死んだ身
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第一章
死んだ身
雷獣は忍だ、しかし今は只の忍ではない。
「いたか」
「いや、いない」
「糞っ、ここにいると思ったがな」
部屋の中から声が聞こえる、今まで彼がいた部屋の中からだ。
「感付いたか」
「相変わらず勘のいい奴だ」
「まだ遠くへは行っていない筈だ、探せ」
「そして殺せ」
こう言い合っていた。雷獣はその彼等を見てはいなかった。
既に逃げていた、こうした時はすぐに遠くに去る方がいいと知っているからだ。
今彼は忍の服を着て駆けていた、彼は忍だがその命を駆けた生き方が嫌になり安らかに暮らせる場を求めて忍の里を抜けたのだ。
だが抜忍は何処までも追われて消される、そのことを知ってはいる。
だから彼は逃げていた、ただひたすら。
山を越えて谷を抜けてだ、そうしてだった。
ただひらすら逃げていた、だが。
追っ手は何処までも追って来る、抜忍として逃げる日々を追っていた。
その彼にだ、ある日のことだ。
川を舟で渡っている時にだ、渡し守の老人がこんなことを言ってきた。
「御前さんは山人を知っておるかのう」
「山人?確か」
「うむ、わし等は村に暮らしておるが」
これは忍も同じだ、彼等も忍の里に暮らしている。
「しかし山人はな」
「山で暮らしているのか」
「人知れずのう」
「そうした者もいるのか」
「左様、見たところ御前さんは」
老人は小さな眠そうな目で雷獣を見て言った。雷獣は今は旅商人の姿をしている。無論逃げる為の変装である。
「商人じゃな」
「そうだ」
完全にそれになりきって答える、目の光も穏やかにさせてだ。
「わしはな」
「そうじゃな、何処に行かれるか」
「安芸だ」
とりあえずこう答えた、無論安芸に行くつもりはない。老人が追っ手が化けている可能性もあるからである。
「そこに行く」
「左様か」
「そうだ、これからな」
「安芸の奥にものう」
「山人がいるのか」
「山人のおる山はどれも深い」
それで、というのだ。老人は山と山の間にある川の中を舟でゆっくりと進みながらそのうえで彼に話すのだった。
「ここよりも遥かにのう」
「そこに入ればか」
「山人がおってな」
そして、というのだ。
「あの連中だけの暮らしをしておる」
「そうなのか」
「もうそこまで行けばな」
どうかと言う老人だった。
「誰も来れまいて」
「誰もか」
「しかし誰も来れないところだからじゃ」
「行くこともか」
「まず出来ん」
そうなるのも当然だ、何しろ誰も来られないなら行くことも出来る筈がなかった。
「それものう」
「そうした場所か」
「わしも噂で聞いただけじゃ」
「安芸の奥の山人達のことはか」
「とにかく山人は滅多に見られぬ」
こう雷獣に言うのだった。
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