静かな気持ち
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第六章
第六章
「あの人やっぱり来てるでしょうね」
「絶対ね」
ナンシーはまた苦笑いを見せてきた。
「来てるわ。伯爵様は」
「グリッジ侯爵家の三男坊か」
「相手にしちゃいいんじゃない?格式も性格も」
クラスメイト達は口々に言う。羨ましそうな響きがそこにある。
「少なくとも私達平民にはねえ」
「ねえ」
「けれどねえ」
しかしナンシーの顔は今一つ浮かない感じであった。その理由も皆わかっている。
「もう少し。静かに来てもらいたいわ」
「そこなのね、やっぱり」
「ええ、それなの」
ナンシーも答える。
「それさえなければ」
「まあ贅沢言っても仕方ないわよ」
意外と彼女達の本音の言葉であった。そもそも彼氏がいるだけでも羨ましい年頃なのにそれで婚約者で尚且つ美男子の貴族だ。あまりにも恵まれ過ぎていると言える。
「でしょ?」
「そうかな、やっぱり」
「そうかな、じゃなくてそうなのよ」
また本音が出た。
「いいわね、わかったら帰りましょう」
「うん」
ナンシーはそれに頷く。校舎を出て校門に向かう。するとそこに彼がいた。
「あっ・・・・・・」
ナンシーは彼を見て驚きの声をあげた。何と一人だったのだ。今日はロールスロイスも馬車もなかった。当然執事もいない。一人でそこに静かに立っていた。枯れ木の絨毯の上に立って。
「伯爵様、一人!?」
「まさか」
クラスメイト達はそれを見て声をあげる。
「嘘でしょ?すぐ側にロールスロイスがあるとか」
「そうよね、絶対に」
だがその予想は外れた。彼は一人であった。一人でそこに立っていたのである。
「嘘・・・・・・」
これはクラスメイト達が思っただけではない。ナンシーも同時に思った。それが思わず口に出てしまったのである。ついついであった。
「やあ、ナンシー」
ジョゼフは彼女の姿を認めるとにこりと微笑んできた。
「待っていたよ」
「あの、今日は」
「一人で来たよ」
彼は答えた。
「それでいいかな」
「は、はい」
すぐにそれに頷いた。そして認めた。
「いいです。これが」
「じゃあ。帰るかい?」
「はい、わかりました」
そのままジョゼフの隣に向かう。その途中でクラスメイト達に顔を向けて述べた。
「じゃあ。また明日ね」
「え、ええ」
「それじゃあ」
クラスメイト達はぽかんとした様子で彼女に応えた。二人並んでその場を後にするのを眺めながら呆然とし続けていた。ふとその中の一人が述べた。
「何か嘘みたいよね」
「そうね」
他の女の子がそれに頷く。
「あの人が普通に来るなんて」
「そうね。けれど」
ここでまた別の女の子が言った。
「何か。かえって絵になってるわね」
「そうね」
「というか」
今度は女の子の総意が出て来た。
「ナンシー、やっぱり羨ましいわ」
「私も。彼氏が欲しくなったわ」
「全くよね」
人が持っているものは自分達も欲しくなったりする。今の彼女達もそうであった。だからついついそう思ったのであった。そう考えながら彼女達もあれこれ話しながら自分達の家に帰るのであった。
ジョゼフとナンシーは並んで冬の道を歩いている。冷えた道を茶色の枯葉が覆っている。二人はその上を並んで歩いて話をしていた。
「今日はどうしたんですか?」
「うん、考えるところがあってね」
ジョゼフはナンシーにそう答える。
「うちのシェフが日本の味を取り入れたケーキを出してくれてね」
「日本のですか」
ナンシーはそれを聞いて目をぱちくりさせた。話がどうも読めなかったからだ。
「そうなんだ。それを食べてわかったんだ、調和が大事だってね」
「調和、ですか」
「そうなんだ。だからだよ」
彼は言う。
「一人でね、こうして来たんだ」
「そうだったんですか」
「今までは君のことを考えないで車や馬車で来ていたけれどね」
自分でもそれを認めてきた。そのうえで言うのであった。
「今日は一人で来てみたよ」
そう言いながらナンシーの顔を見てきた。背が違うので見下ろす形になっていた。ナンシーはナンシーで彼を見上げていた。
「どうかな、それで」
「有り難うございます」
それに対するナンシーの返事であった。にこりと笑っている。
「実は私」
「うん」
「こうして二人で歩きたかったんですよ」
「僕とかい?」
「はい。今それがようやく適って」
笑みを浮かべながらの言葉であった。
「何か。嬉しいです」
「嬉しい?」
「はい」
こくりと頷く。
「だから。また一緒にこうして歩いてくれますか?」
「僕の方こそ」
ジョゼフもそれに応える。
「こうして一緒にね。二人で」
「はい、二人で」
ナンシーも言う。
「歩いていきたいですね」
「そうだね。けれど」
彼は言う。
「こうして歩いているとこの道は結構寒くないかい?」
「そうですか?」
ナンシーにはあまり実感がない。いつも歩いているせいであろうか。
「私は別に」
「いや、寒いよ」
しかしジョゼフはそう主張する。
「それもかなりね。だから」
「だから?」
「僕の家に来てくれるかな」
こう言ってきた。
「伯爵のお家に」
「どうかな」
それが本音であったのだ。寒いと言ったのは口実で彼女を家に誘いたかったのだ。それが今ナンシーにもわかった。
「はい」
ナンシーは笑顔のままそれに頷いてきた。
「それでしたら」
「ケーキがあるよ」
今度はケーキについて言うのであった。
「その日本の影響を受けたケーキが」
「そんなにいいんですか」
「だから僕が今こうして君と一緒にいるんだ」
こうまで述べた。それだけで充分であった。
「そうじゃないかい?」
「そうですね。じゃあ」
「うん、歩いてね」
ジョゼフもにこりと笑った。そうして言う。
「一緒に家まで行こう」
「わかりました。その後はですね」
「どうするんだい?」
「歩いて。私の家まで行きましょう」
「そうだね、二人でね」
その言葉にも頷く。何かこうして二人で歩いているのがやけに楽しくなってきた。
「一緒にね」
「はい、何時までも一緒に」
楽しい気持ちのまま並んで歩いていく。ジョゼフはようやくナンシーと一緒に歩く喜びを知ったのであった。一生の喜びを知ったのだった。
静かな気持ち 完
2007・2・1
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