銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百六十三話 風雲
宇宙暦 798年 7月 7日 フェザーン 高等弁務官府 ピエール・シャノン
ドアを開ける前にネクタイを直しスーツの襟元を正した。ノブを回しドアを開ける。
「お待たせしましたかな」
「いえ、お気になさらずに。押し掛けたのはこちらですからな」
応接室のソファーには初老の帝国人が座っていた。ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵、帝国の高等弁務官。流暢な同盟語を話す。私達の会話は何時も同盟語で行われる。
ゆっくりと近づいてソファーに座ると老人が組んでいた足を戻した。白っぽい頭髪と透明に近い瞳が印象的だ、その容貌からレムシャイド伯は帝国の白狐と呼ばれている。白狐は穏やかな笑みを浮かべていた。
「お忙しいようですな、シャノン弁務官」
「ペイワード自治領主閣下に呼ばれていたのです」
「なるほど、自治領主閣下ですか……、それはそれは……」
レムシャイド伯が意味有り気に語尾を濁した。もっとも表情は変わらない。
こちらがペイワードとの親密さを見せても目立った反応は見せない。レムシャイド伯にとってペイワードは同盟の傀儡にしか過ぎないのだろう。ペイワードもレムシャイド伯とのパイプを太くしようとは考えていない。彼が帝国との和平を働きかけているのはオーディンのボルテック弁務官を経由しての帝国政府高官だ。リヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥。今の所和平工作が上手く行く様子は無い。
「それで、御用の趣は?」
レムシャイド伯の顔から笑みが消えた。
「本国政府から連絡が有りましたので同盟政府に伝えて頂きたいと思いましてな、寄らせていただきました」
「……それは帝国政府からの正式な通知、そういう事でしょうか?」
「そういう事です」
レムシャイド伯が重々しく頷いた。
帝国からの正式な通知か、おそらくは地球教に関する何かだろう。気を付けろ、油断は出来ない。白狐はこちらに好意を見せながらもしっかりと帝国の実利は確保する男だ。しかもこちらに気付かれないように行う。同盟が何度この男に苦汁を嘗めさせられた事か……。
「伺いましょう、御国は何と仰っているのです?」
「帝国は軍を地球に派遣し地球教団の本拠地を攻略しました」
「……」
「潰滅と言って良いようですな。地球教の総大主教を始めとする幹部の大部分は本拠を爆破して自裁したとか。残念な事に彼らの捕縛は叶わなかったようです」
ついに本拠地を叩いたか……。
「では地球教団は頭を潰された、後は烏合の衆だと?」
問い掛けるとレムシャイド伯は“さて、如何ですかな”と答えた。
「軍を派遣してから地球攻略まで時間が有ります。逃げ出した者が居ないとは言えますまい。政府も本拠地が潰滅したとは言っておりますが教団が壊滅したとは言っておりません。今しばらく、注意は必要でしょう」
「なるほど」
帝国は地球教団の潰滅には自信を持っていない。不確定要素が有るようだ。
「それで、地球教団とフェザーンの関係を表す物は有りましたか」
問い掛けると首を横に振った。
「現状ではまだ何も。教団の本拠は爆破されたためコンピューターは土砂に埋まったり破損したりしているそうです。オーディンに持ち帰り修復するそうですが……」
「微妙という事ですか」
私が後を続けるとレムシャイド伯が頷いた。少しの間、沈黙が落ちた。
「実際問題、フェザーンと地球が繋がっているというのは確かな事なのでしょうか? 可能性としては有ると思いますが……」
「……信じられませんかな」
「ペイワード自治領主閣下はフェザーンと地球教との繋がりを否定しています」
可能性は有る。しかし証拠は無いのだ。フェザーンと地球の繋がりが無い可能性も有るだろう。大体このフェザーンには地球教団の支部が無い。功利的で現実主義者のフェザーン人は宗教にそれほど関心を持たなかった。フェザーンは信徒獲得には不向きな所なのだ。
フェザーンにおける地球教の活動は極めて低調だ、フェザーン人の多くは地球教に脅威を感じていない。大方のフェザーン人は地球教が同盟、帝国で引き起こした騒乱を他人事のように思っている。では何故帝国がフェザーンと地球教の繋がりを主張するのか?
帝国はフェザーンを地球教の仲間とする事でフェザーン討伐を考えているのではないのか。帝国は同盟との戦いを欲している、きっかけが欲しいのだ。その導火線がフェザーンだろう。火をつけるのが地球教……。私にはこちらの方が可能性が高いように思える。
「元々自治領主閣下はワレンコフ元自治領主の下で補佐官を務めたにすぎませんでした。自治領主になる事を予定された方ではなかった。フェザーンにとっても地球にとってもこの一件は秘中の秘です。閣下が何も知らなかったとしてもおかしくは無い、違いますかな?」
「……」
真実を知っているだろうと思われる人物が一人いる。前自治領主アドリアン・ルビンスキーだ。だが現在ではルビンスキーの所在は不明だ。そして帝国はルビンスキーの居場所を知っている可能性が有る。彼の息子、ルパート・ケッセルリンクはオーディンに居るのだ。ルパートをオーディンに連れ去ったのは目の前にいる白狐だった。
「両者に繋がりが有るかどうかは確定していませんが地球教が逃げ込む先は現状ではフェザーンしかないのも事実です。帝国政府は地球教の残党がフェザーンに集結するのではないか、そして何らかの行動を起こすのではないか、それによってフェザーンが混乱しその中立性が損なわれるのではないか、そう考えています」
「……」
ぐいっとレムシャイド伯が身を乗り出してきた。
「同盟政府におかれては地球教の動きに十分に注意していただきたい。フェザーンの中立性の回復と維持、それは同盟政府の責任において行われる。フェザーン進駐の条件だったはずです」
やはりそこを突いて来たか。騒乱が起きれば同盟は約定を破った、同盟にフェザーンを任せておくことは出来ない、そう主張して攻め込むつもりだろう。白狐が私を見ている、返事を待っているのだろう。言質を取る、そういう事だ。だが拒否は出来ない。
「……本国政府には必ず伝えます」
白狐が満足そうに頷いた。そして乗り出した身体を元に戻す。
「本国より何か報せが入りましたらまたお伝えします。今日はこれで……」
「有難うございました。今後の調査に期待しております」
「同感です、良い結果が出れば宜しいですが……」
レムシャイド伯を送り出した後、ハイネセンに連絡を取った。スクリーンにトリューニヒト議長の顔が映った。
『シャノン弁務官、どうかしたかな?』
「レムシャイド伯が訪ねてきました」
トリューニヒト議長の表情が微かに厳しくなった。
『それで?』
「帝国軍が地球に赴き地球教団を制圧したそうです。地球教の総大主教を始めとする幹部の殆どが自裁したそうです」
“なるほど”と議長が頷いた。
「もっとも地球教団を完全に無力化出来たかについては自信が無いようです。逃げ出した者もいるのではないかと帝国は考えています」
『つまり地球教の脅威は減少はしたがゼロになったわけではない、そういう事だね?』
「はい」
トリューニヒト議長の意見を肯定すると議長は大きく息を吐いた。
『地球とフェザーンの関係だが何か分かったかね?』
「これから調べるようです。ただ教団の本拠は爆破されたためコンピューターは土砂に埋まったり破損したりしているそうです。データーの復旧には時間がかかる、レムシャイド伯はそのように言っています」
『簡単には尻尾は掴めないか……』
「はい」
尻尾は掴めない、いや本当に尻尾が有るのか……。或いは帝国は尻尾を掴んでいるのかもしれない、敢えてそれを隠しているという可能性も有る。
『しかし本拠地は潰した。これで地球教団はハイネセン、オーディン、地球と三つの拠点を失ったことになる』
「……」
『彼らが教団として活動するなら根拠地が必要なはずだ』
「……フェザーンですか」
議長が頷いた。
『同盟と帝国の地球教徒が集結するには地理的に見てフェザーンがベストだ。そして政治的にも同盟、帝国は地球教を敵と認識しているがフェザーンはそうではない。フェザーンと地球が繋がっていなくても連中はフェザーンに行くだろう』
「レムシャイド伯もそう言っていました。そしてフェザーンの中立性の回復と維持は同盟軍のフェザーン進駐における条件だと」
トリューニヒト議長が顔を顰めた。
「それが帝国の狙いという事は有りませんか? 帝国はフェザーンに不満分子を集め混乱を生じさせようとしている。それをきっかけに戦争を起こそうとしている。実際にはフェザーンと地球の間に繋がり等は無い……」
『……』
議長は沈黙している。もう一押し。
「ペイワード自治領主もフェザーンと地球の繋がりについて首を傾げています」
『しかしフェザーンには通商国家として不自然な部分が有ったのも事実だ。地球教を当て嵌めれば不自然さは消える』
「……」
今度は私が口を噤んだ。
確かにその不自然さは有る。フェザーンは余りにも同盟と帝国の間で戦争を煽り過ぎた。通商国家なら和平と戦争を適度に繰り返した筈だ。活かさず殺さず、両国から利益を搾り取る。ペイワードによればワレンコフは和平を考えたのだという。ワレンコフは両国に適度に休息を与え搾り取る事を考えたのだろう。しかし実現することなく事故死した。ペイワードはルビンスキーによる謀殺ではないかと考えていたが……、正しいのかもしれない、その場合裏に居るのは地球教だろう。
『今気を付けなければならないのは地球教団の残党がフェザーンに集結する事、そして騒乱を起こす事だ。帝国にフェザーン侵攻の口実を与えかねない』
「はい」
『ペイワードとも協力して混乱を防いでくれ』
「分かりました」
“では”と言うと通信が切れた。何も映さなくなったスクリーンを見ていると溜息が出た。フェザーンは通商国家だ、船の出入りは嫌になるほど有る。集結する事に気を付けろと言われても……。また溜息が出た。
宇宙暦 798年 7月 7日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
トリューニヒトに呼ばれて議長の執務室に行くとそこには既にホアンとアイランズが居た。私を見てトリューニヒトが軽く頷く。
「揃ったようだな。フェザーンのシャノン弁務官から連絡が有った。帝国は地球を制圧したらしい。地球教団の本拠地を壊滅状態にしたようだ」
皆が顔を見合わせた。驚きは無い、来るべきものが来た、そういう事だ。
「白狐からかな」
「ああ、我々に報せてくれとの事だそうだ」
「では地球教はこれで終わりか?」
私が訊ねるとトリューニヒトが首を横に振った。
「いや、そこまでの確信は帝国にも無いらしい。大きなダメージを与えた、そんなところだろう」
ホアンが不満そうに鼻を鳴らした。
「それで?」
「レベロ、現状では地球とフェザーンを結びつける物は無い」
皆が顔を見合わせた。皆が渋い表情をしている。
「爆発の影響でコンピューター等が地面に埋まったり破損したりしているそうだ。復旧には時間がかかるようだ。復旧出来ればだが……」
面白く無い、私だけではないだろう。皆がそう思っているに違いない。
「こうなるとフェザーンが地球教団の根拠地になる可能性が大です。既にハイネセンから脱出した地球教徒がいる事も分かっています。彼らは間違いなくフェザーンに向かったでしょう」
「危険だな、今までもフェザーンは同盟と帝国の間で問題になる場所だった。帝国は内乱を収めて国内を固めつつある。騒乱が起きればどうなるか……」
アイランズ、ホアンの声が沈んでいる。状況は良くない。
「その事はシャノン弁務官にも注意した。彼もフェザーンで騒乱が起きれば帝国が侵攻するのではないか、それが帝国の狙いではないかと考えている。実際にレムシャイド伯がフェザーンの中立性の回復と維持は同盟の責任だと言ったらしい」
トリューニヒトの言葉に皆が顔を顰めた。誰だとて責任問題を問われるのは面白い事ではない。
「地球教を叩きつつフェザーン侵攻を目論むか。問題はその侵攻が限定的なものになるか、総力戦になるかだな」
私が言うとホアンが“宇宙統一か”と呟いた。帝国は宇宙統一を望んでいる。二年前の帝国領侵攻、あの敗北から同盟はまだ回復してはいない。帝国がフェザーンでの騒乱をきっかけに戦争に持ち込みたい、そう考えてもおかしくは無い。しかし国内がどの程度固まっているのか。遠征を望んでも国内情勢がそれを許さないという事は十分に有り得る事だ。
「国防委員長、軍に状況を説明して警告を発してくれ。今すぐ戦争という事は無いだろうが準備だけは怠らないで欲しい。早急に訓練を行い鍛えてくれ」
「分かりました」
「それと戦力の補充を急いでくれ」
トリューニヒトの言葉にアイランズが首を横に振った。
「厳しいですな」
「……」
「現在新たに二個艦隊を編成し正規艦隊は七個艦隊まで回復しました。但し新たに編成した二個艦隊は戦力としてカウントするには訓練不足です。後一年あれば訓練も積めますしもう一個艦隊の編成が可能ですが……」
「……」
「現状ではこれが精一杯です。艦も有りませんし乗せる兵士も居ない。あの敗戦で失われた将兵の補充は簡単には行きません。時間がかかります」
アイランズが厳しい表情で戦力が不十分で有る事を告げた。ホアンが“時間か”と呟いた。皆が遣る瀬無いような表情を浮かべている。トリューニヒトが重苦しい空気を打ち払うかのように頭を振った。
「分かった、最善を尽くしてくれ。それと例の名簿の件、何か分かったかね?」
皆の視線がアイランズに向かった。地球教団支部に有った名簿、地球教徒にする候補者の名簿ではないのか、だとすれば誰が用意したのか……。
「名簿を調べて分かった事が有ります。記載されていた名前はフレアスターグループのあらゆる企業から選ばれていました。偏りが無いのです」
「……」
偏りが無い? 広範囲に地球教の手が伸びていた、そういう事か? しかしそんな事が可能だろうか。
「おそらく地球教は各企業から情報を得たのではありますまい。フレアスターグループは人事、経理、財務業務をグループ内のある企業に一括して委任しております。そこから情報を得たのでしょう」
「なるほど、道理だな」
思わず声が出た。人事を押さえれば簡単な事だ。給与計算を行うには配偶者の有無、扶養家族の有無が関わってくる。
「今その企業を密かに調べさせています。もうしばらく時間を下さい」
「分かった。君には苦労をかけるが宜しく頼むよ」
トリューニヒトがアイランズを労った。実際同盟で一番忙しい政治家と言っても間違いではない。そして忙しさはこれからさらに増すだろう。
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