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運命の向こう側

作者:月餅
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プロローグ1

 霧のロンドン。前が見えないほど濃いわけでは無いが、さりとて運動するには肌に鬱陶しく感じる程度には広がる明け方。つまるところ、好きこのんで外出するような者はほとんどいない時間帯。その散歩道を、衛宮士郎は一人歩いていた。
 学校を卒業から急激に伸び始めた身長は190近くにもなっている。がっちりと筋肉のつまった体を、茶色いロングコートで覆っていた。しかし、顔つきは柔和であり、どこかアンバランスな印象がある青年。幼さを脱し、成長した姿がそこにはあった。
 いつも通りに郵便物を確認しながら、家のドアを開く。何通かの封筒に目を滑らせていると、ふと、その中の一通に目がとまった。手書きには珍しい、非常に丁寧なブロック体。几帳面で手本になりそうなそれの下には、やはり丁寧な字で書かれていたのだ。日本語で、宛名と差出人が。

「藤ねえ?」

 ドアが閉まる音を聞きながら、思わず口に出す。イギリスに留学してからめっきり会うことが少なくなった姉の名が、そこに記されていた。
 通常、封筒に文字を書くのはイリヤである。つまり、今回はイリヤが関係していないという事でもあり。
 なぜか急かされている気がして、士郎は封筒を破いた。



 ○●○●○●



 魔術協会の総本山たる時計塔、その中でも比較的重要度の高い一室のドアが開かれた。それなりに広い室内に響く足音は、上品と言うにはいささか高い音を立てている。
 この部屋は研究室でなければ、魔術的に重要なものがおいてあるわけでも無い。言うなれば、ただの執務室だ。それでも、他人に見られてはまずい書類の一つや二つある。限られた者しか入れないし、入ろうとする者はいない。そんな所に正規の手段で入ってこれる者を、士郎は二人しか知らなかった。
 椅子ごと背後に振り向こうとする士郎。しかし、それは半ばで机に置かれた手に遮られた。

「よう、遠坂」
「衛宮君、ご機嫌麗しく」

 台詞とは正反対の憮然とした表情で、士郎を見下ろすのは、遠坂凛だった。学園時代から背の変わらぬ彼女を、いつの間にか見下ろすほど差ができた。
 昔から美人と評判だった容貌に、さらに磨きがかかっている。学生時代でも大人びていると思ったが、やはりそれは学生の基準でしか無かったのだろう。今の彼女と比べれば、やはり昔の遠坂凛は幼さを捨て切れていなかったと言わざるをえない。
 とはいえ、その美貌も似合わぬ三白眼で固定されていれば、魅力は半減だ。
 ばさりと、投げ捨てるように置かれる紙束。それに目を通すよりも早く、凛のあきれるような声が届いた。

「あのね、こういう事は事前に言ってもらわないと困るのよ」
「……言ってなかったか?」
「ないわよ」
「あー、それはすまなかった」

 軽く頭をかきつつ謝罪。
 内容が予測できる紙束を受け取り、表紙に目を向ける。そこには『日本・注四番地派遣書』と味気ない印刷文字で書かれていた。
 凛は紙束のどかされたデスクの上に座る。士郎を見る瞳からは、もう険が抜けていた。

「まあ実際、協会的には助かる話ではあるのよ。こんな事、わざわざしたい人なんてそういないし、当然私だってやりたくないわ。だから、うまく恩を売れたのはいいだけど――」

 そこまで言って、彼女の眉が潜められた。先ほどまでのような責めるようなものではなく、怪訝そうな形に。

「だからこそ、士郎が立候補した理由が分からないのよね。あの地にそれだけの縁があったとは思えないし。士郎に限って、未だに教授としての責任感がない訳が無いしね」

 冗談のような――魔術協会所属寸前まで素人同然だった彼が教授になったのには、それなりに理由がある。
 留学当初、士郎ははっきり言って、時間をもてあましていた。大学と時計塔の二重生活、それなりに忙しくなることは覚悟の上だったのだが。その予想は、大きく裏切られることになる。
 そもそもは、魔術属性が偏りすぎていたのが問題だった。ものになる魔術がはっきり、かつ狭かったために、履修した科目は多くない。最大の特技である投影魔術は、逸脱しすぎた異能であるために、学べる者ではなかった。いや、それ以前に、危険すぎてそれを察知させる事自体、忌避していた。
 余らせた時間をどう使うか――それが人助けに向くのは、衛宮士郎にとって当然だ。そして、それが吸血鬼等の化け物討伐に向くのは必然に過ぎた。
 聖杯戦争の経験と、伸びていく魔術の腕。なにより戦うのに向いた彼の資質。魔術協会にその名を知れ渡させるのに、そう時間はかからなかった。彼の師が、すでに名声を獲得していた遠坂凛である事も深く関係してた。士郎は凛の懐刀だと思われており、そしてそれは間違いでは無い。
 他にもいくつか理由はあるのだが……それを考慮しての、教授就任だった。当然、それを押し込んだのは凛である。
 ちなみに、時計塔で幹部と呼ばれるのは中堅以上の教授からだ。下位の教授は、運が良ければ新参者でも獲得できる。
 下位教授と執行者は、幹部と生徒のいわば緩衝地帯。多少の発言権をやるから、それで満足しておけ。真面目に魔術を追求するつもりなら、幹部なんて面倒なものは目指さない。ある程度権利を獲得して、あとは自分の研究室に籠もりきり、とは凛の弁である。ぶっちゃければ、士郎は凛のための、口利きの窓口だった。

「そりゃそうだ。ろくな事教えられてないけど、だからってほっといていいなんて間違っても思ってない。……まあ、俺がいなくてもなんとかなるって下心があるのは認めるよ。それに、いざとなったら一科の先生に何とかしてもらうようお願いしてるし」
「あいつらが何かの役に立つわけないでしょう」

 あきれたように、頭を抱えながら凛は言った。
 戦術第二科。それが士郎が教師を務める学科である。であれば当然一科もあるのだが、これらの分け方は――身も蓋も無い言い方をすれば、実力だ。一流、一流半の戦闘魔術師は一科に集められ、そこからあぶれた者が二科に。もう少し言い方を変えれば、単独で吸血鬼やそれに類する化け物と戦えるか否か。ようは、二科の教授は閑職も閑職なのだ。士郎が教授になれた理由の一つでもある。
 一科の生徒らが二科の生徒をことさら見下している、という事はないのだが。しかし、魔術師とは実力主義かつ成果主義なのだ。能力の足りない二科を無価値だと思うのは、もどかしく思ってもどうにも出来ない。
 ちなみに、二科の生徒の多くは、戦闘的な魔術を研究してきた家系ではない。資金難で稼ぐ当てもない者達が、苦肉の策で所属する。これも、一科に相手にされない理由の一つだ。

「いや、けど先生は引き受けてくれたぞ」
「そりゃ士郎が言えばね。なんてったってあんたは、その名を轟かせる不死者殺し。それともミスターパーフェクトって言った方がいい?」
「それやめてくれよ……。全く慣れないんだ」
「でしょうね。そう認識されるよう意図した私が言うのも難だけど、ぜんっぜん似合ってないもの」

 肩を落とす士郎に、しかし彼女は悪戯っぽく答えた。美人でありながらそういう仕草は似合うのは、何というか、得だと思える。
 魔術師の集団という、ある種異常なコミュニティ――その中に入った程度で、士郎の度が過ぎた収まることは、当然無かった。誰にも綻びを見せない善人すぎる仮面。固有結界という異能を隠すための、魔術の秘密主義。それらは――少なくとも魔術師達にとっては――理想的な魔術師像に映った。後は、凛の指示でぼろさえ出さなければ、誰からも尊敬され、一目置かれる教授のできあがりだ。
 変人の集団に別種の変人が混ざって、妙な化学反応が起きた結果とも言える。
 それで実態が割れなかったのは、実力だけは本物だったからであろう。異例の速度で不死者を、それも毎回ほぼ単独で撃破した戦歴に嘘は無いのだ。

「まあいいわ。何かあったら私が見ておくわよ。士郎程じゃなくても、それなりに戦えるしね」
「すまん、助かる」
「そうなる前に、主席の彼がどうにかすると思うけど」
「ヴィクトールか……よくやってくれてるよ。俺から学ぶ事なんてとっくにないだろうに。あいつにだけは頭が上がらない」

 三流魔術師が八割をしめる二科の中で、唯一の一流魔術師。純粋な魔術の腕であれば、士郎では逆立ちしても勝てない天才だ。その彼はなぜか士郎に傾倒してるのだが、その理由を知らない。

「余計な話をしたわね。本題に戻るけど、なんで……」
「シロウ、あちらは終わりました。おや、リン、来ていたのですか」
「ああ、セイバー悪いな。お疲れ様。お茶を用意してあるよ」
「はい、少し休憩しましょう」

 隣の部屋から顔を出したセイバー。カウンターテーブルにのったお茶菓子に手を伸ばした。
 凛も一息つくようにお菓子を食べるが、スペースが無いためデスクに座ったままだ。間取りがいいとは言いがたい執務室では、三人で卓を囲む余裕は無い。

「セイバーは知ってたの? 士郎が派遣されるって話」
「ええ、聞いてはいましたが……」

 軽く、表情が曇る。そう決断した理由までは聞いていないと、雄弁に語っていた。

「と、言うわけで。ちゃっちゃと吐きなさいよ」
「別に隠してたつもりはないんだけどなぁ」

 スティック状のクッキーを突きつけながら宣言され、うめく士郎。
 少しだけ椅子を引いて、引き出しをあける余裕を作る。書類やら筆記用具やら、重要性の低そうなものが、乱雑に転がっている。その一番上に乗っている封筒を取り出して、差し出す。
 手渡された封筒を、裏表確認する凛。セイバーも首を伸ばして、横から見ている。

「なにこれ、藤村先生から? イリヤじゃなくて?」
「藤ねえが気を利かせてくれたんだろ。その中身が重要なんだ」

 言われ、封筒から取り出されたのは、一回り小さい封筒だった。しかし、外側の封筒が真新しいのに比べ、こちらは年季が入った汚れ方をしている。
 わずかに汚れた封筒には、達筆な字で書かれていた。一つは、衛宮切嗣。そしてもう一つは、遺言状、と。凛とセイバーは、字を確認し、揃って目を見開いた。

「いやあの、あんた、これ……。こういうのって、私が見ちゃっていいの?」
「別にかまわないぞ。俺はもう中身を確認してるし、遺言状自体、珍しくないし」
「遺言状が珍しくないとは、どういう事です?」

 首を傾げたのはセイバーだ。表情が怪訝そうなのは、以前に合っていた切嗣の印象に合わないからだろうか。

「いや、切嗣は遺言状を隠すのをおもしろがっていたみたいでさ。死んだ直後なんか、家中から数十通の遺言が見つかったぞ」
「……あんたのお父さんも、本当によく分からない人ね」

 ため息をつかれても、苦笑で返すしか無かった。
 ちなみに、遺言状の内容も千差万別だ。お供え物はだんごにしてくれ、というくだらないものから、権利書の類いまで。そして、今回は――後者よりのものだった。

「これは、手紙と写真?」
「中央左が切嗣ですね」

 写真には、四人の人間が映っている。一人は、無精髭を生やし、曖昧な笑みを浮かべた衛宮切嗣。そのすぐ隣に、ヨーロッパ系の青年が、元気良さそうに絡んでいる。さらに隣に、白木拵えの刀を持った、血色の悪い男。最後に、写真の隅でとても嫌そうな顔をしている、金色の髪が美しいお人形のような少女だった。

「これ、誰なの?」
「俺も知らない。まあ、切嗣の知り合いって事だけは間違いないだろうけど」

 四つ折りにされていた手紙が開かれる。中身は、その要領に反して、殆ど書かれていなかった。
 切嗣のメッセージは、余裕があれば二人の頼みを聞いてやって欲しい、とだけ。男達は、それぞれ自分の子供達の力になって欲しいと書かれていた。少女のものらしきメッセージは見つからない。
 差出人には、こう書かれていた。近衛詠春、そして、ナギ・スプリングフィールド。それを見つけた瞬間には、凛は「はぁ!?」と声を上げていた。

「そりゃ驚くよな。俺だって、初めて見たときは切嗣の友好関係にびっくりしたし」
「いや、そんなものじゃ……。日本の呪術師元締めと知り合いなんて、普通は思わないわよ」

 日本の魔術協会的な組織、関西呪術協会の長。関西、と銘打ってはいるが、実際は日本式の術を扱う者達全を総括している。要は、こちらの世界での最重要人物の一人なのだ。

「それでもう一人は、確か魔道使いの英雄さんだったかしら?」

 先ほどとは打って変わり、侮蔑するように鼻を鳴らす凛。その視線は、非常に危険な色だ。
 苛烈な反応ではあるが、魔術師としてはごく普通の反応である。いや、その因縁を考えれば、おとなしいと言ってもいいくらいだ。『魔法使い』などと自称する所から始まり、神秘の秘匿をないがしろにする点であったり、活動方針であったり。とにかく、全てにおいて魔術師と魔道使いは折り合いが悪かった。魔術師にとって、魔道使いどもは聖堂教会以上の敵である。
 士郎としては、魔道使いを肯定も否定もしない。正義を旨として活動するのは大いに共感するが、敵対勢力であるだけに、それが暴走しがちである事も知っている。できれば、互いを理解しあってほしいと思っているが――それが不可能なのは、凛の反応を見れば十分分かる。

「って、スプリングフィールド? どっかで聞いた気が……」
「この前の、麻帆良に対する監督役派遣の時だよ。来年、メルディアナを卒業して赴任するって」
「そう言われれば、そんな話もあった気がするわ。ああ……そうそう、だから監視のレベルを一つ上げなきゃいけなくなったんだっけ」

 麻帆良は、日本最高峰の安定した霊地だ。同時に、魔道使いのアジア最大の拠点でもある。彼らの動向を監視、監督するために、常にそれなり以上の実力の魔術師を派遣しなければいけないのだが……
 今までであれば、派遣員の契約更新や交代でも、何も問題なかった。所が、今回はトップレベル魔道使いの息子が赴任するのだ。魔道使いは、純粋に血筋イコール素質となる訳では無い。しかし、そこはそれ、魔術師は血筋を重んじるのだ。力あるものの子孫というのは、それだけで無視できない要素である。具体的な年齢は知らないが、飛び級を繰り返して卒業したとなればなおさら。
 ただでさえ高い監視レベルが、ここでもう一つ上がったのだ。教授を数名派遣する、というのが妥当な線なのだ。
 当然だが、麻帆良に行きたいと思うような魔術師はいない。魔道使いの監視という面倒が増えるのに、研究室の程度はがくりと落ちるのだ。かくして、中級以下の教授の中で、壮絶な押し付け合いが始まったのだが。それも士郎の立候補で落ち着いた。
 内外に名声の高い士郎であれば、一人で向かっても文句はでない。時計塔最大戦力の一人を出すことに、反対するものもいた。だが、ならば誰をと言われれば、全員が言葉を詰まらせるしかない。誰も代わりの生け贄にはなりたくないのだ。

「切嗣の遺言でこういうのは初めてだったからな。なるべくかなえてやりたいよ」
「それはいいけど」

 しんみりとした空気を作る士郎に、しかし凛とセイバーは生暖かい視線を向けていた。

「あいつ、自分が魔道使いにどう思われてるのかぜんぜん分かってないわね」
「シロウですから……」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、べっつにー」
「シロウはそのままのシロウでいて欲しい、と思っただけです」
「む、なんだよそれ」

 く、と不機嫌そうに口をへの字に曲げる。とても幼く見えるらしく、たびたび凛にからかわれる仕草だ。直そうと思っているのだが、今のところ成果は無い。

「一緒に連れて行くメンバーはもう決めたの?」
「色々考えたんだけど、やっぱり時計塔から連れて行くのはやめることにしたよ。ちょっと金はかかるけど、バゼットに頼むのが一番安全だったし」
「まあそんな所でしょうね」

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。かつて、故郷で紆余曲折あり知り合った魔術師。
 元だが、魔術協会最大戦力たる代行者でもあった。現在は協会それ自体を離れ、フリーの活動に徹している。と言っても、魔術協会といざこざがあったわけでは無いので、関係は良好であり。その実力の程も協会に理解されているので、頼み事をするのにもうってつけの人物だ。それ以上に、彼女であれば投影魔術を見せても問題ない、という切実なものもある。
 今回に限らず、バゼットとセイバーとは、よく仕事をするのだ。と言うか、他の人間を連れてしまうと全力で戦えない、という理由が主だが。

「連絡は?」
「もうした。ほら、麻帆良って図書館島っていう、やたら大きな図書館があるだろ? 一足先に、あそこの職員募集受けてもらったんだけど、さっき合格したって連絡が来たよ」
「……」
「……」

 と、急に凛とセイバーが黙り込んだ。
 士郎は怪訝な表情をして、二人をみる。両者の表情は共に同じだった。若干引いて、目元を引きつらせて――つまり、何か恐ろしいものを見るような目。

「衛宮君、一応聞いておくけど、それって魔術師として受けてもらったのよね?」
「なんでだだ? 図書館島で魔術師の活動してもらうつもりなんて、俺はないぞ」
「……たまに、シロウは恐ろしいことをしますね」
「……無自覚なのがなお恐ろしいわ」
「だから、なんでだよ。バゼットにも妙に関心されたけど」

 冷戦状態の組織からの、受け入れざるをえない監視役。顔見せ時に初めて、一般職員として紛れ込んでいたことが発覚するのだ。これで、そうだったのか、で済ませるのは衛宮士郎だけである。普通は、お前らの所になどいくらでも潜り込ませられるぞ、という脅迫以外の何物でもない。
 これは、士郎が特別血の巡りが悪い、という訳では無い。むしろ人一倍気を利かせる(それで他者に迷惑をかけないかどうかは別にして)人間だ。ただ、気を利かせる方向が個人に向きすぎているだけなのである。

「まあ、さすがの私でもちょっと引くくらいえげつない手だけど、悪くないわ。向こうとは士郎が直接連絡を取り合ってるのよね」
「引くって……。ああ、そうだぞ」

 士郎のつぶやきは、しかしあっさりと無視された。うなだれながら、電源のついたパソコン画面、該当するメール部分を開いて見せる。
 執務室のある建物は、魔術協会本部とはわずかに離れた場所にあった。これは、外部の窓口をつとめる役割もあるためだ。当然、インターネット環境も完備されている。意外な話であるが、蓋をあければなんでもない。魔術師は、確かに最新技術と折り合いが悪い。とはいえ、それを無視しては社会的影響力を維持出来ない、とういだけだ。
 凛は画面を覗き、素早く文面に目を通す。ちなみに、間違っても入力機器に触れないようにしていた。

「ふぅん。向こうは英雄の息子くんとできる限り引き離そうとしている、か。まあ、予想通りよね。じゃあ、これの返信は……」
「ああ、ちゃんとした。OKだって言っといた」

 びしり――士郎の言葉に、凛は石のように固まった。そして、ぎぎぎ、とブリキのように音を立て、士郎に向く。
 繰り返すが、士郎は配慮の無い人間ではない。その方向が、組織を度外視しているだけで。――ただし、絶望的に察しが悪いのは、たぶん誰も否定しない。
 やばい、直感的に感じて、士郎は身をひく。しかし、その判断は絶望的に遅すぎた。

「このばかちーん!」
「どあああああっ!」

 うなりを上げる、アッパー気味の左フック。プラスガントも当然忘れない。物理魔術複合のダブルアタックは、士郎の紙のような抵抗力をあっさりと貫通した。
 けたたましい音を上げながら、舞い散る書類と共に転がる。凛はそれをあっさりと無視して、パソコンと正対した。額にびっしりと脂汗を乗せ、震える手でキーボードを触ろうとして。

「この世の中に何で交渉ってものがあると思ってるのよー! う、ううぅ、うあああぁぁぁー!」
「やめてください! 私が打ちますから、リンは触らないでください!」

 綺麗にノックダウンした士郎の横で、別の騒ぎを始める二人。
 彼が麻帆良へと赴くには、まだまだ問題が多そうだった。 
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