ノヴァの箱舟―The Ark of Nova―
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#12『セカンドリベリオン』:1
一週間と少し前の事だ。チャイネイ・ズローイクワット率いる《十字騎士団》第九師団は、主たる《七星司祭》第六席、コーリング・ジェジルの統括範囲であるランクD《箱船》、《アルレフィク》にて、《魔王》と名乗る青年と、その仲間と思われる集団と交戦した。
《魔王》は奇怪な武器と異様に精度の高い先読み、そして奇想天外な発想の《刻印》魔術を駆使して、チャイネイと互角に渡り合った。否――――下手をすればチャイネイの方が敗北していた可能性もある。
あり得てはならないことだ。チャイネイは《十字騎士団》第九師団の師団長だ。すなわちは、コーリングを守る最後の砦である。チャイネイが斃れたら、コーリングを守る者はいなくなってしまう。
あれ以来、チャイネイは暇さえあれば、何度も何度もあの時の戦闘を脳裏でシミュレートし、どうやれば勝てるか、どのような戦術を使うべきかを何時間も考え続けている。
しかし、どこまでシミュレーションが進んでも――――結局、ある一点で仮想のチャイネイの動きは止まってしまう。
あの時。
《魔王》の戦闘方法を、まるで《魔法剣士》のようだ、と想起した瞬間。
チャイネイの脳裏に閃いた、奇怪な光景。薄暗くトーンダウンした、おぼろげな映像。人間ではない…視線の高さから、恐らくは大型獣の類だろうと当たりをつけている…自分と、それに向かってほほ笑む、主君、コーリングにそっくりな顔をした少年。ただ、その年齢だけが今のコーリングより二倍ほど高い、十四歳程度のように見えた。
自分はそもそも人間だし、あんな少年に出会った覚えもない。ただ――――ただ、その少年の外見が、あまりにもコーリングに似すぎていたのが気にかかるのだ。赤い瞳に、前髪だけが黒い、特徴的な銀色の髪の毛。
決定打になったのは笑い方だ。コーリングは笑った時、年齢が半分以下になったかのような非常に幼い、柔らかい笑い方をする。映像の少年も同じような、やさしい微笑を浮かべていた。
チャイネイの鍛え上げられた直感が告げる。あの少年は、コーリング・ジェジル本人であると。大型獣の視点も、自分が《刻印》の能力で獣化していると考えれば説明が付く。ではあの映像は未来の出来事なのだろうか。
まるで予知夢のようだ。《七星司祭》の一人に《預言者》の称号をもつ人物がいるが、チャイネイは少なくとも彼ではない。
霊視のようなものは戦闘に役立つため保持しているが、それすら一瞬後を予見するだけの物。コーリングがあの映像の少年のようになるまでには、少なくとも7年はかかると思われる。専門の巫女ではないチャイネイの霊視では、それほどの未来を予見することなど不可能だ。
ならば、あの映像は何なのか――――それが、いつもチャイネイの仮想対戦を中断させてしまう要因であり、ここ数日ずっとチャイネイの脳裏を占めている話題であった。
あの時、極限の緊張状態で、七年も未来の先の出来事を読み取ってしまったのだろうか。それとも――――うわさに聞く、《前世の記憶》とやらなのだろうか。
あり得ない、と思う反面、なるほど、と納得する自分もいる。
《ラグ・ナレク》以前の宗教の一つに、仏教というモノがある。その中心となっている考えの一つが、《輪廻転生》だ。死んでもその魂はめぐりめぐって新たな命に生まれ変わる、という思想。
《霊魂不滅》ならどこの宗教にもあるだろう。実質的に無神教…より正確には《皇帝崇拝》だろうか…が国教である《箱舟》世界では、ただの魔術的思想の類にすぎなかったはずだ。
だが、奇想天外な大仮説は、その反面、否定することが不可能である、とも言われている。チャイネイは専門的な哲学がそこまで得意なわけではないが、結局のところ個人が特定できる《他》には圧倒的な限界があるからだ。『世界の真理』に直面することなど不可能であるという。
チャイネイたち武術家は、戦いによってその『世界の真理』に辿り着こうという哲学の上に成り立っているわけだが――――まぁ、今はその話は置いておこう。
とにかく、チャイネイはここ暫く、ずっとあの映像のことで頭の中がいっぱいだった。
「チャイネイ?ねー、チャイネイ。聞いてる?」
「っ!も、申し訳ございませんコーリング様。もう一度お願いしてもよろしいでしょうか」
こうやって、主であるコーリングの話すら耳に入らないほどに。
本来の自分ならあり得ない事態であった。あくまでも独立した司祭機関である《十五使徒》と違って、《七星司祭》直属の組織である《十字騎士団》にとって、対応する主は《教皇》のつぎに重要な存在……いや、身近な分、もしかしたら《教皇》よりも大切なな存在であるかもしれない。
だから必然的に、その《十字騎士団》のトップである師団長と主の間の絆は特別なものとなっていく。以前説明した通り、コーリングとチャイネイが、お互いに強い信頼関係にあるように。
チャイネイはコーリングとの絆を誇りに思っている。だから、彼の言葉を聞き逃すなどということはない、と自負していたのだが……。
「最近多いよね。何か考えごと?」
肩車されたコーリングが聞く。彼は賢い少年だ。此所最近のチャイネイの異変には既に気付いていたのだろう。チャイネイは苦笑して答えた。
「いえ、ご心配には及びませんが……」
そこでふと、チャイネイの脳裏にある単純な疑問が浮かんだ。
コーリングは、あの映像を見たことがあるのだろうか。恐らくは無いだろう。だがそれは、あれが《魔王》なる青年との交戦によって誘発された物だった場合だ。
もしあの青年と関係がないのであれば、コーリングもあの映像、もしくはそれに似たものを見ているかもしれない。
最も、その場合は彼の視点になるのだろうが……。
「うーん……わかんない」
「そうですか……」
結果としては白だった。結局、真相は今だ闇の中、か――――そうチャイネイが諦めかけたその時。
「でも、最近変な夢を見るようになったかなぁ」
コーリングが、衝撃的なつぶやきを漏らした。
それは――――それはつまり、『可能性』の範疇内では?『それに似たもの』に入るのでは?
「こ、コーリング様、それはどのような……」
チャイネイがはやる気持ちを制しながら、コーリングに問いかけようとした、その瞬間だった。
「いい加減にしろこのクソジジィィィィィ――――――――ッ!!」
たまりにたまったストレスをすべて吐き出すかのような、凄まじい怒号が響いた。
「おいおいクー吉よぅ。僕ぁ自分がおっさんだとは常々思っているがよ、ジジィだと思ったことは無いんだがな」
「黙れ……あとクー吉っていうな……」
「大体な。ちょっと椅子になれって言われただけで怒るようじゃぁ、器が狭い男って思われるぜ」
「うるせぇ!!何が『ちょっと椅子になれ』だボケ!あんたこの前そのまま三時間近く動かないからどうしたのかと思ったら爆睡してたじゃねぇか!!あんなの許さないぞ!」
「おーおーおー。若いうちから怒ってばっかりだとハゲるぞー」
「じゃぁボクを苛立たせるなぁぁぁぁッ!!と言うかあんたがハゲろ!!」
聞き覚えのある声だった。と同時に、ここしばらく聞いていなかった声だった。チャイネイは心の中で、またか……とため息をつきながら足を進めた。
角を曲がったその先、ホールの中央が、その声の震源だった。この世の全てを呪うかのような怒りの表情を浮かべているのは、まだ若い青年。たしか今年で十八になったはずだ。冷え症だという事で、白いマフラーを巻いている。長い白髪は、光の当たり具合によって朱色のラインが入っているように見える。以前聞いたところによると、祖母が雪女の末裔で、その血が混じっているせいらしい(雪女は基本的に白に光の当たり具合によって朱色が見える髪をしている)。冷え症もその影響なのだそうだ。
青年の名前はクーレッド・ホーディン。雪を操る紅日人クォーター。その若さからは想像がつかないが、彼は《十字騎士団》第四師団の師団長を務める、凄腕の戦士である。同時に、どんなハードワークもこなすだけの技能と体力を有する有能な士官でもある。
十八歳にして常に寝不足、精神性胃痛や頭痛に悩まされる。彼をそんな可哀そうな状態に変えてしまったのが、もう一人の方。
その男は、地面に胡坐をかいて、分厚い本を片手にけらけら笑っていた。
壮年、とは言わないが、くたびれた様子の男。比較的若いメンバーが多い《教会》上層部では、異例の風貌だ。癖のある、白髪が混じり始めた黒髪に、恐らく何日も剃っていないのだろう無精ひげ。赤みがかった瞳をもつ切れ長の目は、銀色のフレームの眼鏡に隠されており、その本性を覆い隠している。
纏っているのは黒いコートと儀礼帽。どちらも、《七星司祭》の一員であることを示す服装だ。
「あー!おじちゃーん!」
「おぅ、誰かと思ったらコーリングの坊主じゃないか!久しぶりだな。またでっかくなったんじゃないか?」
コーリングがうれしそうに声をかけると、男は破顔して片手を上げた。
「チャイネイも久しぶりだな」
「お久しぶりです。イーファイ様……何カ月ぶりでしょうか」
「あー……確か最後にお前を見たのは二ヶ月前だな」
再びけらけらと無責任そうに笑うその男の名は、イーファイ・グースワット。《七星司祭》最高齢の41歳でありながら、恐らく純粋な戦闘能力では《教会》最強の男。
本職は《職業軍人考古学者》。それは彼がかつて、崩壊した地上を探索し、遺産を回収する、この世で最も危険な仕事、《探索者》の職に就いていたことの証明。ありとあらゆる状況に対応するための戦闘能力と知識を保有し、さらにはその《刻印》、《獅子》がそれを強力に後押しする。
《七星司祭》にすら与えられることは珍しい《禁書》のうちの一冊、《獅子心剣/偽》を保有しており、その力を完全に開放すれば、《王都》を単身で沈めることすら可能になるという、まさに規格外の化け物。
ただし彼本人は自身を「無害なおっさん」と称するおちゃらけた人物であり、性格面では好感が持てるのだが……
「……クーレッド、大丈夫か?」
「大丈夫なわけがないでしょうチャイネイさん……ボクはもう眠くて眠くてしょうがない……ああ、早く帰ってナタリアに膝枕してもらいたい……」
糸が切れたのか、いかにも眠りそうな調子で答えるクーレッド。ちなみにナタリアとは彼の恋人の名前で、クーレッドが常に巻いているマフラーも彼女の手によるものだそうだ。
「ん?何だ、休みが欲しかったのか?じゃぁ一週間ぐらい休暇やろうか?」
「……本当ですか?……その間きちんと仕事するんですか?」
「いや、しない!監視の目が緩んだぜヒャッハーとばかりに大図書館に籠る!だから帰ってきたら仕事の量は二倍増しだぜ!」
「この外道ォォォォォォッ!!」
そう、イーファイは大の仕事嫌い。書類仕事を全てクーレッドに任せて、彼自身は《王都》か直轄のAランク《箱舟》、《忠義》の大図書館に引きこもっている。そのせいでクーレッドは日夜仕事に襲われる日々、常に寝不足が付いて回る、というわけだ。
本来ならば澄んだ水色のはずの瞳は疲労で濁りきり、目の下にはくまができている。
「イーファイ様……たまにはご自身で仕事をなさってください……」
「ちぇー、仕方ねぇなぁ……おっさんはフィールドワークか引きニートのほうが好きなんだけどなぁ」
しぶしぶ、と言った調子で、チャイネイに答えるイーファイ。彼はそのままコーリングに視点を写すと、再び破顔し、
「おい坊主、今度また家に遊びに来いよ。マナも喜ぶだろうしな」
「うん!」
元気よく返事をするコーリング。
イーファイにはコーリングと同じ年頃の娘がいる。彼は愛娘が可愛くて可愛くて仕方がないらしく、遊び相手としてよくコーリングを自宅に招くのだ。
因みに同じく遊び仲間にはクーレッドの妹と弟の双子、アリサフブキとリトセツカも加わることがある。
「と、言うわけだ。クー吉、明後日あたりから帰っていいぞ」
「長期休暇ktkr!今日ばかりは感謝します!」
目に見えて嬉しそうな表情で叫ぶクーレッド。そんなに休みがうれしいのだろうか……と思ったところで、まぁそうだろうな、と思い直す。
コーリングは賢いが、さすがにまだ幼いため、書類仕事の大半はチャイネイやイーリンら《第九師団》が引き受けている。チャイネイたちはコーリングと強い絆で結ばれているため、これくらいのことはさほど苦にならないし、そもそもコーリングのところにはあまり書類は来ない。
それに対し、《七星司祭》筆頭であるイーファイの所…より正確にはそれらをすべて押し付けられるクーレッドの所…には、大量の書類が送られてくる。《第四師団》は第一師団と並び、最も《騎士》と言うにふさわしい組織だ。イーファイの管轄に入る《箱舟》は雑兵を一切と言っていいほど採用せずに、代わりに《第四師団》だけで警備が成り立っている。それは、ほとんどが駐屯所の外に出回っているという事だ。
つまり、クーレッドを手伝う手はほとんどと言っていいほどない。唯一いるとすれば、《第四師団》副団長であるシロハ・シラユキだろうが、彼もまだそこそこ幼い。となると、やはり仕事はクーレッドがやりきるしかないのである。加えてイーファイとの絆が皆無と言えるクーレッドに、それを乗り切るためのやりがいややる気があるわけがない。
つくづく、お互いの絆、というモノは重要なのだな、と思ったチャイネイであった。その点なら、自分達《第九師団》とコーリングは申し分ないだろう。
よくよく考えてみれば、《七星司祭》と、それに対応する《十字騎士団》師団長の中で一番仲が悪いのはイーファイとクーレッドだろう。
《第五師団》師団長レイン・クレリックォーツは、キュレイに変質的と言っていいほどの信頼を寄せているし、《第六師団》師団長のアルトレット・ルーダーは、セルニックの指示をきちんとこなしていると思う。《第七師団》のソフィトリアとミラフィはその能力の関係上相性がいいし、《第八師団》師団長にしてチャイネイの友人のヤマト・ユウヒグレは、性格面では主のフェラールと相性が悪いのだろうが、きちんと彼を主君と見て仕えているようだ。
唯一、相性関係がよく分からないのは、《七星司祭》第七席、コレイド・エンジェグヌと、その直属である《第十師団》だ。
チャイネイは、第十師団のメンバーというモノを、全く、と言っていいほど見たことがない。そもそも、コレイド自体を見かけることが少ないのだ。
メンバーを見かけない、と言えば第六師団もそうだろうが、それにはきちんと理由がある。第六師団は《ワンマンレギオン》と呼ばれる特殊な存在であり、直接の団員はアルトレット以外にはいないのだ。所属上第六師団になっている者達は、皆基本的に《王都》の大図書館の司書の真似事をやっていたはずである。
第十師団の師団長だけは、その名前が周知されている。
たしか――――そう、ローランド。ローランド・ベルクティクスという名前だったはずだ。
後書き
奇跡の連続更新……なのですが、さっぱり評価が増えない今日この頃。別に文句を言おうとしているわけではありませんがねw
中途半端な終わり方ですが、一応これで『セカンドリべリオン』編第一話は終了です。次回は『セカンドリべリオン』編第二話。明日か明後日あたりに更新できたらうれしいなぁ。
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