横浜事変-the mixing black&white-
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人が脆くて弱い生き物であることをケンジは自分の手で証明した
体育の内容を授業終了残り10分になって必死に写し、それでも間に合わなかった分はクラスメイトに見せてもらった。HRは滞りなく終わり、学校は放課後に突入する。
部活動に精を出す生徒、学校運営のための会議を行う生徒、学校を飛び出して街へと繰り出す生徒――彼らは三者三様の過ごし方を満喫し、時を消費していく。
ケンジは校門へと続く道を歩きながら帰りのHR直前に届いたメールの内容を思い出し、心中で言葉を吐露した。
――そうだ、僕はただ単に犯人を捜して殺すだけじゃない。
――殺し屋として、働かなきゃいけないんだ……。
*****
数十分前
数学のノートを書き終えたケンジは用を足すためにトイレに向かった。そしてその途中に、ズボンのポケットから微振動を感じ取ったのである。
この学校は私立にしては珍しく携帯使用を承諾しており、多くの生徒が休み時間を携帯で潰している。ケンジも誰かと話していない限りは大体ネットを見て時間を潰すのが専らだ。
ポケットに手を突っ込み、着信で震える携帯を取り出す。そして受信先を見て頬を強張らせた。
メール着信一件 狩屋達彦
携帯画面に浮かび上がっていたのは殺し屋の名前。しかしケンジはそれを緊張した面持ちで黙視し、やがて携帯をポケットに入れた。そのままトイレに入って用を済ませたところで、再び携帯を出す。殺し屋と連絡を取り合っているという事に改めて胸がざわつくのを感じながら、ケンジはメール画面を開く。
――今日は訓練日じゃない筈だけど……。
心中でそんな事を考えながら狩屋から届いたメールの内容に目を通し――やがて彼は全身が総毛立つのを感じた。
『午後7時に横浜駅西口のロータリー。服装は自由だけど目立つもんは止めろよ~。学生服は禁止な』
まるでピクニックの集合場所と注意事項を確認しているかのようなお気楽文章。しかし3行たっぷり置かれた後に、こんな文章が書かれていた。
『初仕事だぜ、片撃ちのエースさんよ』
*****
午後6時50分 横浜駅西口ロータリー
「あれ、集合時間10分前に到着とは真面目君だなぁおい」
狩屋は開口一番にそう言いながらニコニコした顔をケンジに向ける。そこでケンジの服装を見て「なんか泥棒っぽいな」と失笑した。
今のケンジは黒のTシャツに黒パーカー、黒のスリムパンツというオールブラックで仕上げていた。狩屋の言葉は冗談じみているが的を射ているのも確かだろう。
そこにいたのは狩屋と八幡で、宮条の姿は無い。
「宮条さんはどうされたんですか?」
「ああ、姐さんは別任務。もしかして姐さんがいないと怖い?」
「そんなんじゃないですよ。ただチームっていうぐらいだから仕事はいつも一緒にやるんじゃないかなって思ったんです」
狩屋のからかいにケンジが口を尖らせる。そんな二人のやり取りを見て八幡が顔色を変えずに説明に言葉を付け足した。
「いつも一緒というわけではない。今回の任務はフルメンバーいなくても何とかなりそうだという、本部の指示だ」
「本部、ですか」
――そう言えば、本部の説明は一度もされた事ないかも。
八幡の口から出たキーワードを聞き、再び本部が気になった。局長は組織の構造やサイクルで『本部』の名を口にしていたが、八幡や狩屋から本部の所在地を聞いた事は無いのだ。
だが今はそれを気にしている場合ではない。先陣を切って歩き出した八幡と狩屋に習ってケンジも足を動かしていく。
「行くぞ。対象はこっちだ」
「りょーかい」
「は、はい」
三人は喧騒で溢れ返る駅周辺を歩き、内海橋と呼ばれる中規模の橋を渡る。それからホテルやスーパーを横目に歩を進め、最終的にコーヒーをぶちまけて出来た染みのような斑点が目立つビルの前にまでやって来た。周囲にはビルやコンビニが並んでいる。完全に街の一部として溶け込んでいたので、一見しても仕事対象だとは分からなかった。
「ここの3階にある偽装旅行会社の関係者が殺害対象だ。表から入れるのは一度だけだ。準備はいいか?」
「オーケーオーケー、いつでも行けるぜ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕、何も聞いてないんですけど」
「なに?……狩屋、これは一体どういうことだ。メールする時に伝えろと言ってあっただろう」
「……。……あ」
まさに今思い出したように口を開き、徐々に顔色を悪くしていく狩屋。目は地面をうろうろし、まともに八幡の目を見れないでいる。そのときケンジは自分が無駄な事を言ってしまった事に気付いた。
八幡は溜息を吐き、やれやれといった風に首を振ってから電話を取り出した。
「こちらチームA-1。状況に不祥事。一時撤退申請を出します。……了解。一時撤退指令を受領。……次の任務遂行時刻は30分後。了解」
誰かと単語の多いメッセージを飛ばし合ってから、八幡は「ふぅ……」と珍しく二度目の溜息を漏らした。そして狩屋の金髪を若干睨んでからこう言った。
「30分後に任務再開だ。少し場を離れる」
*****
ケンジ達はコンビニで軽めの夕食を買い、近くの公園で食べる事にした。少量の食事に似て、三人の間にも言葉の応酬は少ない。
そんな気まずい空気の中、一番最初に食べ終わった狩屋が覇気のない声で八幡に謝った。
「八幡さん、すんませんでした」
「もう構わない。が、今度からは気を付けてくれ。作戦が中断されるというのは本部や他チームにも迷惑をかける事になるんだからな」
「はい」
「あの、八幡さん。僕があんなタイミングで言ったのもいけないんです。すみませんでした」
「暁は悪くないさ。まぁ、目的地に着くまでに仕事内容を聞くだけの時間があったのは否めないがな」
抑揚のない声でそう言ってから、彼は依頼内容について説明し始めた。
「今回の仕事対象は最近横浜以外でも見受けられる偽装運営会社だ。簡単に言えば詐欺。依頼者は、旅行会社にチケットを予約したにも関わらず1年経ってもチケットが届いてこなかった30代の夫婦だ」
「そうだったんですか。相手の数とかはすでに?」
「無論だ。対象は6人。全員ただの詐欺師だから殺すのは簡単だろう」
八幡はいつも以上に淡泊な口調で即答した。とはいえ怒っているわけではなく、これが彼の仕事に対する取組み方なのだろう。しかしただでさえクールな性格なのに感情や表情まで消し去ってしまうと、こちらまでも怖くなってしまうのも事実だった。
そんな事は億尾にも出さず、ケンジはサンドイッチを口に詰め込んで準備万端である事を示した。同じく狩屋も「名誉挽回と行きますか」と意気込んで八幡を見る。
ここまでの時間は約10分。八幡はやはり無表情で言葉を口にした。
「これより作戦開始。目標時間は……5分だ」
*****
対象がいるビルの裏口に到着し、ケンジ達は工作班が前もって回収していた合鍵を使ってビル内に侵入。本来なら通常の入口から侵入する予定だったために、裏口からでは進攻しにくいかと思われたが、八幡はまるで自分の家に上がるかのようにスラスラと道を行く。狩屋とケンジがそれに追随する形だ。
ケンジは前を走る二人の先輩の背中を追い掛けながら、両腰に装備された拳銃の重みをさらに実感した。
――拳銃ってやっぱり重い。あの人達、よくあんなに軽々と……。
ちなみにケンジが装備しているのは威力も低く、使い回しの良い小型自動拳銃だ。先日使った練習用拳銃は旧式だが、威力も精密さも今使っているものよりも少し格上げなので、今装備している拳銃はまさにケンジにとって使い勝手の良いものだと言える。
一方、八幡と狩屋が装備しているのは殺し屋統括情報局で支給されている回転式拳銃。もちろん自動拳銃の方が使い回しは良いが、手動である分シンプル且つ作動の信頼性が高い。また実弾が数年前まで普及していた物とは違う一新型なので、銃に慣れた殺し屋達に愛用されている。これらは全て狩屋から聞いた話だ。
ケンジは二人の後を追って階段を上っていたのだが、いつの間にか目的地近辺にまで来ていたらしく、八幡が二階と三階の間の踊り場で止まり、三階の様子を窺っている。周囲には三階にいる男達の笑い声が響く。話の内容を聞くに、詐欺に引っ掛かった人たちの事を嘲っているようだ。時折奪い取った金の使い道の話をしているので、やはり彼らが偽装会社の構成員なのだろう。
思わず八幡の顔を見ると、彼はすでに行動を開始していた。スリムな体躯を屈めながら、階段を一段ずつ上って行く。それに従って狩屋も続き、ケンジもそれに習った。まるでジェットコースターの番を待っているかのような緊迫感が腹底から湧き上がり、考え方が不謹慎だなと反省する。
「……行くぞ」
「りょーかい、汚名返上してやんぜ」
「り、了解」
何故なら、今から自分がやるのはジェットコースターとは真反対な血に染められた所業なのだから。
*****
ケンジ達の仕事は呆気なく終了した。八幡の宣言通りよりも圧倒的に早く終わったのは、やはりプロの成せる業なのだろう。
「この後チームBが後片付けに来る。私達は彼らが来るのをここで待ち、合流次第解散とする」
「りょーかい。ああ、でも暁は時間ヤバいんじゃないすか?」
「え?」
突然自分の名前が出た事で、ケンジは狩屋の顔を見た。次いで携帯のホーム画面を見て時刻をチェック。針は午後7時50分を指している。まず彼が気付いたのは対象を殺す時間より待機していた時間の方が長いという事だった。
「そうだな。暁、君はもう帰宅していい。初仕事で精神的にも疲れが溜まっているだろう」
「え、あ、はい。じゃあその、失礼します」
「おう。後は俺達に任せな。ああ、そのパーカーは脱いで、コンビニで消臭系のもの掛けた方がいいぜ。血生臭いと明らかに不審に思われるから。拳銃はその辺に置いといて構わねえよ、俺が管理していてやっから」
「えっと、何から何まですみません。じゃあ、よろしくお願いします」
狩屋からのアドバイスと気遣いに感謝の言葉を紡いでから、ケンジは悲惨な舞台と化した3階から降りて行った。そして後に残ったのは、互いにカジュアルな服装に身を包んだ殺し屋2人と、室内のあちこちに血液を飛び散らせた何人もの死体だけだった。
偽装された旅行会社のオフィスは2人掛けの高そうなソファや社長用のデスク、周りは本棚やロッカー、旅行系のポスターや予定表で埋め尽くされた『いかにも』風な内容だった。きっとこれらも騙した金で贅沢に使ったのだろう。
死体は全員男。ソファに纏まって酒を煽っていたのは八幡にとって何よりの好都合だった。その方が催涙スプレーで一度に仕留められるからだ。
結果、八幡の望み通りに男達はスプレーの威力に悶え、その隙に殺し屋達の任務は取り留めなく行われた。男達は絶叫を上げる事さえ許されず順番に絶命していった。
「あーあ、歯応えないわ。もうちょい粘ってくれた方が良くないすか、八幡さん」
「別に私からすれば大した差ではない。問題は対象をいかに確実に殺せるかだけだ」
「お堅い人だねぇ、全く」
彼らはそんな他愛ない会話をしながら、後片付け班が到着するのを待つ。そこで狩屋は先程から言いたかった事を静かに口に出した。
「八幡さん、暁の奴、どう思います?」
「どう思う、とは?」
「あいつ、すげぇ真面目で、自分の信念貫いてるのは分かるんすよ。でも、その、なんつーか……」
なかなか言葉を選べずにいる狩屋とは目を合わせぬまま、八幡はクッと笑った。「え、どうしたんすか?」と聞いてくる金髪の少年に、八幡は室内の窓から見える横浜の街の一部に目をやりながら、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「つまり、暁の歯車は普通とは違うっていうわけだ」
「はぐ……?」
「彼はちょっと変わっているだけだよ。……必死に取り組むべきものが、少しだけ普通のものと違う。それだけさ」
その言葉はどうしようもなく暁ケンジという少年の特異性を突いていて、それを口にした八幡も黙って聞いていた狩屋も、その後の言葉を紡ぐ事が出来なかった。
*****
――初めて人が死ぬところを見た。
狩屋に言われた通りパーカーを脱ぎ、コンビニで消臭用のスプレーを買った。そして軽くパーカーやズボンにスプレーを吹き付ける。少し湿った感触があるのは嫌だったが、我慢するしかない。
母親にはこれから帰宅する旨をメールで伝えた。理由はバイトという事にしてある。信じてもらえるか不安だったが、母親は「あまり遅くなったらダメよ」と注意した以外、何も言って来なかった。バイトの内容さえも。
――まぁ、聞かれてもコンビニって答えるけどね。
――なんか胸が熱い。さっきまで吐き気あったし。吐かなかっただけマシなのかな。
狩屋と八幡の手で無残に命を奪い取られていった哀れな詐欺師達。彼らは催涙スプレーで行動不能にさせられ、何の抵抗も出来ぬまま殺されてしまった。恐らく殺される理由すら理解出来ていなかった事だろう。
――僕も、一人……この手で……。
そう考えるだけで手や額に汗が滲んでくる。脳裏によぎるのは二人が仕留め忘れた一人の男。酷く酒臭く、無精髭を四方八方に生やした人物。情報によるとその男はこのグループのリーダー的存在だったようだ。
スプレーによって痛む目を押さえながらも、無理矢理こじ開けようとしている。それを確認した瞬間、反射的に右手が動いていた。自分の顔を見られるかもしれないという潜在的恐怖が、自分の意思とは関係無く引き金を引いてしまったのだ。
当然男は脳天に銃を撃ちこまれて即死した。威力の弱い拳銃のため、反動で肩が壊れる事は無かった。
だが即座に彼の頭に流れたのは『自分が人を殺した』という事実。そして人は銃弾一発で簡単に死ぬという結果だった。
――僕も、もうこれで人殺しだ。殺し屋だ……。
そんな言葉が男を殺した場面を思い出す度に身体中を支配し、自分自身を変な気にさせる。殺し屋になれたのが嬉しいわけではない。ケンジが今こうして働いているのは、幼馴染の復讐をするためなのだ。
――それなのに、僕は……。
その日ケンジは初めて人を殺した。その事実は過去となって一生自分の影となって追い掛けてくる。塗り潰す事は叶わない。
少年は復讐をする上で必須事項となるそれを、その日ついに果たした。しかしそれは壮大な物語においては序章に過ぎない。
無論、殺し屋からしてみれば序章ですらなく、日常の一部なのだが。
しかし、時は残酷なまでに等しく進んでいく。少年が抱える思いなど無視して、純粋なまでに果てしなく。
後書き
復讐だけで人を殺すなんて寂しいし、つまらないですよね。ケンジ君はフィクションですが、現実にこんなキレる人がいたら怖いです(笑)
もし周りに憎くてしょうがねえぜって人がいても殺してはいけません。そんな事をしても、自分の幼さを実感するだけですから。
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