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バス停で

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第一章


第一章

                   バス停で
 沖縄のある村での話だ。もう三十年程前の話らしい。
 日本にようやく復帰した。それでほっとしていた頃の話だ。ベトナムでの戦争も終わり殺伐とした雰囲気もようやく消えてはきていた。
 何はともあれ平和になってきていた。それは沖縄全体に広がっていた。
 そうした頃である。村でも平和な空気が漂っていた。
「兵隊さんもいなくなったね」
「何とかって感じかね」
 そんな話が畑のあちこちからも聞こえる。とりあえずは平和になったのである。
 その平和の中に真喜志紙子もいた。沖縄の娘らしく日に焼けた肌に細長い顔をしていて目が丸く大きい。黒い長髪を後ろで一つに束ねている。服はいつもラフな姿で農家の娘であることをその格好から教えていた。そんな娘であった。
 活発な美貌の女の子だったので近寄って来る男の子は多かった。その中には前から沖縄にいるこちらの言葉での所謂ウチナンチュだけではなく沖縄以外の日本人であるヤマトンチュやアメリカ軍人の子供達もいた。今回はそのアメリカ軍人の子供達であった。黒人の背の高い少年だ。
「折角だけれど悪いね」
 紙子はにこりと笑ってその黒人の少年の誘いを断るのだった。場所は村の駄菓子屋のすぐ前であった。そこでか少年の誘いを受けていたのだ。
「断らせてもらうよ」
「何だよ、つれないな」
「最初からその気がないからはっきり言っておくのさ」
 紙子の笑顔は明るいが言葉はきついものであった。
「悪いね、そういうことでね」
「わかったよ。僕も相手にその気がないならいいよ」
「あっさりしてるんだね」
「パパに言われてるんだ」
 黒人の少年もにこりと笑って言葉を返す。彼もあっさりしたものであった。
「断られたらそれで諦めろってね」
「へえ、いいパパさんなんだね」
「アメリカ海軍のパイロットだよ」
 少年の言葉に強いものが宿る。そこから彼にとって父というものが誇りであることがわかる。パイロットが誇らしいものであることは日本でもアメリカでも同じのようだ。
「そのパパの言葉ならね」
「そうなの」
「そうさ。じゃあね」
「ええ」
 少年は潔く去った。紙子も彼もお互い手を振り合ってそれで別れる。この少年の他にも彼女に声をかける者は多かったし時には強引に言い寄ろうとする者もいたがそうした相手には拳で返したりもするのでかなり手強いと言えた。そんな彼女だったがある日のことだった。
「ねえ紙子」
 まだ木造の古臭いと言ってもいい校舎の廊下でクラスメイトの女の子に不意に声をかけられた。時間は放課後、丁度下校中でのことだ。
「あんたに会いたい人がいるんだって」
「会いたい人?」
「これだけ言えばわかるわよね」
 その娘は紙子に含み笑いを見せて今度はこう言ってきた。
「何なのか」
「何となくね。わかったわ」
 またかと心の中で思ったがそれは笑顔の下に隠した。そうして言葉を返すのだった。
「そういうことなのね」
「そういうこと。それで場所はね」
「何処?」
「バス停のところだって」
「ああ、あそこね」
 バス停と言われてすぐに何処かわかった。芭蕉が一面に繁っているその場所だ。そこから紙子のいる高校まですぐなのだ。それで通学路に使われているのである。
「あそこにいるからって」
「ふうん。それで誰なの?」
「さあ」
 今度の返事は実につれないものであった。娘も言葉をはぐらかして笑うだけだった。
「誰かまではわからないのよ」
「そうなの」
「そういうこと。それでもね」
 娘は言葉を続けてはきた。
「待ってるからって」
「一人で?」
「何ならついて行こうかしら」
「それはいいわよ」
 右手をあげて横に振ってそれは断る。仕草がヤマトンチュのものに似てきているのはテレビのせいであろうか。復帰後の特徴の一つでもあった。
「何人かで強引に来たら急所蹴り飛ばしまくって逃げるから」
「随分強引ね」
「そういう奴がいないとも限らないしね」
 今度は腕を組んでの言葉だった。そうした覚悟はいつもしているらしい。女の子として。
「女の必要条件よ」
「まあ強いに越したことはないけれどね」
「そういうことよ。さて」
 ここまで言ったうえでまた言う紙子だった。
「じゃあ今から行って来るわ」
「今からなの」
「ええ。相手はもう待ってるんでしょ」
「多分ね」
 少し考える目になって紙子に答えてきた。
「今さっき伝言頼まれたし」
「伝言なの」
「そっ、あんたに伝えてねって」
 彼女は軽い調子で言ってきた。
「今さっき頼まれたのよ」
「誰からなの?」
「ええと。誰だったっけ」
 また随分といい加減な話だった。しかし首を傾げて考える顔になっているところを見ると本当にわからないらしい。それが顔にも仕草にも出ていた。
「見たことのない娘だったわ」
「見たことのないって」
「一年生なのよ」
 こう言ってきた。なお紙子達は二年である。制服につけている組章の色でわかるようになっているのだ。三年が青、紙子達二年が緑、そして一年が赤なのだ。
「だから知らないのよ」
「じゃあ相手は」
「よっ、年下キラー」
 笑顔になって紙子を茶化してきた。今度は軽い感じだった。
 
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