愛は勝つ
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第十二章
第十二章
「それでどうなったんだ?」
暫く経ってから真が教室で尚志に声をかけてきた。
「傷とかないところ見ると無事だったんだな」
「うん」
尚志は彼に答える。にこりと笑っていた。
「実はさ。矢吹さんのお父さんと話をしてね」
「話したのか」
「そうだよ。それでね」
にこりとした笑みが続く。その顔から何があったのかわかる。
「矢吹さんと付き合っていいってさ」
「奇跡だな」
その言葉を聞いた真の最初の言葉だった。
「まさかとは思ったが。本当にそうなるなんてな」
「僕もまだ驚いてるんだよ」
尚志もそう述べる。実際にその顔には少し驚きが見られる。
「勝負することもなかったし。武道の心がわかってるって言われて」
「それで矢吹さんと付き合うことになったのか」
「うん。ただ」
「ただ。どうした?」
「困ったことが一つできたんだ」
真にそう述べる。その困ったことが何なのか真はいぶかしんで首をかしげさせる。尚志はそんな彼に対してまた述べてきた。
「何だ、それは」
「ほら、矢吹さんのお父さんって格闘家じゃない」
それを言ってきた。困った顔をして。
「だからさ。武道の稽古もすることになって」
「武道のか」
「矢吹さんと付き合う為の絶対条件だって言うんだよ」
これは人によってはかなり厳しい条件であることは言うまでもない。ましてや青白い文学青年でしかない彼にとっては洒落にならない程過酷なことだ。だから困っているのである。
「心だけでなく身体も強くなることがね」
「身体もか」
尚志の心を認めたうえでのことで今度は彼の身体を強くさせようというのだ。どうやら心身共にというものらしい。それがはっきりとわかる。
「そうなんだ。おかげでね」
困った顔から困り果てた顔になる。その表情が一つや二つの言葉よりも雄弁に今の彼の心境を物語っていたのであった。
「最近かなり辛くて」
「いいことじゃないか」
しかし真はそう彼に言う。
「頭ばかりじゃ駄目だからな、やっぱり」
「君もそんなこと言うんだ」
困り果てた顔がさらに困ったものになる。この上なく困っている顔と言うべきだろうか。
「物凄く辛いのに」
「辛いからいいんだよ」
真はそう彼に述べる。
「まあ御前なら大丈夫だ」
そしてまた彼に告げてきた。
「絶対にな」
「何でそう言えるの?」
尚志はそのこの上なく困っている顔で真に問う。彼には今一つ自信がないようであった。どうやらかなり辛いようである。それもやはり顔からわかる。
「物凄く厳しいのに」
「矢吹さんが好きなんだろ?」
真は尚志に問うてきた。
「何があっても」
「うん」
その言葉にこくりと頷く。
「そうだよ、ずっと一緒になりたい」
それをはっきりと述べてきた。
「何があっても」
「今自分で言ったな」
真は今の彼の言葉を指摘してきた。
「何があってもって」
「あっ」
言われてそのことに気付いた。彼は確かに今何があっても、と言った。このことこそが彼の決意であったのだ。それを自分でも言ったのであった。
「そういうことだな」
「そうだね」
自分の言葉に対して頷いた。
「わかったよ。それじゃあ武道もやるよ」
「それに案外いいかもな」
「身体も強くなるから?」
「そうさ。他人のことだからって言われるかも知れないけれどな」
真はそう前置きしたうえでまた言ってきた。
「文武両道って言うじゃないか」
「文武両道かあ」
「そうさ、だからだよ。いいと思うぜ」
彼はまた述べた。
「御前は頭と心はあるしな。後は身体だよ」
「身体かあ」
「三島由紀夫だったか」
彼もこの名前を出してきた。若菜の父が好きなその作家だ。何故か若菜が関係する話は三島がよく出て来るものだと内心思っていたりもする。
「あの人だって最初は青白い青年だったよな」
「途中から剣道とかボディビルやってね」
そうして己を鍛え上げて身体も強くしていったのだ。最初は痩せた顔立ちであったのが逞しく男らしい顔になったのである。人は変わるということの一例でもある。彼は現代の武士を目指していたとも言われている。
「そうなったんだよね」
「御前もそうなってみるか?」
真は言ってきた。
「彼女の為にも」
「そうだね」
あらためて頷いてきた。
「それなら」
「よし、じゃあこれで決まりだな」
真は気持ちがいいまでのはっきりとした言葉を尚志にかけてきた。
「頑張れよ、応援しているからな」
「有り難う」
「松本君」
ここで若菜の声がした。
「矢吹さん?」
「ちょっとこっちへ来て」
声がした方を向くと若菜がにこりと笑って立っていた。そのうえで手招きをしていた。
「潮騒買ったんだけれど」
その三島の代表作の一つである。気持ちのいい恋愛小説である。実は三島は恋愛小説を得意としていた。昭和の武士は意外と恋愛が好きだったのだ。
「読んでみない?」
「いいね、それ」
笑顔で彼女の誘いに応える。
「それじゃあ」
「ええ」
「ちょっと御免」
彼は真に顔を向けて言ってきた。
「悪いけれど」
「あ、行けよ」
真はそんな彼を笑顔で送り出す。
「俺は漫画でも読んでるからな」
「うん、それじゃあ」
彼はそのまま若菜の方へ行った。真は楽しく話をはじめた二人を見ながら本当に机の中から漫画を取り出した。週刊の漫画雑誌であった。
それを開きながら尚志達を見る。そのうえで一人呟く。
「愛は勝つってやつかな、どんな苦労にも」
何となく自分もそれをしてみたかった。今自分の前でにこやかに話をする二人を見てそう思った。そう思わせるものが二人にはあったからだ。
愛は勝つ 完
2007・3・24
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