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或る短かな後日談

作者:石竹
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後日談の幕開け
  一 アリス

 燃える街。死肉の声。宙を舞う灰は、建物の残骸か、それとも。
 暗い空を炎の赤が滲み染める景色。現実離れした……こうなってしまっては。私達の生きてきた日常、今までの現実など。文字通り消し炭。離れるも何も、もう。見慣れた世界など無いのだと。躓いた、足元。転がる誰かの腕から無理やり視線を引き剥がし。嗚呼、私達は。
 こんな。こんな、光景を。見ることが無いように。見ないで済むように、と。その為だけに生きてきたはず、筈なのに。

 世界の終わる音。戦火に呑まれる音。全て、全てが、終わってしまった、終わってしまった、終わって――





 暗い部屋。今は、夜か。いや。只々、窓の無い部屋、明かりの灯っていないだけなのかもしれない。
 背に感じるのは、柔らかな感触……辛うじて、柔らかな、と言える程度の硬さの、平な何か……恐らく、寝台。その上で。

 嫌な夢を見た。記憶だとしたら、相当に悲惨な。断片的で、その癖酷く現実味の在る夢。燃え盛る街、戦争の夢。
 痛む頭、胸の中で渦巻く違和感、その正体さえ分からぬままに体を起こす。光源の無い部屋、しかし、それでも。何故か、次第に目は慣れ始め。鮮明とまではいかずとも、微かに浮かぶ細い四足、私が今まで身を預けていたそれと同じ。二つの寝台、その上にそれぞれ横たわる、二つの形を目視した。
 此処は何処か。その、前に。私は誰か、と。自身に関する記憶を何一つとして、思い出せないことに……いや。私の身に着けた軍服は、確かに、見覚えがあり。着慣れたそれは、あの、戦火の夢の中で着た。
 微かに震え出す体。寒さに拠るものではない、記憶を失い、残る記憶も惨憺たるもの。自分の身に何が起きたかさえ理解できず。只々この、冷たい体を抱き締めて。

 背筋が凍る。戦火の記憶。その中で聞いた死人の呻き。冷たい体、失った記憶。私は――まさか。

「……誰」

 闇の中から声が響く。少女の声、何時起きたのか、一つ寝台を挟み起き上がった影。その影は。

 酷く奇怪な。人のそれとは異なる……三本の腕。長い爪。人ではない。怪物の、それ。

「っ……お前は、何だ」

 反射的に、腰に両の手を伸ばす。延ばした先には、それぞれ、拳銃。握りなれた銃把、体に染み付いたこの動作。軍服と言い、拳銃と言い。それを扱う技能と言い。あの夢は、もしかすると。本当に、私の記憶なのかも知れない、など。
 考えるのは、後。今は、只。目の前の異形。危険へと向けて。寝台の上で方膝を付き、銃を構えて。
 三本腕の怪物の影。心を襲う不安を、恐怖を。他でもない、自身の身を守るために押さえ付け。対する、怪物は。

 銃を構える私を見て。何処か、恐れるように。それでも、私と同じように。
 暗闇で光るその瞳に宿るのは。明らかな、敵意。しかし。

「……私は……」

 その、敵意も。私の問い、答えに窮し……簡単な質問。自分は何者か、名前は、生まれは、所属する組織は。答えることならば、幾らでも思いつくだろうに。
 思いつかないのは。

「……少し。話をする必要があるみたいね。ごめん」

 彼女へと向けた銃を下ろし、腰に差す。対する彼女は、まだ。私への警戒を解きはせず。私が先に上げた腕、相手の立場が分からなかったとは言え、性急過ぎたと後悔して。

「いきなり銃を向けたのは謝る。この状況に免じて、出来れば許して欲しい」
「……分かった。私も、聞きたいことがあるから」

 自身の肩から伸びた、第三の腕。その腕を見て驚くと共に顔を顰め。顰めながらも、静かに。翳した爪を下ろして、浮かせた腰を寝台へと下ろす。私もまた、彼女に倣って腰掛け。寝台、私の隣に置かれていた……今となるまで気付かなかった。ポーチを腰に回し。軍帽を被る。

「……まず。何か、憶えていることはある? 私の方は、自分に関する記憶は殆ど飛んでしまってるみたいなのだけれど」

 恐らく。黒い髪をした目の前の彼女も……思い出せずとも、見覚えのある顔の……彼女も、私と同じ。記憶を失くし、何かしらの技能を植えつけられ。そして、体を……私は、特に。形で言えば、変化の無い体。人の形。しかし。
 縫い合わせた跡、血の気の失せたような肌。確かに、恐怖は感じていても。異常なほどに、白い肌。彼女の姿形といい、私達は、恐らく。

「……ネクロマンシー、って知ってるかしら」

 答えを返さない、彼女へと問い掛ける。必至に記憶を探る姿、焦る姿。その、人間離れしてしまった見た目だけで判断してしまったことを悔いながら。話を進める。

「死体操作技術。死体に手を加えて生ける屍……アンデッドを作る技術、なのだけれど」

 私の話を、静かに。取り乱すことなく聞く彼女。言葉の少ない分、取り乱したりしない分。その感情を窺い難い。

「……言おうとしてることは、分かった。けど……」

 私たちが此処に居る理由は、分からないと。声の調子を変えることなく呟き、辺りを見渡す彼女。暗い部屋。扉は一つ。あるのは三つの寝台……もう、一人。掛けられた毛布の中で丸まった……微かに、震える。どうやら、既に目覚めているらしい。
 いつから、目が覚めていたのか。私達のやり取りを聞いていたのならば、話は早い、が。

「……ねえ」

 右手を伸ばす。一応、左手は銃に掛け。先の事は反省しつつも、やはり。姿の見えない相手に、警戒せずにはいられずに。
 手のひらがその、誰かを包んだ毛布に触れて。途端、中に隠れる誰かの体は小さく跳ね。外から見れば、頭を抱えて丸まって居る様子。必死で噛み殺そうとした嗚咽は。
 恐らく、少女。私達よりも小さな少女のもので。

 どうしたものか、と、対面の彼女へと視線を送るも、彼女も。私と同じく、困った様子で。声を掛けた手前、私が宥めるしかないか。

「大丈夫、落ち着いて。私達も、あなたと同じだと思うから。敵意はないよ」

 女の子に対して、敵意は無い、は、ないかと。思えども、他に言い回しも思い付かず。
 
「私たちも、どうするべきか分からないんだ。出来れば出てきて欲しいけれど……無理そうなら、私達の話だけでも聞いていて欲しい」

 返事は無く。私の言葉を聞いてくれたと、そう信じて。対面、腰掛けたままの彼女へと向き直る。

「私達は、アンデッドにされたのだと思う。技能の移植も行われてるし、体も改造されてるから多分、戦闘用の」

 兵器としてのアンデッド。特に彼女は、人為的に引き起こした変異、肉体の改造が多く見られ。私もまた、左耳にはインカムのような装置。用途と使い方も、私の頭には書き加えられており。強靭な肉体、改造を受け、人類に取って代わり戦う事を義務付けられた死人。しかし。

「でも。そうだとしても、今のこの状況が理解出来ない。戦闘用のアンデッドがこんな場所で起動するのもそうだし、それよりもまず」
「……どうして、人格があるのか?」

 そう。本来、戦闘用のアンデッドに……兵器に。自我なんてものは必要なく。自分で考えることなど無く、与えられた命令に従えばそれで良い筈。なのに。私たちには確かに、自分自身で物事を考えることが出来るだけの自我……心が植え付けられていて。
 戦闘用ではないのなら。生きていた頃の私たちが、自分の意志でアンデッド化処理を施したのであれば。記憶が無いのはあまりにも不自然で。何れにせよ、今私たちの置かれているこの状況が理解できない。

「あなたも、アンデッドについて知ってるみたいね」
「私は、本の少しだけ。あなたほどじゃ、ない」

 自我を与えられて。暗い部屋で目覚め。何の為に作られたのかも知れない。只。
 このまま、この部屋に居続けても。進展は無いように思える。

「私は。この部屋を出て……生きていた頃の私について調べたい。あなたは……」

 いや。毛布の中。先よりは幾分、震えも収まった彼女もまた。同じ境遇。此処に一人残して行くのも、気掛かりで。

「あなた達は、どうする? 私は、出来ればあなた達と一緒に行きたいけれど……」

 何か、意味があって作られ。何か、意味があって。此処で、三人揃って目覚めたのだろう、と。その、意味も分からないまま。死んだ体で一人、彷徨う勇気なんて無く。寝台から降り、二本の足で……暗がりの中。よくよく見れば、その足も。獣のそれに置き換えられた、彼女としても同じ意見のようで。私と視線を交し。寝台から降りこそすれど、一人、扉の先へと進んでいってしまうようなことも無く。私が動くのを待っていてくれて。

 あとは。彼女は、どうするか。

「……話は、聞いていてくれたかな。私達は此処から出て、手掛かりを探したい。一緒に、来てくれないかな」

 震える彼女の体に、手を置く。彼女の体はまた、少しだけ跳ねて。けれども。
 拒絶はせずに。恐る恐る、毛布の下から覗く、顔。それは。幼い、少女のそれ。彼女もまた、何処かで……はっきりと思い出せず……見覚えのある、青い瞳は涙を湛えて。私を見詰めた。

「……ほら、そんなに、怖くは無いでしょう? 一緒に来てくれないかな。放って行きたくは無いんだ」

 本の少しでも心を開いてもらえるようにと、笑みを作って手を伸ばす。

「……なま、え」
「え?」

 伸ばした私の手と、彼女の手。微かに触れ。触れながら、開いた口。

「名前は、なんて言うの?」

 寝台から起き上がり。私の手を掴んで。
 彼女は、問う。その声は少し掠れながらも、はっきりとした。私が手を伸ばしたように、彼女もまた。此方へと歩み寄ってくれようとしているのだと。意図を汲み。汲み取っても。
 私は。答えに、窮して。

「……私の名前……」

 黒髪の彼女の呟き。彼女も、また。彼女も私と同じであるならば。思い浮かぶ名前はありながらも……与えられた名前はありながらも。それが、人間に付ける名前と言えるのかどうか、と。悩んでいるのだろう。

「ソロリティ。名前、と言えるのか分からないけれど」

 寧ろ。今、この三人が集まった状況に対する揶揄か何かじゃないだろうか、と。思いこそすれど、私の記憶に植え付けられた。自分の名前は、この言葉で。

「……あなたはまだいい。私は、オートマトン。人形、だそう」

 人につける名前ではない。私達に名前を与えたその人物は、相当。人をからかうのが好きらしい。
 この有り様では、私に名前を尋ねた彼女も。奇妙な名前を与えられていそう。

「あなたの名前は?」
「私は、アリス。二人とも、不思議な名前だね」

 私の予想に反して。彼女の名前は、少女らしい……らしすぎる程に。この名前にも、何らかの。皮肉が込められているのだとしたら。なんて。
 半ば、自分の名前に対する八つ当たり。嫌な考えを振り払う。

「そう。アリス、と、オートマトンね……アリスは良いとして。あなたと私は少し呼びにくいかしら」

 名前。もし、本当に。私達に与えたこの名前が、皮肉で。そして、今。私達がこうやって迷う様を見て楽しむ誰かがいるのならば。
 与えられた名前もまた。少し、不快にも感じて。

「良かったら、呼び名だけでも考えてくれないかな。呼びやすい名前であれば構わないから」

 目の前の少女、アリスに。名付けを託す。行動を共にする彼女に貰った名前の方が、誰とも知れない製作者によって付けられた名前よりも、余程親しみが湧くだろう、と。そして、少しでも。私達三人が打ち解ける切欠になってくれるだろうと。

「なら、私のも頼みたい。オートマトン、は、呼び難いだろうから」

 彼女もまた。アリスに頼み。対するアリスは、困ったような顔。けれども、決して。嫌ではなさそうに。

「……うん。任せてっ!」

 涙を拭い。無垢な笑顔で、そう、返した。



◇◇◇◇◇◇



 ソロリティとアリスと共に、薄暗い通路を歩く。彼女達は、手を繋ぎ。まるで、姉妹のよう。
 私は。この手、この爪。手を握ろうものならば、望まなくとも血を見る羽目になるだろうから。私は彼女らの先に立ち、警戒しつつ足を進める。

 此処は。何の建物だったのか。元々は白い壁……今は、汚れに汚れた。天井には時折、切れかけの電灯。明かりが灯っているならば、誰か、人が居るのかも知れない。私達を作った人物も、恐らく。しかし。
 時折、左右に並ぶ扉の奥も、何処かへ運び出されたように空っぽで。人の気配、生物の気配一つ……それどころか、物さえ。何か、手掛かりでもあればとあの、寝台の部屋から出てきたと言うのに。それらしきものは見付からず。

「何処も彼処も白色ばっかり……病院か、何かだったのかしら。どの部屋にも窓が無いけれど……」

 ソロリティが呟く。アリスは、彼女の手から離れぬようにと両手で彼女の左手を握り。三人分の足音が……彼女の言うには、嘗ての病院。その、廊下に響き続ける。

「……地下なのかもしれない」

 彼女の言葉に、言葉を返し。また、先を。廊下の続く先を見る。然程、広いわけでもなく。幾らか歩けば突き当たりへと辿り着くだろう。一つ、一つと部屋の中を確認し。鉤爪しか持たない私に代わって、ソロリティが扉を開き。また、伽藍堂。彼女の小さな溜息を聞き、中を確認するまでも無く結果を知る。
 本当に。何もない。生活感の無い建物、至る所に積もった埃。私達が付けたもの以外には、足跡の一つみ見当たらない。

「……私達を作った人は。何を考えていたのかしら」

 ソロリティの顔は、空になった部屋を見るたび、曇り、曇り。それは、私も同じこと。他でもない自分自身の過去、素性。何一つとして知れないことが心地悪く。どうにもならないと分かっていながらも、苛立ち。

「だ、大丈夫だよ。まだ探し始めたばかりだし、元気出して」

 そんな、私達を見て必至に励まそうとするアリス。先程までは寝台の上で震えていた彼女に励まされ、自然、笑みが浮かび。彼女も、恐怖と戦いながら私達に着いて来た。連れてきた私たちが、落ち込んでいては示しが付かない。
 こんなにも小さな彼女。彼女もまた、一度死に。こんな、何処までも気味の悪い状況に置かれ。それでも必至に笑顔を作る彼女を守り通したいと。
 前を見据える。上の階へと続く階段は、既に見つけ。けれど、まだ、調べていない部屋がある。廊下の突き当たり、最後の部屋。最後の扉。その真上、書かれた文字は。

「……手術室。やっぱり、病院みたいね」

 そう、呟いて。彼女は両開きの扉、冷たい扉に手を掛けて。

「……開かない」
「……これじゃないかな」

 アリスが見詰める先にあるのは、扉の真横に取り付けられた端末。一つの溝の刻まれた……カードキーを読み取る装置、だろうか。

「鍵、ね。どこかに落ちていると、思う?」
「……この階には、ないと思う」
「そうよね。じゃあ、開けてもいいかしら」

 ソロリティの言葉に、首を傾げるアリス。鍵は無く。開いてくれないのであれば、開ければ良いと。彼女も、大分苛立っていたらしい。

「私は、構わない。アリス、少し下がった方がいい」
「そう。なら、遠慮なく」

 扉、取っ手、その窪みに手を掛けなおし。立てた指、両の手で引き裂くように。それだけで既に、軋み出す扉。その様は、その見た目、少女らしくない……込められた力もまた。人間離れした腕力を以て、彼女は。
 一思いに。両腕を、開いて。

「っ!?」

 左右へ弾け飛ぶ扉。端末から鳴り出す警報音。室内に備えられた赤ランプの点滅。音も色も無い世界から、一転。一定の間を置き赤く照らし出された室内と、喧しく鳴り響く警報。置かれた状況の変化に驚き、しかし、それ以上に。
 彼女が開いた手術室、その奥。赤く赤く光を受けて佇む。暗く暗く闇の中で凍りついた笑みを向ける。その姿を、見て。

「い……」

 アリスの体が崩れ落ちる。上げようとした悲鳴は、続くことも無く。只々、埃塗れの床へとへたり込み、震え、奥歯を鳴らす姿を、視界の端へと置いたまま。私自身。そこに居たそれの姿を見て。動くことさえ。視線を外すことさえ、出来ずに。

 それは。それは、何か。人間の頭、少女の頭。作り物のような笑みを貼り付けた頭……頭しか、無い。首から下は、異形、歪み、形容し難い……只、それは。生物の持つ体ではない。絡み合った肉から突き出した手術台を備え、幾つもの細い金属の腕、先に器具を、人の手を備えたアームが伸び。無数の、何かが沈む培養槽を抱えた……
 怪物。機械なのか、生物なのかも分からない。所々は確かに無機物で。所々は確かに有機物。これが生物だと言うのならば、冒涜。そして、それは、明らかに誰か、人間の手により作り出された……あまりにも悍ましい。対峙するだけで、精神を抉られる。何かが、居て。

「ひっ……」

 怪物が、足と呼べるのかも分からない。黒い何かで、一歩、這う。ゆっくりと、しかし、確実に。踏み出す足は地面に張り付き、柔らかな何かが潰れるような、空気の抜けるような。いやな音を立てて、這い寄る。その姿を見て、私達の前に立つ。ソロリティもまた、後退り。
 彼女が扉を開き。彼女が始めに目撃した。今にも、アリスと同じように。崩れ落ちてしまいそうなほど。彼女は、震え。よろめいて。

 アリスは。動けそうに無い。気を失ってしまってもおかしくないほど。ソロリティも、アリスほどではないにせよ。この怪物を前にしても、銃を抜く事さえ忘れ。只、それから目を離せずに。

「……ソロリティ、下がって」

 彼女の前へと進み出る。彼女達を背後に。その怪物へと向き直る。

 私が、動かなければ。
 狂気に満ち満ちた造形。部屋は、予想より広く。左右に並んだ棚には、怪物に取り付けられた培養槽と同じ容器が立ち並び。赤い光に照らされるたびに、中に入った何かの影が浮かび上がる。
 怖い。只、只、只管に。怖い。怖い。向かい合ったこの怪物が。得体の知れない物に溢れたこの部屋が。耳を劈く警報音が。赤い世界が、怖い、怖い、しかし。
 無理やりに。自我を殺す。感情を殺す。引きずり込まんと纏わり付いた、狂気の腕を振り払う。私がここで動かなければ。背後の二人、共々。何をされるか、分からない。

「……やられる前に」

 やるしかない、と。部屋へと踏み込む。怪物へと、近付く。近付けば。
 細いアームの先、人間の手に握られた。小さな銀色、細く、薄い……刃物が。

 後ろには彼女達が居る。避けることは出来ない。投げ付けようと構える腕、私が受け止めるしか――

 無い、と。身構えれば。その銀色が空を切るより、早く。一発の銃声。背後で聞こえた。その銃弾は、私の傍らをすり抜けて。
 小さな刃物を腕ごと撃ちぬき、弾き飛ばして。

「……っ、はー……は、ぁ……」

 振り向けば、息は荒く。顔は蒼白、腰は引け。それでも。
 銃を握る。ソロリティの姿があって。

「……ありがとう」
「……どう、いたしまして」

 真っ青になりながらも。小さく笑ってみせる彼女。共に目覚めた味方が彼女で良かったと。それは、アリスも同じ。彼女は見たところ、武装を持たず。体に目立った改造も受けていない。戦う力を与えられなかったのかもしれない彼女を、ソロリティと共に守り。自分達を守り。この狂気から逃れよう。

「援護をお願い。あと、アリスを守ってあげて」
「言われなくても。あなたは、自分の身を守ることに専念して」

 言葉に頷きで返し。その怪物が此方へと、彼女達へと近付く前に。異形の元へ。手術室の奥へと飛ぶ。
 近くで見れば。まじまじと、細部まで見れば。更に、私の正気を削る。絡み合う肉に埋まるように様々な器具や機器が突き出し。声を上げることも無く笑みを作る顔は、まるで肉と皮で出来た仮面のよう。そして。
 顔は。頭は、一つではなく。彼女――少女らしさなど、人間らしさなど。頭部以外に見受けられはしないものの。恐らく、彼女、の背後には。予備のように備え付けられたもう一つの頭。前面のそれと全く同じ顔が、近付き、その側面へと廻りこんだ私へと。首を曲げ、顔を向けて、只、笑い。その様が酷く恐ろしくて、冷たい体、僅かな熱まで奪われ。思わず一度、体を震わせ。
 そんな私を他所に、彼女は。長い腕、アームとは異なる黒く、生物的な腕を広げ。

 部屋の壁、並ぶ棚。その上に置かれた無数の培養槽を叩き落す。まるで、癇癪でも起こしたかのように。連続して鳴り響く硝子の割れる音、水の飛び散る音。落ちる音。それに混ざって。
 柔らかな。培養槽の中身、金属ではない何かが、床へと――


 それは。人間の手。独りでに動き、まるで虫か何かのように。五指を持って這い回る無数の手、手、手の群が。手術室の床へと散らばり。

「っ」

 私達へと、群がる。それは、彼等を外へと放った、怪物にさえ。群がり、足に、体に張り付いて。

 噛まれる。手に、手が、どうやって。痛みこそ無いものの。その嫌悪感から、足に貼りついた一匹を掴み引き剥がし、見れば。
 その手のひらには、裂けるように。牙を備えた口が――

 舌打ち交じりに、私の爪で傷つけながら。床へと叩き付け。この小さな捕食者達を解き放った元凶、怪物へと向き直り。

 跳ぶ。その、頭。不快感、嫌悪感。最早、怒りへと変わりつつある感情。力任せに、その頭部。破壊せんと、爪を。
 振るえど。幾ら、怒りに身を任せようと。その、悍ましき者に対する恐怖は塗り潰せず。その、頭部を無意識に避け、爪は。体を繋ぐ、その肉へ突き立ち。
 爪が埋まる。手の中で得体の知れない肉が潰れ。赤い液体、無臭の――粘菌、血液ではない。その液体が、手を汚し、腕を染め。私の手のひら、腕を通して全身へと伝わるその感覚に。
 吐き気がして。吐くもの等無いと。歯を食いしばり、肉を抉って、腕を引き抜く。

 見た目よりもずっと硬い。叶うならば、更に深く切り裂き、もっと早く終わらせたかったのだけれど。そう、簡単には事は進んでくれはしないらしい。加えて、私の体……私達の体を食む手のひらの群。私が対峙する異形の体にまで齧りついている辺り、敵味方など関係ないのだろう。ソロリティが必至に群がるそれらを蹴り飛ばし……その足には、刃。彼女の履くブーツから伸びた、仕込み刃か。蹴り飛ばし、切り潰しても、この数相手では。

 まずは。この怪物の動きを止め。アリスを連れて逃げなければならない。ならないと、言うのに。
 奴は。怪物は。私を見て、更に。口角を上げて。

「こいつ……ッ!」

 その体に、また。爪を立てる。やはり、深くは刺さらず。浅く抉り、粘菌が噴き出し。焦りが体を焼いていく。
 私は。これ以上、こいつを。彼女達の元へ近付けるわけにはいかないのだと。ここで動きを止め。倒さねばならないのだと。そして、その、使命感と共に。

 私の体の中。何か、何かが蠢く感覚。微かな不快感。そして、それ以上に湧き上がる……目の前のこの、肉を刻み。刻み、噛み砕き。この身、糧に――

 何を。何を、考えているのか、と。燃え上がるように、熱に浮かされるように、現実感を失った頭、思考が。冷たい部屋へと引き戻される。私の体の中で蠢く何か。私の心の中で蠢く、知らない衝動。私は一体、どうなってしまったのか、と。

 自身に対する疑心を。振り払おうにも、振り払えず。そのまま。壊さねば、壊される、と。腕を。また、振り上げ――

「退けオートマトン!」

 ソロリティの声。聞こえるや否や、目の前の巨体。蹴り、背後へ跳び。
 跳んだ、私の。一瞬前まで居た場所を。怪物の黒く歪な腕が薙ぎ払い。その、勢いと共に。

 奴が。彼女達の方へと駆ける。無数の足、足音とは思えないほどに奇妙な音を響かせて。静止することさえ出来ないそれを追って駆け出すも、止める事さえ出来ず。ソロリティの放った弾丸、受けても、尚。
 怪物は。至る所から粘菌を撒き散らし、床に広がる小さなそれらを踏み潰しながら。止めようと伸ばした腕は、只、宙を切るだけで。

 異形の怪物の振り上げる巨大な刃……刃と呼べるのかも分からない。幾つもの刃物、器具、鈍器、ガラクタ。一纏めにして一振りの、それを。

 ソロリティへ。変わらぬ笑みを浮かべながら――




 刹那。強烈な光。点滅する赤を塗り潰すほどに強い、緑色の光。共に。
 怪物の頭。怪物の体。手術台、アーム。渦を巻いた輝き、緑色をした光の玉。撃ち潰し、削り取り、肉は爆ぜ。光の玉が当たった箇所だけではない。異形の体は見えない何かに捻り潰されるように、捻じ切られるように。その原型を失っていって。

 光源は。緑の光の中心に、居るのは。


「……アリ、ス……?」


 私達の知る少女。小さな体、空中に浮遊し。緑色の輝きを放ち、回り、群がり始めた小さな怪物達までもが浮遊し、捩れ、潰されて。

「いや……いや、いや……」

 漏れ出す言葉。流れ落ちる涙と共に光は溢れ。怪物達を拒絶するように突き出した腕。私の理解を超える、超常の力。

「いや、だよ、いや……傷つけないで……一人にしないで……怖い、怖いよ……」

 ソロリティの体は。彼女の放つ緑色の光に包まれ。まるで、巨大な何かが守るように、抱き寄せるように。目の前、空中で爆ぜる、弾け跳ぶ、肉片、機械の欠片、刃物から守り。アリスの放つ光、力、止め処無く溢れ出すそれは。止まることを忘れたそれは。

 破壊の力は。狂気に満ちた構造、異形の怪物、その、体を。


 動くことの無い。肉塊に、変えた。

 
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