黒き刃は妖精と共に
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【プロローグ】 滅竜魔導師
前書き
次回からの更新は不定期かつ未定です
そこは、知的生命体の手によってもたらされるの穢れをしらない美しい場所だった。人工的な音がない、強いて言えば風と鳥のさえずりのみが聞こえる緑豊かな樹海だ。
だが、今日に限っては平和な場所である、とはいえないようだった。
「きゃっ……!」
道なき道を駆ける無数の影。
ウォードッグと呼称されるその獣は、狼に似た比較的小型のモンスターである。小型のモンスターというと伝聞ではあまり驚異に感じないかもしれないが、例によってこのモンスターは集団で狩りを行うのだ。
一見細く折れてしまいそうにも見える足は筋肉が極限まで最適化した結果であり、その脚力は並の馬をも凌駕する。爪先の鋭い爪は大木を垂直に走ることすら可能という。
そんなウォードッグに追いかけられているのは、幼い少女だった。深い青色の腰まで伸びた髪に、右肩にはなにか生き物を模したようなタトゥーが描かれている。
「ウェンディ、大丈夫!?」
「う、うん。なんとか!」
少女の名前を呼んだのは、白い毛並みをした猫だった。
猫とは言うものの、どうやら少女――ウェンディの連れらしいその生物は、会話していること已然ににその背中からは白い翼が生え、空を飛んでいる奇妙な生命体だった。
その猫――のような生き物――に急かされたウェンディは、躓き崩れた体制をなんとか正しウォードッグから逃げだそうと加速する。
幼い少女が馬よりも早いモンスターから逃走する、それは当然不可能なことだが、なぜかウォードッグは未だに彼女へとたどり着いていない。
ウェンディの駆ける速度は、その可憐な容姿とはうってかわり異様なまでに速い。駆ける、というよりは翔ると表現した方がいいような、一歩一歩が長い走り方だ。軽い足音とは打って変わり、一歩一歩が爆発的な加速を生んでいる。
彼女は人間である。しかし、そこに普通の、とはつかない。
――【魔導師】
魔力を行使することのできる、ごく限られた稀有な才能を持つ人間。才能の有無は生まれた瞬間に決定しており、無ければ年老い知識に溢れた者でも行使できず、あればこのように幼い少女でも人の常識を上回った力を使うことができる。
しかし、
「あっ……」
いかに魔力を行使できても、幼い体に長時間その力を使う体力は備えられていない。
疲労のせいだろう、ガクリと膝が曲がり崩れるようにウェンディが転倒する。
「ウェンディ!」
白猫が叫ぶが、足をひねったらしくウェンディは立ち上がれそうにはない。
ウォードッグは好戦的かつ肉食のモンスターである。襲われ、食い殺される人間は決して少なくない。
必死に反転しウェンディとウォードッグの空間に白猫が割り込むが、戦えないから逃げていた二人、それはどちらが先に食われるかの違いしか生まない。
死を目前に、ウェンディは目を閉じる。
襲いくるであろう痛みに、死に、悲鳴をあげることすらできず、無意味に身を固める。
耳元に迫る、ウォードッグのうめき声。
が、突然そのなかに鈍い打撃音が混ざった。
痛みはない。なら、目をつぶる寸前に見えた自分とウォードッグの間に割り込みかばってくれた白猫がその打撃を受けてしまったのでは。
「シャルル!!」
見開く、瞳。
その目にうつったのは血まみれの白猫――シャルル、
「え……?」
ではなく、黒い打裂羽織をまとい、同色の笠をかぶった人影だった。
地面と水平に右へつき出された足、それはウェンディに襲いかかってきたウォードッグを蹴り飛ばしたらしく、直線上の木の根もとに不自然な姿勢のウォードッグがうなだれている。
仲間の欠損を悟ったのか、混乱するウェンディから黒い人影へと目標をかえたらしいウォードッグ続けて二匹、人影へと襲いかかる。
引っ掻かれればただではすまない爪が、噛みつかれれば骨まで噛み砕かれる牙が、同時に人影の命を狩ろうと迫る。
「……ははっ」
聞こえてきたのは、若い男性のものと思われる笑い声。
どうやら戦闘技術を心得ているらしい人影は、なにを思ったのか迫りくるウォードッグのうち一匹……噛みつこうと大口を開けているほうのウォードッグ口へと右手を伸ばし、ためらいなく突っ込んだ。当然ウォードッグはその右手を噛み砕こうと牙をたてるが、人影はなに食わぬ様子でその顎を掴みもう一匹へと叩きつけた。
本来ウォードッグというモンスターは何十メートルもある段差をものともせず駆ける頑丈な体を持っていて多少の打撃では怯みもしないはずなのだが、人影の力は相当強くウォードッグは揃って地に落ちてしまった。
ものの数秒で三匹が戦闘不能に陥ったが、その程度で怯むウォードッグではない。
人影は噛ませた腕をすぐさまマントの中へと隠したが、わずかな時間とはいえ噛みついていたところを無理やり引き剥がしたようなもの、少なくとも負傷していることは確実。
五匹。
狭い木々の隙間を十全に走ることができるギリギリの数のウォードッグが目にも止まらない速度で人影へと襲いかかる。
しかし、人影は引くどころか背を曲げ前へと飛び出した。
伸ばす、先程とは逆の腕。なにを考えているのか、再びウォードッグの強靭な顎へとその腕を突っ込もうとしているらしい。
顎を掴む寸前、ウォードッグが急停止。目標を掴み損なった人影がたたらを踏みながらなんとか転倒を免れる。人影の腕を破壊することより、仲間の消耗を回避することを優先させたのだ。
背後から、側面から、木々伝いに上から。腕に、足に、腰に、背に。鋭い牙が突き立てられていく。
腕の先、満足に遠心力を利用することができた先程とは訳が違う。五匹ものウォードッグに食らいつかれてはさすがにたまったものではないらしく人影が身をよじるが、その程度で顎を緩めるウォードッグではない。
そこ殺到する、控えていた残り十匹。
少女を助けんと現れた勇敢な人影が食い殺される、刹那。
「天を切り裂く剛腕なる力を――【アームズ】!」
回転。
突如としてさらなる剛力を発した人影が両腕を振り子に一回転。噛みついていたウォードッグ達を四方の木々へ振り払い、目前に迫っていた一匹顔面を殴り付けた。
地を掴む音。
あと一歩で噛み殺せたはずの人影の急変に、警戒深く距離をとったのはウォードッグ。
そんな彼らをよそに、人影は自信が発した剛力に驚いたかのように首をかしげ、続いて笠の下から背後の少女を振り返った。
「……! ご、ごめんなさい……。私の魔法、です」
おどおどとした様子で答えたのは、座り込んだままシャルルを抱き抱えたウェンディだった。
謝ったのは、笠の下から覗く人影の姿が少々不気味だったからだろうか。それでも、魔力を灯し輝く小さな手のひらは人影へとしっかり向けられている。
守っていたはずの少々から、突如自身のパラメーターを引き上げるという珍しい援護に、戦闘中であることも忘れ人影は一瞬キョトンと動きを止めていたが、
「……援護、感謝するよ」
呟き、視線を戻す。
すでに半数になったウォードッグだったが、その戦意は未だに健在。どうにか人影を排除し、背後の柔らかそうな少女の肉を貪れないかと思案しているようだ。
手も足も、すべてマントの下に隠したたずむ人影。
その下は、満身創痍かもしれない。
援護を受けたとはいえ、事前にあれだけ噛みつかれたのだ。鎧でも着込んでいない限り無傷とはいかない。否、肉が骨に張り付くほど痩せていたとしても外套の下に着込める程度の鎧ではウォードッグの牙は防げないのだが。
残九匹。
物量で押しきれると踏んだのだろう、ウォードッグは一斉に人影へと襲いかかった。
後には引けない、死力の特攻。いままで以上に加速のついたウォードッグたちは人影が反応する前にその喉元に到達した。
そして――
「…………」
響く、破裂音。
時間が止まったようにウォードッグらが空中で急停止。
次いで、鍔鳴り。
人影は一歩も動いていないにも関わらず、キンッ、と刃物を鞘に納め音だけが響き、ウォードッグ達が駆けてきた方向とは真逆に吹き飛び、舞っていた木葉がバラバラに切り裂かれ、木々に浅い切り傷が刻まれた。
静まりかえる場。
辺りへの影響とは裏腹に、以外にもウォードッグたちはすぐさま起き上がった。体毛に隠れ皮膚には木々と同じく浅い切り傷が刻まれていたが、戦闘に支障をきたすほどではないだろう。
たたずむ人影に、しかしウォードッグたちは動かない。戦意すら失ったのか、唸り声は弱々しい鳴き声にかわっていた。
「行け。二度とこの地へ訪れないと言うなら、僕はもう君たちに興味はない。大人しく、自分の住みかへ帰れ」
ウォードッグは頭のいいモンスターである。
とはいえ人語を理解する高い知性は持ち合わせていないはずなのだが、恨めしげに一鳴き。リーダー格らしい他よりいくぶん大柄な体を持った個体先導のもと、ウォードッグは静かに去っていった。
完全にその姿が消え、今度こそ森に静寂が訪れる。
ウォードッグを見送った姿 まま動かない人影に、ウェンディはようやく自分がこの男性に助けられたのだと落ち着いて確認することができた。
幼い彼女には、目の前で起こった出来事はあまりに衝撃的だったのだ。
死を覚悟しからものの数分の間に、どこからか現れた人影がその驚異をあっさりと排除してしまった。最中思わず補助の魔法で手助けするにはしたが、どうもその後の展開を見るにそれも必須であったとは言えないだろう。
なにより、死の間際まで戦意を失わないはずのウォードッグにたいし不殺撃退などということやってのけたのだ。
だからこそ、ウェンディは未だに礼を言い出せないでいた。
結局最後まで笠と打裂羽織をはずさずにいたので容姿がはっきりせず声がかけづらいというのももちろんあるが、あまりにも自分の常識から外れた人物を前に恐怖しているというの最たる理由だろう。
こういったとき率先して彼女の代理人として相手を詰問してくれるはずのシャルルも、さすが気が引けてか押し黙っている。
そうはいっても、いかに得たいの知れない人影であってもこのままさよならと去って行くわけもなし。
意を決し、礼をのべようとウェンディが口を開いたちょうどそのとき。
「あいつらは頭がいい。一回自分達を脅かす存在がいるとわかった場所にはまず近づかないはずだ」
遮るように、人影がそんな発言をした。
先手をとられさらに言い出しづらくなったウェンディを知ってか知らずか、人影はこちらに振り向くと笠へと手を伸ばし、その紐をゆっくり解いた。
「君たち、怪我はない?」
笠の下から現れた黒髪の青年は、困ったような笑みをうかべウェンディへと手をさしのべた。
・
・
・
・
・
「いたっ!」
「おおっと、悪い」
小さな泉の近くの切り株に腰かけたウェンディの訴えに、黒髪の青年が焦ったようにその手を離した。
戦場となった場所から歩くこと数分。件の出来事で小さな切り傷やら足をくじいてしまったやらで負傷したウェンディは、青年によって治療を受けていた。
切り株にはさっきまで着ていた打裂羽織を敷き。清潔な手拭いを、口に含むなどして衛生上問題ないと判断した泉の水でぬらしてわずかに腫れてしまった挫いた足に巻き付けたり。戦闘だけでなくアフターケアにも長けているように見えた彼だったが、繊細さを要求される動作にはそこまで器用な人間ではないらしく、持参していた薬草を傷口にあてる動作はいささか荒い。
「ちょっと! もっと丁寧にやりなさいよ、この子はあんたほど頑丈じゃないのよ?」
「もうシャルル、失礼だよ!」
恩人にたいしてきつい言い方をするシャルルに、ウェンディが叱責をとばす。
というのも、逃走中にこそ負傷しなかったシャルルだがウォードッグと最初に接触したのは彼女であり、そのとき負った切り傷を手当てする道具を貸してくれたのは彼なのだ(治療自体は自分でやると拒否した)。
彼とてこんな自体は予測していなかったのか治療道具といっても止血用の薬草、包帯程度だったがそれでも応急処置に十分助かる道具であった。
「……悪かったわね」
カッとなりやすいシャルルだが、その実なにも礼儀知らずというわけではない。膨れっ面ではあったが、謝罪の言葉を並べた。
「別にいいよ、僕が雑だったのは事実だし。あまり誰かを手当てするっていう場面が多くないから不馴れでね」
自覚はあったらしく、手つきがさらに丁寧になる。とはいえ、傷口に薬草を当てている以上手つきの丁寧さや雑さは関係ないのだが。
ウェンディもこの程度のことで声をあげるのは子供っぽいと思い出来る限りの我慢しようと歯を食い縛るが、涙をためながらプルプルと震える様はむしろ声をあげられるより痛々しい。
「そういえば、こんな危険な森で君たちみたいな娘が護衛もなくなにしてたの?」
見かねたのだろう、気をそらせるためか青年が話題を持ち出した。
「あ、それはですね。私化猫の宿っていうギルドに所属してまして、その依頼でこの木の実を収穫してたんです」
「ケット・シェルター? 聞かない名前だな……。でも確かにその魔法マークはギルドに所属する人間の証だし、信じるよ」
「あはは、結構森の奥にあるギルドですから。依頼も近くの村からくるちょっとしたものばかりですし、知名度はゼロに等しいかもしれません。私、このあたりは結構詳しいんですけど町に行くことは多くないのではっきりとは言えませんけど」
「なるほど、来慣れているから護衛もなくきたわけだ。でも、普段はしらないけど最近はウォードッグが徘徊してるから危険だって話だし、今度からは戦えるギルドメンバー助力を頼んだ方がいいよ」
「ウォードッグが……? そういえば、急にだったから忘れてましたけどウォードッグってもっと寒い地域にいるモンスターですよね。なんでこんな暖かい地域に……」
「それなんだよ、あいつらの生息地域に天敵のワイバーンが出たって話も聞かないし……。ま、そういった原因解明とかは僕の仕事じゃない。それこそ専門のギルドに頼んだほうがいいだろう」
「そういうわけにはいかないわよ」
他人任せ結論に至った青年に、すぐさま反論したのは先ほどのこともあってか辺りを警戒していたシャルルだった。
特に問題があるような発言をしたつもりはなかったのだろう、首をかしげる青年にシャルルはピシッと指を突きつけた。
「私たちのギルドはここからそう遠くないの。それに、このあたりは依頼やギルドでの生活にも欠かせない薬草とかもいっぱいはえてる。ギルドには結界があってモンスターなんて進入できないでしょうけど、一歩出ればあんな危ないモンスターがうろついていたんじゃたまったものじゃないわ! 戦える魔導師もいないし、近くの集落なんかも襲われるかもしれないし……」
「戦える魔導師がいない? 君たち、さっき僕に補助系の魔法かけてくれたり飛んだりしてたから魔導師ギルドなのかと思ってたんだけど。二足歩行で話す猫も、あんなにしっかりした魔法を君みたいな子供が使ってるも初めてみたよ」
意外そうに、青年は自分が手当てしている少女と奇妙な猫を交互にみる。
「えっと、私たちにギルドって生産系のギルドなので戦闘に関してはそれこそ護身術ができる人も少ないくらいで……。魔法を使えるのは私とシャルル、あとマスターと数人だけなんです。といっても、私は補助系、シャルルは飛行魔法。マスターは結界とかの防衛魔法、ほかの人も植物の成長を促したりちょっとした占いができるくらいで、戦えるような魔法はまったくです。シャルルのことや私の魔法は……」
「あ、言いづらいならいいよ。それにしても、そっか……依頼にもあったけど普段は静かそうな森らしいし、戦いの知識はほとんど必要なかったってわけだ。もしもの場合にも防衛系の魔法は充実してるようだし、僕みたいな人間もいるしね」
「僕みたいな人間?」
「ああ、そういえば言ってなかったか。見てわかるとおり、僕は傭兵だ。まぁ一国を相手取った戦争から子供のお使いの護衛までなんでもござれの何でも屋といったほうが近いかな。そして、さっきのウォードッグ。あれの撃退および討伐が今回の依頼内容だ。たぶん、君たちの知ってる近隣の集落ってとこからの依頼。五十匹くらいかな、戦ってるうちに逃げた数と同じだしさっきも言ったとおりもう平気だと思うよ」
「で、でもこんな地域に来るほど追い詰められてたとしたらもしもってことも……」
「まぁ、そんな時はまた僕みたいな人間が借り出されるさ。魔法を使うようなモンスターじゃないし、どこかの魔導師ギルドから人員を派遣してもらうのもいいかもね。よし、おしまい」
「あ、ありがとうございます」
大したことないよ、と手を振りながら青年は腰を上げた。
立ってみると、以外にしっかりした体つきをした男性だ。
背丈はそこまで高いというわけではないが、男性として十分だろう。和服のため体の線は見えづらいが草鞋の足や手首の太さから推測するに細身らしい。少々長い襟足、目をぎりぎり覆っている前髪。失明したのだろうか、左目は包帯に覆われ右目は眠たそうに細められている。
青年は、そのまま治療道具を片付けようとする。
声を上げたのはウェンディだった。
「え、片付けちゃうんですか?」
「ん? あれ、まだ手当てしてないとこあった?」
「いえ、私は大丈夫ですけど……。えと……」
言い淀むウェンディに青年は一瞬首をかしげ、ああと手をうった。
「僕なら平気だよ。あの程度じゃ怪我なんかしないさ」
「でも、ウォードッグにあんなに噛まれてましたし……。私、結構怪我の手当てとか得意なので、もし良ければ……」
「んー、そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。ほら」
青年が打裂羽織の下に着ていた衣服はこの国では珍しい東方の『着物』といわれるゆったりとしたもので、打裂羽織と同じく真っ黒な生地に素人目にも職人技とわかる美しい彼岸花が描かれている。本来はその下には下着程度しか着ないのだが、手当ての最中屈んだ際見えた下半身にはくるぶしより少し上までのジーンズを穿き、上半身はノースリーブを着ている。
そんな着物の袖をおもむろにまくると、そこには傷ひとつない男性にしては少々白い腕が覗いた。手首から肘にかけてテーピングがなされていたが、それは元々らしく血痕などはない。
少なくとも、掌、手首、二の腕あたりを噛まれていたはずなのだが、何度見直してもそこには圧迫され赤くなった痕すら見られない。
衣類が特殊な素材でできている可能性もあったが、だとしたら直接噛ませたはずの掌まで無事なのはおかしいだろう。
ぱちくりと目を白黒させるウェンディとシャルル。
予想していた反応なのだろう、青年はわずかも気を悪くした様子もなくそっと腕も袖中へと戻した。
「僕も君と同じく魔導師でね。ちょっと、その魔法が特殊なんだよ」
そう言って青年が手を伸ばしたのは、腰に携えていた自身の得物である黒い刀。鞘から柄にかけて真っ黒な刀だが、それとは関係なく奇妙な見た目をした刀だった。
特に、大抵鞘というものは木製であることが多いのだが、光を吸い込むように黒いそれは重量感あふれる金属で出来ている。本来は笄、栗形、下緒が備えられているはずの場所は握りやすいよう指の形に加工された特殊な形状をした取手のような部品が付いており、さらには拳銃の引き金と用心金が鞘口と水平に装着されている。銃口はないが、変わりに分厚くなっている鞘口の右側に穴が開いている。
そこまで付いていながら、まさかそれが飾りなどという訳ではなく。奇妙な付属品の数々は鞘の返り角あたりまで続いていた。
まず取手の先にあったのが付属品のなかでも最も目立っていた弾倉だ。多少短いが、これに至っては拳銃というよりアサルトライフルにでも付いていそうな湾曲した弾倉だった。しかし幅はアサルトライフル用の弾倉にしては太く、連射する類いのものではないはずだ。その先には長方形の部品があり、数々の部品から連想するに排莢口だろう。
もちろんウェンディもシャルルもそんなに細かい知識など持ち合わせていないが、それでも珍しい形状であることに変わりはなく。
「珍しい?」
「……あ! いえ、すいません。じろじろ見ちゃって」
「大丈夫だよ。まぁこれは僕の魔法の説明には関係ないし、良ければ見てみていいよ」
青年は拳銃と一体化した――というには各部品の並びが違うのだが――鞘から刀身を引き抜くとウェンディの目の前に静かに置いた。
一瞬躊躇したが、無言で促す青年にもう一度頭を下げながらウェンディはそれを手に取った。
ずしりと手にかかる、見た目通りの重量感。当たり前だが、刀身なくしてこの重さではウェンディには持って長く走ることもできないだろう。
無知故に引き金にも手がのびるが、しっかり安全装置がなされているため青年が焦ることはない。
しばらく鞘を眺めていたウェンディだが、いかに普段武器に興味を持っているわけではない彼女でもここまでくれば刀身の方にも好奇心がわく。
やはりというか、刀は刀身含め真っ黒だった。否、黒すぎた。
切っ先から刃区まで、鎬筋もなければ刃文もない、影をそのまま刀の形にしたような黒いだけの刀。鞘にならい装飾の類いがなされていない鐔は簡易な楕円で、同じく柄は装飾どころか柄巻や目貫すらなかった。
しかし、機能美とでも言うのだろうか。
刃物を含めた凶器全般に興味どころか恐怖さえ感じているはずのウェンディが熱心に眺めてしまうほど、それらはどんな装飾をまとった宝石より美しく見えた。
「……そろそろいいかな?」
流石に待ちかねたのか、青年が咳払いをする。
それに、ウェンディはようやく自分がそれなりに長い間黒い刀に見入っていたことに気がついて、焦ったように返事をした。
「よし、じゃあ口頭で説明するのは面倒だから簡単に実演するよ」
云うと、なにを思ったのか青年が躊躇いなく自分の腕へとその黒い刀を降り下ろした。
唐突な出来事に制止する暇も、目を背けるひまもなく行われたがためにウェンディとシャルルははっきりと見てしまった。
黒い刀が青年の細い腕とぶつかって"火花を散らす"場面を。
ウェンディは補助の魔法を得意とする魔導師だ。当然肉体強化の魔法などの知識も多少持ち合わせているが、いくらなんでも刃物を弾くほど硬化させるような魔法は聞いたことがない。
テイクオーバーなど、硬い皮膚を持つ生物の特徴を吸収し肉体を変化させるというならわかるが、青年の腕は筋肉こそついているが普通に人間のものであり、相応の柔らかさを有しているように見える。
「驚いた? これが僕の魔法。……といっても皮膚の硬化なんてものは効果の一部なんだけど」
「一部 、なんですか? 鉄を弾けるほど体を硬化させる魔法なんて聞いたこともなかったので単一の特別な魔法なのかなって思ってたんですけど……」
「んー、まぁ特別な魔法って言うのはあってる。自画自賛するわけじゃないけど、これは多分僕にしか使えないと思う」
そこまでいって、青年は悩むように言葉を止めた。
言っていいものか、隠すべきか。そんなことを悩んでいるようだった。
だが、それも一瞬。
「信じてもらえるかはわからないけど、僕は滅竜魔導師(ドラゴンスレイヤー)なんだよ。だから、これは僕にしか使えない」
それに、ウェンディとシャルルは目をまん丸にして顔を見合わせた。
そんな反応は予想済みか、青年は困り顔で肩をすくめた。
【滅竜魔導師】
ドラゴンスレイヤーと名の通り、竜を迎撃し討滅しゆる魔法およびその魔法を行使す力を持った魔導師をさす言葉だ。その身はドラゴンの咆哮に耐え、通常の魔導師には持ち得ない莫大な魔力と身体能力を有する……と、言われている。
言われている、というのも魔法が存在するこの世界といえど半永久に生き続け一息で大地を抉ってしまうような、そんな生き物の存在は所詮御伽噺程度にしか認識されていない。
自由に空を翔け、圧倒的な力を行使する絶対存在――ドラゴン。
そんなドラゴンは、年齢にかかわらず誰もが憧れ夢見る存在であると同時に、そのあまりにも絶対過ぎる存在ゆえに古今問わず実在した、目撃したという話はすべて神話か作り話と一蹴されていた。
故に、その竜を迎撃する魔法である滅竜魔法、滅竜魔導師も当然同等の扱いを受けるのだ。
自分は滅竜魔導師だ、などとおおっぴらに発言した暁には羨望の眼差しはおろかまじめに取り合ってくれる者すら現れないだろう。そんな台詞を嬉々と発言するのはせいぜい幻想と現実の区別もつかない夢見る子供たちだけだ。
ウェンディは幼い。しかし、物の区別も付かないほど幼いわけではない。それくらいのことが青年にわからないわけもなく、初対面の相手にそんな冗談を言う意味もない。
うなずきあった二人は、なぜか意を決したような表情で青年に向き直った。
「……あの、私ウェンディ・マーベルっていいます」
「私はシャルル」
「ん?」
しかし。
返答は、返答ではなかった。
確かにウェンディはシャルルとの会話の節に互いに名前を呼び合っていたが、明確な自己紹介はまだだった。礼儀正しく、しっかり者な彼女としてはこの自己紹介は少し遅めのものだったが、なにぶん唐突だったからだろう。青年は何を言われたのかわからないといった様子できょとんとしている。
「お名前を伺ってもいいですか?」
「あ、ああ……。僕はシュヴィ・クライス。どうしたの、突然」
――シュヴィ・クライス……初めて聞く名前、かな。
口の中でつぶやいて。
ごめんなさい、と一言断ってからウェンディはシャルルの耳元へと口を近づけ何かをささやく。
何かを提案したのだろうか。シャルルが渋った様子で唸るが、ウェンディが必死な様子で何かを再び囁くとやはり難しい顔をしたままだったが、肯定した。
「ちょっと、見てもらってもいいですか」
云うと、ウェンディはおもむろにシャルルへと手を伸ばした。うなずき、せっかく巻いた包帯を外し始めるシャルル。白い毛に覆われた肌にはいまだ鮮血が滲んでいる。
見るからに痛々しい姿。
意図があるのだろうと、青年がそれを止めることはない。
のばす、細い腕。
指先には、暖かな光。
先ほど青年に力を与えた際にも見せた、力強くも癒しを感じさせる光だ。
光は収束し、シャルルの傷口へと集まり、そして……
「…………」
眠そうな青年の半目が、驚愕にわずかに見開かれる。
ウェンディの細腕から流れる光は、シャルルの腕の傷を瞬く間に消し去ってしまったのだ。
まるで、傷口が自然治癒していく光景を早送りで見ているような、そんな光景。
治癒魔法。
滅竜魔法と同じレベルで存在の証明がなされていない魔法だ。
血痕だけ残し、完全に治癒しきったシャルルの腕。
うなずき、痛む足も忘れ立ち上がったウェンディは、すでに行った自己紹介を修正する。
「私は、ウェンディ・マーベル。あなたと同じ、滅竜魔導師です」
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