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愛は勝つ

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第七章


第七章

 ある日彼はまた若菜と一緒にいた。図書室からの帰り道二人並んで夕焼けの道を歩いていた。その時はまだ気付いてはいなかった。
「今日ね」
 若菜はその夕焼けの道の中で尚志に顔を向けてきた。
「読んだ本だけれど」
「ああ、あれね」
 尚志はその言葉に頷いて述べてきた。
「武者小路実篤の」
「棘まで美し、あれよかったわよね」
「うん」
 彼はその言葉に応えてきた。
「何か最後はね。読んで綺麗な気持ちになれるよね」
「そうね」
 若菜もその言葉にまた頷いてきた。
「綺麗に収まっていて」
「武者小路実篤の恋愛ものってね。綺麗だから好きなんだよ」
「私も」
「そうなの?」
「ええ。理由は松本君と同じ」
 そう述べてきた。にこりと笑ってきていた。
「綺麗だし。心の描写とか」
「同じなんだ」
 その言葉を聞いて何か嬉しそうだった。その嬉しさが自然に噛み締められる。彼の心の中で噛み締めたものが微妙に変化しはじめていた。
「僕と」
「そうね。同じよ」
 若菜は尚志のその言葉に頷く。
「同じなんだ」
 またその言葉を言う。自分の言葉の響きが微妙に心の中でシンクロする。シンクロしていたのは自分の心の中だけだった。しかしそれはもう止まらなかった。
「また読みたいよね」
「うん」
 その言葉にこくりと頷く。それからすぐに呟いてきた。
「二人で」
「そうね、二人で」
 若菜も言った。
「読んでいこうね」
「わかったよ。じゃあまた明日から」
「ええ。宜しくね」
 これがはじまりだった。小説を通じての若菜との交流が心と心の触れ合いになった。尚志はその触れ合いを止めることはできなかった。そのまま深く、深く入っていく。そのうちに彼は彼女のことばかり思うようになったのだ。
 若菜と話していても次第に小説より彼女の方に向かうようになっていた。それはやり取りにも出てきていた。
「ねえ矢吹さんさ」
「何?」
「たまには。他の場所で本読んでみない?」
「他の場所って?」
「そう。例えばね」
 それに応えて述べる。思い付きが言葉のはじまりだったがそれでも動きはじめた。
「公園とかじゃ。駄目かな」
「急にどうしたのよ」
 尚志のその言葉にくすりと笑ってきた。
「公園で読書って」
「駄目かな」
 若菜の目を見て問う。
「それじゃあ」
「いえ、いいけど」
 しかし若菜の返事は意外なものだった。少なくとも尚志にとっては思いがけない言葉だった。
「いいの?」
「ええ、いいわよ」
 にこりと笑って答える。
「だって。たまには気分転換になるわよね」
「そうだよ。だから」
 若菜の言葉に乗って少し慌てたような言葉で言う。
「いいよね。それじゃあ本は」
「武者小路実篤よね」
「うん、他には」
 何か嬉しい気持ちになって他の本も探す。自分でもはしゃいでいるとわかる程気持ちがのっていたのだった。
「鴎外もね」
「そうね。雁とか」
 切ない失恋の話だ。これも鴎外自身の話であるという。
「一緒に持って行きましょう」
「うん」
 選んだのは恋愛小説ばかりだった。それはある程度意識していた。それを自分でもわかっていたから余計に気持ちが乗っていたのだった。
 その気持ちは続いた。彼はさらに若菜が好きになってきた。その気持ちを抑えることができなくなり彼女との心の通い合いを続けていった。
 そうしているうちにまた彼女を好きになる。彼女もそうだった。段々と尚志の側にいるのが楽しくなってきていたのである。二人の仲は進んでいく。
 二人でいないと心が落ち着かなくなり二人だと落ち着く。図書室だけでなく教室や他の場所でも。二人の関係はもうクラスメイトはおろか学校中の話題となっていた。真はそれを見てまた彼と校舎裏で話をした。
「前言ったけれどな」
「矢吹さんのことだよね」
「そうだよ。いいんだな」
「いいよ」
 尚志は思い詰めた顔で彼に答えた。
「僕は矢吹さんが好きだ。もうそれを隠せなくなったんだ」
「そんなにか。何があってもいいんだな」
「うん」
 思い詰めた顔から強い顔になった。決意の顔だった。その顔で答える。
「矢吹さんのお父さんのことでしょ?言いたいのは」
「ああ。前に言ったよな」
 真はそのことをあらためて言ってきた。彼女の父親のことはもう誰でも知っている。知っているからこそ誰も若菜と付き合おうとしないのだ。
「それでもか」
「それは最初からわかってるよ」
 尚志は言葉を返してきた。
「だけれど」
「勝てるのか?」
「無理だね」
 はっきりと答えることができた。彼は青白い若者に過ぎない。それに対して彼女の父親は武道の達人だ。とても適う相手ではない。そもそも尚志は喧嘩ができないのだ。だから本が好きだという側面もあるのだ。
「普通にやって勝てる相手じゃないよ」
「そうだ。彼女と付き合うのは無理だぞ」
「いや、それでも」
 尚志は言う。
「僕は矢吹さんが好きなんだ。だから」
「怪我で済まないかも知れないのにか」
「わかった」
 そこまで聞いたうえで頷いた。真はもう彼を止めるつもりはなかった。
「それならな。好きなようにしろ」
「そうさせてもらうよ。色々と考えたけれど」
「決意は固いか」
「怪我をしてもどうなってもいい」
 こうまで言ってきた。40
「それでも僕は」
 彼は迷いはなかった。迷いはなく一途に向かうだけだった。そのことを若菜にも言う。若菜はそれを聞いても驚きはしなかった。けれど言うのだった。
 
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