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相棒は妹

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志乃「兄貴、ごめん」

 俺達は機材をバッグにしまい、帰り道をのんびりと歩いていた。互いに何も言葉を発さないが、俺の場合は作品が完成した実感が湧かないのと一気に疲労が溜まったからである。

 遠くには鮮やかなオレンジ色で照らされた空が広がり、今日という一日が終わりに近づいている事を告げている。もう夕方か、ホントに早いな。

 駅前の繁華街を抜け、夕方になってさらに静けさを増した住宅街を歩く。この街は駅付近しか栄えておらず、他は住宅が幹を連ね、畑が面積を占領している。俺達の家の付近なんて、家しかない。自販機はいろんなところに置いてあるが。

 と、そこで今考えていた自販機が道路の端に鎮座しており、俺はそこに駆け寄って缶コーヒーを二つ買い、立ち止まっていた志乃に一つを渡した。

 志乃は「ありがとう」と言いながらプルタブを開け、中身を飲む。俺もそれに習いコーヒーを口の中に入れる。その苦みは今の疲労を和らげてくれるように、口内を充足感で満たしてくれた。

 そして、歩きながら改めてお疲れの言葉を言った。

 「早いかもだけど、お疲れさん。家帰って本家PVと合わせて投稿しようぜ」

 「そうだね」

 「いやぁ、俺の予想じゃミリオン行くな」

 「それはない」

 「マジか……」

 そう話しているうちに、俺の中に完成したという意識が湧いてきた。そうだ、俺達は完成させたんだ。

 ここにきて、俺はやっと高揚してきた。今までの曖昧な感覚が嘘みたいに、心臓がバクバクしてくる。最初に志乃に「お疲れ様」って言われた時は、逆に「これで終わりか」という寂しさがあったからこそ、素直に喜べなかったんだと思う。

 でも、ここで喜ばなくてどうする。純粋に考えて、俺達は凄い大変な作業をクリアしたんだぞ。

 その後もずっとこの後の事について喋っていた。飯を食った後すぐに編集をするか、投稿はいつにするかとか、どうやって拡散するかとか大まかに話していた。

 その中で、俺は試しに志乃に「今後もこれをやるか」について聞いてみた。少し躊躇いはあったが、俺としては志乃がどういう答えを出しても受け入れるつもりだ。こいつには、礼を言っても言い切れない程の借りがある。今更俺が我儘を言える筈が無いのだ。

 「でさ、この先の事なんだけど」

 「この先って、今話したじゃん」

 「いや、家帰った後の話じゃなくて」

 「じゃあどれ?」

 「えっと、これを投稿した後もやるのかって話、かな」

 俺が思い切って聞いてみると、志乃はゆっくりと俺の方に顔を動かした。ん?俺今変な事言ったか?志乃の目がいつもより僅かに見開いている。

 目が合ったのは一瞬の事で、志乃はすぐに顔を前に戻し、再び俺の方を向く。そして、口を開けかけたところで――

 「久しぶりに見ると思ったら、随分仲良くなったのね。兄妹から恋人に昇格した?」

 俺達が歩いている道の前から、嘲りの言葉が浴びせられる。志乃は言葉を引っ込め、前を見据える。

 陽が落ちるのが早いこの時間帯は、さっきとは違い、辺りが暗い。街灯が点き始め、ついに夜を迎えたのだと感じる。

 前にいるのは女だった。どこの制服だか分からないが、全身を学校指定のブレザーで纏い、手には青い直方体の箱を持っている。あれは、最近流行りのノートとかを入れるプラスチック製のケースだ。

 夜の暗闇が街灯の光で照らし出されるものの、女はその空間の一歩後ろにおり、ギリギリ見えづらい位置にいた。

 ただ、確かなのは俺達に向けて言葉を吐き出したという事と、俺がその声の主の顔を思い浮かべられないという事だけだった。女の位置は、ここからは丁度顔が見えず、どんな顔つきをしているのか、どんな感情を抱えているのか読み取れない。ただ、喜怒哀楽のうちの『喜』と『楽』ではなさそうだった。

 だが、俺の隣にいる妹は、その声を聞いて眼光を鋭くさせた。しかし、それは束の間で、次には顔を曇らせ俯いてしまった。

 相手は志乃の知人?誰だ?少なくとも、あんなムカつく台詞を吐き出す友達はいないと思っていたが。

 過去に、それも数年以上前の記憶を漁り、志乃の知り合いの顔を浮かべる。俺自身、志乃の友達と喋る機会なんてほぼなかったから、恐らくピアノ関係だ。

 志乃が通ってた塾の生徒か?志乃の技術の高さに勝手にライバル心を抱いてた、とか。だったら俺は知らないんだけど。

 そうして模索していると、志乃が隣でボソッと呟いた。

 その目は虚ろで、今を見ていないような錯覚を感じる。さっきまでの志乃とは大きく違った。

 だが、次に発した言葉が、そのシリアス的な雰囲気をぶち壊してくれた。

 「……兄貴、あの人誰だろ」

 ……お兄ちゃん、困っちゃうな。

 そして、小さな声で呟いた筈の志乃の言葉に、向こうの女が反応した。

 「もしかしてショックで忘れちゃった?まぁしょうがないよね。そのせいで、隣のお兄さんと不仲になっちゃたんだからさ」

 その言葉は、突如俺に過去のビジョンを映し出した。

 そうだ、あれは志乃が中一だった頃の……俺はそれを今までずっと覚えていた。なのに、こうして言われないと出てこないなんて、なんだか自分自身に苛立った。

 なら、あの女の事は俺も知っている。あの時、志乃を挑発し、支えの効かなくなった志乃に暴言を吐かせた――その言い方は被害者面している気分だが――クソ野郎。

 ――『うるさい!黙れ!兄貴は私を裏切ったんだ!』

 あの時、ピアノの会場での小規模な乱闘で取り乱した志乃が発した言葉。一見してみれば大した事無いように思えるが、志乃の気迫と相手に対する怨念は、当時の俺もゾッとしてしまった。まさか、あれが俺達の疎遠のきっかけになるなんて、思ってもなかったのに。

 「志乃、あいつの事、思い出したか?」

 小声でそう聞くと、志乃は少しして頷き、相手の名前を口から零した。

 「恐らく……」

 そして、一拍置いて志乃は真剣な顔をしてその名を口にした。

 「本山ね」

 「それはうちのクラスのビッチだろうが」

 「なら、多利間ね」

 「名字だけかよ」

 しかも「なら」とか言っちゃってるよ。完全に当てずっぽうじゃん。
 だが、志乃が自分の事を思い出したのを嬉しそうにしながら、女――多利間は言葉を吐き出した。

 「久しぶり、葉山さん。ピアノは辞めたの?」

 まるで長年会っていなかった友に会ったかのような朗らかな声だが、ここからでは顔がぼやけて実際どうなのかが分からなかった。

 「ピアノはまだ弾いてる。私、ピアノは好きだから」

 そう言う志乃の顔は、先程とは違い、いつもの無表情スタイルに戻っていた。あくまで相手に乗る気なのだろう。

 「ふうん。で、今日はお隣のお兄さんとデート?」

 「それはないね。まあ、楽しいけど」

 多利間のバカにした言葉に、志乃は意外な対応を返した。というか、今ちょっとだけ志乃の心が見えたんじゃないか?いや、今は後回しだ。

 そこで、俺も会話の中に入る事にした。

 「で、お前はここで何をしてたんだ?」

 「まぁ、いろいろ事情があるんですよ。葉山さんに会いたかったっていうのもあるけど」

 「私に?」

 「ええ。でも、やっぱりいいや」

 そう言うと、静かにこちらに向けて歩き出した。そして、ライトに照らされた多利間の顔を見て、俺は普通だなと思った。

 少し茶髪じみたショートで、制服は街にある女子校のものだった。地味を具現化したような風貌だが、中身まで同じだという保証はない。

 そう思って、俺は志乃に危害が加えられないよう、身体を僅かに前のめらせる。何かあったら、俺が前に出てやる。そんな勝手な想いが勝手に働いた結果だ。全く、俺って奴は。これじゃシスコンと言われてもしょうがない気がする。いや、断じて違うんだけどさ。

 「貴方達、二人してどこに行ってたの?なんか重そうな物肩に提げてるけど。お兄さんなんて、でっかいの持ってるじゃない」

 「多利間さんには関係ないから」

 「あっそ。まぁ、別にいいんだ」

 多利間は真正面からこちらに近付いてくる。だが、警戒はすべきだと思う。こいつ、前会った時よりも落ち着いてる。あの時は、人を挑発しまくって最終的にホールで悲鳴上げて家族の前で大泣きするなんていう役者じみた事したんだから。

 「今の私、ちょっとイラついてるの。どうしてだか分かる?」

 「全く」

 「そう」

 志乃の素っ気ない返答にも動じず、多利間は足を止めずにゆっくりと接近してくる。

 俺は志乃の手を引いて、わざと多利間に道を作らせたのだが、奴の目が志乃を離れる事は無い。

 「でも、答えだけは出させてもらうわ。ここで会った偶然に感謝しないと」

 そう言うと、多利間の足取りが少し速くなる。そして、薄暗い道路の中、どんどん俺達に詰め寄ってくる。

 後ろを向いて逃げ出す事も出来たのだが、厄介な事に、多利間から狂気的な何かを感じない。当然、俺は超人でもなんでもないので、そんなの当てにならないのだが、今の奴はとても何か出来るような状態では無いと思うのだ。

 ……いや、待て。

 右手に持ってる青いケース。

 俺達がゆっくり後ずさりするのに対し、多利間はさらに幅を詰め――右手に持っていたケースを振り上げた。

 それに気付いた時には、もう反応していた。剣道時代の反射神経が無意識に俺の身体を目的の場所へと誘導する。

 俺は、志乃の顔目掛けて弧を描いて向かってくるケースを肩で弾き、志乃の手を引いて走ろうとした。

 だが、手を掴んだところで志乃の身体が突然重たくなる。

 驚いて後ろを向いたら、そこには志乃が俺に手を引かれながら転んでいるのが見えた。多利間は、青いケースを囮にして志乃に足を掛けて転ばせたのだと、今更ながらに気付く。

 「お前!」

 「お兄さんの瞬発力には驚きましたけど、葉山さんが目的なんで」

 「お前、なんか志乃に恨みでもあんのかよ!こいつは、お前に負けたんだぞ」

 そう、あの全国大会で。一次予選を突破出来なかった志乃は、その時点で敗北者だったのだ。

 でも、多利間は突破した。志乃に勝ったのだ。

 その事実を改めて伝えたのだが、多利間の顔色は優れない。むしろ、今のでスイッチを押してしまったような悪寒を感じた。

 そして、その正体を問う前に、目の前の女は自分の口から明かしてくれた。

 「なら、何で私が葉山さんが通ってたピアノ教室に呼び出されて『葉山さんを連れ戻してほしい』って言われなきゃならないの?」

 その言葉は、一人地面に手を付いていた志乃の表情を変え、何も発さぬまま多利間を見つめた。

 多利間はそれを拒否するように、駅の方へと続く道を歩き出した。

 最後に、志乃に対する憎悪の言葉を吐き出した後に。

 「それなのに、貴女はお兄さんとのんびり遊んでるだなんて、私から見れば十分に嫌味よ」

 *****

 暫くの間、俺達はそこで硬直していた。志乃は立ち上がる事無く、俺もそれを呼びかける事無く、多利間が去っていた方向をずっと見ていた。

 「……兄貴」

 その沈黙を取っ払ったのは、志乃だった。少し汚くなった体操服をパッパと払い、俺に呼び掛けてきた。

 「大丈夫だったか?ごめんな、役に立てなくて」

 俺は志乃に歩くよう促したのだが、志乃はそこから動かず、顔を俯けている。どうしたんだよ。もしかしてさっきの事気になってんのか?

 そう思って聞いたのだが、どうやらそういうわけでは無いらしい。志乃は、少し黙った後、いつも以上に小さな声でこう言った。

 「兄貴、ごめん」

 それは、俺にとって何を示す謝罪なのか全く理解出来なかった。

 時間を無駄にした事か?多利間の嘲りに巻き込まれた事?それとも、今後一緒に作品を製作するのは辞めて、ピアノに専念するっていう事か?

 しかし、志乃の次に発した言葉は、俺の数個の予想のどれにも引っ掛かっていなかった。

 「転ばされた時……バッグの中が地面に直撃した」 
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