横浜事変-the mixing black&white-
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硝煙の臭いで塗れる戦場の中で、殺し屋達は互いの命を奪い合う
ケンジ達が宮条と合流する数分前。八幡は洋館さながらの豪華な通路を走り、護衛対象の元へ向かっていた。宮条にはかなり無茶な事を言ってしまったが、彼女とて伊達に殺し屋をやっていない。今はヘヴンヴォイスの面々を保護する方が優先事項だ。
絢爛たる通路を走る長髪の殺し屋は胸ポケットから携帯を取り出して、外にいる仲間に通話で呼びかける。
「こちらA-1。敵が来た。すぐにホテルに来てくれ」
『本当?僕ら一度もそんな奴ら見て……あ。いたかもしれない。一人学生っぽいの見た?』
「悪いが、瞬時に隠れたから姿を詳しく確認していない。それより早く来てくれ。時間も人手も足りないんだ」
『分かってるさ。二人そっちに送る』
「三人だ」
相手が『了解』と言ったところで携帯の電源を切る。あとになって『やっぱ二人送るね』と変更されないためだ。外で待機しているチームCのリーダーを、彼はあまり良く思っていない。
――良い奴ではあるが、根本的な所が曖昧。毒を持ってるのか持ってないのか微妙な蜘蛛、といったところか。
――我ながら酷い例え方だ。
脳裏に顔立ちの整った美青年の同僚を思い浮かべながら、八幡は通路を右に曲がってヘヴンヴォイスのいる部屋の前に辿り着いた。もっと近くを歩いていれば良かったと思ったが、それだと敵と遭遇した時に不利になるなと考えを改める。
ヘヴンヴォイスのボーカルはシングルを借りているが、それ以外の5人の男共は同じ部屋に泊まっている。金は殺し屋統括情報局本部から払っているので男5人が同じ部屋に泊まるような節約は必要ないのだが、彼らは謙虚な人間だった。
八幡はまず男達の部屋をノックした。少しして彼らが荷物を持って出てきたので、次にボーカルの部屋を手の甲で軽く叩く。
「金森さん、敵が来たので逃げます。出てきて下さい」
丁寧な口調で避難の言葉を紡ぐ八幡。しかし彼は気付いた。
自分の右側にいる男達から、殺意と思しき感情が増幅している事に。
それを感知し、すぐに身体をカーペットに転ばせた瞬間、八幡の頭があった位置を目覚まし時計ぐらいの大きさをした拳が通り過ぎた。あと0.5秒反応に遅れていたら八幡の頭は歪な形に変形していたかもしれない。
ネックスプリングの要領で身体をバネのように起き上がらせ、五人の男達と対峙する形になった八幡。すでに彼の両手には愛用のナイフが握られている。数秒の間で高速移動した彼を見て、屈強な男の一人が感嘆の声を上げた。
「おーおー、日本の殺し屋ってのは身軽なもんだ。俺のパンチを躱すなんてよ」
「……私達を騙したのか、ヘヴンヴォイス」
平坦な声でそう呟いた八幡の顔は普段の無表情とは違い、明らかに戸惑いの色が浮かんでいる。どれだけ優秀な人間であっても未来の行方を覗けるわけではない。彼は脳をフル回転させ、自分がどうやってこの状況を脱するか思索し始めた。
とりあえず、ヘヴンヴォイスを護衛する任務は放棄しても良い筈だ。彼らは敵だ。それについて、仲間は愚か本部も口にしていなかった。局長から緊急で連絡が来たわけでもない。彼らの存在は本当に誰も知らなかったのだ。
――いや。
――誰かがこいつらの情報を隠していた可能性については?
――……待て。今はこの場から逃げ出す方法を……。
そこで突然、男達の一人が銃を向けてきた。八幡は瞬発的に身体を前斜めに飛ばし、敵の狙いから外れる。そして専門ではない投擲で銃を向けた男の手を狙う。偶然か奇跡か、その攻撃は見事ヒットし、男は銃を落としてうずくまった。
しかし彼は自分の行動が相手の手の平にある事を思い知る。今の男は囮だったのだ。
敵に接近する形となった八幡の右肩に、もう一人の男が放った銃弾が吸い込まれ、彼はその場で失速した。サプレッサーを付けていない銃の発砲音が僅か1秒間だけ伸縮し、空気を轟かせる。八幡は耳がつんざくのを感じながら、華美な装飾がなされた廊下に倒れてしまった。倒れた衝撃が余計に右肩を圧迫し、彼は短い悲鳴を漏らす。
敵との距離はそう遠くない。相手の歩く幅を考えておよそ四メートルほどだろうか。近くにボーカルの部屋がいる部屋の入口がある事に気付き、八幡の顔がさらに歪んだ。
廊下に倒れる哀れな敵を見て、ルースは大柄な体格に似合った大きい拳を片手に当てつつ、哀れみの言葉を吐き出した。
「俺も今のお前みたいな経験があるよ。目の前に敵がいるのに、自分は攻撃を受けて動けない。その時ってまさに死んでるような感じするよな」
「……っ!」
「でも殺すのは俺らじゃない。こっちはお前のせいで一人負傷者出ちまったから、その分は払ってもらうがな」
「囮、じゃないのか」
「まさか。俺らはバンドやるぐらい仲が良いんだぜ?お前が勝手に突っ込んできたんだろうが、俺らが悪いみたいに言うんじゃねぇ」
少し迷惑そうな顔をするルース。それから八幡の近くにあるドアの方を見て、固有名詞を口にした。
「ミル。近くに人が倒れてるから殺してやれ」
「……!」
八幡はギリ、と歯を食いしばり、このままでは自分が確実に死ぬ事を悟った。立ち上がろうとしたが、右肩から噴き出る猛烈な痛みがその意思を断ち切る。痛覚による呻きを漏らしながら、彼は敵に対話を試みた。
「……貴様ら、何が目的だ」
「見てて不憫だぜ、今のお前。ま、ちょっとお話してやるか。俺らの目的ね、そりゃもう、あれだ……」
ルースが暇つぶしに理由を話そうとした時、彼らを挟むドアがゆっくりと開いた。
それはルース達にとってはどうという事もないが、八幡にとってはこの世との永久の別れを想像させた。
ドアから出てくる白髪ショートの女。かなり色白で、首元や滑らかで繊細な指からも色気を感じさせる。しかし硝煙のようなグレー色を帯びた目からは、誰よりも強力な殺意が込められていた。おまけに右手にはこれまで見た事のない拳銃が握られており、八幡は額縁の奥で目を見開いた。
女――ミル・アクスタートは自分を見上げる長髪の男を見て、無言のままゆっくりと銃を向ける。冷徹な瞳と無機質な銃口を真正面から受けた八幡は、額に汗を溜めながらニヤリと口を歪めて言った。
「せっかくの美人が、台無しになっているよ」
それは八幡隆太という人間が生涯で初めて口にした口説きの言葉であり、眼前の外人達に対する小さな抗いと嫌味を含めた言葉だった。
*****
二発目の銃声がケンジと狩屋が走る方向から聞こえてきた。「今度のは微妙に重い音だぜ」と憎々しげに呟く狩屋に、ケンジの中に湧く不安がさらに増幅する。
そして銃声が聞こえた場所――ヘヴンヴォイスの宿泊していた部屋の前に来て、二人の思考は停止した。
五人の屈強な男達。一人は自身の右手を左手で庇いながらうずくまっている。その少し前にはドアから出てきたと思われる女がいて、右手に持つ銃口の一つから僅かな硝煙が出ているのが見える。銃口と女の視線の先には――
「……八幡さん!」
赤い液体の海に横たわる彼を認識した時、ケンジは何もかも考えずに走り出した。だが寸でのところで狩屋によって肩を掴まれ、勢いよく廊下から弾き出された。狩屋は拳銃で威嚇射撃しつつ、廊下に避難させたケンジのところに滑り込んで来てこう言った。
「下がるぞ!」
「そ、そんな」
「いいから聞け!」
そこで再び銃声が響いた。それが自分達を狙ったものだという事に顔を引きつらせたケンジに、狩屋が追撃の言葉を浴びせかける。
「これが俺達の仕事だ」
普段見せない厳しい顔でそう言った先輩に対し、ケンジは何も言えなくなった。しかし、敵は彼らだけではない。
二人が元来た道を戻る中、直線と右に分岐した通路で敵に遭遇してしまったのだ。彼らはケンジ達を視認した瞬間、手に掲げた銃を向けて一斉に乱射してくる。二人は死角に隠れて、やり返す機会を探る。
「くそっ、なんであいつらここにいるんだ……?」
「知ってるんですか?」
「一人一人はな。あいつらはこの街の殺し屋だ。一匹狼で、ヤーさんとかに雇われてる筈なのに……何で集団になって攻撃してくんだ?今頃になって殺し屋統括情報局に宣戦布告かよ?」
苦虫を潰したような顔で呻く狩屋はジャケットの中から球状の物を取り出した。見慣れていないケンジは爆弾だと思って、自然と狩屋から距離を取ってしまう。そんな彼を見て察したのか、狩屋が「閃光弾だから建物がぶっ壊れたりはしねぇよ」と苦笑した。
「目眩ましなんてチャラくせぇけど、今はこれしかない。いや、敵が三人って事は……姐さんがまだ半分引き付けてんのか……」
狩屋は目を閉じて少し唸った。数秒後、意を決したように閃光弾をケンジに渡し、はっきりと言った。
「お前、姐さんとこ行って、これ使って脱出しろ」
「っ!」
「姐さんの方から絶え間なく銃声が聞こえてるのは分かるだろ?つまり姐さんはまだ生きてる。でもそれは死ぬ事と同義だ。なら、ここは新人のお前と一緒に逃げるべきなわけよ」
「狩屋さんはどうするんですか」
「突っ込む」
「死ぬじゃないですか!」
平気そうな顔をして言う狩屋にケンジは怒鳴った。彼が声を張り上げる事自体、とても珍しいのだが、ケンジ本人は自分の変化には気付いていなかった。
一方、本気で怒鳴られた狩屋は当然びっくりしていて、そのまま驚嘆の声を呟いた。
「……お前がそこまでデカい声出せるとは思わなかったぜ」
「えっ、あ、すいません……」
「謝るなよ。つか時間がねぇ。あいつらは俺らを警戒してこっちには来ないけど、反対側から回られたら終わるぞ」
「……でも、狩屋さん」
「お前、俺を甘く見るなよ?こっちは拳銃より近接戦闘得意なんだぜ?」
そう言うが早く、狩屋は立ち上がると同時に敵がいる廊下へと躍り出た。ケンジが声を掛ける暇さえなかった。
銃弾が飛んでくる恐怖すら忘れて、ケンジは狩屋が走って行った通路に身体を乗り出した。そこで目に飛び込んだのは、敵の顔面に掌底を打ち込む狩屋の姿があった。しかしその直後、もう二人のうちの一人に右太腿を銃で撃たれてしまう。
「狩屋さん!」
「とっとと行けバカ野郎!」
ケンジには顔を向けないまま、彼は叫んだ。何故かケンジの方を茫然と見ていた敵の腹に拳の下部を突き立て、動かせない右足を軸にして戦い続ける。
「俺にもカッコいいとこ見せろっての!」
その言葉に押されて、ようやくケンジは戦闘が行われている通路から駆け出した。今は宮条の元に行って、早く撤退しなくてはならない。彼女の疲労はもう溜まりに溜まっている筈だ。
「早く……早く……!」
足が恐怖でもつれそうになるが一心不乱に走り続ける。今までの仕事で、これほど心臓が破裂しそうになる感覚はなかった。それはそれで異常な話だが、ケンジはそんな自分の異端性に気付けない。八幡が死亡した事が彼の思考に不安定な何かを生じさせてしまったのかもしれない。
八幡の元へ急行する途中にも、発砲音が不規則なリズムで耳に飛び込んでいた。それが敵と攻防を繰り広げている宮条からだという事も分かっていた。
ケンジは拳銃を下に向けながら走り、一つの角に背を付けてこれから向かう通路の状況を確認する。そして、これまでとは違う状況に頭の中が真っ白になりそうになった。
そこには自分に背を向けた三人のタキシード姿の男達がいた。それぞれが持つ銃火器をさらに先の方に向け、ゆっくり歩を進めている。それを見て、奥の方に宮条がいるのだと確信した。
ケンジの頭に幾つかの手段が浮かび上がる。一つ目は隣の廊下に行って宮条と脱出するという方法だ。これなら敵の殺し屋達を気にせず宮条に接触出来る。
――いや、これはダメだ。相手は熟練者なんだ、足音に気付かないわけがない。それに、相手が追い掛けて来たら元も子もない。
――なら後は何がある……?
そこまで考えたところで、ケンジは自分の服の中にある物について思い出した。ホテルの制服に無理矢理押し込んだ、狩屋から貰った危険物。
――これだ、これであいつらを動けなくすれば!
手段を選んでいる間にも男達は宮条のいる方へ近づいていく。このままでは彼女が危険に晒されるだけだ。ケンジは拳銃を腰に収納し、閃光弾を持った。そして狩屋に教えてもらった『気配の消し方』を実践する。
それが成功したのか、単なる偶然か、少しずつ迫る敵の存在に殺し屋達は気付いていなかった。距離が三メートル程にまで縮まったところで、ケンジは三人のうち中心の男に向かってそれを投げた。
一見すると爆弾にも見えなくない閃光弾はボールさながらの弧を描いて、男の頭の横をすり抜ける。
「あ?何だおい……」
男達はそれを確認する前にケンジの方へ振り返ろうとした。だが、目が閃光弾から逸れそうな際どいところで閃光弾はその身を破裂させた。
目を焼くような眩い光と耳を貫く高音が、男達を中心に周囲に拡散される。
「ぐ、ぅぅう……!」「っだぁ!クソったれがぁ!」「ッ……」
男達はその場に倒れて動けなくなる。前もって両手で耳を塞ぎ、目を閉じて背を向けていたケンジは恐る恐る彼らの方に目を向けた。そこには、先程までの銃を撃つ恐ろしさを微塵も感じさせない、哀れな殺し屋達の姿があった。
「……」
ケンジ息を顰めてゆっくり廊下を歩き出した。敵は聴覚と視覚を失っているため、足音は認識されないし自分の姿も見られない。それでも緊張する一方で、妙な優越感を味わっている自分がいる事に気付いて憂鬱な気分になる。
――何で余裕になってるんだ。僕がやってるのは立派な犯罪だぞ。
――……。
ケンジは顔を暗くして、緩慢な手つきで両腰から拳銃を取り出す。そしてうずくまっている三人の男のうち、一人を拳銃で二発撃った。サプレッサーである程度軽減された銃声と同時に男が呻きの声を上げる。
「がッ……」
何も見えない上に何も聞こえない。そんな中で自身の脳天に銃弾を叩き込まれた男の結末は、あまりにも不憫だった。自分だけが撃たれた理由を考える暇さえ与えられなかったのだから、哀れとしか言いようがない。
すでに階の中は静まり返っていた。夜だからか、チェックインの時間を過ぎたからか、それとも、闇を蠢く者達の戦いが終了したからか。
その中で少年は呟いた。誰に届けるわけでもない、感情を取り除いた一言を。
「……仲間を殺しただけの罪は背負ってよ」
*****
数十分前 同時刻
ケンジが宮条の元へ走り去ったあと、狩屋は自身の右足を撃った男に鼓膜を破くための張り手を食らわせた。痛みによる悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる男の顎にアッパーを加え、完全に沈黙させる。
「……くそ、やってくれんじゃねぇの」
強がって笑みを浮かべる。そのままカッコよく立ち去ろうとしたのだが、突然下半身に力が入らなくなる。迫りくる廊下に成す術もなく、狩屋はその場に倒れ込んだ。
――左足まで撃たれちまったのかよ……。
足に不純物が埋め込まれた強烈な痛みを我慢しつつ、彼は勢いよく仰向けになる。その衝撃で傷口が開く虞があったが、今は気にしなかった。
「お前か、俺を撃ったのは」
喋る度に口がわなわなと震えるのを嫌に思いながら、彼は眼前に立つ少年の顔を見据える。顔に苛立ちと殺意を滲ませる少年――田村要は片手で腹を押さえながら、もう片方の手で狩屋に銃を向けた。狙いを定めている位置は腹部だ。
「……やられた事はやり返す。お前ガキだな」
「殺し屋のくせに金髪にしてピアスまで開けてるチャラ男には言われたくねえよ」
「まだこっちの方が良いとは思うぜ?」
狩屋はそう言いながらマウントしていた拳銃を引っこ抜いて要の眉間辺りに銃口を向ける。互いに銃を向け合うという緊迫した状態の中、狩屋は眼前の少年に問い掛けた。
「……なぁお前、何でさっき別の方見てボケーっとしてたんだ?腹に綺麗に入ったの、半分はお前のせいじゃね?」
「お前には関係ない」
「そうかい。じゃ、何でお前は俺より年下っぽいのに殺し屋やってんだ?俺だってまだ成人迎えてねえのに」
「……なんだお前、俺と仲良くなりたいのか?」
「そういうわけじゃねぇよ。ただ気になっただけだ」
狩屋は少し懐かしそうな顔を浮かべ、トリガーに掛ける指に力を込めてこう言った。
「昔の俺みたいに、友達が欲しそうな目をしてたのが……」
だが、狩屋が紡ぐ言葉は最後まで吐き出されずに虚空へ散っていった。いつの間に取り出したのか、右胸に刺さるバタフライナイフを見て、彼は苦しそう紛れに笑う。
「……どうやら、当たりみたい、だな……」
途切れ途切れにそう言って、金髪の殺し屋はゆっくり目を閉じた。相手が息を引き取ったのを確認して、要は狩屋の顔を苛立たしげに眺める。そして誰に言うわけでもなく呟いた。
「……今更そんな事言ったって遅いんだよ」
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