雲は遠くて
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2章 MY LOVE SONG
東京都世田谷区にある下北沢駅は、
小田急線と京王井の頭線の
ふたつの私鉄が立体交差していて、上を京王井の頭線が走る。
改札口は南口と北口が小田急電鉄、西口は京王電鉄が管理する。
利用状況は、どちらも、1日平均乗降人員が、10万人を超えている。
大学2年、19歳の清原美樹の実家は、下北沢駅よりも、
南に位置する、京王井の頭線の池ノ上駅に近かった。
7月の土曜日であった。
店舗や家屋が立ち並ぶ、一方通行の、都道420号の、
曲がり角にあるセブン・イレブンで、
美樹は、信也のクルマを待っている。
午前10時の待ち合わせだった。
梅雨も明けて、一日天気も良さそうで、
気温も上昇しそうだった。
美樹は、半そでのブラウスと、フレア・スカートで、
涼しげな服装であった。
ベージュ・ブラウンに、かるく染めていた
肩にかかりそうな髪をグラデーション・ボブふうに
カットしたばかりだった。
美樹は、セブン・イレブンの店内で雑誌をめくりながら、
信也のクルマの到着を待った。
信也は大学1年のときに、自分でバイトをして買った、
中古の軽のスズキ・ワゴンRに乗っていた。
美樹のほとんど目の前のガラス越しに、見慣れた、
美樹にしたら、切つないような、
懐かしさがこみあげてくる、
淡いグリーンのクルマが、しずかに停車する。
都道420号沿いの、このセブン・イレブンに駐車場はなかった。
手にしていた雑誌をもとの位置にもどすと、美樹はすばやく店を出る。
「しんちゃん、7分も前に到着よ。
社会人になると、時間に厳しくなるのかしら。すばらしいわ」
美樹はそういって、信也のとなりに座りながら、わらった。
「美樹さまの、いきなり、お褒めの言葉ですか。
美樹ちゃんを待たせて、怒らせたら、大変ですからね」
信也もわらった。信也は、内心、少し、あせっていた。
ひさしぶりに、間近で聴いた美樹の声に、
心臓の心拍数が微妙に上昇しているのを感じたのだった。
信也はバック・ミラーに後続車が近づいているので、
すぐにクルマを走らせた。
「えーと、美樹ちゃんの家までは・・・」
「うん、この先の十字路を左折してください」
「美樹ちゃんちに行くのって初めてだよね。
ご両親は、お家にいるのかな」
「いるわよ。しんちゃんに会えるのを、
とても楽しみにしているみたいだわよ」
「えー、なんか、そういうの苦手だなあ」
「だいじょうぶよ、さっさと、クルマを置いたら、
公園に行くわよ。
時間がないんだから、邪魔者は、必要ないし」
「美樹ちゃんに、お任せしますよ。ご両親には、
うまく、紹介してください」
「はい、はい。うまく紹介させていただきますわよ。
川口信也さんは、大学の先輩で、
大学公認のバンド・サークルのミュージック・ファン・クラブ
(通称 MFC)に誘ってくださった、
大切な恩人なんです、なんてね」
「そうそう、いま、特に仲良くさせてもらっている男性なんです、
ってことも、お話ししようかしら・・・」
美樹はわらった。信也もわらった。
去年、2011年の春に、大学に入学して、
美樹は学生証の交付も受けた。
しかし、3月11日の、東北の太平洋沖地震等による災害や、
おさまらない余震や、計画停電による交通機関の混乱などから、
2011年度の入学式は、すべて中止となったのであった。
そんな混乱の中であったが、大学4年になった信也は、美樹を見つけて、
熱心に、バンド・サークルのMFCに、誘ったのであった。
小学2年のころからピアノを習っていた美樹は、
キーボードが弾けた。
シャキーラ(Shakira)という呼び名で親しまれている、
1977年2月生まれの、コロンビアのラテン・ポップ・シンガー・ソングライターを、
美樹はコーピーして、歌うこともあった。
南米独特の明るいリズムやメロディを持つシャキーラは、
目標にするくらいに、美樹は中学生のころから好きだった。
そんな美樹だから、男女あわせて70人ほどもいるバンド・サークルでも、
すぐに注目された。
美樹を、意識する男子学生が何人もいることも、ごく自然な感じであった。
信也が、彼の好きな椎名林檎に何となく似ている美樹を、
意識しないわけがなかった。
しかし、サークルの仲間同士で、女子学生の獲得競争に
なるようなことは、ばかばかしくてやってられないと、信也は思うのだった。
『そんな獲得競争、恋愛競争なら、おれは、いち抜ける、やめるよ・・・』
信也はそう決めたのだった。
そんな自分の判断に、自分の本当の心に、誠実ではない、
素直ではないんじゃないかと、思って、迷うときも、なんどもあった。
そんなときは、たまたま読んで、強烈に印象に残っている、
ロシアの文豪・ドストエフスキーの小説
『地下室の手記』の主人公が語る
「苦痛は快楽である」という言葉を思い出したりした。
その言葉は、逆転したテーゼ(肯定的判断)ともいえるわけで、信也は、
なるほど、ドストエフスキーは、現代作家にも影響の深いといわれるし、
偉大な作家なんだなあと、感心するのだった。
しかし、そんな信也を見ていて、どこか子どもっぽいと、
美樹は感じるのであった。
そして、好感や親しみも深まってゆき、美樹の信也に対する呼びかたも、
川口先輩とか、信也さんとかから、
しんちゃんになっていたのであった。
「どうして、最近、おれって『しんちゃん』になったんだよ」
あるとき、信也がわらいながら、美樹に聞いた。
「だって、信也さん、私の好きな『クレヨンしんちゃん』と
どこか、かぶるんだもん」
そういって、美樹は悪戯っぽく、ほほえんだ。
「おれも『クレヨンしんちゃん』好きなほうだから、まあ、いいけど。
でも、どうせなら、『ワン・ピ-ス(ONE PIECE)』の
ルフィが好きだから、ルフィとかフィルちゃんとか呼んでくれたらいいのに」
そういうと信也は、何がおかしかったのか、腹を抱えるほど、わらった。
美樹が呼び始めた『しんちゃん』は、たちまち、みんなに広まった。
美樹は家の駐車場に、信也のスズキ・ワゴンRを停めさせた。
家にいる両親を外に呼び出して、美樹は信也を紹介した。
母親は、「美樹も、よく、川口さんのことは話してくれています。
私どもも、川口さんなら安心と思っているんです。
これからもよろしくお願いします」といって、ほほえんだ。
「家でゆっくりしていってください」と父親もいった。
信也は「こちらこそよろしくお願いします」といって、
深々と頭を下げた。
「きょうは時間がないから、またね」と美樹はいうと、
信也の手を引っ張って、ふたりは、
都立駒場公園へと、早足で向かうのであった。
高校や東大の研究センターの横道を抜けると、
歩いて、15分ほどで、
広い芝生や樹の生い茂る駒場公園だった。
「このへんにも、いい公園があるんだって、
しんちゃんに見せたかったのよ」と美樹が信也に話す。
「本当だ。立派な公園だね」
「あれが日本近代文学館よ」と、美樹は、グレーの
コンクリート造りの建物を指さした。
「あっちの建物は、前田侯爵邸とかいって、
100年くらい前に建てられて、当時は、
東洋一の邸宅と、うたわれたんだって」
「そうなんだ。あとで行ってみよう」
信也はポケットから、アップルの携帯型デジタル
音楽プレイヤーのアイポッド(iPod)を出した。
「おれ、美樹ちゃんのことをイメージして、
歌を作ったんだ。
それをギターの弾き語りで、
これに入れてきたんだけど、
ちょっと聴いてもらえるかな。
タイトルは、迷ったんだけど、
『MY LOVE SONG』にしたんだ」
木陰のベンチに座って、
少し照れながら、
時々、美樹の澄んできれいな目を見ながら、
信也はそういった。
かなり、驚いたらしく美樹は、
一瞬、言葉が出なかったが、
頬を紅らめながら、
「うれしいわ。光栄だし。ぜひ聴かせて」といった。
アイポッドから、切れのいいカッティングの
アコースティック・ギターのイントロが流れて、
その弦の音によく合う、信也の硬質で乾いた歌声が
聴こえてきた。歌の調子はアップテンポのブルースであった。
歌が終わるころ、美樹の目には涙が光った。
信也も目頭が熱くなった。信也は、美樹をやさしく抱きしめた。
そして信也は決心をした。
美樹のためにも、この東京でやっていこうと。
純たちと、ライブハウスやバンドをやっていこうと。
≪ MY LOVE SONG ≫
こんなに 夕日が きれいなのは
きっと みんなへの 贈り物なんだろうね
こんなに 世界が きれいなのは
きっと みんなへの 贈り物なんだろうね
あんなに あの娘が きれいなのは
きっと みんなへの 贈り物なんだろうね
なのに なにを 悩んでいるんだろう
自由に 選んできた この道なのに
なのに なにを 戦っているのだろう
自由に 選んできた この道なのに
なんで 強く 生きられないのだろう
自由に 選んできた この道なのに
なんで あの娘を 抱きしめられないのだろう
自由に 選んできた この道なのに
Hoo、Hoo、MY LOVE SONG、LOVE IS ALL
(おお、おお、僕の愛の歌、愛こそすべて)
Hoo、Hoo、MY LOVE SONG、LOVE IS ALL
≪つづく≫
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