターに跨ってアクセルを回し、路地に入って行った。
追って中に路地に入る。が、すでに先の角を曲がってしまい、姿は見えない。
アザミは目を閉じて、耳を澄ます。デモの騒音に混じって、エンジン音が小さく聞こえた。三時の方向。まだ数十メートル先だ。
瞼を開き、アザミは脇の塀を踏み台にして、縦方向に大跳躍。二階建ての建物に飛びついた。壁を蹴りあがり、屋根に取りつく。このまま屋根伝いに、スクーターを直線的に追うつもりだ。
屋根から屋根へ、ビルの谷間を跳び越える。
屋上を四つほど跳び過ぎた辺りで、下の道を走る扇動家を見つけた。首都高速方面へ南下して、渋谷マークシティ高架橋の下に入った。
「待てって言ってんの……!」
屋上を蹴り、マークシティの円状屋根へ。
着地で勢いを殺さないように衝撃を膝から逃がし、疾駆。
コンクリートの屋根を踏み割らん勢いで蹴り、加速する。
エンジン音は真下。若干右に逸れた。右折する気だ。
もう一度強烈に踏み込み、加速を重ねる。脚の筋繊維がブチブチ千切れる感覚がある。帰ったら修理だ。
二度の加速で勢いをつけ、跳ぶ。
二〇メートル以上離れた向かいのビル。その屋上にギリギリ届いた。
これでスクーターを追い越した。
そして予想通り、右折して人気のない道に入ってきた扇動家。今なら目撃者はいない。好都合だ。
アザミは膝を追って両脚に力を籠め、また跳んだ。今度は地上。スクーターの眼前を目がけて。
猫のように空中で体を回して姿勢を制御し、狙ったとおり、スクーターの真ん前に着地した。
「なっ!?」
さすがに空から少女が降ってこられては、その鉄面皮は守れなかった。
驚嘆の声を上げる扇動家はブレーキを握るが、制動が効くよりも先に、スクーターがアザミに激突した。が、アザミは、
「ぐ、ぬぬぬぬ!」
歯を食いしばり唸る。スクーターのレッグシールドに掴みかかって、踏ん張りを掛けていた。義体の膂力が50㏄の馬力を上回る。スクーターは走りを停めた。
「な……なんだ……?」
何が起こったのか理解が追い付かない扇動家に、アザミはにっこり笑顔を見せた。
そして胸倉を引っ掴み、地面へ投げ飛ばす。頭部を固いアスファルトに打ち付けて、扇動家の男は見事に失神する。
アザミとスクーターの激突音を聞きつけて、周辺の飲食店から何人かが顔を覗かせた。
デモ行進、暴動、轟音、少女、スクーター、地に伏す男。
誰もが、血生臭い事件を連想した。
「きゅ、救急車を呼べ!」
居酒屋の店主が、慌てて店内の従業員に指示を飛ばす。
「大丈夫です、もう呼びました」
そう言って場を収めたのは、やっと追い付いた常盤だ。
「アザミちゃん大丈夫?」
「はい。ただ、ちょっと脚が」
「分かった。帰ったらお医者さんに診てもらおう」
常盤はそうアザミに笑いかけながら、扇動家の体をまさぐる。
傍から見れば、男の具合を確かめているようにしか見えない手つき。そしてズボンのポケットから、携帯電話を抜き取った。
どうやら常盤には、スリの才能があるらしい。
アザミは担当官の新たな一面に苦笑する。
「よし行こう。人が増えてきた……すみません、この人をお願いします!」
「あ、ああ……」
突然の非日常に面喰っている店主に扇動家を押し付け、常盤はアザミの手を引いてこの場を後にした。
デモ隊の暴動から逃れた人々が、新しい事件を見つけて集まってくる。
この事件は、世間にはただの交通事故として扱われ、デモ隊の暴動のニュースの陰に隠れることになるだろう。
渋谷の街を覆う、怒声と悲鳴。
それらが、常盤達の存在を綺麗に掻き消した。
「……トキワさん」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。関節が外れました。歩けません」
「え? うわっ! 膝が逆方向に! 隠して隠して!」
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