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切らなかったカード

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第一章

                切らなかったカード
 杉浦忠は入団一年目ですぐに南海ホークスのエースとなった。
 伸びのあるストレートに恐ろしいまでに曲がるカーブに沈むシュート、持っている球種はこの三つだがその三つがどれも超一級だった。
 彼のボールを受けるキャッチャーの野村克也もだ、こう言った程だ。
「スギはわしが見たピッチャーの中で最高や」
「野村さんが御覧になられたピッチャーの中で、ですか」
「最高ですか」
「そや、あれだけのピッチャーはおらん」
 実際にボールを受けての言葉だ。
「ほんまにな」
「確かに凄かったですね、あの人は」
「あんな人はいなかたtでですね」
「投球フォームも綺麗でしたし」
「本当に超一流でしたね」
 野村から話を聞いた当時の杉浦を知る者達もこう言う程だった。とにかく杉浦というピッチャーは凄かった。
 杉浦を擁した南海は昭和三十四年に日本一になった、宿敵西鉄も怨敵である球界の似非盟主巨人も倒してだ。
 とにかくこの年の杉浦は凄かった、三十八勝四敗という驚異的な成績を挙げシリーズでは四連投四連勝という驚くべき偉業を達成した。
 まさに昭和三十四年は杉浦のシーズンだった、この年の話である。
 この時南海は東京で試合をしていた、試合の流れは南海にとって悪かった。
 それでだ、監督である鶴岡一人も難しい顔でコーチ達と話していた。
「今日はあかんな」
「そうですね、どうにも」
「流れが悪いですね」
「この状況ですと」
「負けますね」
「こういう試合もあるわ」
 鶴岡は苦い顔でこうも言った。
「ほんまにな」
「ですね、シーズン中には」
「こうした試合はどうしてもありますね」
「一年試合をやってると」
「どうしても」
「そや、まあしゃあないわ」
 鶴岡は彼の故郷である呉の方言と大阪のそれが混ざった言葉で言った。
「今日は」
「捨て試合ですね」
「そうなりますね」
「そや、すぐに大阪に戻るわ」
 南海の本拠地であるそこにだ。南海ホークスの本拠地は大阪難波にある大阪球場だった。これはホークスが南海である限り変わらなかった。
「そこで勝つで」
「この負けを取り返しましょう」
「大阪で」
 コーチ達も鶴岡の言葉に頷いた、だがこの時ベンチにだ。
 杉浦がいた、杉浦は試合が負けるならばと思いだ、自分から鶴岡に言った。
「あの、監督」
「何や、スギ」
 鶴岡は杉浦に顔を向けて応えた。
「便所か?行って来てええわ」
「いえ、何でしたら」
 こう一呼吸置いてからだ、杉浦は鶴岡に申し出た。
「僕投げましょうか?」
 鶴岡に自分から登板を申し出たのだ。
「そうしましょうか」
「馬鹿たれ!」
 だが、だった。鶴岡は杉浦の申し出を聞くとすぐにだった。
 顔を真っ赤にさせてだ、こう彼に言ったのである。
「御前は黙っとれ!」
「えっ!?」
「黙っとれ言うたんや!」
 有無を言わさない口調だった、こうしてだった。 
 鶴岡は杉浦を登板させなかった、そしてこの試合はピンチで打たれて南海が負けた。杉浦はベンチで試合を見てこう思った。
「わしが投げてたらな」
 こう思うことしきりだった。
「抑えられた。勝ってたのにな」
 当時のエースは連投もリリーフも常だった、だから杉浦もそれが常識として鶴岡に申し出たのだ。だがだった。
 鶴岡はそれを退けた、それで負けた。杉浦にはわからなかった。 
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