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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第32話 羽化後の雨

 
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。

取り合えずJrに、人生の節目が訪れます。
Jrが魔法使いになると予想された方、申し訳ありません。 

 
 

 宇宙歴七八六年一一月~ フェザーン

 前世とは違い、クリスマスという独身男性をいい意味でも悪い意味でも苦しませる儀式はこの世界にはない。それは大変大変素晴らしいことだが、代わりに新年パーティーは存在する。同盟でも帝国でもここフェザーンでも宇宙歴(帝国は帝国歴とか言ってるが)を基本としているから、この人類世界でほぼ同日に行われているのは間違いない。誕生日を聞けば一〇月産まれが多いというのも、認めがたいが事実である。

 ハイネセンの実家では家族そろってのパーティーが普通だった。まだ実父アントンが生きていた時はグレゴリー叔父一家が家を訪れてくれた。近年ではカストロ髭のコナリー大佐夫妻やウィッティとウィッティの保護者だったアル=アシェリク准将ご夫妻、そして去年からフレデリカ=グリーンヒルが、妹達への土産を持ってグレゴリー家にやって来る。

 それはともかく。俺は今フェザーンにあって、何の因果かドミニクと一緒に妹達へのプレゼントを探すという、この世界に転生してから想像もしてなかったような状況下にある。フェザーンの中心街から少し離れた場所にあるショッピングモールが立ち並ぶ街の駅前で、いつものホロボロ姿でドミニクを待っていたら……
「貴方がモテない理由がよく分かったわ」
 やや厚手の上着にフロントスリットの黒いスカートを身に纏っているドミニクが、俺の姿を見て開口一番にそう言い放つと、容赦なく腕をとって俺を男物のカジュアルスペースへと引きずり込み、勝手に次々と服を選んでは俺の持つ籠に放り込んでいく。

「これとこれに着替えて来なさい。いますぐ!」
 現金で四〇〇フェザーンマルクも支払わされただけでなく、更衣室で強制的に着替えさせられる。歳下の、本来だったら少女と言っていい相手にいいようにされ、店員は苦笑を隠しきれていない。悪いがドミニクの姿をどう見ても御年一五歳とは思えないのだが。

「どうにか見るに堪える姿になったようね」
 着替え終わった俺を見て、ドミニクは俺の顎に右手を伸ばしクイクイと俺の首を廻すと、大きく溜息をついた。
「義妹さん達へのプレゼントだけど、まさか傘とかおもちゃとか文房具とか考えてないでしょうね?」
「……だって義妹だし」
「義妹さんはそれで怒ったことはある?」
「ないよ。程度の差はあれ、みんな喜んでくれた」
「……貴方のセンスのなさが、どういう陰謀の上に成り立っているのかよく理解できたわ」

 ウチの可愛い義妹達が俺に対して一体どういう陰謀を企てているのか。ドミニクが陰謀という言葉を言ったことで、一瞬ピクリとした俺だが対象が異なるので理解できない。俺が戸惑っていると、ドミニクは心底呆れた表情で、今度はフェザーンのみで販売するというブランド時計店へと引きずり込む。

 俺の想像する値段とは全く違う。五〇フェザーンマルクより安いものは見当たらない。おもちゃでもそれなりに値が張るのはあったけれど、為替レートから考えても四〇フェザーンマルクを超えたものを買った覚えはない。
「ちょ、ちょっとドミニク……」
「ビクトル、妹さん以外の女の子にプレゼントを贈ったことはないんでしょう?」
「そ、そんなことは」
 前世を含めればある。あるにはあるが、贈られたときの相手の微妙な表情を思い出し、暗澹たる気分に陥る。
「じゃあ黙ってみてなさい。上の妹さんは褐色肌に金髪だから……これ。真ん中の妹さんは白い肌に黒髪だからこれと。一番下の妹さんは、もう少し可愛いデザインがいいでしょうね。じゃあ、これ。あ、あとこれも」
 二八〇マルクに二三〇マルクに一九〇マルクに五五マルク……せしめて七五五フェザーンマルク也。
「なんで四つ?」
「最後の腕時計、別のデザインにしてもいいのよ。その代わり五〇〇フェザーンマルクになるけど?」
 一瞬ではあるが、原作でよく見たあの迫力ある目つきを見せつけられ、俺は両手を挙げざるを得ない。それでも五五フェザーンマルクの品で抑えてくれたのは、ドミニクの好意だろう。店員の残念とも微笑ましいとも取れる表情に、財布から大枚を出す俺としては、もうどうにでもしてくれといった気分だった。ご自宅まで配送しますか、という問いには即座に俺は頷き、ドミニクが五五マルクの腕時計を早速腕にはめている隙に、グレゴリー叔父の自宅住所を記入する。ただし配送料は三八〇フェザーンマルク也……

「女の子へのプレゼントを買うときはもう少しお金を持ってくるものよ」
 全くの浪費の後、テラス式のカフェでドミニクは綺麗な長い足を見せつけるように組んで、俺に言った。為替レートで行けば、今日ここまでの出費は月給の半分にほぼ等しいのだが。
「腕時計の代わりに、次の火曜日のお代は半額にしてあげるわ」

 恩着せがましいというよりは、折角ついた贔屓の客へのサービスという感じでドミニクが言うものだから、余計に腹がグルグルとする。深く息を吐くつもりでモールのメインストリートを眺めると、若い少女のグループがジェラートを片手に、お喋りしながら歩いているのが目に入った。ジュニアスクールくらいだろうか。年齢だけで言えばドミニクと同じぐらいだ。俺の視線に気づいたのか、ドミニクも少女の一団に視線を向ける。

「ああいう姿を見て、私が傷つくとでも思っているの? ビクトル」
「いいや。あちらに行こうと思えば、今からでも方法があることを、君は知っているはずだ」
「……そうね。実の親がいないのは貴方も同じだったわね」

 しばらく俺とドミニクは視線を合わすことなく、メインストリートの人の流れを見つめた。幼い子供を肩車した父親と乳母車を押す母親。周囲にハートをまき散らす二〇代のカップル。笑い声と喧噪をまき散らす一〇代の男女グループ。目つきの悪い少年は買い物袋を下げて一人ぼっち。

「ビクトル。私、これから行きたいところがあるけれど、一緒に来ない?」
「構わないが、あまり遠いのは」
「場所は中央市街よ。帰り道になるわ」

 そう言い放つとドミニクは席を立ち上がり、すたすたとメインストリートへと歩みを進める。俺もその後についていこうとするが、その行く手をウェイターが遮る。俺が若いウェイターを睨み付けると、その手にはオーダー表が握られていた。

 移動中、ドミニクはずっと黙ったままだった。何かに怒っている……わけでもない。怒っているならば一緒に行きたいところがあるなどと言わないだろう。フェザーン生まれの彼女なら、俺の尾行を巻くことなど容易なはずだ。リニアから降りたときも、舗装された道を歩いているときも、ひたすら無言。日曜日なので当然人通りは多かったが、中央官庁や行政府が林立する地区に入ると途端にその数は減る……

 フェザーン自治政府警察本部、航路局、少し離れたところに自治領主府、財務当局、フェザーン準備銀行、超光速通信管制センター……ただひたすら『仮想敵』の施設が俺の視界を抜けていく。余計に呼吸が荒くなる。そして、ドミニクの歩みは全く止まらないが、もうここまで来ればドミニクが向かいたい場所というのは想像がつく。華美ではないが、だからといって実用一点張りでもない重厚な造りをした建物。自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所。

 その正門から五〇メートルくらいの場所でドミニクは立ち止まる。おそらく、いや間違いなく、俺とドミニクの姿は赤外線監視システムで捉えられていることだろう。俺が一人で映っている分には問題ない。何しろ日曜日を除くほぼ毎日、この建物に通い詰めているのだから。だが、ドミニクは……

「行きましょう」
 ドミニクはそういうと狭い路地へと身を翻す。その動きは素早く、ついていくのも精一杯。ただ路地に入った時に僅かに感じた尾行の気配は、あっという間に消えていく。一〇分程度の運動の後、たどり着いたのはいつも来るドミニクの店。地下に降り、鍵を開けて入ると、当然ながら人の気配はない。

「どこにでも座って。今日が休日だってみんな知っているから誰も来ないわ」
 俺がいつものカウンター席に座ると、いつもなら叔父が立っているカウンターにドミニクは入り、下の棚から深紅のリキュールを取り出した。並べられたグラスを二つとって、俺の前に並べてリキュールを注ぐ。俺の分を注ぎ終わると、ドミニクは断るまでもなく一気に自分の分を飲み干した。吐きだした血のように薄い唇に残った赤いリキュールを右手で拭うと、カウンターテーブルに両手をつき、俺の顔に自分の顔を寄せ付ける。据わった薄い空色の瞳の中に、俺のとぼけた顔が映る。

「さて、ビクトル」
 酒に酔っているというより酔わされているという口調で、ドミニクは俺に囁くように言った。
「私は貴方に『覚悟』を見せたわ。次は貴方の本当の名前、教えていただけないかしら?」

「ヴィクトール。ヴィクトール=ボロディン」
 もはやウソを答える必要はない。例えドミニクが黒狐に飼われている可能性があっても、弁務官事務所のカメラにその身を晒した以上、勤務熱心な同僚諸君がドミニクのことを独自に調査するだろう。俺に近づいた怪しいフェザーン人として、フェザーン当局に照会を求める可能性もあるが、そこまで馬鹿ではないと思いたい。

 そして同盟弁務官事務所周辺に潜んでいるフェザーン側の監視網もドミニクを捕らえた可能性は高い。フェザーン人の同盟側工作員として、今後の警戒対象にされるだろう。だがそれを帝国に情報として売るかどうかは微妙なところだ。

「年齢は二三。階級は大尉。自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所つき駐在武官」
「第一艦隊副司令官の甥で、宇宙歴七八四年士官学校首席卒業者。少しばかり間抜けで、生真面目で、女心に疎い、どうしようもない人」
 そう言い放つと、ドミニクはきめ細やかな両手を俺の両頬に当て、自分の唇を俺の唇に押しつけるのだった。この後、何があったかは言わない。ただ宿舎に戻ったのが深夜だったことは付け加えておく。

 それからドミニクの店で収集される情報は増加することになる。他の女性が歌っている時、今までは俺がじっと聞き耳を立てているだけだったが、今度はドミニクが直接接客することで客から少しずつ情報を抜き出してくれる。国家の存亡を揺るがすような情報など、中小企業の幹部や接待客、中間所得層が持っているわけなどないが、電子新聞に載らないような些細な情報が少しずつ漏れてくる。宇宙船の材料を生産する帝国内の鉱山で、労働者の一部が減っているとか、帝国側の商人が紙パルプの買い付けを始めているとか、帝国の誰それという若手貴族が軍拡を求めているとか。

 逆にドミニクが俺に話を聞くこともある。同盟内部の政治情報、軍事情報、経済情報……当然ながら駐在武官としてリーク出来る情報と出来ない情報の区分けがあるから、それに合わせたレベルでドミニクに伝える。ドミニクに伝えた情報は市中に出回ってはいないが、同盟と取引のある商人にある程度の金額を払えば得られるようなレベルのものばかりだ。それでも店に来ればタダで聞けるわけだから、必然とドミニクに対する客の口も軽くなる。

 これじゃまるで『ヒモ』だなとカウンターに座って、ボックスソファーの賑やかな笑い声を聞きつつ俺は自嘲せざるを得なかった。お客も少しずつ増え、狭い店は満席になることもある。働く女性も増えたことで、ドミニクも勤務日数を週二日に減らしてお客の数を調整している。年が明けて二月、三月。帝国軍の遠征を察知し、フェザーン商人の動きと、漏れ聞こえてくる調達物資の量からその動員規模を計算し、その数値が五月の辺境部における交戦でほぼ正確だったことが判明し、アグバヤニ大佐からまさかのお褒めの言葉を頂くことにもなった。

 ドミニクのプライベートも順調だった。勤務日数が減り、かつ収入が増えたことで歌やダンスのレッスンに割ける時間が増え、オーディションで落選しても審査員の評価はかなり高くなり、七月のオーディションではほぼ間違いなく歌手デビューすることが出来るだろうという話になっているようだ。誰のお陰か細かった身体も女ぶりを増し、元々大きかった胸と腰との釣り合いが取れてきて、理想的な曲線美を描くようになってきている。

「貴方に会えただけで、これほど変わるとは思わなかったわ」
 七月初旬の金曜日。接客の合間を縫って俺の隣に座ったドミニクは、艶を増した笑顔で囁いた。もともと頭にもスタイルにも声にも才能はあって、たまたま一五歳から一六歳という時期に会えただけで、俺が彼女に何かしたわけでもなんでもない。そう思うと内心忸怩たる想いが渦巻く。微妙な空気を感じ取ったのか、ドミニクは何も言わずに俺の背中をポンと叩くと、再びボックスソファーへと戻っていく。そのタイミングだった。

 胡桃材の扉につけられた鈴が鳴り、来客を告げる。いつものようにカウンターに詰めているドミニクの叔父さんがそれに応える。
「いらっしゃい」
「ほう、噂通りなかなか良い店だな。席は空いているかね?」
 重々しい響を持つ、強い男のみが持つことを許される声。聞き覚えはある。時折開かれるパーティーで遠巻きに。直接聞いたのはもう一年近く前のこと。そして俺の隣の席は、ちょうど空いたばかりだ。

「隣に座らせていただこうかな。ご主人、ウィスキーをストレートで二杯。彼に一つ渡してくれ。私の奢りだ」
 大きく重厚な身体が、貧弱なカウンター席に小さな悲鳴を上げさせる。そしてその男は俺に大きな顔を向けた。
「久しぶりだな。ボロディン大尉。フェザーンでの暮らしが充実しているようでなによりだ」

 そう言うと、アドリアン=ルビンスキーは俺に向かってグラスを掲げるのだった。

 
 

 
後書き
2014.10.30 更新 
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