小鳥だったのに
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第三章
第三章
職場の課長がだ。こう彼に声をかけてきたのだ。
「悩んでるかい?最近」
「ええ、実は」
実際にそれがすぐにわかる顔で頷く和彦だった。二人は今休憩所で紙コップのコーヒーを飲んでいる。そうしながら席に二人並んで座って話をしているのだ。
「そうなんです」
「息子さんができたんだよな」
「できたからなんです」
それでだとだ。正直に述べるのだった。彼にとって課長は腹を割って話せる信頼できる上司だ。そうした意味で実にいい上司である。
「それでなんです」
「ああ、奥さんが息子さんにつきっきりなんだね」
「わかりますか」
「うちもそうだからな」
課長は笑いながら言うのだった。黒縁眼鏡が実によく似合う中年の男だ。
「四人もいてなあ」
「四人ですか」
「最初の子ができてからそうなんだよ」
「そうなんですか?」
「これまで夫婦水いらずがもう子供第一になって」
そうだというのだ。
「今やあれだよ。俺なんてな」
「脇役ですか」
「そうだよ。家族の中じゃ脇役だよ」
こう笑って話す課長だった。
「何しろ女の子が四人だしねえ」
「えっ、全部女の子ですか」
「そうだよ。四人だよ」
課長は笑顔のまま和彦に話していく。
「御婿さんを迎えるのが大変だな、こりゃ」
「壮絶ですね、それはまた」
「稲尾監督みたいだよ」
かつての西鉄の大投手であった人物だ。その西鉄やロッテで監督をしていたのだ。人格もよかったことで知られている人物だ。彼の家は女の子四人であったのだ。
「凄いことだよね」
「凄過ぎますね、それは」
「けれど。それでもだよ」
「それでも?」
「女房は絶対に旦那のことを忘れないから」
こう和彦に言ってきた。ミルクコーヒーを飲みながらだ。
「安心していいさ」
「そうなんですか」
「俺のトランクスも服もいつも奇麗に洗ってくれて」
まずは洗濯から話す課長だった。
「御小遣いも奮発してくれるしな」
「あの、それは」
普通ではないかと言おうとした和彦だった。しかしここで課長は彼が言う前にこう言ってきたのである。
「普通なんじゃ」
「いやいや、その普通の中に愛があるんだよ」
今度はこの言葉であった。
「愛がね」
「愛ですか」
「それがわかるよ。女房は絶対に。何があっても」
「旦那を忘れないんですね」
「それはすぐにわかるよ」
課長の太陽の如き明るい言葉が続く。
「君もね」
「だったらいいんですけれど」
「子はかすがい。けれど旦那は」
「旦那は?」
「米だよ」
それだというのだ。
「ほら、米五郎左っていうだろ」
「ああ、織田信長の家臣だった」
「丹羽長秀な。旦那はあれなんだよ」
織田信長の重臣の一人だ。政に戦に何かと縁の下で力を発揮しておダ政権を支えた。夫とはそうした存在であるというのである。
「まさにな」
「そういうものなんですか」
「女房は信長だ」
一聴だけでは随分と過激な表現である。
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