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ジューンオブパラレル

作者:南川春過
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第一話 暗黒の書の1ページ

世界がどんなに変わっても、わたしの想いは変わらないよ。

どこまでも
どこまでも

遠い彼方へ









12歳のまだ幼い少女リンジーが手にしたのは、暗黒の書だった。少女は父親の部屋の本棚からそれをみつけた。
少女の父親は半月前に脳梗塞で命をおとすまで家族でさえも他人を自分の部屋に入れなかったが、部屋の持ち主が死んで灰になってしまってる今、家族は容赦なく部屋を隅々まで点検した。
父親の部屋は、一週間以上掃除されていないせいか多少埃っぽかったが、あとはいたって普通な書斎でしかなかった。
家族はそれを確認した瞬間、安心と共に期待はずれな気持ちになり、それから熱が冷めたように遺品整理に取り掛かった。
部屋の壁全体に並べられた大きな本棚の整理を任せられたリンジーは、はじめのうちは一冊一冊捨てていい本か確認して捨てていたがあまりにも大量で、つまらない法律の本や意味不明な外国語で書かれた本ばかりなのでだんだんなんでも構わず捨てるだけになっていたついに捨てるのにも飽きたリンジーは適当に掴んだ一冊の本をぱらぱらめくってみた。
「英語なら読めるわ」
だがリンジーは読もうとしたわけではなく、ただ漠然と本のページをめくっただけだった

リンジーはまた1ページめくって、そのページの一節に目を留めた。
「なにこれ…」
リンジーは本を持って部屋を出ていき、急いで自分の部屋に走った。
部屋の鍵を閉め、ベッドに腰を掛けると、リンジーは本のさっきのページを開いた。


"神をつくりだしたのは、愚かな人間の心だ。
悪魔をつくりだしたのは、寂しい人間の心だ。
人間をつくりだしたのが水であるのと同じようにそれはごく自然なことなのだ。"

リンジーは息を飲んだ

"だがそれらの存在を立証することはできない"

"神はいないからだ。"



「パタン…」
リンジーは本を閉じベッドの隅でうずくまった。顔をひざに押し付け、足の横にある本をチラッと見た。
本の題名は
"哲学的無神論" というものだった
リンジーは、死ぬ少し前の日に父親が言った言葉を思い出した。
それは空が青くて気持ちのよい日曜日のことだった。二人で、毎週通っている教会に行った帰りにリンジーの父親は空をわざわざ立ち止まって熱心に眺め、思い出したようにこう言ったのだ。

「何があっても、空のむこうには神様がいるから、きみは安心して生きなさい。」
リンジーは、お父さんは神様を見ていたのかなと思って空を見上げた。でも、いつ見たって空しか見えない。毎日お祈りしているのに、なんで自分には神様が見えないのか、不安でしかたなかった。


父親が死んだあとも、毎日毎日空を見上げてはその言葉を思い出していた。
けれど、父親の言葉は嘘だったのだ。


「哲学的無神論書」
を読んで、神様なんていないという現実を知らしめされた
リンジーは、これから何を頼りに生きていけばいいのか本当にわからなくなって、それからまる2日部屋から1歩も出なかった。

彼女は2日間、ずっとあの本のことばの意味について考えていた。"神はいないからだ"
彼女が導きだした答えは、"世界は空っぽだ"ということだった。そして、今までない倦怠感と孤独感に襲われ、リンジーは夢見がちな少女から冷徹な女王に変貌していった。

それはもう、絶望といってもいいような逃げ場のない空白の2日間で、母親にむりやり連れ出されるまで、ほとんど呼吸しかしなかった。

母親は、閉じ籠った理由について父親が死んだからだと考え、皮肉にもリンジーを教会に連れて行った。
リンジーはもちろん拒否したが、ドアを叩く母親の甲高い声に負けてやむなく部屋を出た。




教会でのことだった。
その日は月曜日だったので、二人以外に礼拝者はおらず、いつもいる白い髭の牧師ではなく20代くらいの若い牧師がいた。
その牧師も、キリストの像も、きらきら輝くステンドガラスも、リンジーにとっては意味を持たないまがい物でしかなかった。

だが、なにも言わず着席して下を向いて時間が過ぎるのを待った。
すると、母親がシスターに挨拶しに行くと言って、リンジーを残して中庭に行ってしまった。
そのせいで礼拝堂にはリンジーと若い牧師の二人だけになった。

そうなるとさっきまで母親と話していた牧師も、ずっと黙り込んでいる難しそうな少女に話し掛けざるおえなくなった。
牧師は数秒ほど静かにリンジーをみつめ、
「こんにちは、リンジー。君のお母様から名前を聞いたよ。はじめまして、僕はポール。ポール・ハリス。月曜日だけ教会にいるんだ」

と、牧師らしい優しい口調で話し掛けた。
リンジーは顔も上げずそれを無視した。
すると牧師はいきなりリンジーの横でひざまづき、かおを見上げて
「悲しいことでもあったのかな、でも大丈夫。神様はいつも僕たちを見守ってくださるからね。さあ、祈ろう」
と、リンジーをなだめた。
牧師の片手が、リンジーの肩に置かれた。

「お父様が、お亡くなりになったんだね。」
牧師は遠くを見据えて、感慨深そうに言った。
リンジーは、肩に置かれた牧師のなまめかしい手を睨んだ。

牧師はかまわず続けた。
「とても信仰心が熱い方だったと、ブーゲ牧師から聞いていたよ。」

リンジーは、父親をバカにされたような気がした。この牧師から出てくる言葉は、なぜか全部がうわ言にしか聞こえない。それに、いもしない神様を真面目に信じていたバカな父親だと、改めて思い知らされようだ

それから、いつもここに来ると必ずいたブーゲ牧師のことを思いだした。
サンタクロースを連想させる牧師の真っ白な長い髭が、小さな頃は好きだった覚えがある。
ブーゲ牧師は、この若い牧師とは正反対で口数が少なく、思春期の少女の肩に手を置くなんてことはしなかった。
堅物で愛情のあるブーゲ牧師をかつてのリンジーや父親は慕っていた。

でもリンジーは、もうブーゲ牧師とは二度と会わないだろうと思った。



すると若い牧師が、
「君もね、お父様のように毎日お祈りしていればいつか、報われる日が来るよ。」
と、独り言のように言った。

リンジーは、この牧師とブーゲ牧師の決定的な違いを見いだした。
この若い牧師は、宗教に対して半信半疑で向き合っているのかもしれない。だからどんな言葉も薄っぺらく、中に浮くようなぼやけた印象しか残さないのだろう。
もちろんリンジーの今の精神状態も影響しているのだろうが、ブーゲ牧師だったら、リンジーをもう少し前向きにさせるような言葉を投げ掛けてくれただろう。

とはいえリンジーはもう二度と神様は信じないと思った。


あの本にも書いてあった。
熱心な信者だった父は救われなかった。


リンジーは、あることに思い当たって無意識に顔を上げた。

ほぼ同時に若い牧師が立ち上がったが、リンジーの動きを察したのか静止して彼女の様子をじっと見た。


リンジーはお構い無しに考えを巡らせた。
どうして父は、熱心な信者だったのにあんな本を部屋に置いておいたのだろうか?
あの無神論の本は、正真正銘父の部屋から見つけたものだ。
そもそも父はあの本の存在を知ってしてたのか?
「……」
講堂に沈黙が広がった。どす黒い液体が透明な水を染めていくような、神聖とはほど遠い沈黙のようにリンジーは思えた

牧師と目があった。
光を失った冷たそうな目だった。リンジーは、一瞬牧師の目が明らかに自分を責めていたのを見逃さなかった

牧師はとっさに背中を向けて歩きだし、大きな十字架の前の演台に立った。
そして、分厚い聖書を取り出し
なんページかを探し始めた。
リンジーはしばらくそれを眺めていた。
あの牧師とは初対面で、責めるような目で見られる覚えもない。さすがに少し戸惑う。
リンジーはさっきの、牧師の目を思いだし、もう一度牧師を見た。

牧師は、やはりどちらかと言うと冷涼なめつきをしていた。
口もとは、柔和な微笑みを浮かべている。
さっきのあの目は、牧師のもともとのめつきなのかもしれない。
そう思い、リンジーは牧師から目を反らして
再びうつむいた。

そしてまた沈黙が訪れたが、この沈黙はさっきよりはいくらか居心地がよくてリンジーの精神状態に合っていた。


ステンドガラスが妖艶に光った。

このまま時が止まればいいな、とリンジーは思った。
一年前ヴァイオリンのコンサートで、眠る父親の横顔を眺めていた時もそう思っていた。

リンジーは、その時のメロディーを思い出すと自然に切ない感情が溢れてくる。
不安定で美しい響き。


何かに似ていた

「君は、お父様のこと好きだった?」
いきなり牧師が質問をしたが、リンジーは相変わらずうつむいたままで返事はしなかった。
「…言うまでもないか、好きに決まってるよね」

「君にとって悪いことも、良いことも全部、神様がもたらされる試練なんだよ、だからね……」


牧師の言葉は、やたらとリンジーを挑発した。
聞き入れまいとしても、そんな精神を持ち合わせていなかった。
「神様なんていないんでしょう」
講堂中がシン、と静まり返って、気がつけばリンジーはすごい剣幕で牧師を睨んでいた。牧師はリンジーをまじまじとみつめた。
リンジーはとっさに顔を反らした。
逃げ出したかったが、そんな衝動は起きなかった。


「君は、神様はいないと思うのかい?」
牧師は注意深く問った。言葉の響きが、さっきより冷淡で生々しいことにリンジーは気がつき、余計なことを言ってしまった、と後悔した。聖職者にそんなこと言ってなんになる。
「...そうだねぇ、君の言うとおりかもしれない。」リンジーは牧師を見た。
牧師の表情は、さっきまでの柔和な微笑みが消え、どこかリンジーと似た気だるい表情で、それは、不吉にもその男によく似合っていた。そしてリンジーは確信した。
この牧師は本当は神なんて信じていないということを。

紛争・戦争が盛んな十八世紀イギリスで、人々は神を頼り日々の不安を安らげていた。国民の大半が信者で、リンジーも3日前まではそうだった。
信仰の波に流されるまま都合の良いように神という幻想を利用していた。勿論それは彼女自身の不安もあったが、周りに神を信じない人がいなかったからでもある。
だが今、目の前に同類がいる。聖職者の、罪深き同類が。
リンジーはあっけにとられて牧師を見た。
すると牧師も聖書を放しゆっくりと、惜しげもなくリンジーを見つめた。牧師の目は何も求めていなかった。求めても無駄だからだ。リンジーは直感的にそれがわかった。



数秒間、二人は互いを視た。

青い瞳の奥の黒さを確かめるには、相手も見つめ返してきているので好都合だった。

「おまたせー!」
神聖な教会に
低俗な声が響いた。
リンジーの母親が戻ってきたのだ。

牧師は講堂の扉が動いた瞬間に目を反らし、口郭を引き締めすでに準備万端で母親を迎えた。
リンジーもそれに呼応するようにそっとうつむいた。

「ごめんなさい。この子、ホントに何も喋らないでしょう」

母親が牧師のほうに歩みより話をしだした。

「そういうことってありますよ。」

「でもお母様、心配しないでください今はそういう時期でもきっと神の愛に気付けることでしょう。」牧師は疑わしいほど善良そうに笑った。
「そうねぇ、あなたが言うと、安心するわ。」
母親はまんまとそれに騙された。
リンジーはその光景をただ見ていた。

「さ、帰るわよリンジー」

母親は、一度牧師に向かって微笑んでから踵を返して出口へ向かった。
リンジーは極めてゆっくりと立ち上がり、母親の後を追って一歩踏み出した。

そのとき、
かすかに牧師の声がした。

牧師はリンジーを見ておらず、母親の背中を見送っていた。 
 

 
後書き
次話も是非読んでください~★ 
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