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相棒は妹

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志乃「番外編って言っても別に大したことないけどね」

 
前書き
番外編です。伊月が志乃に扼殺されそうになった次の日のストーリーとなっています。本編とはリンクしていませんが公式のお話です。 

 
 昨日……俺は妹に殺されそうになった。言っておくが、冗談でも比喩表現でもない。現実に起きた出来事をそのまんま要約するとこうなるのだ。

 とはいえ、その末端には俺の所為ということもあるので、お互い様でもある。ただ『風邪引いたら殺す』などという荒唐無稽な言葉を、冗談と受け取れるほどキャパシティが広い人間がいるかと問われれば、それはないと言ってやりたい。そうだ、俺は悪くない!大丈夫!……大丈夫。殺されそうになったけど、俺は今日も元気です。

*****

 階段を降りてリビングに足を踏み入れる。すでにそこには妹の志乃と母さんがいた。二人とも朝食を取りながら無言でテレビの方に目を向けている。今は春休みだから志乃は休みで、母さんは主婦だから一日中家でコス作り。家事もこなすが、洗濯は俺か祖母任せという主婦としてどうなの状態だ。どうにかしてほしい。

 俺の姿を見て、母さんが「あら、早いじゃない」と言ってくる。まるで俺がいつも遅くまで寝ているみたいな言い草だ。

 「いやいや。いつも九時には起きてんじゃん」

 「十分遅いわよ。私なんて毎日七時起きよ」

 普通の主婦の人に比べちゃ、アンタも十分遅いだろ。父さんなんて朝五時起きなのに、家族の一人も起きて来てくれないんだぞ。あまりに可哀想じゃねぇかよ。いや、俺もそう言いつつ起きる気全く無いんだけどさ。

 朝ご飯は、朝っぱらに父さんが作ってくれた味噌汁と白米だけ。隣に座っている志乃の納豆の臭いにげんなりするが、奴に気遣いという神経は存在しないのであえて無視。

 今日は何しようか。一昨日と昨日はケンと綾乃と遊んだし、のんびりしようかな。どっちにしろ風邪気味なのは確かなんだから、カラオケには行けないし、どこか遊びに行く事も出来ない。しょうがない、やり残したまんまのRPGでもやるか……という感じで一日の潰し方を決定する。

 目的を掴んだ俺は朝の工程を淡々とこなし終えて部屋に向かう。自室に着いて早速机の前にある椅子に座った。そして何の前触れもなく机の引き出しに手を添えて、ゆっくりと中を開ける。

 実はここの奥には、俺が家族の誰にも話していない秘蔵のブツがあるのだ。というか、これをわざわざ他人に打ち明ける方がバカだと言わざるを得ない。男子諸君なら誰しもが一枚、あるいは一冊は持っているであろう、男の欲をさらにかき立てる魅惑のアイテム。
 そう、エロビデオまたはエロ雑誌だ。俺は新世界への旅立ちとなる引き出しを開ける前に、フフッと一人笑う。

 それはこの世に無くてはならない、どんな物にも置き換えられない唯一無二の存在。全世界の男性が心のどこかに必ず駐留させているであろう性欲を刺激する、神すら成せなかった人類の秘宝。ジャンルは様々だが『エロ』という観点から見れば全て平等だ。相違点があるとすれば、生々しいかマイルドかという事だろう。

中には犯罪に発展してしまう物もあるので、それはとても許せない。が、俺にはどうする事も出来ない。今日の警察方にお任せしよう。

 まぁ、そんなグレーな事ばかり語っても面白くない。だが、こうした世界には悪意と欲という物が必ずどこかしらに混在している事だけは忘れないでほしい。

 俺は深く深呼吸して、心中で女性の皆さんごめんなさいと謝りつつ、成す術もないまま欲にまみれた世界への扉を開いてしまう。こればかりは俺にも止められない。大食いの人が目の前に豪勢な料理を出されて我慢出来なくなるのと差ほど変わらないだろう。にしても、こんな朝早くから無意識にエロ動画を見ようとする辺り、俺もけっこうな変態かもしれない。

 グバッ!と勢いよく引き出しを開け、丁寧な手つきで教材の群をかき分けていく俺。その先に眠っているビキニ姿の女性が写ったパッケージを探す――しかし。

 「……あれ?」

 ない。ビキニの姉ちゃんが妖艶な笑みを浮かべてお尻をこちらに突き出している筈のマイお宝が。一年前賭けを伴った練習試合に勝利した結果その相手から獲得した、唯一のエロ動画DVDが。スーッと、何かが引いていく感覚が頭を横切っている。
 ない。ないないないないないないない。ない!ない!!なああああああああああい!!俺の!秘蔵のアイテムがああああああああ!雑誌なんかじゃ満足出来ねえってのにさああああああ!!

 そのまま敷きっぱなしの布団に水泳選手さながらの勢いで飛び込み、ゴロゴロと何度も往復する健全な男子高校生こと俺。だが布団の中でジタバタしてても解決するわけがないのは言うまでもない。

 俺は暫くしてようやく起き上がり、椅子に座って深く息を吐く。全てを諦めたわけじゃない。むしろその逆だ。

 整然と並んでいる教材群のみが積まれた引き出しを見て、忌々しげな声で宣言した。

 「絶対だ……絶対に、犯人見つけてやる……」

 これは絶対に解決しなくてはならない。俺の今後に関わる大問題だ。もし妹に知られようものなら……精神的に死ぬだろうね。

*****

 とはいえ最初に疑うべきは俺自身だ。基本的に物を出しっぱなしにはしない性分だが、もしかしたら、という事があるかもしれない。そこでDVDを最後に見た日を思い出す。ええと、アレを最後に視聴したのはいつだっけ?最近全然見てなかったんだよなぁ。今思うけど、朝からエロ動画見ようと思った俺の思考ナイスだな。もし夜とかに気付いても、すでに手遅れだったかもしれないし。

 俺は必死に考えたが思い出せなかった。第一、同じ物を毎日見るわけがないので、アレは本当にストレスが溜まった時とか、女絡みの事でむしゃくしゃした時だけ見たりしていた。後は基本的に俺が所有している雑誌で終わらせていた。これさえ思い出せればDVDを探す上で近道になると思っていたんだけど、やはりそう簡単には上手くいかない。やむを得ず俺は細かな室内捜査に乗り切った。

 机に押入れ、本棚……ありとあらゆる場所を念入りに見て回ったのだが、やはりどこにもない。初めに自分を疑いはしたが、その可能性については一番無理がある気がしていた。『自分の事は自分が一番良く分かっている』。この言葉は一つの側面においてとんでもない力を発揮するのだ。その分、自分ですら分からない事を他人が知っていてイラつく場合もあるが。

とにかく、俺は物を定位置に置く習慣が付いている。こうして部屋の中を改めて調べると、そうした自分の特徴がよく分かった。

 だとすれば。俺は思案する。考えたくもないが、俺自身に問題がなかった以上、そう結論を出さなくてはならない。

 犯人は恐らく、家族の誰かだ。

 「はぁ……」

 あまりにもレベルの高いアタックを予想して重たい息を吐く。思い返して見てくれよ。相手は葉山家の皆さんだぜ?俺が余裕を持って臨める相手なんて変態加齢臭野郎な父さんだけじゃん。ぶっちゃけた話、俺も父さんもうちの家族の女性には頭が上がらないのだ。

 再び溜息を吐く。春休みはもう少しで終わって、二度目の新しい学校生活が始まるってのに、俺は一体何をしてんだろう……。勉強しろよ畜生!

*****

 「なあ、母さん」

 「ん?なぁに?」

 俺が最初に狙いを定めたのは、母さんだった。いや、最初はばあちゃんにしようかと思ったんだけど、ここは一番会話のキャッチボールが出来る人を先に消化してしまう事にした。そして先に言っちまうと、この人は犯人じゃない。何故なら……

 「母さんさ、俺のエロDVDパクッた?」

 「伊月のエロDVD?ああ、机の引き出しの奥に入ってる奴よね。男の子なら普通、誰が見ても絶対に分からないようなところに隠す、と見せかけて実は机の中に入ってたって感じの」

 ああ泣きたくなる。この人、普段コス作りばっかりしてるくせに家の隅々まで把握してんだよ!マジであり得ねえよアンタ暇人すぎだろだったら早く掃除の仕方覚えろや!

 「ホント、あんたも若いくせに狡猾っていうか、悪知恵が働くっていうか……灯台下暗しって事なのかしら?」

 「とりあえず、母さんじゃないのだけは分かったから、もういいよ」

 「どうしたの?もしかして失くした?」

 「そう」

 「探してあげよっか?」

 「……丁重にお断りしておくわ。それと誰にも喋んなよ」

 「はいはい。近所の奥さんとの話題だけに使わせてもらうから」

 「それもダメだから!」

 くそ、何でうちの人間は性質(たち)悪い奴らばっかなんだよ……父さん除いて。つか、母さんを巻き込んだら絶対に面白がって確実に変な方向に引きずり回すだろ。それだけは勘弁だ。

 陰鬱な感情を取り込んだかのように重い足を動かして階段を上り、一度部屋に戻る。次は誰に問うべきか。今家にいるのは父さん以外なので、妹か祖母の二択に狭められる。うわ、どっちも嫌なんだけど。

 椅子に座って腕を組み、頭を捻る。どちらがより早く結論を出してくれるだろう。それは志乃だ。どちらが話しやすいだろう。それはばあちゃんだ。……ったく、マジでイライラしてきた。犯人見つけた竹刀で頭ぶっ叩いてやる。

 そこで俺はもう考えるのが面倒になった。立ち上がり、ずかずかと階段を踏みながら一階にやって来る。そしてリビングの反対側にある玄関の手前で立ち止まった。そこは今度の敵の本拠地。何故だろう、普段よりもドアが大きく見えるぞ。

 でも臆する事は出来ない。一分一秒でも早くこの事件を解決しなければ、いずれ俺は社会的に死ぬ事になるだろう。

 次の相手はばあちゃんだ。とっとと終わらせてやる。

*****

 ふふっ、さすが俺だ。ばあちゃんとの対決、五分で終わらせてやったぜ!何故か気分が高揚してしまい顔がニヤける。葉山伊月、やれば出来る男だ。数分前の出来事を思い出して、また笑ってしまう。

*****

 数分前、鬼気とした表情で祖母の部屋に正面突入した俺だったが、中を見て拍子抜けしてしまった。

 ばあちゃんの部屋は、色とりどりのカラーボックスで、文字通り『占拠』されていた。

 テレビの置台はカラーボックス。お煎餅とお茶、急須の台もカラーボックス。本棚、机、椅子なども全てカラーボックスで賄われている。一番驚いたのは、

 「な、何で布団がカラーボックスの上に敷かれてるんだよ……」

 「少しでも『洋式のベッド風』にしようかと思ったんじゃよ、伊月もやってみぃ」

 「洋風どころか貧乏くせぇ!」

 絶対やらねぇよ!見るからに寝心地悪そうだな、おい。

 そして会話を続けていた当の祖母はというと、頭に小型カラーボックスを乗せながら黄色いカラーボックスの改造を行っていた。眼鏡をかけ、右手にドリルのような物を持ち、自身の周りにも謎めいた機具を並べている。ばあちゃんを含めたその光景が、あまりにも常人離れしすぎていて逆に落ち着いてしまった。

 だがその姿を一度意識すると、今度は話しかけるのが申し訳なくなってきた。しかし今は自分の問題を片づける方が優先だと言い聞かせる。どっちにしろカラーボックスの改造って無意味に近い気がするし。

 「なぁ、ばあちゃん。最近二階に上がってきたりした?」

 「二階?上がらんよ」

 「じゃあ、俺の部屋には?」

 「カラーボックスの無い伊月の部屋に、何の得があるっちゅう話よ。聞きたいのはそれだけかい?」

 「あ、ああ、それだけ。邪魔してごめん」

*****

 ……これが俺と祖母の会話だ。つまり犯人じゃない。よくよく考えてみると、エロ動画をばあちゃんが見る筈ないもんな。いやー、これ時間の無駄だった。やっぱり俺も根底ではかなり焦っているのかもしれない。カラーボックスだけを愛するあの人を犯人リストに入れる意味なんて考えるまでもないのに。

 さっきとは違い、今度は自分の冷静さに欠けた行動に苦笑する。そして、脳内で二人の人間を思い浮かべる。

 父さん。そして志乃。残るはこの二人だ。可能性としては……甲乙付け難い。父さんだったらパクって視聴するだろうし、志乃なら俺に対する嫌がらせのために使いそうだ。

 「とりあえず、志乃からかな」

 父さんは仕事で家にいない。なら残るもう一人を次の相手に掲げる他あるまい。

 志乃。俺の妹であり、ピアノ実力者であり、全てにおいて鬼畜野郎な強敵を。

 「……正直、嫌だなぁ」

 ボソッと呟く俺。ついつい本音が言葉になって出てしまった。少し焦って周りを見渡すが、誰かが聞いていた様子はない。ふう、と吐息を漏らしてから、俺は階段を上って志乃の部屋に向かった。段を踏みしめる音が、まるでラスボスの部屋に乗り込んでいるような緊張感を与え、何故か身震いした。俺がこの家族の中で一番苦手としているのはやっぱり志乃なんだな。全く喋っていない間柄だったのに不思議なもんだよ。

 自分の部屋を通り過ぎて二つ先の志乃の部屋に辿り着く。額に滲んでいた汗を手で拭って、息を静かに吐き出す。これから訪ねるのは妹だってのに、俺はどうしてこんなに緊張しているんだろうか。わりとマジで殺されかけたから?だとしたら情けないにも程がある。

 でもここで止まっているのは一番情けない。俺は妹が佇んでいる部屋のドアをコン、コンとノックして相手が姿を現すのを待つ。

 だがしかし、数分間待っても奴は出てこなかった。さすがに変に思ってもう一度拳でドアを軽く叩く。絶対聞こえてる筈なんだよなあ。

……まさか。俺は脳裏に浮かんだ一つの予測を、噛みしめるようにして言葉に出してみた。

 「まさかあいつ、居留守してんのか?」

*****

 その考えは見事に的中していた。いや、当たってても嬉しくなんてないけど。

 俺は一階に行って母さんを招集、志乃の部屋に連れて行って奴を呼んでもらった。すると志乃は手品でも見せるようにいとも簡単にドアを開け「なに、母さん」と無表情で答えたのだ。

 志乃は俺が母さんの隣にいる事に気付き、わずかに嫌そうな顔をした。こいつ、俺以外だと出るのかよ。どんだけ嫌われてんだ俺。カラオケで歌いまくれって命令したのはどこのどいつだってんだ。

 でもそんな文句は億尾にも出さない。それを言えば志乃は再び部屋への扉を閉めてしまう事だろう。それでは苦肉の策の意味が無い。

 母さんは「もうちょっと仲良くしたら?」と苦笑いしながら降りて行った。残ったのは上手く会話を切り出せずにいる兄と、とっととしろ的な顔で俺を見ている妹だけだった。

 「その、さ。ちょっと話があるんだけど」

 何とか言葉を口に出来た俺に、志乃はジト目で質問してきた。

 「すぐ終わるの、それ」

 「え、ああうん。すぐ終わるから、ちょっと聞いてくれ」

 「なに」

 やべえ、すごいダルそうな顔してる。早く終わらせて心の底から安心しよう。犯人が父さんなら俺も言い負かせられる自信あるし。

 「そのな、お前……」

 ごく自然に話そうとしたところで、俺は究極の難題を抱えていた事に気付いた。それはまさに、これから志乃に話す内容についてだ。

 『お前、俺のエロDVDパクッた?』なんて気軽に聞ける話じゃない。ましてや相手は妹だ。恐らく、いや、確実に軽蔑される。それどころか一生口聞いてくれなくなりそうだ。だってもう、これセクハラじゃん!

 ううん、参った。俺は真実を告げるべきなのか。待て、早まっちゃダメだ。ここはあえてオブラートに包もう。ちょっと柔らかな感じで、それとなーく話せばいい。あまり語彙力に長けていない俺だけど、こういう窮地には意外と強いと自負している。それが長年剣道をやってきて積んだ判断力によるものなのか、過去に放火事件を犯した俺の狂った神経によるものなのか、答えは分からない。

 目の前には徐々に苛立っているように見える妹。早く要件を済ませなくてはならない。でも内容がちょっと生々しい。そこで俺が口にした、生々しさを最大限に優しく包み込んだ言葉。それは――

 「お前さ、最近フラストレーションが溜まって、それをすっきり解放するためのツールとか使った?」

 これだああああああああああああああああああああああああああああああああ!!俺は言葉を吐き出した直後に、心の中でガッツポーズを決めた。

 欲求不満をあえてフラストレーションに、道具をツールという単語に置き換え、どことなくエロいイメージを払拭するのに成功。その上『すっきり解放』なんて、すごい清楚に聞こえないか?まさしく当初のコンセプト通りだ。さすが俺、と今なら胸を張って自慢出来る。

 筈だったのだが――俺は見落としていた。

 俺が質問をした後の、奴の反応というものを。間接的に『自分を慰めるための道具使った?』と聞かれた後の言葉を。

 ……数秒後「死ね」という言葉と共に妹が籠城する部屋への扉は勢いよく閉じられ、開閉する際の扇上にあった俺の足にドアが直撃。ストレートに悲鳴を上げてその場にうずくまった俺を唾棄するような目で見た妹は、心配する様子も見せずに部屋に戻った。どうやら妹は問題に関わっていないようだ。右足の外側に受けた痛撃が何故か俺を空虚な感覚にさせていた。

 ……俺、一人で楽しそうだなぁ。

*****

 志乃も犯人じゃない。だとしたら残っているのは父さんだけだ。これだけの犠牲を払ってようやくここまで来たのだ、父さんには死んでもらうしかない。冗談だけど。

 しかしTHE HENTAIは夜にならないと帰って来ない。仕方ないので、昼飯を取った後は部屋に戻って本を読むことにした。

 でもDVDの行方が気になって集中出来ず、今度はゲームをやる事にした。最初は普通にのめり込んで楽しんでいたのだが、なんとなく時計を見たところで今の自分の状況を思い出して一気に萎えた。

 こうなったら寝てしまおう。現在時刻は午後の一五時。今から寝れば丁度いい時間帯じゃないか。勝手には合理化してしまった俺はすぐにベッドに横たわる。起きたのが遅いのに、数分後にはもう眠ってしまっていた。



 気付いたら辺りは真っ暗で、窓から差し込む薄明かりと開きっ放しのドアの方だけが部屋に僅かな色を与えてくれていた。おかげで視界も効いている。

 重たい目を擦って一階に行くとリビングにはすでに夕食が用意されていた。匂いだけで分かる。今日は豚汁だ。

 と、その時玄関の方から「ただいま~」という声が聞こえてきた。そこで俺の意識は判然となって、リビングから玄関へと急いで向かう。

 そこにはネクタイを何故か右腕に巻いている変態野郎がいた。つか何でリストバンドみたいにしてんだよ。カラーギャングか何か演じてるのか?言っちゃ悪いが古いぞ。

 「お、どうした伊月。俺をそんなに睨むんじゃないよ」

 気さくな調子で俺に話しかけてくる父さん。その様子を見ていると、とても部屋からエロDVDを盗んだ犯人とは思えないが、他のみんなにアリバイがある以上優しくする事は出来ない。

 俺の横を通り過ぎようとする父さんの肩を叩いてこちらに振り向かせる。「ん?」と間抜けな顔を突き出してくる奴に俺は言った。

 「後で話があるから、俺の部屋に来てくれ」

「なんだなんだ、男同士の話でもするのか?あいにく俺には愛すべき妻がいるから恋バナは」

 「ああ大丈夫、それはないから」

 ちょっと冷たくあしらっておいた方が良いのだ。この親父の場合は。そうして俺は寝起きなのに妙に覚めている思考の中で、最後に一言唱えた。

 さっさとケリつけて、笑顔で帰ろう。

 ……覚めてるのは確かだけど、考えてる事はまだ寝ぼけてるな。一人溜息を吐いてから俺は風呂場へと向かった。

*****

 「で、俺に何の用だ?恋のお悩みか?それとも将来?なに、案ずるな。お前は一度折れてしまったが、まだ若いんだ」

 「とりあえず二つともあり得ないってのは確定事項なんだよ。それとアンタに悟られても心に響かねぇ」

 「え?そうなの?俺、一応親なんだけどなぁ」

 「え?そうなの?」

 「む、息子にオウム返しされるとは……!しかもどこかコケにされてる気が」

 「まさにその通りだよ、父さん」

 「その『父さん』って呼び方が余計に嫌味だ!」

 そのツッコみ、やっぱり俺は父さんの息子みたいだ。なんだか不快になっている自分がちょっと笑える。

 そんな俺が父さんと相対している場所は、先程伝えていた通り俺の部屋だ。六畳程度の部屋はこれでもコンパクトに纏めているつもりだ。俺の性分から物が雑に散らばっている事も無い。ああ、でも机付近はかなり汚い。消しカスが特定の位置に溜まってんのはちゃんと処理しなきゃならんな。

 そして今、俺は椅子に座って目の前で猫背のまま突っ立っている父さんと会話している。本来なら立場は逆かもしれないが、当の本人何も言わない。この人、やっぱり家族の中で一番立場が低いんだな。なんかゴメン。

 「話戻すが、お前何で俺を呼び出したんだ?しかも何で俺が教師に説教されてるようなポジションな訳だその辺詳しく教えてくれ」

 「父さんにはそれがお似合いだからだよ」

 「ちっとも嬉しくない!というか明日早いんだよ、ちゃっちゃと済ませてくれないか」

 その言葉で俺は理不尽だがカチンときた。まだ犯人が父さんと断定したわけじゃない。それでも母さんやばあちゃん、志乃が犯人ではない以上、俺の中である程度犯人扱いされているのは無理ない事だった。情状酌量の余地はないと冷静に判断する。
 そのため今の発言は俺にとって腹立たしく聞こえてしまい、思わず声のボリュームが上がってしまった。

 「ちゃっちゃとじゃないんだよクソ野郎。それはこっちのセリフだっての」

 「クソ野郎とはなんだクソ野郎とは!それが親に対する……」

 「ゴメンそれはテンプレすぎてつまらないからちゃっちゃと終わらせよう」

 「ぐぅ……!」

 「単刀直入に言うけどさ、父さん俺のエロDVDパクッたっしょ」

 「な!?」

 俺が言葉と言葉の間に隙を作る事無く面と向かって父さんに問う。すると父さんは口を開けた間抜けな顔で驚いた。これは素で驚いてんのか?いや違う。何故なら、

 「父さん、何でそんなに汗掻いてんの?今日はそんなに暑くないけど?」

 「い、いや、父さんは暑がりなんだよ、そうだそうに違いない」

 自分に言い聞かせてんじゃねえか。もはや自分で自分を犯人だって言ってるようなもんだ。あまりにもお粗末な展開に、腹底で煮え滾っていた苛立ちが一気に霧散した。「はぁ」と呆れを含めた吐息を漏らし、俺は目の前で項垂れているバカ親父に聞いた。

 「何で俺のエロDVD取ったんだよ。まさか教育に悪いとか言うんじゃないだろうな」

 「そ、そんなつもりはない。その、あれだ」

 今になって思うと、俺何で父さんにエロDVD取った理由とか聞いてんだろう。この風景、第三者には絶対見られたくないわ。ケンとか綾乃とかは尚更だ。あまりに滑稽すぎて自分でもバカに思えちゃうぐらいなんだからさ。

 「ていうか今も持ってんの?アンタ、さっきは愛すべき妻がいるとか言っておいて……」

 「違う違う!アレは俺が見たいがために盗んだんじゃない!」

 「じゃあ、何であんな卑猥すぎるDVDを俺の部屋から盗んだんだよ。しかも、完全に位置把握してんじゃねぇか」

 「それにも理由があってだな」

 「ならそれも聞かせてもらおうか」

 完全に場を支配している俺は余裕を持って父さんを追い詰めていく。それに反比例して父さんはどんどん身を縮めていき、声にも反抗する意思が薄れていた。これでは埒が明かないと思って、俺は「順序立てて、丁寧に説明してくれ」と言った。すると父さんは項垂れたまま頷き、最初に謝ってきた。

 「伊月、お前の机から勝手にDVDを取り出してすまなかった。まず謝らせてくれ」

 「……」

 「次に今回の件の発端を話そう。きっかけは、会社の同僚と飲みに行った時だった……」

 父さんは無意識なのか、俺のベッドに向かって歩き出し、座ったかと思うと遠い目をしながら語り始めた。

 会社の同僚と居酒屋に行った父さんは、そこで『ストレス発散にはどうすればいいか』という議論を始めたらしい。そしてその議題について話している時に同僚の一人が「俺は週四で風呂場を俺色に染め上げているんだぜぇ!!」と大声で言ったそうだ。

 それが話をさらに盛り上げる要因となってしまったらしく、周りの目を気にせぬまま汚らしい話を進めてしまったと、父さんは目をきつく閉じたまま話した。まず店員から首根っこ掴まれて追い出されなかっただけありがたく思うべきだな変態共よ。

 「話はどんどんヒートアップしちゃって、最終的に追い出された」

 「結局追い出されたのかよ!」

 いや、判断としては正しいよな。

 「その帰りに同僚が言うんだ。『葉山さんとこの息子さん、今の歳ならHな物持ってんじゃないの?』って。『なんなら今度、息子さんに借りて持ってきてよ。それオ●ズにするから』ってな」

 その同僚の人、今なら竹刀で容赦なく頭ぶっ叩ける気がする。

 「その後どういう会話したかは酔っ払ってて覚えてない。でも伊月の事は鮮明に覚えてたんだ。だから……」

 「……父さんは俺のエロDVDを同僚の人に貸したってわけか」

 「ああ、そうなる。本当に悪かった、伊月」

 「いや、事実が掴めただけ良かった。やった事は大人として幼稚だけど」

 申し訳ないとばかりに頭を下げる父さんに、こっちまで失礼な事をしている気分になって手で制する。けれどまだ判明していない事が一つある。

 「父さんさ、いつ俺の部屋に入ったんだよ?」

 「お前が寝てる時」

 ……物音でちゃんと目を覚ませよ俺。もしもの時危ないだろうが。

 一つの疑問が解消された。だが、もう一つの方が自分の中ではかなり重要だった。

 「じゃあ、元からDVDの在り処知ってたの?」

 「え?ああ、それは――」

 その次に父さんから発せられた真実に、俺は一瞬頭が真っ白になった。何でそこで奴が関わってくるんだ?真実の中に現れた、もう一人の共犯者。ここでその名前を聞く事になるなんて考えもしなかった。

 全てを聞き終えた俺は父さんを部屋から解放し、少し椅子に座って自身を落ち着かせ、それからとある場所へと足を向けた。

 この問題、正直俺は迷宮入りも覚悟してた。志乃が犯人じゃなかった辺りで、その予想はさらに膨れ上がった。でもこうして俺は犯人を知っている。これから向かうのは犯人の部屋だ。奴にはいろいろ問い質せねばならない事がある。怒ってもいい筈だ。

*****
 「……あの変態クソ親父、もう全部喋ったの。いくらなんでも早すぎる」

 ドアの前で、体操服姿でおさげの女が苛立たしげに怨嗟の言葉を漏らした。変態クソ親父って……俺はともかく、女が言うような単語じゃないだろ。

 じっと見ているとそいつは俺を睨み、けれどまた目を逸らしてボソッと話しかけてきた。

 「で、何か用?」

 「何か用、じゃねぇ。今自分で分かってただろ」

 俺は目の前にいる普通じゃない恰好の妹に低めの声で文句を言った。妹――志乃はフンと鼻を鳴らして、自分から本題に持っていった。

 「そう。私が兄貴のDVDの隠し場所をクズ親父に教えたの。お母さんも場所知ってたけど、キモクソ親父が言えるわけないし。そこで私のところに来たってわけ」

 「やってる事がクソなのに、お前はどうしてそんなに誇らしげなんだ……っていうか何で場所知ってんだよ」

 「お母さんから聞いた」

 人に教えるんじゃねえ!そんな俺の気持ちを読み取ってか、志乃は少しだけ口角を上げながらこう言った。

 「スリルは味わえた?」

 「……おかげさまでね」

 皮肉に皮肉で返すと、志乃は無表情の瞳をこちらに向け、次に部屋の中へ戻って行った。何事かと眺めていると、片手に薄っぺらい直方体の物を持ってこちらにやって来た。目が悪いのでちゃんと識別出来なかったが、志乃が俺のいる部屋の入口に近付くにつれて、その正体が刻々と浮かび上がってきた。俺はやや上ずった声でそれの名前を口にした。

 「ちょ、俺のDVD!」

 「兄貴、これはないね」

 志乃は見たくないとばかりにDVDを俺の胸辺りに押し付けてくる。それを受け取って、中身を確認する。そこにはちゃんと円盤型のそれが規定の位置に収まっていた。「はぁ……」と長い安堵の息を漏らした俺に、志乃はまるで汚物でも見るかのような目で尋ねた。

 「兄貴、それ何回見たの」

 「二一回」

 「……一度死ねば?」

 「何でそうなる!」

 そこで、あれ?となる。何でこいつ俺のDVD持ってんだ?本来なら父さんの同僚の人が持ってる筈じゃないの?それについて聞くと、志乃は今度こそ完全に笑みを浮かべた。

 ただし、その笑みはものすごく残忍で不敵なものだったが。

 「聞きたい?」

 「当たり前だろ。じらすな」

 くくっと笑う志乃に『ホント楽しそうだなぁ』と思いつつ、自分も苦笑いしながら面白半分に聞いた。どうせ突拍子もない事を言うのは分かっている。そしてそれが事実であるという最大の悲劇が訪れるであろう事も承知している。

 でも、普段無愛想なこいつが笑っているとそんな危険すらも何故か許せてしまいそうだった。

 ……しかし、現実はそんなに甘くはなかった。

 「私はね、前もって細工しておいたんだよ」

 「?それどういう事?」

 「変人鬼畜親父から事情を聞かされた後、私は自作でとある動画集を作った。それを適当なDVDパッケージに入れて、その時もう寝てた兄貴の部屋でそこのDVDとすり替えたの」

 何だか話が変な方向に転がり出している気がする。だがここで口を挟むと流れが停滞してしまうので、何も言えなかった。志乃の口は無造作に動き続ける。

 「それから数時間後、私が指定した時間通りにキチガイ親父が兄貴の部屋に侵入してDVDを回収した。つまり、私が作った奴ね。だから私が回収しておいた兄貴のDVDが今ここにあるってわけ」

 そこで志乃は一息ついたので、俺は恐る恐る気になっていた質問をしてみた。

 「あのさ、志乃」

 「何?」

 「その自作したDVDの中身って、どういうやつ?」

 「……聞きたい?」

 「……うん。聞きたい」

 「そう」

 志乃はゆっくり俯いて、俺の視界から表情を隠した。前髪で奴の目が見えない。けれど確かな事がある。

 それは、志乃が肩を震わせるまでに笑っているという事だ。

 「……ル」

 「え?何だって?」

 「……BL、動画集……」

 「…………………………」

 「BL動画をたっぷり詰めたDVD」

 「こ、こん、こ、こ……」

 「どうしたの兄貴。キツネの真似?」

 「ちげぇよ!この野郎!何てことしてくれやがったあああああああああ!」

 終わった!もう俺ダメだ!これじゃあ父さんの同僚の人に俺が変な人だって思われちまったじゃんかよ!つか父さんの仕事場の空気絶対悪くなったって!やべえ、被害者なのにすげえ申し訳なくなってきたよ!さっきの父さん一度もそんな素振り見せなかったのに……!

 「兄貴良かったね。大切なDVDは手の中にあるよ」

 「大事な何かは失ったけどな!」

 その日俺は一人で東奔西走して楽しんでいるわけじゃなかった。だって、何より楽しんでいたのは、裏で全ての糸を引いていた妹だったんだからな。

 全く、妹ってのは本当に怖いもんだ。 
 

 
後書き
一話完結ということで長くなってしまいました。不定期で更新していきますのでよろしくお願いします。
 
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