剣の丘に花は咲く
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第十三章 聖国の世界扉
プロローグ 動き出す者
前書き
さて、彼女は誰でしょうか?
「―――っ、やっぱり駄目ね」
古びた燭台に灯る蝋燭の煙が薄く煙る部屋の中で、苦渋に満ちた女の声が響いた。
暗い部屋の中―――唯一の明かりである蝋燭に灯った炎が揺れ、炎に照らされた女のスラリとした影が壁に浮かぶ。
苦悩するように自身の額に手を当てながら、女は頑丈そうなオーク調の机に寄りかかる。女が寄りかかった机の上には、複雑な魔法陣が描かれた羊皮紙と砕けた宝石が散らばっていた
。宝石は細かく砂のように砕けていたが、元々の品質が良かったのか、か細い蝋燭の明かりを受け、碧に朱に黄に鮮やかに輝いている。
「生きているのは間違いない……それは―――分かっている」
ぎりっ、と爪を噛んだ女は、小さく頭を振ると、気持ちを切り替えるように大きく溜め息を吐いた。
「―――だけど、何処にいるのかが分からない」
乱雑に頭が振られるのに合わせ、女の長い髪がサラリ、と絹糸のような涼やかな音を立てる。蝋燭の微かな光に照らされた腰まである長い髪が、夜空に輝く星のように美しく煌く。世
の女性が嫉妬と憧れの視線を向けるだろうその美しい髪を、しかし女は全く頓着することなく苛立たしげに乱雑にかき上げた。
「っはぁ~~~全くあいつは、一体どれだけ私に心配を掛けさせるのよ」
苛立たちを現すように、指で机の上に描かれた魔法陣を叩きながら女は吐き捨てるように愚痴をこぼす。
「ったく、元々こう言うのはこっちの領分じゃないのよ。それを密教の術式を、無理矢理こちら側に置き換えてまでやったてのに―――ああっ! もうっ!! 貴重な宝石を一体いくつ使ったと思ってるのよっ!! 立川のあの小娘っ、まさかとは思うけどデタラメ教えたんじゃないわよねッ!」
女が先程まで行使しようとしていたものは、“遠見”の魔術であった。それ程難易は高くはない魔術ではあるのだが、しかし、それは対象者のいる場所が分かっている場合の話である。相手が何処にいるのか全く不明な場合はその限りではない。しかも、その相手と言うのが、そう言った追跡系の魔術の妨害するための物も持っていることもあり、難易度は一気に跳ね上がっていた。そのためか、女は直接相手を見つけるのではなく、間接的に見つける方法はないかと、こう言った失せ物系に強い東洋の魔術系統―――所謂呪術的なものであるのだが、それを自分なりにアレンジし、組み込んでは見たものの……やはり畑違いの魔術系統だることからか、上手く作動しなかったのである。
「しかも―――しかも、いくら上手くいかなかったとは言え、とっておきの宝石を勢いで使っちゃうなんてっ……いくらなんでも馬鹿でしょ私……ああ、もう死にたい……」
焦りと苛立ちの余り、その場のノリとでとっておきの宝石を使ってしまった女は、その無駄になってしまった被害金額を思い起こし自分で言いながら落ち込んできたのか、がくり、と力なく床に崩れ折れた。机の上に頬を当て、薄く開いた口から魂が抜け出たような顔をしながら、女は力なく自分が今いる場所を見回した。
狭い部屋であり、工房としても良いものではない。
自分の本来の工房に比べれば、設備の面で言っても、防衛の面で言っても天と地ほどの差がある。
魔術を行使するならば、工房の質が上である自分の屋敷でやった方が良いに決まっている。しかし、それが分かっていながら、ここで行ったのは何故か……。
もしかしたら、あいつがまた、何時ものようにふらっと帰ってくるのを期待しているからでは……。
―――妹と同じように。
ちゃんと寝ているのだろうか……もしかしたら、また、あの土蔵にいるのではないのか。
この間みたいに、あそこでまた一人……寝てしまっているのでは。
まだ風邪を引くような時期ではないが、あそこは冷える。寝る前に確認しておく必要があるわね、と、女は膝に力を込めて立ち上がりながら思う。
あいつがいなくなって。もう三ヶ月。今までそれくらい姿を見せなかったことは何度となくあるため、珍しいわけじゃない。
しかし、どうも嫌な予感がする。
気持ちを入れ替えるように頭を軽く振った女は、踵を返し机に背を向けると、可愛い妹がちゃんと自分の部屋で寝ているのか確かめてから、気分転換に紅茶でも飲もうかと考えつつ、ドアへと向かって歩き出した。
「そう言えばあの子、最近何か調子が悪そうだったわね。風邪じゃなければいいんだけど……」
時間は深夜と言っていい時間である。日が落ちてからが本番の魔術師だからと言っても人間である。夜になれば眠い。初めて使う術式による緊張から解き放たれた開放感と、疲労感もあって、女は欠伸を噛み殺しながら、ドアノブへと手を伸ばし―――。
「―――ッ!?」
―――寸前、勢い良く背後を振り返った。
「……」
部屋の中を見渡す。
「…………」
先程と何も変わりはしない。
だが―――違う。
何かが―――違う。
ゆっくりと、女の視線が部屋をなぞるように動く。
壁―――本棚―――ベッド―――天井―――机―――視線がピタリと止まる。
「―――うそ……成功してた?」
信じられないものでも見たかのように目を見開いた女だが、直ぐに気を取り直すと机へに向かって駆け寄っていく。ドタバタと慌ただしげに駆け寄るその姿に、家訓である“常に優雅たれ”と言う姿は何処にも見受けられない。バンっ! と音を立てて机に両手を置いた女は、睨み殺さんばかりの視線で机上にある魔法陣が描かれた羊皮紙と砕けた宝石を見下ろす。
「ふ……ふふ……流石私ね。そう、この私がそうそう失敗する筈がないのよ―――っ!」
女の見下ろす先、羊皮紙に描かれた複雑な魔法陣と、その周辺に散らばる砕けた宝石がドロリと溶け出す。魔法陣を描いていたインクの黒と、砕け砂になった宝石の鮮やかな色が、女の眼下で混ざり合う。ゆっくりと複雑な輝きを見せていたソレは、時間が経つにつれ、次第に銀色に統一されていき、最終的には机の上に手鏡程度の大きさの銀色に輝く鏡ようなものが出来上がった。
水銀で出来たかのようなその鏡のようなものを、女は期待した視線で見つめる。
「さあ……私に見せなさい―――最低でも三百万の仕事はしなさいよね―――っ」
脅すような声を女は鏡に向けて放つ。その脅しに屈したのか、銀に輝く鏡のようなソレの表面に、水滴が落ちた水面のような波紋が広がる。一つ、二つ、三つ……時間と共にその頻度は多くなり、もはや波の形のアートのようなモノとなる。もしや失敗? と女の顔が奇妙に歪みかけた時、スッ、と音もなくソレの上に広がる波が収まった。
か細い安堵の息を吐いた女が見つめる中、ソレはゆっくりと銀色に輝き始める。
輝きは強まる一方で、目も開けられない程の輝きを見せるソレに、女は手で自分の目を覆う。
「―――ッ!?」
輝きを増し続けるソレは、部屋を真っ白に染め上げるまでその光を強めると、唐突に輝きを消してしまう。
しぱしぱと何度も目を開けたり閉じたりしながら、女は眩む目を回復させつつソレを見下ろし―――、
「…………はぁ?」
―――呆れたような声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って。何でこんなのが映ってるのよ? って言うか何、これ? えっと、もしかして……“こすぷれ”ってやつ? でも……何でドレス? うわっ、派手な服……どこぞの教皇様じゃないんだから……って、何か普通に高そうな……いやまさか……いやいやいやいや、ない―――ないわねそれだけは。じゃあ、ここは……って言うか肝心のアイツは何処よ。アイツが映らないと意味ないじゃない? まさか失敗……ちょ、ちょっと待って、待ちなさい―――三百万―――っ!! 三百万も使ってコレ? うっかりってレベルじゃないわよっ!! ここまで期待させて間違いでしたじゃ許さないわよッ!!?」
女が怒り(理不尽)にまかせ机を拳で打ち付ける。しかし、女の細腕でいくら打ちつけようともオーク材で出来た頑丈な机はビクとも―――ミシリ、と危険な音が拳の下の机から響き、机の上にある蝋燭立てやら本やらが一瞬宙を浮きバタリと倒れた。奇妙な光景を映し出す銀色に輝くソレも、大きく波打ち波紋が全体的に広がる。
「あっ!? ちょ、待ちなさい! 消えるな! このまま消えたらゲテモノの召喚の触媒に使うわよっ!! いいの!? 変な触手やら蟲やらの召喚の触媒に使われて!? いやだったらちゃんと仕事しなさいッ!!?」
再度女の拳が振り下ろされ、机が先程よりも大きく振動する。横倒しになった蝋燭立てや倒れた本が、机の上から避難するように床に落ちていく。銀のソレも大きく波打ちと、怯えたようにフルフルと震え始め―――微かに光り始めた。
「……あ」
苛立ちと怒りで釣り上がっていた女の目がゆっくりと大きく見開かれていく。
「―――いた」
唇を震わせながら、微かに震える声で女は少し濡れた声で呟く。
視線の先―――淡く銀に輝く鏡のようなソレ。
そこに、女が探し続けていた男の姿が映っていた。
「何よ……やっぱり生きてるじゃない……元気そうで……全く、心配かけ―――あれ?」
目尻に滲んだ涙を指で拭いながら微笑んでいた女だが、不意に訝しげな顔になると目を細めここではない何処かを映し出すソレを注視する。
「ちょっと、待って……まさか……」
バンっ、と音を立てながら机の上に広がる鏡のようなソレを挟み込むように手を着いた女は、ぎりぎりと顔を寄せソレに映る男の横を見る。
そこには―――。
「また、なの……―――ッッこのッ! 人にこれだけ心配かけさせてっ!! その間にあんたはまた女を作ってッ!! しかもこんな小さ―――……え? ちょっと待って。ほんとに小さい……は? ちょ、本当にいくつなのよこの―――……え?」
鏡のようなソレに映った男の隣に、男に縋るように立つ少女を見つけ、怒声のような悲鳴のような声を上げながら頭をかき乱しながら苦悩していた女だったが、唐突にその動きを止めると大きく目を見開く。女は何か信じられないものでも見るかのように、見開いた目でじっと銀色に輝く鏡のようなソレを見つめ続ける。
「………………………………」
見開かれた目が段々と細まり、女の目が閉じられる。先程までと一転して、女は恐ろしいまでに真剣な顔付きで考え込み始めた。頭痛を堪えるように額に置かれた手の下には、深い懊悩を見せるように深い皺が刻まれていた。
「………………………………………………………………?」
思考に没頭していた女だったが、ふと自分を見つめる何者かの視線を感じ取り、額に当てていた手を離し顔を上げる。慎重に部屋の中を見渡す女。
誰?
覗かれている?
窓……ドア……は閉まってる。
防壁は……破られていない。
じゃあ……。
女の思考が高速で動き、視線の正体を暴こうとする。
だが、分からない。
女が再度思考に没頭しようとした瞬間、目の端に机の上に広がるソレを捉える。正確には、ソレに映し出される“何処かの映像”を。
「まさか……通じているの?」
それに気付いた女が、慌てて机に駆け寄る。女がソレを見下ろすと、映し出される男と視線が合った。
「やっぱり―――!! 通じてる! って、ちょ、はぁ?! 何隠れようとしてんのよアンタはっ!? 待ちなさいっ、待って! 待てコラッ!!」
映し出される映像の中で男がこそこそと逃げ出そうとする姿を見とがめた女が、先程のシリアスな雰囲気は何処へ行ったのやら、優雅も欠片もない様相で噛み付かんばかりに怒声を張り上げている。すると、それが切っ掛けではないだろうが、タイミング良く映像を映し出すソレが段々と小さくなっていく。女はそれを何とか止めようとするが、甲斐なくゆっくりとそれは小さくなっていく。
「待て!! 逃げんなこのっ! このまま消えたらあんたまた実験に協力させるわよ! いいの!? また高度六百メートルから何の装備もなしでフリーダイビングする羽目になってもッ!!?」
男の意思でこうしているわけでなく、更に言えば逃げているわけではないため、かなり理不尽な事を言われているが、幸か不幸か音声は向こうには通じないようであった。
握り拳程度の大きさにまでソレが縮むと、女はそれに顔を近づけ声を張り上げた。
「ちょっとッ! 聞いてんのッ! って言うか、アンタなんでそんなところにいるのよッ!? アンタちゃんと分かってんの、そこは―――ッ」
女の最後の言葉が形になる直前、銀色のソレは跡形もなく消滅してしまう。顔を上げた女は、消えてしまった銀色のソレがあった机の前で、暫くの閒目を瞑りじっと何か考えを巡らしていた。少しずつ目を開けた女は、机の上に手を置き何やら呟くと、机の一番下の引出しの取っ手を掴む。引き出しを開けると、中には古びた、しかし頑丈そうな木箱が入っていた。木箱の蓋には南京錠のような鍵と、その上に複雑な魔法陣が描かれた紙が貼られていた。物理的、魔術的に硬く封のされたソレを解除した女は、中に保管されていたものを取り出すと、壁に掛けていた赤いコートを掴む。ドアへと向かって歩きながら手にとった赤いコートを羽織ると、ドアノブに手を差し出し―――。
「……昔から目を離した隙にあちこち行く奴だったけど」
肩越しに振り返り部屋の中を見渡した女は、先程まで奇妙な映像を映し出していた銀色の何かがあった机の上を見つめる。その顔には笑っているような、呆れているような顔が浮かんでいた。
「まさか―――あんな所にまで行くとは…………ね」
顔を前に戻し、ドアを開け放ち部屋の外へと出た女は、扉が閉まる直前―――ポツリと呟いた。
「―――Das Danebengehen von Verbindung……か」
後書き
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