或る短かな後日談
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
終わった世界で
三 楔
暗闇の中を進む。
二人きりの道。只管に続く闇の先、小さなライトでは到底、照らしきれない、届かない。トンネルの奥へと消えていった敵の姿。彼等の跡を追って進み。
最早、遥か先へと消えていった彼等に問い掛けることなんて出来る筈も無く。道を歩めば歩むほど。近付けば、近付くほどに……考える時間を与えられるほどに。分からないことが増えるばかり。答えを得られないならば、せめて胸の中に渦巻く不安と、苛立ち。全て、吐き出してしまいたい、と。思いこそすれど、実際に口に出すことも無く。言葉にしたならば、きっと、汚い言葉、罵り。心は晴れず。私の手を握り、隣を歩む彼女にも、迷惑を掛けるだけだろう、と。
只々、静かに。互いに。言葉を発することさえなく。この洞窟を進み行く。
キメラは。どうなっただろうか。機械の少女は彼女を何処へと連れて行ったのか。連れて行った先に居るのは、私たちへと悪意を向けた造物主ではないように思える。他にも、私たちの見えないところで。糸を引く、誰かが……
「……マト」
隣を歩む。私の手を引く。彼女の声に顔を上げれば。
「顔、怖いわ」
彼女の手の中、僅かな光源。照らされた顔、見れば。
「さっきの仕返し」
見慣れた微笑み。優しい笑み。ほんの少し、愉しげで。からかうような、彼女の笑みが、其処にあって。
「……ごめん」
少し。肩の力が抜ける。此処で幾ら考えたところで、実際に辿り着くまで。何が待ち構えているかも分からず。幾ら急いてもこの場で答えを得られることなんて無く。出来るのは、壊されること、壊すことへの覚悟くらいのもの。
仄かに明るい、トンネルの向こう。随分と長い距離を歩き、何度か、駅も通過して。遂に、洞窟の終わり、線路の終わりに。辿り着くのだろう。
きっと、また。造物主の手、悪意に満ちたそれが蠢き、立ち塞がるのだろう。
それが、分かっているから。この暗闇を抜ける前に。この、短な平穏が終わる、その前に。
「リティ」
彼女へと声を投げる。ゆっくりと話す機会は、もしかすると。造物主を討つまではもう、訪れないかもしれないから。
「大丈夫。ただ」
ごめん、と。
突然の言葉、予想していなかった、謝罪の言葉に。思わず、足を止めた、僅かに俯いた、彼女の顔を見れば。
不安の浮かんだ。それでも、無理に笑みを浮かべた。彼女らしくない、引き攣った笑み。もしかすると、さっきからずっと。彼女が私に向けた笑みは、無理をして作った。私が気付けなかっただけで……こんなにも。暗がりの中、今にも影に呑まれそうなほどに。弱々しい笑みだというのに。気付けなかったことを、悔やみ。
躊躇いながらも開いた口。紡がれるであろう、言葉を待つ。
「……さっきのアンデッド達、ね。私の、知ってる人たちだったみたい」
小さな声。震える声。そのまま、掠れて、消えそうなほどに。弱々しい声で、彼女は言って。
謝罪の理由は。なんとなく、察し。きっと、私と同じように彼女も、胸の中の泥棘を。隣を歩む私に。全て、吐き出したかったのだろう、と。
吐き出してしまえなかったのは。一人、言葉も無く。沈みきっていた。私の所為だということもまた。
「頭が痛むの。胸も。忘れてたことを思い出すと。あのアンデッド達の素材になったのは、私と一緒に戦っていた人たちだった。一人一人、個人までは思い出せないけれど……もしかしたら、いや、そんなことはきっと無い、無い、と、思うのだけれど。もしかしたらまだ、私たちみたいに、自我が――」
「そんなこと無い。あなたの知ってる人の姿をしていても、あれは」
「そう。分かってる。分かってるの。でも、でも、あの人達は、確かに、確かに――」
昔の私の。名前を呼んだの、と。
「私の名前を。確かに、私の名前だった。ネクロマンサーに付けられた名前じゃない。私の名前、私ですら忘れていた、名前を……」
語気は、徐々に荒く。息もまた。必要なんて無い筈なのに。荒く、荒く。私の手を握るその力も、また。強く。
「私のことを知っていた。私も忘れてるだけで、きっと、一人一人、あの人たちのことを知っているのよ。もしかしたら、あの人たちに敵意なんて無くて、只、助けを求めてただけかもしれないのに、私は、私は――」
「落ち着いて。そんなこと無い、大丈夫だから」
「でも。あの人たちはずっと、私の名前を呟きながら……手を伸ばして、私に縋りついてきて」
溢れ出した言葉は止まらず。語気は強く、自分を。彼女自身を責めるように。彼女は私と視線を交し。しかし、きっと。その、視線の先に居るのは。
私の瞳に映った彼女。彼女、自身で。
「確かに引き裂かれた、怪我だってした、けれど、あれも、本当はきっと悪意なんて。助けを求、求められていただけで……こんな体になってしまって加減が出来なかっただけかもしれない。私はあの人たちを一方的に――」
「リティ」
思わず。彼女の、名前を呼ぶ。うろたえるように。自身を見失うように。言葉を紡ぎ続けた彼女は、私の呼び掛けに。呼んだ、名前に。口を、閉じて。
それは。名前を呼んだ。呼んでしまった、私も、また。
「……ごめん、名前……」
それは。造物主によって付けられた名前を元とした。思い出の有る名前、大切な名前とは言えそれは。ドールとしての名前。彼女が取り戻した、本当の名前ではなくて。
「……いい。こっちこそ、ごめん。ちょっと、どうかしてたみたい」
引き攣った笑み。触れただけでも、崩れ、泣き出しそうな……明らかに無理をした。強張ったままの手と、取り繕うためだけの笑みに。
胸が痛む。彼女が、その苦しみを。吐き出す前に遮ってしまった。けれど、これ以上。彼女が自身を責める言葉を、聞きたくなくて。言葉にして、欲しくなくて。
「……大丈夫。相手もあなたを只憶えていただけ。何の意味も無く、あなたの姿を見て、名前を呟いていただけ。それか、造物主がそういう風に仕掛けただけかもしれない。あなたを苦しめるために」
「……そう、ね。そうよね。きっと、きっと」
止まっていた足が、再び前へと進み出す。私もまた、彼女の歩みに合わせて。
歩きながらも彼女の顔は、晴れず。彼女の心は、晴れないまま。私との会話、対話では。心に植え付けられた、溜りゆく狂気を。彼女の、彼女自身への疑念を、払うことは出来ず、それを為すことの出来る言葉も知らなくて。
何も出来はしない。私には、何も。
「……、マト……」
「……うん」
名前を呼ばれる。私が呼んだように。怨敵によって付けられたその名を。その名前しか、彼女は知らない。私自身も、また。
「……ごめん。もう、暫く。手、握らせて」
向けられた笑みは。引き攣ったまま、無理して作ったそれと、自嘲。
微かに震える。小さな手。私の醜いそれを握り締める、細く、白く。死体であるとは思えないほど。それは、そう。正に、人形のよう。そんな、そんな。綺麗な手が。綺麗な、彼女が。
こんな時だというのに、酷く、羨ましくて。そして、何より大切な――
「――握ってて。いつまででも。そして」
そして。願うならば。ずっと、離して欲しくない、と。彼女を苛む不安を払う事も出来ない私を。もしかすると、あの子の抜けた。あの子を失った分の空白、欠落を。埋めてしまいたいだけなのかもしれない。私の抱くこの思いは、そんな、浅はかなものなのかもしれない。醜い私を、更に、変わり行く私を。そうやって、求めてくれる彼女に甘えた。けれど、それでも。彼女が私を。醜い私を。必要とし続けてくれるならば。
この手を。握り返すことも出来ない、私の手を。握り続けていて欲しい、と。それだけを願い。
待ち構える、明かりの中へと。この歩を、進めた。
◇◇◇◇◇◇
明かりの中。開けた視界、広い円形の空間。無数のライト。足元の線路は断ち切られ、明らかに材質の異なる床。後から線路を潰して設けた、継ぎ接ぎの建設。
視界の先には、灰色の壁に貼りついた、黒い、巨大な扉。そして。
「リティ」
思わず。彼女の手を強く握る。
「辛いなら、リティは手を出さなくてもいい」
彼女の言葉に。思わず、縦に振りかけた首を。振りたい、首を。小さく、横に振って答え。
扉の前に並ぶ。軍帽を被り、軍服を着て。軍刀を携えた一体のアンデッドに率いられて立つ、十体の人型。見覚えのある。私の知っている戦闘服を着た、兵士達の姿。顔を無機質なマスクで隠し。片手には銃を。もう片腕は切り取られ、一振りの刃を繋がれた。
彼等の着た服は。確かに、私が生きていた頃。戦闘時に着用した物。共に生きた。共に戦った彼等もまた。そう、私は、寮に居て。共に学んだ。励まし合いもした。皆、皆の姿、顔を覆うマスクの下には、きっと、記憶に残る。名前は、思い出せない。思い出すことも出来ないけれど、実際に見れば。話をすれば、きっと。きっと。思い出すに違いない――
「……リティ。下がってていい。無理しないで」
頬を。彼女の、手の甲。爪で、傷付けないようにと優しく。そっと、撫でられて。
見れば、その手は。僅かに濡れた。
「あ……」
手を。自分の手で、自分の頬に。顔に触れれば。液体の感触、指を濡らし。それは、確かに。私の目から零れ落ちた。
「大丈夫だから。すぐに終わらせる……だから、待ってて」
彼女は、責めることも無く、優しい笑顔を浮かべ、そう言い。彼女は。
一人。彼等の元へ――
「……リティ……?」
彼女の手を。強く、握り締める。
彼女の姿が。また。あの時のそれ。あの子の影に重なって。
あの時も。私が、あの子の手を掴めたならば。今だって三人で、一緒に歩んでいられた。この体になってからの記憶。あの子を失った悔恨。この体になる前の記憶。仲間達と共に過ごした思い出。手を握り締めることが出来たのならば。もっと強く、手を握り合うことが出来ていたならば。
蘇る記憶、記憶、記憶のカケラ。手をつなぐ記憶。それは、今と、過去、そして、もっと奥深くに在る。朧な記憶を重ね、重ねて。
彼女の片手を。更に、強く。二つの手で、決して離れないようにと握り直して。
「駄目……駄目。お願い。これ以上……」
これ以上。戦って欲しくない。壊れて欲しくない。壊して欲しくない。離れて欲しくない。彼女も。彼等も。私の記憶に残る全てを。大切なものを。
彼女の目を見る。困惑の表情、躊躇い。兵士達の足音が聞こえる。でも、私は。私は、彼女の瞳を見詰めたまま。彼女も、また。私と視線を交したまま。互い、互いに、動くことなんて、出来ずに。
自分が。どうしようもないこと。無理なこと。馬鹿げたことを言っているのは分かっている。分かっていても。どうすればいいのか分からない。いや。分かってる。分かってはいるのだ。銃を構えて。彼等へと向け。引き金を引いて、今までのアンデッド達と同じように。
壊せばいい。壊したくない。壊さなければならない。
彼女に。壊してもらえばいい。でも、それも、それも。
「いや……」
思わず。言葉を零し。零したところで何も。何も変わらなくて。
「……リティ」
「ごめん。ごめん……でも、私、どうすればいいのか、もう……」
溢れるそれを。溢れて落ちるだけのそれを。視界をぼやかせるそれを。止めることも出来ない。泣いてばかりで、何も。何も出来ない。私の、前で。
彼女は。私の肩に、優しく。その手を置いて。
「マト……?」
「いい。大丈夫だから。私も、これ以上。あなたに苦しんで欲しくない」
少しだけ、肩に力を込められ。優しく押される。彼女もまた、ゆっくりと膝を曲げて、私もそのまま、それに倣い。
膝を付く。この場に。戦場の真ん中。二人、座り込んで。
「壊されるよりも、壊す方がつらいなら。それで、心が壊れてしまうなら。もう、これ以上戦わなくてもいいのかもしれない。心を持ったまま死んでいけるなら。此処で。おしまいにしても、いいのかもしれない」
彼女は、言う。私を責めることも無く。只々、優しく。痛いほどに優しく。
足音が近付く。囲まれる。それでも、彼女も。私も。その場に、座り込んだまま。動くことさえせずに。彼女は。怖くないのだろうか。私は。私は。
怖くて、仕方が無いというのに。このままでは。私の大事な。彼女まで。
「マ、ト……私なんて、放って」
「無理よ。あなたが居ないなら、私も。こんな世界で生きていく意味なんて、ない」
でも、と。彼女は、続けて。
「こんな世界でも。こういう終わり方でも。あなたが居るならそれで、いいかな」
笑顔。いつもの、不器用な作り笑顔ではない。その笑みは。彼女の笑みは。
本当に、綺麗な。きっと。心からの、それ。今までも、ずっと。綺麗な笑みを浮かべる。私と共に居てくれる。彼女が大切だと、思っていたはずなのに。
今更。彼女だけは。私が、どうなっても。私の思いを塗り潰しても。それで、心が壊れても。
守りたいと。そう、思い。
鈍く輝く刃。彼女の腹から突き出して。彼女の赤に濡れた。彼女を傷付けた。刃を、見て。
気付けば、手を伸ばしていた。赤く、赤く。握っていた手を離し、離す代わりに、左手、彼女を抱き締め。右手は、彼女の背から、腹へと貫くその鈍色、繋がる腕、体。死者の体へ。
気付けば、爪を立てていた。深く、深く。マトのそれには、遠く及ばない。しかし、それでも、アンデッドの体。ドールの力。対する相手は、雑兵の一。
爪は、指は、肉へと突き立ち。そのまま。
引き裂き。抉り。指の先、広がる赤。骨さえ砕き。彼女の体を抱き締めたまま、力任せに。兵士の体。彼の体を切り裂いて。
「……リティ……?」
止まることさえ忘れたように。溢れ続ける涙が、その赤色を滲ませる。
「マト、マト……ごめん、ごめん……っ」
彼等を。壊したくなかった。死んでまで、その体をネクロマンサーによって弄ばれ。こうして、只。無理やりに動かされる彼等を。共に生きた彼等を。傷付けたくなんて、無かった。けれど。
彼女に突き立った刃。彼女が壊される姿を。彼女が傷付く姿を、見て。自分の思いを抑え。最後。実際に、貫かれるその瞬間まで。私と共に在り続けてくれた。彼女を。
壊されたくない。その思いだけが、他の思いを置き去りに。体を突き動かして。
何も。振り切ることなんて出来ない。心の中は滅茶苦茶で。泣き喚きたい、彼女を抱き締め、胸を借りて。溢れ出す涙を堪えることだって止め。只々、泣いて、この思いを吐き捨てたい。けれど。
けれど、今は。今だけは。彼女を壊されたくない。壊されたくないと。その思いだけを見据えて。湧き上がる他の全ての思いから目を背け、銃を引き抜く。
戦いが終わるまでだけは。弱い自分を、殺さねばならない。弱い己に、克たねばならない。
「ごめん、マト。我侭ばかり」
彼女は、少し、驚いたように。私を気遣う視線と言葉を送ってくれて。
「リティは、それでいいの?」
「うん。大丈夫。あなたが居るなら、これでいい」
笑みで返す。彼女が、また、手の甲で。私の涙を拭ってくれる。
「最後まで、戦って。ネクロマンサーを倒して。こんな物語、全部終わらせる。だから、それまでは」
一緒に居て欲しい、と。また。彼女に願い。願う私へ、彼女は。
小さな笑みで。綺麗な笑みで、答えを返して。
もう。迷わない。彼等を壊したくない思いは、変わらず。けれど。
悲しみながらでも。この手で彼等を壊しながらでも。それで、心を軋ませようと。彼女が居るならば、まだ。先へと歩んで行ける。全てを終わらせるため。それまでは、戦い続けることが出来る。
「マト」
巨大な扉。部屋の奥、巨大な黒い扉が、左右へ。壁へと呑まれ、開いていく。
開き切るのを待つことさえなく。扉と扉、その隙間。這い出し、掛けられた、巨大な腕、怪物の腕。
その、姿を見ても。今なら、怯むこと無く。彼女と共に、立ち向かっていける。
私へと、目配せをし。扉の先から現れる、その巨体へと。今にも駆け出さんとする、彼女へ。
「ありがとう」
言葉を。伝えなくてはならないその言葉を、彼女へと投げかけ。
振り上がる軍刀。駆け出した彼女を叩き切らんと白く輝く、その剣を。構えた腕を撃ち抜いて。獣の足で巨体へと走る、彼女の姿を見送った。
「ごめん。こんなこと。すぐに、終わらせるから」
マスクの下。読み取れない表情。マトから、引き金を引いた私へと矛先を変えた彼へと、更に、銃弾を――
放とうと。した、時には、既に。
彼の刃、煌きは迫り。あまりにも速く。あまりにも鋭く。予想を遥かに超える速度を以て私の体を断ち切らんと迫る、刃を寸でで。背後へ大きく跳んで、避け。
「っ……」
振り抜かれた刃を避けると同時に、彼へと放った銃弾。外す訳にはいかず、震える体を押さえ付け、集中し。しかし、撃ち抜かれたところで怯むことさえ無く。囲む、他の兵士達の発砲。その銃弾もが鼻先を掠めていく。
数が多く。止まれば、きっと。一瞬で切り伏せられ、蜂の巣にされることだろう、と。しかし。
これ以上、下がることも許されず。背後は、既に。彼等が立ち塞がっていて。避けることはもう、出来ない。迫る切っ先は、私の体を刺し貫かんと。
「……なら」
声を零す。避けることは出来ない。その切っ先は私を捉え、この、体を貫くのだろう、と。
諦め。刃が、私へと届く。その、瞬間に。
私は、両手の。銃を、捨てて。力を、抜き。
腹に。触れる、切っ先を。背まで貫き、深々と埋まる、その鋼を。
左手で。その、刃を。彼等と同じ、アンデッドの体。人間離れしたこの力で。掴み、握り、力任せ、また。私の体へ更に深く、深く埋め。
刀を握るその手を。掴み、握り締めた。
「捕、まえた……ッ」
赤く赤く。零れていく粘菌。構いもせずに、腰から下げた。最早、肉切り包丁のそれ。あまりに無骨なナイフを抜き。
その、首を。彼の首を。逆手に持った刃を以て、力の限り、切り裂いた。
私の粘菌、彼の粘菌。足元、赤い水溜りに。彼の被った軍帽。あの時私の失くしたものと同じそれが、落ちて。
傷付かずに。汚れずに。終わらせるのは諦めた。彼等だけを傷付けて。彼等の体だけを汚して。私だけ、綺麗なまま。生きることなんて出来はしない。
噴き上がる赤に体を濡らす。赤く赤く。彼の血、私の血、忌々しい粘菌を。この身に浴びて。嘗ての仲間へ、刃を振るい。
もがこうと、抗おうと。私の中に埋まった刃が、私の体を傷つけようと。掴んだその手を離すことなく。ナイフを振り上げ、彼を。裂いて、裂いて。周りの兵士達の銃弾、私の切り裂く彼まで巻き込み撃ち出されたその銃弾が、私の手を撃ちぬき、ナイフを浚えば。
握り締めていた彼の手を離す。手の中で。腹の中で。暴れ続けた刃は、私の腹、左へと向けて、切り裂き。拘束を抜け出し、外へと逃げた鉄に、構うことさえ無く。彼の体を突き飛ばすように、私自身が押されるように。二人の間、距離を取り。取ると同時に、空いた右手は。彼にとっては、死の手となって。
肩から提げた対戦車ライフル。片手で構え。構えなど、滅茶苦茶に。馬鹿げた力、体の作りに物を言わせ、そのまま、彼へと突きつける。
迷いは、生まれ。しかし、呑みこみ、躊躇することなんて、無く。引き金を引いて。
彼の、体を。その身を、散らした。
「っ、は、ぁ……」
彼の体。刀を握ったままの腕は、弾けた断面、外気に晒して。私は、再び。捨てた、二丁の銃へと。彼等へとその、銃口を向けるため。手を、伸ばせば。よろめく足、撃ち抜かれて、赤い、赤い、血溜りへ落ち。
肉片となった。たった今、私がこの手で解体した。彼の傍ら、床に伏し、転がって。痛みは無く。只々、自分の体を失った喪失感に包まれ。包まれても尚、這いずり、這いずり。落ちた彼の軍帽、その傍ら。転がる銃へと。手を伸ばして。
「……ま、だ……」
戦わなければならない。こんな、彼等の後日談など終わらせて。彼女と共に、まだ、先へ。進まなければならないというのに。
転がっている暇なんて。私には――
「あなたもさ。放っておくと、無理ばかりするよね」
伸ばした手、銃を掴み。思うように動かない足、無理やりに。立とうとすれば。
周りから響く発砲音など、聞こえないとでも言うように。私へと向けて撃ち出された、銃弾なんて気にも留めず。私を抱き締め、小さく笑う。彼女の姿がそこにあって。私を庇い、銃弾を受けても、怯むことさえなく。只々、私を抱き締めた彼女の一瞥に彼等は恐れ、慄くように、動きを止めて。
私の髪、彼女の髪。冷たい体でも、温もりは伝わり。強く、強く。けれども優しく。彼女の腕に、抱き締められて。
「終わらせるんでしょう? こんな物語。一緒に」
笑みに。守りたいと、思った彼女の笑みに。今、こうして、守られながら。
笑みで、返す。私の手の中には、銃。そして、何より。こうして、共に在り続けてくれる。彼女が、居て。
「……ありがとう。そう、一緒に」
終わらせよう、と。言葉を、返して。私は。銃と共に、彼の軍帽。私には少しだけ大きなそれを拾い上げて、頭に乗せて。
血の海に立つ。彼女の傍ら、構えた銃。鋭く尖った爪の輝き、それが、空を駆けると共に。
動く屍、誰かの悪意に手繰られた。書き加えられた。彼等の後日談を、私達の後日談を終わらせるために。
彼等へと向けて。引き金を、引いた。
ページ上へ戻る