【短編】竜門珠希は『普通』になれない【完結】
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JK黒魔導師竜門珠希の憂鬱
前書き
珠希が高校生の頃のお話、まだ続きます。
ちなみにプロットや終着点をこの駄作者は考えていない。
竜門珠希は『普通』の少女になりたかった。
そもそも苗字がちょっと珍しくね? とか思ったそこのアナタ。これも約3万あるといわれる日本の名字のひとつだ。決してアニメやゲームの中だけの名字じゃない――実際は難しい文字のほうの「龍」だったりするのだが――それはさておき、話を元に戻すと、そのあまり一般的に聞き慣れない名字を持つ家に生まれた珠希は『普通』を望んでいた。
『普通』とは何もゲームの対戦相手の強さではない。弟が得意だったコ○マイ製某シリーズものの野球ゲームで、ちょっとボールゾーンに外した変化球を弾道2、パワーFのCPU打者が強引に引っ張り、弾丸ライナーでスタンドインなんて衝撃展開、珠希も誰も望んでいない。むしろこっちが人生のコントローラーをテレビに投げつけたくなる。珠希が望むのは平々凡々、それなりにいいことと悪いことがある日々だった。
それなのに、なぜに現実はこうなのか。先程まで右手に――あくまで執筆資料として母親・彩姫が自腹で購入した――SMプレイ用の一本鞭を持ち、脳内蛍光ピンクの母と押しに弱い気弱担当編集者の仕事をじっと監視していた珠希の手のひらにはしっかり鞭のグリップ痕がついてしまっていた。
出来上がった原稿を手にこれから編集部に帰るという、なぜか生気がなくなっていた担当編集者・汐里を見送った珠希がふと時計を見ると既に時間は午後六時。今から夕食の支度を始めなければいけない時間になっていた。そして実の娘に監視されるという息苦しい環境下、何とか締め切り前に余裕をもって原稿を書き上げた反動で執筆用のPCの前で屍と化している母を無視して珠希は離れを後にした。
☆ ☆ ☆
両親とも共働きではあるが、竜門家の夕食の時間だけはある程度決まっていた。
午後7時。珠希がまだ小学生だった頃はこの時間を門限に設定され、それまでに家に帰ってこないと晩ご飯抜きと言われていた。事実、小学四年生の頃に破ったら本当に晩ご飯がなくなっていた。内緒で兄が自分のお菓子を分け与えてくれなかったら空腹で寝られなかったと思うと、今でも軽いトラウマになっている。
しかしながらまだ珠希の家事スキルがそろっていなかったあの頃、食事を作っていたのは父か兄だった。お菓子しか作れない母親はいつもテーブルに座っていて、キッチンにいる姿を見た記憶が既にあやふやだ。
それから時は流れ――現在、その時間に合わせて冷蔵庫でクールダウンしていた胡瓜と人参を取り出し、手早く今日の夕食を作っていた珠希だったが、そこに入った一本の電話がまた新たな頭痛の種を珠希に植えつけた。
『はぁッ? 今日はお兄ちゃん帰ってくんの?』
『だからさー、昨日言ったじゃん』
『誰に言ったのよ。あたしは聞いてないよ?』
突然の兄、帰宅宣言。
一人暮らしとはいっても、実家からは電車で小一時間ほどの距離に住んでいることもあってか、今までにも何度かこういうことはあったが、今までは事前に連絡があった。今回はそれがないだけに、兄の分まで夕食の量を計算していなかった。おかずは一人当たりの量を減らすなり何なりでどうにかなるが、一台しかない炊飯器が稼働中の今、主食までは何ともならない。
現在時刻、午後6時37分。今から竜門家の――珠希の要望をメインにして揃えられた――システムキッチンの一角にあるガスコンロで土鍋使ってご飯を炊こうにも時間がない。そして脳内マニュアルだけで土鍋でご飯を炊ける現役女子高生もそうそういない。
これは最悪、スーパーかコンビニでパックのご飯を買ってきてもらうしかないかも。そう考えを巡らせていた珠希の耳に、兄はいつもの間延びしたような声で返してきた。
『んー、こないだ電話に出たの結月だったから結月に言ったよー。今日俺自宅に帰るから珠希に言っといて、って』
『へえ、ほー。結月に、ねえ……』
ダメ母の次は愚妹か。
せっかく鎮まった心中の活火山に再び火をつけかねない事態に、珠希が思わず手に持っていた子機にヒビを入れてしまいそうになったのはご愛嬌だと思ってほしい。
『うん。だからさ――』
『あのねお兄ちゃん』
『んー? なにー?』
『できたらね……、できたらでいいんだけど、お父さんとお母さんとあたしの分だけでいいから、何かデザートがほしいなぁ』
兄が末っ子の結月を可愛がってるのは珠希も知っていたが、できるだけ可愛い妹を演じて、声を作って電話の向こうの兄にお願いをしてみた。
すると、若干の間が空いたものの基本的に弟妹に甘い兄から気前のいい返事が返ってきた。
『ん、別にいいよー。でも結月の分は?』
『結月の分ならいらないんじゃないかな。お兄ちゃんが帰ってくるのをあたしに言い忘れてたみたいだし』
『……え? あ、ああ。そうなんだ』
『ホント、仕方ないコだよねー』
『えー、あー、うん。まあ、そうだねー』
『それじゃあ、お兄ちゃんのお土産のセンス、楽しみにしてるねっ』
『あ、ああ。うん、任せとけー。それじゃっ』
少しずつ珠希の口調や声色ににじみ出てきた怒りを察知したのか、兄もどこかたどたどしい答えを返しながら、下手に珠希の逆鱗に触れないよう会話を進め、逃げるように電話を切った。
通話の「切」ボタンを押し、子機を元に戻した珠希を大きく鼻から息を吐き出す。
まだ女子中学生の愚妹・結月は帰らず。珠希はできるだけ素面を装うことにして――とはいえ能面のような表情だったため、他人からは何かあると警戒されるだろうが――そのまま夕食の続きに取りか過労としたそのとき、玄関から女の子の明るい声が聞こえた。
「たっだいま~っ!」
玄関の扉を乱暴に閉める音、靴を汚く脱ぎ捨てる音、板張りの廊下をドタドタと駆ける騒々しい足音、バッグをリビングに――音があまりしなかったことからすると、おそらくソファーの上に――放り投げた音。背中どころかこの家じゅうに目を持っているかのような珠希の想像に一寸たりとも違わぬことなく、一人の少女がキッチンに立つ珠希に声をかけてくる。
「おねーちゃんっ、今日のご飯は?」
珠希をおねーちゃんと呼ぶのはこの家族に、この家に、この世に一人しかいない。むしろ一人で十分だし、呼び方も昔っからの「おねーちゃん」でいい。お姉さまとか言われたらその瞬間、珠希は本気で実妹・竜門結月にグーパンを繰り出せる自信があった。
「およ? この様子だと青椒肉絲で確定?」
頭痛の種を珠希にまいた結月が、答えを返さない珠希をよそに背後からその手元を覗き込む。
「……ねえ、結月」
「ん? なーに? どしたのおねーちゃん」
中華風スープに入れる木耳を切る手を止めることなく尋ねる珠希に、いつの間にか冷蔵庫から2リットルのペットボトル入りのお茶を取り出し、直接口をつけて呷っていた結月が尋ね返す。
「結月はさ、何かおねーちゃんに言わなきゃいけないことないかな?」
「ぅえ゛っ?」
単刀直入。ど真ん中に剛速球を投げ込んだ珠希の問いに、ペットボトル入りのお茶をあおっていた結月がまるで石化呪文でもかけられたかのように固まった。
おいコラ我が妹。あたしは黒魔法使いじゃないぞ。ついでに言うとバジリスクやコカトリスでもないんだ。しかも顔から表情まで消えてるし。
「何か、あるんだね? 結月」
「えっ? あ、いや……ぁ、特に今言うほどのことでも……」
まな板の上、手元を見ることなく具材を刻みながら見つめる珠希に対し、結月は視線をそらし、明らかに何か隠してますよー、という態度。さすがに二人揃って美人姉妹と言われて(注:正しくは「言われているらしい」であって、事実かどうかは不明)いようと、女同士、姉妹の上下関係ははっきりしているようだった。
「ほんとに?」
「う、うんっ。ほ、ほんとにマジで何も問題ないですっ」
わたわたと慌てる結月に、ちょっと可愛いなと思ってしまう珠希であったが、それも結月が持って生まれた天性の愛され属性だ。父譲りの整った顔立ちは珠希も持っているのだが、結月は珠希にはない相手の庇護欲を駆り立てる雰囲気まで母親から習得して生まれ、そしてそれをちゃんとスキルとして活用できていた。
竜門家最年少、現在女子中学生3年の結月は末っ子なだけあって、両親からも親戚からも可愛がられて育てられてきた。成長期が両親の多忙な時期に重なってしまった珠希とは異なり、結月の成長期は時間を作れるようになった両親に囲まれていた。振り返ればよくそれで珠希はグレなかったものである。
しかも結月は去年、一昨年と文化祭のミスコンで連覇するだけの外見を持っている。中学の文化祭でミスコンなんてやっていいのかと思うが、思い返せば結月と同じ中学に通っていた当時の珠希は友人たちからしつこく誘われても「興味ない」の一言でエントリーを遠慮していた。
ていうか、週イチペースで告白やら恋文受け取り、街を歩けばナンパや読モに誘われるとか、あんたどこの世界線のメインヒロインだよ、と二人揃って美人姉妹と言われている(注:再度確認するが、事実は不明)のにこの格差はいつ生まれたんだと心中で泣き崩れる珠希であった。
だからこそ、かえって家に帰ってからの結月の――玄関の閉め方、靴の脱ぎ方、足音などの――仕草がだらしないとか女らしくないとか言うな。実際、気を抜けば女も男もこんなモノだ。男が女に幻想抱くのは勝手だが、勝手に幻滅されて罵詈雑言を叫ばれても女は首を傾げるくらいしかできない。
たとえトップアイドルだってその中身は人間だ。トイレには行くし、毛は生えて伸びるし、性欲だってある。24時間365日フローラルな息を吐いていられるワケないだろう。そんなのを期待するのはトイレの芳香剤だけにしとけと言いたい。もう、ほんとイミワカンナイ。
「そう。何も問題ないなら、結月の晩ご飯はお兄ちゃんの分にしてもいいよね?」
「へっ? え? いや何でそうな……って、あっ! 忘れてたぁぁっっ!!」
一瞬、校内とはいえミスコン優勝の肩書きが台無しになるくらい呆然とした表情を浮かべた結月だったが、珠希があえて強調した晩ご飯のフレーズに、ようやく事のすべてを理解し、絶叫した。
「思い出した?」
珠希の――裏の意図がある――優しい声に、ぶんぶんと首を縦に振る結月。
せっかく朝から30分以上かけてセットした髪の毛の先が乱れてしまっていた。
「そ。ならよかったね。まだ認知症じゃないみたい」
「え、と……。その、あの――」
「ついでにお兄ちゃんにお土産頼んだけど、結月の分まで頼んでないから」
「そんなぁっ!! オニだ! アクマだ! キチクのショギョーってヤツだよ!? 可愛い妹に対する態度じゃないよ!!」
うるさい黙れ。こっちは何としてでも午後7時を目処に晩ご飯を作らなきゃいけないんだ。騒ぎたいんならその「オニ」やら「アクマ」やら「キチク」を漢字で書けるようになってから出直してこい、このバカ娘。
あと自分で自分のことを可愛い妹とかいうな。それはあたしが保証してやるから。
外見は誇らしい妹の唯一の弱点ともいえる学力を心中で詰りながら、ストーカーのようにつきまとっては背後で喚く愚妹を完全無視し、残り20分を切った中で珠希はスープを煮込みながら必要な数の食器を準備していく。
その手際の良さは手慣れている何よりの証だ。珠希本人としては嬉しくもないが。
「聞いてるのおねーちゃんっ!?」
「結月がお兄ちゃんの分の晩ご飯を作ったら聞く」
「それじゃ無理ッ!!」
「早っ!? 諦めんの早いし!」
あまりに小気味よい結月の返答に、思わず珠希はツッコミを入れてしまった。
前述のとおり、結月の弱点は学力。お菓子しか作れない母とは違って一般的な料理もできなくもないのだが、実際は珠希が家事を掌握しているとおり、たまにする程度。しかもベタでありがちな展開がここで発動してしまい、無難に作ればいいところでアレンジやら創作料理やらをするタイプだった。しかもその創作料理が基本的に激マズだと自覚しているのがさらに厄介である。
「無理なモノは無理! 無理なことはしないっ! それがあたしの座右の銘だし」
「座右の銘の意味は?」
「え? あ……っと、う~ん……。モットー的な? 何かそんな感じでしょ?」
やっぱダメだこの娘。
正解してはいるが、絶対に知識として身についていない。
「とりあえず結月。この食器テーブルに並べといて」
「うん。わかったー」
先程の姉妹喧嘩になりそうな雰囲気はどこへやら、珠希の頼みごとを素直に受け取った結月は食器を手に持ってダイニングテーブルに向かっていった。
もはや結月の今日の件については何も言うまい。もう少し煮詰めたほうがよさそうだとスープの味見をしながらそう心に誓った珠希だった。
後書き
なお作者には妹が複数います。かといって12人もいません。
が、妹からベッドダイブは食らったことがあります。アレは本気で目が覚めます。
姉はいません。むしろ国民的姉キャラってダレデスカー?
「優しい姉なんて幻想だ! この右手でぶち壊せない幻想だ!」とは姉を持つ私の友人談。
……友よ、お前はどこで大食いシスターを拾った?
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