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カサンドラ

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第三章


第三章

「それがどうして」
「神の御力は絶対です」
 カサンドラは嘆くようにして言うのだった。
「ですから。パリス兄様とて」
「カサンドラ様」
 ラオコーンは宥めるようにして優しい声を彼女にかけた。
「落ち着き下さい」
「私はもう」
 だがカサンドラは取り乱した声でラオコーンに応えるのだった。
「見てしまったから」
「このトロイアがどうして滅びるのですか」
 そもそもラオコーンにはこのことが理解できなかった。今この時は。
「この繁栄を極め精強なトロイアが」
「私の予言は外れはしない」
 カサンドラの今の言葉は嘆きだった。
「けれど誰も信じてはくれない。それがアポロン神の呪いなのだから」
「とにかく。御安心下さい」
 やはりラオコーンは信じてはいなかった。それでも心優しく忠誠心のある彼は自国の王女を気遣い落ち着かせようと腐心していた。
「その様なことは」
「私の言葉は」
 カサンドラは語りつつ嘆く。
「一体誰に信じてもらえるというの?」
「誰に?」
「お父様にもお母様にも信じてもらえず」
 涙を流しながら語る。
「勿論お兄様達にもお姉様や妹達にも」
「カサンドラ様・・・・・・」
「貴方も貴族達も民衆も誰も信じてはくれない。そして不幸ばかりが来てしまう」
「それは・・・・・・」
「悲しい運命、惨い呪い」
 天を仰ぐ。宮殿の中なので天は見えない。しかしそこには太陽があった。彼女に呪いをかけた他ならぬその神が。そこにいるのである。
「その為に私は。こうして」
 そして言うのだった。
「一人だけいるというあの方は」
 絶望の中でデルフォイでのアポロンの言葉を思い出していた。
「あの方は来られるの?私の前に」
 それが誰かもわからない。カサンドラにも。それがトロイアの中にいることも。彼女は知らなかった。今はただ嘆き悲しむばかりであった。己の惨たらしい運命の前に。
 カサンドラの予言はまたしても当たった。パリスはスパルタからヘレネを手に入れて来た。兄のヘクトールは宮殿で弟とその美女を見て。すぐに言った。
「返すがいい」
「何故ですか?」
「彼女はスパルタ王の妻だ」
 彼はまず弟に対して道理を語った。
「そなたは別の妻を手に入れろ。彼女だけはならん」
「ですがアフロディーテ神に告げられたことなので」
「ではヘラ神かアテナ神の言葉に従え」
 三柱の女神のお告げのことは彼も知っていた。だからこそ今ここで弟に対して言うのだった。彼とてもヘレネを見ていないわけではなかったがそれよりも道理を優先させたのである。
「よいな」
「ですが兄上」
 パリスはそれでも言う。
「私は元々アフロディーテ神の信者ですので」
「逆らえぬというのだな」
「そうです。それではです」
 パリスとて愚かではない。彼もまた一つ提案を出して来た。
「彼女には指一本触れません」
「指一本か」
「今までもそうでした」
 不思議な所で道理を守る男ではある。
「ですからこれからも」
「そのうえでの妻か」
「これならどうでしょうか」
 あらためて兄に対して問う。優美な外見の己とは違い長身で逞しく雄々しい美貌を持つ兄に対して。へクトールはトロイアの次の王であると共にトロイアきっての英雄なのである。
「彼女には一切何もせずトロイアの賓客として扱うということで」
「ならばそうするがいい」
 これ以上の説得は無理だと悟ったヘクトールはこう弟に告げた。
「それで御前が満足するのならな」
「有り難き御言葉」
「だが。彼女が何かわかっているな」
「ギリシア一の美女です」
 パリスはこう答えた。だがもう一つのこともわかっていた。
「そしてスパルタの王妃です」
「スパルタ王はギリシアの盟主アガメムノンの弟」
 スパルタはこの頃からギリシアきっての尚武の国だったがそれだけではないのだ。王はギリシアの盟主アガメムノンの弟でありそれに。
「そしてギリシアがヘレネに対しての誓いがある」
 これはパリスには聞こえないようにして呟いた。
「戦争になるか。ギリシアとの」
 彼はそのことを覚悟した。カサンドラの予言を信じてはいなかったが。そしてカサンドラの予言も彼の危惧も当たることになった。トロイアにギリシアの大軍が押し寄せて来たのだ。
「来た、やはり」
 カサンドラはトロイアの高い城壁の上からギリシアの大軍を見て呟く。大地を埋め尽くさんばかりのその大軍はそこに見えるだけで全てを圧してしまいそうだった。
 
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