それは真夏の江戸にしては、やけに肌寒い夜のことだった。
万事屋の黒電話が鳴り、銀時は受話器を取った。
新八はTVを見て、神楽は酢昆布をしゃぶり、双葉はピザパンを頬張っていた。
双葉はピザが大好物だ。それも極度のピザ好き。一日に一度食べないと気がすまず、さらに三日以上食べないと禁断症状を起こすほどのピザラーである。
万事屋に住み始めた頃の双葉は、配達ピザを勝手に注文しては食べていた。しかし最近財布を隠されたため、『スナックお登勢』で機械人形・たまに作ってもらったピザパン―トロケルチーズとケチャップをかけただけのトースト。双葉曰く「ピザもどき」―で渋々我慢している。
何度か相づちを打って、銀時は電話を切った。
「誰からですか」
「三丁目の病院知ってっか?」
銀時は頭をかきながら、新八に答えた。
「それって十年前の大火事で廃墟になった病院ですよね。最近幽霊が出るとかで、誰も近寄らなくなったって」
「その幽霊を調べて欲しいんだとよ。ホントにいんのか」
「えぇ!?マジですか」
「ったく、冗談じゃねぇよ。万事屋だからってンな事まで依頼すんなっての」
「あそこ行くんですか?やめた方がいいですよ。僕、あの病院の怖い噂たくさん聞きましたよ。銀さん幽霊苦手なんだから断った方が……」
新八の一言に、銀時はムッとする。
「ちょっと新八君なに言ってんの。おお俺ゆゆゆ幽霊怖くないよ。仮にも主人公だよ」
「いや、ビビってんの丸見えなんだけど」
新八の冷めたツッコミを無視して、銀時はソファーに向き直る。
「神楽、双葉。お前らも来い」
「えー嫌アル。夜遅く起きてたらお肌荒れるヨ。明日の昼行けばいいネ」
「昼に幽霊が出るとは思わんが」
ピザもどきを口にしながら、双葉は容赦ないツッコミをいれた。
「うっせーよ、ピザ女」
「黙れ酢昆布娘。私は常識を言っただけだ」
ソファーの間のテーブルを挟んで女の火花が散る……といっても一方的に送っているのは神楽で、双葉は目も合わせずピザもどきを食べているが。
それでもまだ火花を送り続ける神楽。銀時はそのお団子頭を軽く叩いた。
“ゴチンッ”
「ほわちゃっ。痛いよ銀ちゃん」
「コラコラ、喧嘩すんなって。ほら『みんなで行けば怖くない』だよ」
「銀ちゃん怖いアルカ?」
「だーから違ェっつってんだろ。酢昆布買ってやっから俺についてこい」
「仕方ないアル。そこまで言うならついてってやるネ」
「行くよ定春」と巨大な白犬を連れ、神楽は玄関へ歩く。
神楽が外に出たことを確認すると、銀時はまだソファーに座っている妹を見た。
「おい、お前も来いって」
少し前のこと。
遠方の依頼で万事屋に双葉を残して出張した時、アイツ―高杉が現れ、双葉を連れ戻そうとした。
その時は銀時が間一髪で駆けつけて、高杉はすんなり立ち去った。だが、あのまま終わると思えない。
一人になれば、また現れるかもしれない。そうなったら今度こそ――
ただ双葉がそこまで気にしているかわからないし、心配し過ぎかもしれない。けれどまた一人にさせるのは、やはり気が引ける。
そう銀時が考えていると、双葉はピザもどきを食べ終えて、ボソリと呟いた。
「真夏の特大ダブローピザ」
「……わーったよ」
兄の溜め息混じりの返事を聞いて、双葉も立ち上がった。
* * *
かつては江戸一の大病院。
だが十年前の大火事で廃墟となり、院長だった老夫婦も引っ越してしまった。それからは買い手がつかず放置状態。しばし若者がフザけて入っていたりしたが、『子供の笑い声が聞こえる』『血まみれの少女が襲ってくる』などの怪現象が起きてから誰も立ち寄らなくなった。
しかし、今宵は廃病院の前に三人と一匹の影。
「新八来なかったな」
「臆病者がいても足手まといになるだけだ。全く、どうしようもない駄メガネだ」
本人がいない所でも構わず罵倒を口にする双葉。
そんな妹を隣に、銀時はかつて病院だった廃墟を見上げた。月明かりがあるはずなのに、ココだけやけに暗くて黒いモヤに包まれている……ように見えるのは気のせいか。
「しっかしマジで出そうだな。まぁ俺全然怖くねェけど」
「アァ!」
「おわっ!!……いきなり大声出すな。神楽どったの?」
「銀ちゃん、今あそこの窓からお婆さんが私たち見てたヨ」
「なっ!?」
すぐさま神楽が指さす窓を見るが、老婆などいない。
「……誰もいねーじゃんか。な、何、お前そんなんで脅かそうとしてんのォ。馬鹿じゃん。んな子供騙しで俺をビビらせようなんざ、ひゃ百年早ェんだよ」
どーみてもビビってんの丸見えだが、神楽は何も言わず黙りこんでいる。その顔色は青ざめてるようにも見えた。
「……私、用事思い出したアル。ドラマ見なきゃ。今日最終回ネ。ピン子どーなるか気になるアル。ほら、定春はやく帰るヨ」
ワン、と吠えて定春は神楽を乗せたまま来た道を戻っていった。曲がり角を曲がった後も、一人と一匹が戻ってくる様子は全くない。
「んだよ、どいつもコイツも。さっさと調べて帰るぞ。……たく、入る前にけェるなんて興ざめもいいとこだろ」
銀時はブツブツと文句をこぼしながら、薄暗い廃病院の入り口へ足を運ぶ。
「全く度胸のない天人だ。老婆が立ってただけで帰るとはな」
さらりと言った妹の一言に、今度は銀時が青ざめた。
身震いしながら恐ろしい発言をした妹にゆっくり振り返る。
「……お前も見たのかァ?」
「あの天人が気づいて私が気づかないわけないだろ」
双葉は普段と変わらない冷めた眼で、淡々と真実を告げた。
「おいィィィ!なんでそんな冷静にしてんだ!?フツー廃病院にババァがいたらおかしいって思うだろ!怖ェだろ?!」
「ボケた老婆が道に迷って病院を徘徊しているだけかもしれない。見つけたら兄者が幕府の狗へ届ければいい」
「オィィィ!なんで俺が屯所に?俺は絶対ヤダからな。得体の知れねーババァの世話すんの絶対ェやだからなッ!」
ボケた老婆という双葉の考えもありかもしれないが、『夜の廃病院に老婆』なんて普通なら寒気を感じる話だ。
しかし、どよめく兄の訴えを聞いても、双葉は少しも表情を変えない。
「兄者、怖いのか?」
「怖くねェ。俺全然怖がってないもんね。ユーレイ信じてないもんねェ。ほら、さっさと行くぞ」
懐中電灯を手に銀時は先陣を切って歩いて行く……が、すぐその足は止まる。額に冷や汗を流しながら、銀時はまた振り返る。
「やっぱ、おめェ先行け」
兄の情けない一言に、双葉はより一層目を細めた。
=つづく=