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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十三章 聖国の世界扉
  第六話 償えない罪

「―――さてと、どうするか」

 用事があると、ルイズたちを残してヴィットーリオとジュリオが去った大晩餐室の中で、士郎は椅子に深く座りなおすと背もたれに寄りかかりながらため息をついた。ギシリと軋む音を立てるも、オーク材で出来た椅子の背もたれは士郎の体重をしっかりと受け止める。閉じた目で天井を仰ぎ見ながら己の思考に没頭する士郎。
 そんな士郎を見つめる者たちがいた。
 視線は四つ、つまり、大晩餐室にいる士郎を除く全員である。四つの視線に含まれるは、それぞれ違った感情を主とする複雑な思い。
 疑念、戸惑い、困惑、憂い……。
 その中の一人であるルイズが、不安気に揺れる瞳で見上げ士郎の服の裾を摘み、きゅっ、と自分の方へと引っ張った。

「ん、どうかしたかルイズ?」
「……その、さっ―――ううん……何でもない……」

 何かを言おうと口を開いたルイズだったが、喉の奥がつっかえたかのように口を閉じると、軽く顔を横に振り力なく肩を落とした。『何でもない』と言いながら、全く『何でもなくない』様子を見せるルイズの頭に、士郎は手を置くと、そのまま『ぐしゃり』とわざと髪を乱すような形で乱暴に一撫でした。

「―――っ?! ちょ、な、何よ!?」
「まあ、あまり気にするな。状況も情報も少ない現状では、どれだけ考えても禄な答えはでないものだ。なら、まず

は一旦落ち着いて、目の前の問題から片付けなければな。とは言え、その『目の前』の問題とやらも、また随分と厄介な代物だが」

 肩を竦めて苦笑を浮かべる士郎を、ルイズは睨み付けた。

「わ、わかってるわよ……そんな事……でも、仕方がないじゃない……」

 キッ、と睨みつけたはいいが、何時もの強気な姿を見せる事なくルイズは弱々しく視線を落とした。そして、すがるように士郎に手を握り締める。
 その手は―――微かに震えていた。

「さっき、聖下が言ってたの……あれって―――」
「―――“聖戦”については心配するな」
「―――無限の剣が突き刺さった荒野、あれって―――て、え?」
「ん?」

 下を向いていたルイズが顔を上げ、士郎と視線が交わる。互いの目に浮かんでいるのは困惑。何かが噛み合っていない。
 互いに首を傾げていると、士郎が口を開きポツリと呟いた。

「……ルイズが気にしているのは“聖戦”についての事じゃないのか?」
「え? あ? ああっ!? そ、そそ、そう、そうねっ。そうよ。“聖戦”、“聖戦”よっ!? そうそう、気になってたのよ、シロウは一体どうするんだろうってッ!? で、でも、そうね。シロウの言うとおり、ゆっくり考えないと、うんうんそうね、そうよ」

 腕を組み激しく頭を上下させうんうんと頷くルイズ。それを訝しそうに見ていた士郎だったが、不思議そうに首を一度傾げると、『そうか』と呟きルイズから視線を外した。
 士郎の視線から逃れたルイズは、頭を抱え椅子の上で蹲った。頭を抱え込みながら、ルイズは周りから気付かれないように静かに、しかし大きく深いため息をついた。

 っぁあ~……わたし、何考えてんのよ。
 シロウに何を言うつもりだったのよ。
 『聖下が言ってた“悪魔”って、もしかしてシロウのこと?』―――とでも言うつもりだったの?
 馬鹿じゃないの!?
 そんなわけないじゃないっ!
 聖下が言ってた“アレ”が、シロウと何か関わりがあるんじゃないかって……そんなわけ……あるわけが……。
 だって、何千年も昔の話なんでしょ……なら、シロウに関係があるわけがないじゃない。
 確かにわたしは聖下が言ったような光景を“夢”で見たことあるけど……でも、その“夢”も本当にシロウと関係があるのかどうかなんてわから―――……ううん、あの“夢”が、シロウに関係しているのは間違いない。だって、同じような“夢”を見たって、シエスタも、ジェシカも言ってた……。
 今も、目を閉じれば直ぐに思い出せる。

 ―――赤ク染マッタ空ノ下、枯レ果テタ荒野ガ広ガリ―――
 
 どうしてかはわからない。

 ―――大地ニ突キ刺サル数エ切レナイ剣―――

 ただ、気付いていたら涙が溢れていた。

 ―――何処カ遠ク、金属ヲ叩ク甲高イ音ガ微カニ聞コエ――― 

 胸の奥が痛い程切ない気持ちになる―――あの、赤い世界。
 
『カノ悪魔ガ立ツハ無限ノ剣ガ突キ立チシ枯レ果テタ大地―――世界ノ終ワリヲ予見サセシ赤キ空ニハ歯車ガ回リ―――彼方カラハ鉄ヲ鍛エシ音ガ響ク―――』

 ゾクリ、と背筋が粟立ち、両手で自分の身体を抱きしめる。
 視線を上に、隣に座る士郎へ。垂れた髪の隙間から見える士郎は、難しい顔をして考え込んでいる。
 “聖戦”について考えているのだろうか? それとも、聖下が頼んできたもう一つの頼み事について? 
 それとも―――

『―――急ゲ―――世界ガ悪魔ニ壊サレル前ニ―――』

「―――違うよ、ね……シロウ」 





 “無限の剣”“赤く世界”“荒野”―――それは、各国の上層部、その更に一部にだけ伝わるとある人物に関する情報。それは別に厳重に管理された秘密等ではなく。逆に少し調べれば誰にでも手に入る程度の情報だった。
 ただ、その情報を知る者たちを決定的に分けることが一つだけある。
 それは、その情報が真実であることを知っているかどうかだ。

 数ヶ月前、とある戦争で七万の軍勢を一人で打ち破った男がいた。
 勝ち戦の途中、突然の味方の反乱を切っ掛けに敗走し、追い詰められた味方を救うため、一人の男が迫る七万の軍勢に立ちふさがり、これを撤退に追いやった奇跡。
 不可避の死である筈の七万の軍勢に対し、男は“数え切れない無数の剣が突き刺さった荒野”を出現させ、これを持って不可能を打倒した。
 撤退に追いやられた兵士皆口を揃えて言った。

 『荒れ果てた大地』『無限の剣』『赤い空』―――『赤く染まった、何処までも続く無数の剣が突き立つ枯れ果てた荒野』―――そこに、男は立っていた、と。

 証言するものは七万近くいるが、その話を聞いたものは誰もが否定する。
 強力な幻術にでもかけられたんだと。
 何かの理由で同士討ちでも起きたのだろうと。
 それも仕方の無い話だ。どう考えても一人の男が成したとは到底思えない。
 だからこそ、目の前で見たと言う兵士の話を聞いた者たちはそれを信じる事はなかった。
 
 しかし、各国の上層部は違った。
 様々な調査、照会、検証、収集により、その荒唐無稽の話が『真実』であると判断したのだ。
 そしてそれはトリステイン王国の女王アンリエッタも同じであった。
 つまり、衛宮士郎が何らかの魔道具? 魔法? を使い、七万の軍勢を潰走に追いやったと。
 その真偽を判断するために手に入れた情報の中に、先程教皇が口にしたものと似たようなものを耳にした覚えがアンリエッタにはあった。今にして思えば、ヴィットーリオとジュリオには、何処か士郎を警戒していた節があった。ハルケギニア最大の権力を持つ教皇が、あの戦争で士郎がどうやって七万の軍を撤退に追いやったかを調査していない筈がない。
 だから、彼らは疑っているのかもしれない。
 衛宮士郎が、彼らが恐る“ナニカ”なのではないかと……。
 そんな疑いが生まれるほど、士郎があの戦争で見せた“力”と教皇の話は似通っていた。
 しかし、そんなことが有り得るのだろうか?
 教皇の話では、その問題となるものが数千年前のものならば。今、この場にいる士郎と、何らかの関係性があるとは到底考えられない。
 だが、ハッキリと否定できるほど、アンリエッタも士郎の事を知らなかった。
 実のところ、前々から士郎についての調査は行っていた。
 だが、その結果はルイズの使い魔となる以前の事は全くの不明。どれだけ調べても、爪先ほどの痕跡もなく。もはや本人から直接問いたださなければ分からないと言う程であった。
 しかし、アンリエッタは士郎に問いただすことはなかった。
 それは、士郎に特別な感情を抱いていると自覚した後も同じであった。好きな人のことを知りたい。それは誰しも思う事であり、アンリエッタも例外ではない。しかし、アンリエッタは士郎に聞かなかった。
 何故か? 
 それは、別に身分や年の差、友人関係等と言ったものが理由ではなく。
 とある“夢”が原因であった。
 時折、不意に思い出したかのように見る“夢”。
 空に浮かぶ一つの月の下、見たこともない巨大な建物が立ち並ぶ中、人知を越えた戦いを繰り広げる者たち。
 もしかしたら、士郎に関係する事かもしれないと思いながらも、それを聞くにはためらわせる程のモノがその“夢”にはあった。
 その“夢”が一体何なのかわからないまま、日々は流れ―――出会った。
 “夢”の住人である筈の少女と。
 『アルトリア・ペンドラゴン』と名乗り、士郎が『セイバー』と呼ぶ少女と……。
 アンリエッタは士郎に向けていた視線を、所在無さげにしているティファニアに向けた。
 
「―――“聖戦”“ガリア”“悪魔”……それに“セイバー”……ですか」

 ため息混じりに呟いたアンリエッタは、顔を動かさず視線だけを動かしチラリと士郎に目を向けると、小さく口の中で呟いた。

「……シロウさん。この場合、どれから片付けたら良いんでしょうか」

 
 
 
 
 士郎たちに“聖戦”への協力を求めてきたヴィットーリオたちだったが、聖戦(それ)以外にも協力を求めてきたものがあった。それはヴィットーリオたちが大晩餐室から退出する際の時であった。ヴィットーリオは士郎たちにとある作戦への協力を依頼してきた。それは最近不穏な動きをみせるガリア―――ルイズを執拗に狙い続けるガリアの虚無の担い手とその使い魔に対する作戦であった。
 正確には、正体不明の虚無の担い手に対するものと言うよりも、その協力者であるガリア王ジョゼフに対しての作戦であった。
 ガリアは強国である。領土、資金、軍事力その全てがハルケギニア最大と言っても過言ではない。そのガリアが虚無の担い手を有するだけでなく、天敵である筈のエルフとも手を組んだという。もはや過剰と言う言葉でも足りないほどの力を、今のガリアは持っていた。
 ―――そして、最近そのガリアが不穏な動きを見せている。
 ならば、もはや悠長に話し合いで解決していては遅い。
 そのため、ヴィットーリオはある作戦を考えたと言う。
 ガリアにいる虚無の担い手の使い魔―――ミョズニトニルンを捕らえる作戦を。
 その作戦とはこうだ。
 まず、三日後ガリアとの国境の街であるアクレイアで行われる教皇の即位三周年記念式典において、ガリア王ジョゼフを出席させる。それにジョゼフが大人しく出席するも良し、別段欠席したとしても別に問題はない。ここで肝となるのは、ルイズたちがその式典に出席することをガリアが知る点だ。
 つまり、この作戦を一言で言うならば、ルイズたちを囮としてガリアの虚無の担い手を釣るという事である。
 餌はなにもルイズたちだけではない。
 式典の前にタイミングを見計らい、教皇であるヴィットーリオもまた、虚無の担い手の一人であるとの情報を流し囮となる。ガリア王ジョゼフの目的も、ガリアの担い手の目的も判然としていないが、執拗なまでルイズたち虚無の担い手を狙い続けることから、少なくとも他の担い手の抹殺が共通の目的であることは間違いはないだろう。ならば、虚無の担い手が三人も揃う式典を狙ってくるのは間違いはない。そして襲ってきた中にいるだろう虚無の使い魔である“ミョズニトニルン”を捕らえる。
 ガリア王ジョゼフが知れば、どんな方法を取るにせよ、間違いなく手を出してくる事はわかっていた。
 “無能王”と誹られるガリア王ジョゼフであるが、詳しく調査すれば、実はそうでないことがわかる。確かに一見すればその行動はまるで子供のように無茶苦茶。金の使い方も、人の配置もそうだ。一年持てば良い方だと、ジョゼフが王位についた際、周りの者はそう思った程だ。しかし、三年経った今でもガリアは強国のままである。それは勿論、元々のガリアの強大さもあるが、それだけではない。一見滅茶苦茶に見える采配であるが、ジョゼフはギリギリのラインで破綻を切り抜けていた。その際にとった方法は、口に出してはとても言えないようなとても褒められるような方法ではなかったが。それでも、ジョゼフは曲がりなりにも国を存続させていた。
 様々な調査によって手に入れた情報から、ヴィットーリオはガリア王ジョゼフが、世間で言われるような“無能王”では決してない事を理解していた。
 否―――無能どころか、狡猾で残忍な、まるで蛇のような男だとさえ考えていた程だ。
 そんな男が三人の虚無の担い手が揃っていると知ればどうするかは火を見るよりも明らかである。罠だと理解しながら、しかし確実に手を出してくる。どんな方法を取ってくるまではわからないが。だが、手を出してくるのは確実、そしてその中には虚無の使い魔である“ミョズニトニルン”がいる。
 その時こそ、“ミョズニトニルン”を捕まえる絶好の機会。
 虚無の担い手の最大の手駒である“ミョズニトニルン”を捕まえさえすれば、相手の力を半減させたも同然。機を見て交渉に持ち込み、ガリア王ジョゼフを廃位に追いやる事が出来れば完璧だが、最低でも手出し出来なくすることは、決して不可能ではない。
 だから、とそう言って、ヴィットーリオは士郎たちにその作戦への協力を求めてきた。
 対しての士郎の返信は―――『保留』であった。
 “聖戦”の話とは違い、三日後と時間が迫ったこの作戦については、早急に答えて頂きたいとのことで、ヴィットーリオはその答えを明日また聞くと言い、大晩餐室を出て行ったのだが……。
 予想通りのものもあれば、完全に予想外のものがあり……山積みになる問題を前に、士郎は酷い疲労感を感じながらもこれからの事を考え始め―――

「―――さて、どうするか……」

 ―――天井を仰ぎ見ながら、今日何度目かのため息を吐いた。





 ―――深夜。
 士郎たち一行がロマリアに入国し、もう直ぐ一日が終わろうとしていた。
 用意された豪華とは言えないが、清潔に整えられた部屋のベッドの上で、士郎は二つの月を窓越しに見ながらロマリアに入国してからの出来事を思い返しており、今は大晩餐室から出た時の事を思い出していた。
 ヴィットーリオとジュリオが去った後の大晩餐室では、食後のお茶を各自が飲みながら、教皇の話の内容をそれぞれが自分の中で消化することに終始していた。そのまま、給仕係が皿を回収に部屋に入ってきたのに合わせ、大晩餐室を士郎たちは出たのだが、そこには先に食事を終えてルイズ達を待つセイバーたちの姿があった。
 しかし、士郎はその中にコルベールの姿がないことに直ぐに気がついた。
 話を聞いてみたところ、どうやらセイバーたちが食事を終える頃に、一人の神官から呼び出され何処かへと連れて行かれたらしい。理由は聞いてはいないが、直ぐに戻るとの事から、士郎たちは訝しく思いながらも大人しくその場で待つ事にした。結果として長い閒待たされる事はなく。三十分も経たないうちにコルベールは戻って来たのだが、素人目でも気落ちしている様がわかる程憔悴していた。ルイズたちからの何処へ行っていたか、誰と会っていたのか等の質問をはぐらかしながら、コルベールは何か思い悩むような表情を浮かべていた。

「……そろそろ寝るとするか」

 色々と考えていると、段々と眠気が無視できなくなってきたのか、士郎は欠伸を噛み殺しながら部屋の明かりを消そうとした。その時、コンコンとドアをノックする音が部屋に響いた。ドアをノックする音に、士郎は軽く身だしなみをチェックすると、ドアへ向かって入室の許可を出す。

「どうぞ」
「……夜遅くすまないね」
 
 ドアを開けて入ってきたのは、噂をすれば何とやらか、コルベールであった。部屋に入ってきたコルベールは、部

屋の真ん中に置かれた小さな二人用のテーブルに促された。椅子に腰掛けたコルベールは、所在無さげにぐるりと部屋を見回し、乱れたベッドで視線を止めた。

「もしかして、起こしてしまったかい?」
「いえ、大丈夫です」

 コルベールと話をしながら紅茶を入れ終えた士郎は、テーブルの上に二つ紅茶入りのカップを音もなく置くと、コルベールの向かいの椅子に腰を下ろした。

「何か入れますか?」
「いえ、結構。うん、いい香りだ」
「………………」
「………………」

 一口紅茶を飲み、カチャリとティーカップをソーサーに戻したコルベールは、テーブルの上に右肘を乗せると、その手で額に手を当て眉間に皺を寄せた。そのままじっと黙り込むコルベール。一分、二分と時間が経ち、最初の一口だけで後は口を付けていないカップから湯気が出なくなる頃、ようやくコルベールが口を開いた。

「……少し、話をしても良いかい?」
「ええ」
「……シロウくんは、その……わたしの過去を知っているそうだね」
「大体はですが……詳しいことまでは」
「そう、ですか……」

 小さくため息を漏らしたコルベールは、出した息を戻すのに合わせ、ティーカップに残っていたすっかり冷えた紅茶を一気に飲み干した。ソーサーにやや乱暴にカップを戻したコルベールは、視線をテーブルに落としたまま士郎に話しかけた。

「……シロウくんは、罪を償う機会を失った者が今後どうやって罪を償えば良いかわかるかい?」
「コルベール先生?」

 士郎の怪訝な顔を他所に、コルベールは視線を遠く、今ではない過去へと向けながら語り始める。

「……わたしが学院に来る前に所属していた組織は、まあ、一言で言えば汚れ仕事だね。あそこでは、本当に色々な事をした……公に出来ない犯罪者の処分、危険な幻獣の駆除、他国のスパイへの拷問……国と言うものには、いや、一定以上に大きくなった組織には、そういった汚れ仕事が絶対に必要なものだ。まあ……絶世の美女も絶対にトイレに行くのと同じようなものだね……。つまり、わたしがいたあの組織はトイレみたいなものだ。臭くて汚いものを、世間から隠れて処理する……良識あるものならば誰もが拒否するような仕事だけど、誰かがやらなければならない仕事。まあ、でも、当時のわたしは、そんな仕事でも、ほんの少しだけですが誇りというものを持っていたんですよ。こんな汚れ仕事でも、国のためになっていると……あの時までは」

 苦笑、と言うよりも、疲れきった顔が偶然笑っているように見えたかのような奇妙な顔を士郎に向けたコルベールは、テーブルの上に置いた手で拳を作ると、ギリリと握り締めた。

「……あの日、指令があった。とある感染力の高い致死性の病気に感染した村があり、感染が広がるのを防ぐため、全て焼き払えと……ここで感染を防がなければ、数え切れない程の死者が出ると―――ですが、それは真っ赤な嘘だった。しかし、それがわかったのは、全てが終わったあと……生き残ったのはたった一人の少女だけ」

 スッ、と首筋を撫でたコルベールは、口元に小さな自嘲めいた笑みを浮かべていた。

「……わたしが今もこうして生きているのは、破壊しか出来ないと言われる火系統の使い手に新たな道を作るため―――等と口にしていますが、実際は、いずれ振り下ろされるだろう復讐の刃にこの身を捧げるまでのただの言い訳なんですよ。そう……ただの建前でしかない」

 ポケットから何時か授業で使った“愉快な蛇くん”を取り出したコルベールは、ゴミでも捨てるかのように床に放り投げた。ガシャリと音を立て“愉快な蛇くん”が床を転がる。

「……なのに、何時まで待っても復讐はこない」
「何か、あったんですか?」
「晩餐の途中、わたしを呼び出した人が誰かわかるかね?」

 士郎の質問に、伏せていた目を上げコルベールは逆に問を投げかける。
 コルベールの問いに、士郎は数瞬の僅かな間を置いた後応えた。

「……教皇、ですか」
「ふ、はは……やっぱり君は凄い。どうしてわかったんだい?」
「用事があると言って教皇は自分たちを置いて先に部屋を出て行きましたから。まあ、だからもしかしたらと思って」
「当たりですよ。そう、わたしを呼び出した方は聖下だった」
「理由を聞いても?」

 一介の学園の教師を、何故わざわざブリミル教の頂点にいる教皇が呼びつけるのか? そんな理由いくら考えても思いつくはずがない。コルベールは士郎の疑問に納得しながら、今はもない“ルビー”を入れていたポケットの上に手をやった。

「……わたしが預かっている物を返してくれないかと言うことだったよ。まあ、こちらも元々そのつもりだったし、直ぐに返したがね」
「預かっていたもの?」
「“炎のルビー”と、聖下は言っていたね」
「……」

 “炎のルビー”その言葉を聞き、士郎は押し黙った。似たものを、士郎は目に、耳にしてきた。そして、その所有者には共通点があった。それは理解している。しかし、何故、そんなものをコルベールが持っているのか?
 考え込む士郎に気付かず、コルベールは問われる前にその答えを自ら語り始めた。

「“炎のルビー”は、ね……過去に、わたしがこの手で……炎で焼き殺した女性が持っていたものだったんだが……その方というのが、実は教皇聖下の御母君だったんだよ。“運命”と思ったね。シロウくんに頼まれて、偶然このロマリアに来て、初めて聖下にお目通りし……驚いたよ。今でもハッキリと思い出せる……わたしが焼き殺した女性にそっくりだった……。初めは『まさか』と思い半信半疑だったが、聖下に呼ばれた時、確認してみると間違いないとのことだ……わたしは本当の大罪人だよ……なにせ教皇聖下の御母君を焼き殺したんだ……」

 両手を顔の前まで上げたコルベールは、広げた掌に目を落としながら低く重い声で囁くように話している。その声は、後悔と悔恨で作られたかのように聞く者の心に痛みを感じさせた。

「正直、ここがわたしの死に場所だと思ったよ。こんな偶然はない。聖下に裁かれここで死ぬ運命なんだと……。だから、聖下に『あなたの御母君を殺したのはわたしです』と伝え、聖下のお裁きを頂こうした―――」

 断頭台を望むように、首をさすっていたコルベールの手が突然止まり、力なく垂れた手がテーブルにドサリと落ちた。

「―――しかし、聖下はわたしを裁くこと無く、それどころかわたしの罪を許し、祝福さえ授けた……わからない……何故、聖下はわたしを許されたのか……何故、裁いてくれないのか……」

 『ハハハ……』と乾いた、罅が入ったかのように口を開き笑ったコルベールは、テーブルにガクリと落とした顔をズルリとズラし士郎を見上げた。暗闇の中、何処へ進めば良いのかさえわからず途方にくれた、縋るような眼差しで。

「……なぁ、シロウくん……教えてくれないかね……罪を償う機会を失った者は、どうやって罪を償えば良いんだろうか?」
「それは―――」

 触れれば折れそうな姿を見せるコルベールの姿に、士郎は直ぐに応える事が出来なかった。この問いへの答えは、優しい言葉か、又は肯定的な言葉を伝えるのが一般的だろう。だが、士郎は逡巡するかのように一瞬言葉に詰まらせ―――そして、厳しく顔を引き締め、素直に自身の思いを伝えた。
 それは―――

「……償うことは―――できない」

 否定―――だった。

「シロウ、くん?」

 何処か期待していたものとは違った言葉に、コルベールは目を開き呆けたような声を上げた。
 士郎は目を瞑ると、深呼吸するかのように深く大きく、しかし静かに深呼吸すると、目を開くと同時に口を開き―――伝えた。 

「俺にも―――ある」

 己の罪を。

「―――“罪”が」

 自ら望んだ己を縛る呪いのような罪。ここではない何処か遠いナニカを見つめる士郎の目が細まり、顔から表情が抜け落ちていく。

「君が? 一体どんな?」

 士郎の言葉に半信半疑の様子を見せるコルベールに、士郎は応えた。己の罪が何なのかを。

「……生き残ってしまった」

 ―――たった一人生き残ってしまった罪を。

「何が……あったんだね」

 コルベールの問いに、士郎は目を閉じる。瞼の裏に見えるのは、無限の闇か―――それとも、赤い炎か―――。

「……大きな……とても大きな災害だった。炎が、人も、家も、街も……全てを燃やし尽くした……」
「災害、なんて……そんなもの、どうにもならないじゃないか。シロウくんに何の責任も、罪も無いは―――」
「―――見殺しにした」

 コルベールの慰めの言葉を、士郎の一言が切り捨てた。
 それは―――何度となく言われた言葉。
 わかっている―――理解している―――だが、納得はできない。

 瞼の裏に浮かび上がるのは、黒いナニカを差し出す女の姿。

 目を閉じれば直ぐにでも思い出せる―――あの地獄の風景。
  
「『この子だけでも』と黒い塊を差し出してきた母親の手を振り払い、『たすけて』と手を伸ばす少女から目を逸らし、『苦しい』と泣く声から耳を塞ぎ……何もかも無くして、ただ生き残った……俺だけが、生き残って、しまった」

 生き残ったのはただ一人自分だけ。怨嗟の声を、悲鳴を、懇願を、助けを求める声を―――全て振り払い、ただ、ただ、生き残ろうとした。
 だから、あの地獄の唯一の生き残りとして……俺には“義務()”がある。

「もしかしたら、差し出された赤子は生きていたかもしれない、手を伸ばしてきた少女の手を取っていれば助けられたかもしれない、耳を塞がなかったなら助けられたかもしれない命があったかもしれない……その全てを、俺は見殺しにした」
「そんなのは、『たら、れば』の話じゃないか」
「だからと言って納得は出来ない。だから―――俺は誓った」

 『無価値にはしない』―――あの地獄で唯一人生き残ってしまった者として、俺は価値を示さなければならない。
 あの地獄で死んでいった者たちが、ただ無為に死んだということは、絶対にあってはならないから。
 俺が―――それを証明しなければならない。
 その手段を―――それを形にしてくれたのが―――切嗣(親父)だった。
 “正義の味方”―――切嗣(親父)が目指し、諦めたそれに、俺はなると誓った。
 “全てを救う”―――そんな“正義の味方”になると。
 それは―――あれから二十年近く経った今でも変わりはしない……ただ―――。

「……まさか、君が“正義の味方”を目指しているというのは―――」
「それも、理由の一つ(・・)ですね」

 閉じていた視界が開き、魔法の明かりの淡い光に目が微かに眩む。
 ゆらりと揺れた視界の中に、今は遠い人たちの姿が一瞬見えた気がした。

 そう、“正義の味方”を目指す理由は今も変わらない―――ただ、増えただけだ―――理由が。 
 あれ(聖杯戦争)から色々あった、出会い―――別れ―――戦い―――殺し―――救い―――救われ―――本当に、色々あった。

 知らず、口の端が緩まっていた。それを片手で隠し、チラリとコルベールの様子を窺う士郎。コルベールは士郎の様子に気付かず、何やら頭痛を耐えるかのように顔を片手で覆い小さく頭を降っていた。

「……君は―――っ、やっぱり納得できん。その災害とやらは君のせいではない。なら、君に罪はなく、責任を感じることもない筈だ」

 顔から手を離したコルベールは、真剣な顔で士郎に訴える。その言葉は真に正しく、間違ってはいない。だからこそ、士郎はそれに対し返事をする。用意していた言葉でもって。

「―――それを言うのなら、コルベール先生も同じでは?」

 ―――それをあなたが言うのか、と。

「っ」
「あなたが村を焼いたのは、命令にあった通り病気の感染を防ぐため。非道と十分に理解しながら、それでも多くを救うため、その手を血に染めた。知らなかったですまない話だとあなたは言うだろうが、特殊な部隊の隊長だったとはいえ、一介の兵士でしかなかったあなたに、下った命令が偽物とその場で気付く事はほぼ不可能だ」

 息を呑むコルベールに、士郎は伝える。同じだと―――士郎に罪がないと言うのなら、それはあなた(コルベール)も同じであると。

「ならば、『そんなのは、『たら、れば』の話じゃないか』」
「……シロウくん―――っっ、っし、しかし! しかしだ! 現実にこのわたしの口が呪文を唱え、この手で杖を振り、皆を焼き殺した! 焼き、殺してしまったんだ……」

 ガタンッ! と椅子を蹴倒し立ち上がったコルベールが、青ざめた顔で唾を飛ばしながら震える手を眼前に掲げた。怯えたような目で見つめる先の自身の両手。(コルベール)には、一体何が見えているのだろうか。罪なき民を殺した自身の炎か―――罪なき民の赤い血か―――。
 そんな今にも悲鳴を上げて倒れそうな姿のコルベールを。士郎は静かな眼差しで見つめながら問いかけた。
 
「あなたは、なぜ、罪を償いたいんですか」

 そもそもの根本を―――何故、罪を償いたいのかを。
 士郎の問いに、コルベールは何故か直ぐに答えることはできなかった。
 答えなど初めからわかりきっている筈だ―――自分は殺したのだ―――罪なき人を。
 ならば、裁かれるのが道理―――裁かれなければ、ならない。
 わかりきっている事―――なのに、何故か、その一言が口から出ない。
 ―――何故?

「……それは」

 それは―――

「楽になりたいだけなのでは?」
「―――ッなっ!?」

 士郎の信じられない侮辱に、コルベールは一瞬にして青ざめさせていた顔を一気に赤く染めた。
 怒りの余り思わず杖に伸ばしかけた手を止めたのは―――

「復讐者に断罪され、死んで楽になりたいだけじゃないのか」

 同じく、士郎の言葉だった。

「そ、そんな筈は―――そんな馬鹿な話が―――」

 叱責のように強くも厳しくもない、それどころか優しげにさえ感じられる声で、残酷な言葉(真実)を告げる。
 そう、そんな事は―――もう、ずっと昔からわかっていたこと。
 (士郎)の言っている事は、間違いなどではない。
 だから―――

「なら、何故そこまで裁かれるのを望む」
「―――それは、わたしが罪人だから、償わなければ」

 ―――わたしの声はこんなにも弱く、小さく……。

「『許す』と言われたんだろう」
「―――ッ」

 ―――こんなにも、脆い。

「なら、そこで終わりの筈だ」

 フラフラと力なく膝が揺れているコルベールに向け、士郎はハッキリと伝える。
 何故、コルベールがこうまで裁かれるのを望む理由を―――そんなものはわかりきっている。
 何故ならば、自分も同じだからだ。
 自分も同じように―――。

「『許す』と言われながら、そんなにも裁かれるのを望むのは―――コルベール先生。あなたは罪を償いたいというよりも、まるで“救われたい”といっているかのようだ」
「―――ッ!?」

 雷に撃たれたかのように身体を一瞬伸ばし硬直した後、ガクリと膝を床に落とし膝立ちとなったコルベールは、呆けたように開いた口元から乾ききった笑い声が漏れ出した。

「……は、はは……“救われたい”、ですか……確かに、そう、かもしれませんね」

 両手で顔を覆ったコルベールは、自嘲しながら可笑しくてしょうがないとでも言うように、引きつった笑い声を上げ続ける。

「口では『罪を償いたい』と言いながら“救われたい”等とは……本当に、わたしは救いようがないですね」

 このまま自死するのではと心配になるほど弱った様子を見せるコルベールに、士郎の静かで穏やかな声が掛けられた。

「……だから、償うことはできない」
「シロウ、くん?」

 その言葉に含まれるものに、コルベールは思わず顔を上げた。コルベールの絶望に染まった心を揺り動かしたのは、言葉に含まれた優しさ等ではなく―――苦笑混じりの自嘲だった。

「結局は、その人の心の持ちようでしかない」

 顔を上げ自分を見つめるコルベールに自嘲めいた苦笑いを見せた後、士郎は窓越しに見える変わらぬ美しい夜の空に視線を向けた。

「例え許しを得たとしても……例え望んだ罰を受けたとしても……当の本人が納得しなければ何時までも“罪”というものは消えない」

 窓の向こうに広がる、闇の中に浮かぶ数え切れない星の輝きと、二つの大きな月を見る。

「“罪を償った”と納得しない限り、どんな罰も、許しも、何の意味もない」

 士郎の視線に誘われるように、コルベールも窓の外に広がる星空を見上げる。夜空に輝く星は、何処で見ても変わらず美しい。

「心の内から生まれるものは全てそうだ……自分が納得しなければ決して消えたりはしない―――“罪”も、そして―――“復讐”も」

 士郎の視線が一瞬だけ、チラリとドアへと向けられた、それは本当に一瞬であり、間近にいたコルベールさえ気付かない程度のものであった。

「あなたにとって、被害者か、またはその身内から裁かれるのが一番納得のいく償いだったのだろうが、それが出来なくなった今、別のナニカ(償い)を見つけるしかない」
「……君にとって“人を救う”ことのようにかね」
「……」
「そんなもの……見つかる訳が……」

 士郎のように苦笑いを口元に浮かべながら顔を戻すと、士郎も同じくコルベールを見つめていた。二人の視線が交わり、直ぐに離れた。視線をずらしたのは、コルベールの方だった。
 視線を下に向け顔を左右に振ったコルベールの諦め切った様子に、士郎は目を細めると口を開いた。 

「―――もう、見つけているのでは?」
「え?」

 顔を上げたコルベールに、士郎はニヤリと笑みを浮かべると、コホン、と一つ咳払いをし、それを口にした。

「『炎を司るものが、破壊だけでは寂しい』」

 (コルベール)自身が誓った。
 その思いを。

『―――しゅごいッ!!? かんぺきです、このやきぐあいッ!!』

「―――あ」

 コルベールの脳裏に遠い過去の記憶が―――幼い少女の歓喜の声が一瞬蘇った。
 あれは―――何時の事だっただろうか。
 色あせた遠い記憶に思いを馳せるコルベールの耳に士郎の言葉が触れる度、欠けたピースを嵌めるかのようにあの頃の記憶が鮮明になっていく。

「あなたの研究は、何時か、誰かを救うことになる。それは“命”かもしれないし、“心”かもしれない。そのどちらかもしれない」

『ん? え~と、んぐんぐ……んく。んと、“ひ”は、すごいとおもいます』
 ―――わたしが、まだ教師になる前、オスマン氏に教師にならないかと誘われていた頃……一人の少女と出会った。

「そん、な、あれはただの言い訳でしか」
「言い訳でも建前でも結構」
「え?」
「あなたが納得するかしないか、そこが重要だからな」
「し、ろうくん」

『だ、だって、かちかちのパンをこんなにおいしくできるんだもん。それに、このパンをやくのにも、ひをつかうんでしょ?』
 あの子は、確か……そう、ガリアから来たと言っていた。美味しいものが大好きで、トリステインの美味しい物を食べるため、仕事でトリステインに行く両親に付いてきたという貴族の少女だった。
 出会った切っ掛けは何だったか?
 お腹が減って動けず道端でうずくまっていた彼女に声を掛けたのが切っ掛けだったか?
 屋台の匂いに誘われ外に出たはいいが、道に迷い、更にはお金も持っておらず、どうしようもなくなって道端に蹲り泣いていた少女。傑作だったのは、迷子から不安で泣いていた訳ではなく、単にお腹が減って泣いていたという点だ。
 あの時、丁度懐に学院の食堂から持ってきたパンとチーズがあった。
 だから、わたしは炎で軽くパンとチーズを炙って彼女に手渡したのだが―――あの子はわたしの炎で炙ったパンを口にし、感嘆の声を上げ―――。 

「ま、誰かに裁かれるなんてのに比べれば、かなり時間が掛かるが……あなたの研究は、それこそ時代を救う可能性もある」

 椅子から立ち上がった士郎は、床に膝を着き座り込んでいるコルベールの前に立つと、悪戯っぽい表情を浮かべ手を差しのべた。

『―――だから、おじさんの“ひ”はとってもとってもすごいです』
 ―――見ているこちらが幸せになるほどの笑顔で笑ったのだ。

「だから、今はその“罪”を抱えて頑張ってくれ―――“先生(・・)”」
「―――っ、はっ、はは」

 士郎の言葉と、そして思い出したあの少女の笑顔が、一瞬コルベールの思考を空白にした。
 胸を満たす暖かい何かが溢れ、大きく息を吐いたコルベールは、一つ大きく鼻を鳴らして笑い、差し伸べられた手を掴むと―――

「全く、君は厳しいな……しかし、わかりました。なら、微力ながら頑張らせていただきますよ―――」

 ―――顔を上げ、にっこりと笑いかけた。

「―――“正義の味方”さん」

 目の前の正義の味方(衛宮士郎)と、

『―――おじさん。わたしに“ひ”のつかいかたをおしえてください。おじさんみたいに、おいしくぱんをやきたいんです』

 思い出に浮かぶ食いしん坊少女に………………。





  
 

 
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