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その魂に祝福を

作者:玄月
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魔石の時代
第二章
  魔法使い達の狂騒劇3

 
前書き
夜這い編。あるいは湯けむり殺人事件(未遂)編。

 

 



『どうも、今のオマエは先代の記憶が強く影響してるようだな』
 ある時、相棒に告げられた事がある。今の自分には、先代――つまり、ジェフリー・リブロムの記憶が強く影響しているらしい。
 確かに、それはその通りかもしれない。彼の……いや、彼らが繋いできた希望を、その物語を受け継いだ自分にとってやはり原点は彼なのだ。もっとも、
『まぁ、まだオマエ自身の……かつてのオマエの物語なんてまだろくに始まってもいねえからってのもあるだろうがな』
 それもまた決事実である。一体自分が何を受け継いだのか。ようやくそれを理解したばかりだ。そして、自分の……かつての自分の物語は、むしろこれからだった。
『まぁ、確かに魔法使いが正義のための人殺しだったのは……少なくとも、そういう側面を持っていたのは、新世界でも変わらねえな。聖杯が砕かれたとはいえ、魔物化が一掃された訳でもねえ。何せ『奴ら』が世界のいたるところに派手に瘴気をばら撒いていったからな。残された傷痕はオリンピア戦争の比じゃねえ。それこそ、人間の魔物化すら誘発するほどだったんだ』
 魔物に対抗できるのは、魔法使いしかいない。特に大幅に文明を衰退させた新世界では、なおさらだった。放置すれば瞬く間に蹂躙される。そんな状況下で、救済に徹せる魔法使いばかりではなかったのは仕方がない事だろう。まして、アヴァロンもサンクチュアリもグリムもほぼ組織として機能していなかったのだから。特に、世界の終わりに際して早々に指導者を失ったアヴァロンとグリムは、世界の終わりを生き抜いた僅かな構成員の子孫達が何とかその名を伝えていた程度に過ぎない。
 実際のところ、かつての自分――牢に囚われる前の自分は、そんな組織が存在した事すら知らなかった。もっとも、当時自分がいた隠れ里に魔法使いがいればサンクチュアリの名前を聞く事くらいはできたかもしれないが。
 救済組織サンクチュアリ。世界の終わりを唯一生き残った魔法使い結社。
 ゴルロイス――エレインの生き様と理想は、新世界にも細々と、それでも確かに繋がっていた。彼女の残したその組織こそが、滅んだ世界の中でたった一つの希望だった。
 その彼女達のおかげで、新世界において魔法使いの地位は随分と好転していたが――それでも、魔物がいる限り、血塗れた宿命からは逃れられなかった。残された魔物達は世界の復興に大きな障害であり、世界が復興するにつれ、私欲に走る魔法使いも問題となった。また、さらに復興が進み、欲望を抱く余裕が生まれたると、今度は欲望に溺れ新たに魔物と化する人間も増えてきた。当初はサンクチュアリが取り締まっていたが……かの組織とてそれほどの規模があった訳ではない。組織が拡大していくより圧倒的に早く、脅威は膨れ上がった。
 結局、欲望に染まり魔物化する人間と、暴走する魔法使いに対する抑止力として戦闘に特化した魔法使いの組織――つまり秘密結社アヴァロンは復活した。それには自分も一枚噛んでいる。……らしい。まだはっきりと思い出せないが――あまり本意ではなかったように思える。理由は何であれ、折角生き残った人間同士で殺し合いをさせる事になるのだから。とはいえ、それでもアヴァロンを復活させないとならない程度には、新世界にも魔物の――あるいは魔法の脅威は残されていたらしい。まだはっきりと思い出せたわけでないが、組織が整うまで……あるいはその後も、自分はその最前線にいたはずだ。
 だから、自分にはアヴァロンの思想も根付いているのだ。あるいは、それこそが十三代目ペンドラゴンの遺志なのかもしれないが。
 もっとも。自分が被った代償を考えれば、アヴァロンの思想――魔法使いの掟になど従えるはずもない。もちろん、旧世界のアヴァロンほどその影響力は強くなかったが……それでも、自分は最初から生粋の掟破りだった。
『結局のところ先代の後継者だってことだよな』
 まぁ、確かに。恩師も大概変わり者ではあった。ついうっかり果物一つで借金王になってみたり、自分が所属する組織と敵対関係にある救済組織の指導者に気に入られてみたり、知人を助けるために、たった一人でもう一つの魔法結社の一つに喧嘩を売った事もあったのだから相当なものだ。簡単に思いかえすだけでこれだけの事があったのだから、概ね平穏とは程遠い生き方をしていた訳だが――常に選択と決断、それに伴う覚悟を要求される魔法使いらしい生き様だったのだろう。……残念な事に、彼の後継者である自分がその宿業も引き継いでいるのは疑いないようだが。




 フェイトから連絡があった場所に向かう途中で足を止め、夜気を吸い込む。澄み渡った夜空から、優しく清浄な月明かりが降り注ぐ。心地の良い夜だった。
(月明かり、か……)
 かつて自分が生まれ育った世界でも、月や星を心の拠り所とする集団がいた。とある地域に集まり細々と活動するその集団は、冷静に考えてみれば世界の終わりをも乗り越えた数少ない組織だった。今『故郷』がどうなっているかは分からないが、おそらくは今も生き残っているのではないだろうか。こうして夜空を見上げれば、そんな気がしてくる。
(綺麗なものだ)
 柄にもなくそんな事を思ってしまうほど、心地のいい夜だった。夜気を吸い込み、吐き出す――と、確かに魔力の拍動を感じた。心眼を使わずとも感じるほどの魔力。臨界は近い。全く、野暮な事だ。この美しい夜には眠るような静寂こそが相応しいというのに。
「急いだ方がいいな」
 足早に歩き出す。そろそろ妹も動き出すかもしれない。それどころか、恭也や忍、美由紀やノエル辺りまで出てくる可能性もある。あるいは士郎や――
(桃子が来たら、厄介かな?)
 その時点で、全てが終わる気がする。俺もリブロムも、何故だか彼女には頭が上がらないのだから。
「―――ッ!」
 右腕が疼く。暴走したジュエルシードが、どんな魔物を生み出すか知らないが――どうせなら殺しがいがある化物がいい。自分の呟きに、吐き気を覚えた。全く、この程度の衝動で魔物に成り下がった日には、恩師達に合わせる顔がない。
「フェイト」
「あ、光……。見て、ぎりぎりだけど暴走前に間に合ったよ」
 遊歩道の一角。そこを横切る清流の傍らで、フェイトが嬉しそうに笑った。その笑顔に後ろめたさを覚える程度には、まだ殺戮衝動が収まっていなかったが。
「そのようだな。こまめに探し回った甲斐がある」
 それは無視して、ジュエルシードを見上げる。中空に浮かぶその宝石は、魔力こそ撒き散らしているが、それだけだ。何の狂気も感じさせない。
(供物みたいだな……)
 力を引き出すもの次第という意味では、確かに似ているかもしれない。そんな考えに、ふと悪い虫が疼き始めた。孤独を飼い慣らすには必要なものだが――さすがにこの宝石を対象にするのはまずいだろう。下手をするとミイラ取りがミイラになりかねない。残念だが、今の自分には過ぎた力だ。
「邪魔が入る前に、さっさと封印してしまおう」
 今目の前に浮かんでいるジュエルシードがなくなったところで、フェイト達と出会う前に確保した三つのジュエルシードは今も俺が保有しているわけだが――それでも、未練を断ち切るような気分でフェイトを促す。
「うん」
 頷き、封印作業に入った途端、聞き慣れた声がした。
「光お兄ちゃん!」
 思ったより早い。というより、早すぎやしないか?――魔力が大気を揺るがし始めたのは、ものの数分前だ。予め探していなければ、到着できる訳がない。この二日間、隙を見ては探せそうな連中を監視してみたが、なのは達は明確な確信があってここに来ていたようには見えなかった。なのに、何故?
(偶然か。いや、待てよ……)
 ここ数日、なのはがいつも身につけている鞄は何だ? 一体何が入っている?――あの、ちょうど偽典リブロムが収まりそうな大きさの鞄には。
(あの野郎……)
 どうやら、妹を唆しているのは、あのネズミ野郎だけではないらしい。取りあえずありったけの呪詛を相棒に送っておく。そんなものを気にするような相棒でもないが。
「光さん! ジュエルシードを返してください!」
 なのはの足元には、件のネズミ野郎――ユーノがいた。つくづく運の無い奴だ。
 何も右腕が血を欲している今この時に姿を見せる事もないだろうに。
「お前との取引は破談している。自分の言い分だけ通そうってのは、いくらなんでも虫がよすぎやしないか?」
 殺意に黒々と輝くその右腕を突き出し、告げる。ネズミ一匹では満足できないだろうが――無いよりはいくらかマシだろう。
「違うよ! 私は自分でユーノ君に協力してるの!」
 自分達の間に立ちはだかり、叫んだのは――誰だった? この少女は誰だ?
(チッ……。厄介な)
 妹――なのはの声に、何とか正気に戻る。一瞬だが、完全に衝動に飲み込まれていたらしい。……いや、隙あらば今すぐにでもまた飲み込まれかねない。よくもまぁ、あの二人はこんなものをいつまでも抱えていられたものだ。改めて恩師と、彼の最初の相棒だった彼女に感心する。
(クソ、忌々しい……)
 見慣れた形に戻った自分の右腕を見やり、舌打ちする。いっそ右腕を斬り落としてしまおうか。どうせそのうち新しく生えてくるだろう。
(それじゃ意味がないか……)
 笑い出したい気分になった。ああ、全く。どうせなら暴走させておけばよかった。そうすれば、この衝動を満たすくらいはできただろうに。
「ごめん、なのは!」
「させるかい!」
 衝動に感けて、先手を許してしまったらしい。一瞬だけ視界が歪み――元に戻った時には、見慣れぬ場所にいた。
「空間転位、か……。芸達者な奴だ」
 いや、奴らというべきだろう。俺をここまで連れてきたのは、ユーノではない。
「アルフ……。お前なら、アイツくらい一人でどうにでもできただろ?」
 しまったとでも言いたげな気配を放つユーノを見やり、傍らのアルフに向かって呻く。
「今のアンタは何かヤバいからね。フェイトの傍に置いとく訳にゃいかない」
「……賢明な判断だ」
 今日のアルフは、いつになく冴えている。それに――ちょうどいいかもしれない。ここなら邪魔は入る事はない。獲物としては、正直取るに足らないが――
 再び黒々と輝きだしたその右腕を満足させる事くらいできるだろう。




「今のアンタは何かヤバいからね。フェイトの傍に置いとく訳にゃいかない」
 確かに、光をここに連れてきたのはアタシだったが――
(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい――ッ!)
 ひょっとしたら、とんでもない失敗をしでかしたのかもしれない。本能がひっきりなしに警鐘を掻きならす。
「……賢明な判断だ」
 ギラギラとした、まるで獣のような目。最初にあった夜など比べ物にならない殺気。黒々と燃え上がる魔力。殺したがっている。今すぐに。……そう、誰でもいいから。
≪アンタ、一体コイツにどんな酷いことしたんだい?≫
 温和とは少し違うかもしれないが――それでも、ここしばらくの間に、光の人となりはある程度理解していたつもりだった。だからこそ戸惑う。あまりの急変に、思わずネズミ――ジュエルシードを見つけたとか言う魔導師に念話を送っていた。
≪何もしてない! ……つもりなんだけど!≫
 こんなにもむき出しの殺気を叩きつけられれば、生きた心地などしないだろう。その魔導師は半泣きで返事を返してきた。だが、何もしてない事はないはずだ。そうでなければ、光が突然豹変した理由が分からない。
≪やっぱり、あの子を巻き込んだのは失敗だったんじゃないかい?≫
≪それは今たっぷり痛感してる!≫
 呑気に話していられたのは、そこまでだった。ついに光が――光の姿をした怪物が動き始める。一瞬で魔力が膨れ上がった。
「死ね」
 冷酷な宣告。それに従い、回転する五つの刃が一斉に魔導師に襲いかかる。
「待って! 光さん、話を聞いてください!」
 叫びながら、その魔導師は何とかその刃を回避する。的が小さいという事もあったのだろうが――いや、違う。この怪物は、そんなヘマはしない。
(遊んでるんだ……)
 肉食獣としての本能が、冷静に伝えてくる。殺す気なら、いつでも殺せる。その確信の元で、玩具にして遊んでいるにすぎない。ただの気まぐれで生かされているだけなのだから――ただの気まぐれで殺される。そして、その時が来るのは時間の問題だ。
「ああクソ! こういう場合アタシはどうすりゃいいんだい!?」
 あの魔導師を守った方がいいのだろうか。だが、今の光ならアタシも殺しかねない。それに、この魔導師がいなくなれば自分達の脅威は一つ減る。けれど、その為にコイツを人殺しにしていいものか。ここでコイツにあの魔導師を殺させれば、何か致命的に取り返しのつかない事になる。そんな直感があった。それは、管理局にいよいよ指名手配されるといったようなことではなく、もっと根本的は破滅だ。だけど、しかし、けれど――!
「ああああっ! 正気に戻れ、この大バカ野郎おおおぉっ!」
 様々な葛藤の中で、覚悟を決めて……というより、素直に自棄になって、光――だと思うその相手に殴りかかる。まぁ、正直に言えば、当たるとは思ってなかった。それどころか、掠るとも思えなかった。いや、それどころか――
(あ、こりゃ死んだね。アタシ……)
 それが本心だった。我ながらバカな事をしたもんだ――拳を放つ瞬間、そんな事すら思った。だが、
「ありゃ?」
 ガスッ――と、我ながら惚れ惚れするような手ごたえと共に、光の身体が吹き飛ぶ。今までとは別の意味で殺されそうな気がした。
「ああああああッ!? ちょっと待って! 話せばわかる! 冷静になろう!?」
 近くの木に叩きつけられられる光を見送りながら、悲鳴を上げていた。このままいくとリアルに湯けむり殺人事件に――というか、何か知らないうちに旅館の敷物が一枚増えてました的な血みどろ猟奇展開に!
「生きたままゆっくりじっくり皮を剥がされた挙句塩漬けにされるのは嫌あああッ?!」
「……お前、俺を何だと思ってるんだ?」
 脳裏に浮かび上がった未来図に悲鳴を上げていると、のろのろと光が身体を起こす。
「しかし、どうしたんだアルフ? 今日は随分と冴えているじゃないか」
「うううう……。偶然なんだよう。アタシだって当たるとは思わなかったんだ。だから、だから、御慈悲を……。皮を剥ぐ前にせめてとどめを……」
 地面に座り込み、慈悲を乞う。何か視界が滲んできた。
「皮なんて剥ぐか。もちろん、殺しもしない」
 その言葉に、アタシは震えあがった。恐る恐る訊ねる。
「……え? じゃあ、アタシなんかじゃ想像もつかないような、もっと酷い事を……」
「するかバカ野郎!」
 いつになく乱雑な口調で怒鳴ってから、光が立ち上がる。その右腕を、握り潰さんばかりに掴みながら。
「命が惜しければ、素直に退け。……この一件にケリがつくまで、姿を見せるな」
 少しだけ乱れた息を誤魔化しながら、光が魔導師に告げる。それは光だった――が、あの怪物が今もどこかで牙をむき出しにしているのが分かった。その怪物は、隙あれば三度彼を乗っ取るだろう。
≪アンタ、ここは素直に退いときな! 今のコイツは、何かおかしい!≫
 向こうがどれほど彼について知っているかは分からないが――こんなのはアタシ達の知る御神光じゃあない。得体の知れない何かに振り回されて、そんなにも無様に殺気をむき出しにするなんて、全くらしくないじゃないか。
「ク……。光さん、今度会った時は、ちゃんと話を聞かせてください!」
 その魔導師が躊躇ったのは間違いない。だが、今の光とまともに会話ができると考えるほどには楽天的ではなかったようだ。言い残すと、一目散に走り去っていく。方向は――当然ながらフェイトと、光の妹がいる方向だった。だが、今すぐに『光の関係者』に手を出すほどの無謀はしないだろう。それに、あの少女相手にフェイトがてこずるとも思えない。入れ違いになると考えるのが現実的だろう。
 ドン、と何かが気にぶつかる音がした。振り返ると、アタシが叩きつけた木に再び背中を預け、ずるずると座り込む光の姿があった。いくら何でも、それほどのダメージがあったとは思えないけれど……それでも、恐る恐る声をかける。
「……大丈夫かい?」
「何とかな」
 今も固く右腕を握りしめながら、光が呻いた。――右腕。それが異変の鍵であるらしい。常に包帯に包まれた、その右腕。
「怪我でもしているのかい?」
 血の匂いは感じなかった。いや、今は僅かに感じる。右腕を握りしめ続ける、左手の爪が右腕の皮膚を抉ったのだろう。
「いや、そうじゃない……」
 こんな時だというのに、光はうっすらと笑っていた。そして、相変わらず訳のわからない事を言う。――どこか少しだけ、嬉しそうに。
「恩師の忘れもの……いや、かつての自分の、かな」




(光の妹さん、か……。確かに凄い才能だけど)
 今のままなら、勝つのは私だ。彼女の砲撃を掻い潜りながら、確信を覚える。光の妹が使うのは、私達と同じ魔法。今までの攻撃からして、遠距離からの砲撃魔法を主体とする戦闘スタイルだろう。確かに一撃の重さで勝てと言われば難しいかも知れないが――それだけだ。光と違って、この少女は戦い慣れていない。それなら、方法はいくらでもある。
「――ディバイン」
 わざと隙を見せる。その隙を、彼女は見逃さなかった。だからこそ、好都合だった。
「バスター!」
 その砲撃を、ぎりぎりまで引き付ける。直撃したように見せるためだった。
「アークセイバー」
 回避する直前、光刃をその場に置き去りにする。
『Scythe form』
 彼女の砲撃は、それに直撃し派手に爆発した。その閃光が、夜の闇を塗りつぶし――私の姿さえも包み隠す。その中でも、あの白い少女が動いていないのは分かった。私を落としたと思っているのだろう。一撃に自信があるのも考え物だ。
「サンダーレイジ!」
 上空から雷の雨を降らせる。さすがに防御は間に合わせたようだが――それでも、彼女は地面へと押し下げられていく。このまま終わりにしよう。
『Scythe Slash』
 地面に落ちた彼女へと、一気に間合いを詰め――バルディッシュの刃を首筋に突きつける。光との約束がある。間違っても傷つける訳にはいかない。
『だから油断するなっつっただろうが!』
 そこで、奇妙な声がした。咄嗟に飛び退き、シールドを張る。と、凄まじい衝撃がシールドを叩いた。どうやら、何か切り札を隠し持っていたらしい。さすがは光の妹という事だろうか。素人だと思って少し侮っていたかもしれない。反省と共に慌てて身構える。
『おっと。嬢ちゃん、これくらいで勘弁してやってくれや』
 男とも女ともつかない――その両方が重なり合った声で言ったのは、不気味な本だった。それが、白い少女の胸元から顔らしきものをのぞかせている。一体何なのだろうか。デバイスではないようだが……。
『そう睨むなって。心配しなくても、オレは相棒のようには戦えねえんだ。何せ本だからよ。ヒャハハハハ!』
 その不気味な本はそう言って笑った。しかし、相棒とは誰の事なのか?
(あ、待って。あの魔法ってひょっとして……)
 先ほどの魔法。あれはひょっとして、光と同じものではないだろうか。つまり、この本が言う相棒とは――
「相棒とは、光の事ですか?」
『そういう事だ。このチビはアイツの可愛い妹でな。ここらで大目に見てやってくれや』
 それはもちろんだ。元々彼の妹に危害を加えるつもりはない。……あくまでも、必要な範囲以上には。
「それはかまいません。ですが――」
『分かってるよ。これが望みだろ?』
『Put out』
 その本の言葉に応じて、彼女のデバイスがジュエルシードを吐きだした。数は一つだけだが――ここで欲を掻いて、この少女に傷でもつけたら大変だ。
「ジュエルシード、頂いていきます」
 一度に二つ手に入れる事が出来た。取りあえずそれで満足しておくべきだろう。それに、アルフを連れて行った魔導師が戻ってくる前に撤退した方がいい。まぁ、向こうにはアルフと光がいるのだから、万に一つもこちらに向かってくる事はあり得ないだろうが。
「待って!」
『やかましい! 今のオマエじゃあの嬢ちゃんには勝てねえよ』
 目的は済ませたし、約束もちゃんと守った。早く二人と合流しよう。光の妹と相棒のやり取りを聞きながら、私は夜空に舞いあがった。
 ……――
 少し離れた――だが、思ったより近い場所にアルフと光はいた。二人とも当然のように無事だったが……それでもやはりホッとする。
「おかえり、フェイト。ウチの妹はどうした?」
 私に気付いた光が、そう言った。
「その、戦う事になったから少しだけ怪我をしてるかも……」
 約束を破るほどではなかったはずだ――が、今夜の光は、少し様子がおかしい。だから、なおさら恐る恐る告げる。
「まぁ、それくらいは仕方ないな。……それに懲りて手を引いてくれればいいんだが」
 光は、そう言ってため息と苦笑の間のような吐息をこぼす。でも、あの子はきっと手を引かない。光だってそれくらいは分かっているだろう。
(あの子は、多分私と同じ……)
 いや、本当に同じだろうか。私は、本当にあの子と同じだと言えるのか? 離れていたって、光はあの子を守っている。あの子を守るために、光は一人で戦っていた。それなら、私は――…。
「あのね、光……」
 意味の分からない――そのはずの疑問を振り払うように、私は光に訊ねていた。
「ジュエルシードを集め終わったら……また会いに来て良い?」
 何を馬鹿な事を言っているのだろう。ジュエルシードを集め終わったら、すぐにこの世界からいなくなる。それが約束なのに。分かり切った返事を聞くのが怖くて俯く。俯いたまま――それでも、光が近づいてくるのが分かった。
「そうだな……。まぁ、面倒ごとを持ち込まないならな」
 ポン、と優しい何かが頭に触れた。顔を上げると、光が言った。
「面倒ごとが全て終わったら、今度はゆっくり遊びに来るといい。歓迎するよ」
 黒いフードの向こう側で、光は笑っているらしかった。訳も分からず、視界が滲む。
「さぁ、そろそろ部屋に戻って寝よう。それで、起きたら朝風呂でも入って、家に帰ろう。いや、好きなものを作って約束があるから途中で買い物かな。ああ、その前にお土産を買うのが先か」
 軽く抱きよせられ、あやすように背中を叩かれる。何故だろう。その声はとても優しいのに。それでも、何故か涙が止まらかった。




 深夜を回ってどれほど経ったか。静かに、意識が浮かび上がる。
(さて、これは一体どうしたものか……)
 人の気配。それが、眠りが途切れた原因だった。だが、慌てて飛び起きる必要はどこにもない。さすがに三日目ともなれば。
(まぁ、別に構いはしないんだが……)
 眠りの淵で、僅かに目を開く。闇の中浮かび上がったのは、フェイトの姿だった。また寝床――代わりに使っているソファに潜り込んできたらしい。ついでに言えば、朝にはこっそりと自分のベッドに戻るはずだ。ここ数日の経験からして。
(夜中に男の寝床に忍んでくるなんて、一〇年早い……なんてな)
 くだらない冗談を呟く。だが、馬鹿な事を言っている場合ではない。温泉郷での最後の夜、突然泣き出した彼女をあやし、寝かしつけてからずっとこんな調子だった。
 遠慮がちに甘えてくるその姿は、嫌でも昔のなのはを思い出させる。だが、フェイトをそうさせる理由は何だ?
(何だって事もないだろうが……)
 右腕が疼く。殺戮衝動は日増しにその存在を強めている。リブロム――ジェフリー・リブロムの時よりも圧倒的に早い。それはつまり、俺が世界を滅ぼす怪物になるまでの残り時間が圧倒的に短い事を意味する。幸い、まだ抑えられているが……次にジュエルシードの生み出す魔物と遭遇すれば、どうなるか分かったものではない。
(彼女は『母親』を憎悪していた)
 その憎悪こそが、殺戮衝動の由来だ。だが、話を聞く限り、フェイトが母親を憎悪しているとは思えない。むしろ、逆だ。だからこそ、おかしいのだ。
(この子の周りには、母親の影が少なすぎる)
 母親を思わせるのは、部屋に置かれたあの写真だけ。それですら、本当にフェイトと繋がっているのかは疑わしい。
 フェイトの話では、彼女の母親は優しい女性であるらしい。いわゆる良妻賢母というやつだろう。いや、良妻という意味では至らなかったのか。彼女が生まれてしばらくして、夫とは別れたらしい。だからなおさら娘を溺愛したのだろう。ほどなくしてそれまでの仕事を辞め、自宅での研究に没頭し始めた。……らしい。その辺りの経緯は、フェイトもよく覚えていないようだ。幼かった事もあるだろうし、両親の離婚という悲劇に対する衝撃も当然もあっただろう。覚えていない事自体は、別に不自然というほどではないが。
(問題は、その研究とやらだな……)
 その研究を始めてからしばらくして、母親は急に冷たくなったという。これは、アルフが言った事だが――フェイトも否定はしなかった。もっとも、フェイト本人が言うには、今行っている研究が巧くいかない事が原因らしいが。だが、
『あの女が優しかったなんて信じられない』
 吐き捨てる様に、アルフは言った。彼女がフェイトの使い魔になったのは、母親が豹変してからだという。詳しい話はまだ聞いていないが、その頃にはフェイトが語る『優しい母親』の面影などどこにもなかったようだ。
(研究の成果が上がらない焦燥には、俺も覚えがあるが……)
 目的があればあるほど、その焦燥は強くなる。そんな事は、百も承知だった。
(フェイトの母親の研究内容が知りたいところだな……)
 フェイトの言う『優しい母親』を豹変させるほどの何かが、そこにあるはずだ。そして、その何かこそがこの殺戮衝動の由来だろう。だとするなら――
(フェイトの母親を、殺すか?)
 殺戮衝動を鎮めるために。世界を滅ぼす怪物を生み出さないために。
(我が身可愛さなら、まだいくらかマシなんだが……)
 在りし日の力を全て取り戻したとはとても言えないが、それでも自分が堕ちればどれほどの被害を撒き散らすか分かったものでない。散々殺しまわり、その果てに次の誰かにこの業を押し付ける事になる。それくらいならば――
(全く、業が深いとしか言いようがないな)
 うんざりとして、舌打ちをする。要求される覚悟は、いつもこんなものばかりだ。
(アルフに母親について聞いてみるか。最悪、乗り込んで直接『話をつけて』もいい)
 もっとも、その母親というのは随分と優れた魔法使い――魔導師であるらしい。さすがに簡単にとはいかないだろうが。……だが、殺さずに殺戮衝動を鎮静化できるなら、それに越したことはない。
(まぁ、いずれにしても汚れ役だな)
 それは仕方がない。それが魔法使いの宿命だ。魔法使いの正義とは必要悪にすぎない。都合のいい『正義』の味方にはなれないのだから。
 ……――
 そして、夢を見た。よく似た親子の――よく似すぎてしまった母と娘の夢を。
 普通ではない方法で娘を生み出した母親は、しかし普通ではないその娘を愛していた。それさえも普通ではなかったのかもしれないが――本当に。心の底から。
 例えそれが、歪な願いの果てに生み出した、己の分身であったとしても。
(なのに、あの子はいなくなった……ッ!)
 魔女の嘆きが、夢を震わす。
(ああ、彼女が狂っていく……)
 そう嘆いたのは、誰だったのか。誰が嘆いたとしても、不思議ではない。何が彼女を狂わせたのか。そんな事は誰もが分かっていた。
 おそらく、今なら彼女の娘――母親の孤独を受け継いでしまった彼女でさえも。例え、それで娘の嘆きが癒される訳ではなくとも。……彼女達の関係は、愛憎という言葉を痛感させた。
(だが、何で今さらこんなものを俺に見せる……?)
 少しずつ狂い、歪み、壊れ、ついには本物の魔物へと堕ちていく。何で今さらそんなものを見せる?――自分には、今さらどうしてやることもできないのに。何故今さらになって、こんな夢を見せる?――そう嘆いたのは、一体誰だったのか。
(……今さら?)
 そうだ。何故今さらになってこんな記憶が蘇る?
(意味がある。必ずだ)
 夢幻の狭間で、確信する。これは間違いなく、もういない彼女からのメッセージだ。それに意味がない訳がない。そうだ――
(彼女を――『母親』を狂わせたものは、一体何だった?)
 ――……
「あ、起きた? おはよう」
 目を開くと、視界いっぱいにフェイトの顔があった。思わず目を瞬かせる。
「光が寝坊するなんて、珍しいね」
 よほど間の抜けた顔をしていたのだろう。フェイトがおかしそうに笑う。
「ああ……」
 ぼんやりとする頭を抱えながら、身体を起こす。いつも起きる時間より、明らかに遅い。テーブルに突っ伏したアルフが、空腹を訴えている。
「夢を見ていた、ような気がする……」
 忘れてはいけない夢だったはずだ。だが、はっきりと思い出せない。何か鍵となるものがあれば、思い出せそうな気がするのだが。
「はっは~ん」
 途端に、にやにやとアルフが笑う。怪訝に思い、視線を動かすと彼女は言った。
「さては女の夢だね? このマセガキめ!」
「……何でそう思うんだ?」
 女の夢、というのは間違いあるまい。そこまでは思い出せる。確かに知人の誰かが出てきた。……そう、それは誰だった?
「名前を呼んでたからね。……確か、モルモル?」
「……モルガン、だな。おそらく」
 欠片が全てはまり込んだ。ああ、思い出した。彼女の夢を見た。
(彼女を狂わせたもの、か……)
 そんなものは分かっている。だが、それが何を意味する。どんな意味があって、今蘇ってきた?――だが、今はそれを考えるべきではない。
「モルガン、って誰なの?」
 何故だか、心なし険しい視線でフェイトが睨んでくる。さて、何と答えるのが正しいのか。何にしろ、お互いに直接面識がある訳ではない。この関係を何と言えばいいのか。
「モルガン・ル・フェ。俺に魔法を教えてくれた先生の一人だ。リブロム……俺の恩人の相棒の奥さんでもある」
 いや、あの二人が籍を入れていたかどうかは思い出せないが。だが、何であれ反抗期真っ盛りの娘までいるんだからそれでいいだろう。
「何でそんな人を夢に見たのさ? イケナイ関係ってやつ?」
「まさか。彼女は旦那と娘を溺愛してるんだ。間違ったってそんな余地はないさ」
 特に旦那に関しては、『殺したいほど愛してる』を地で行ったくらいだ。愛憎劇という意味なら、こっちはこっちで相当なものである。
「まぁ、当時は散々しごかれたからな。魘されたんだろ」
 嘘ではない。人間としてのモルガンでさえ、あの二人を相手に互角に撃ち合えるほどの魔法使いだった。さらに魔物化したモルガンは、リブロムとその相棒をして、文字通りの死闘を強いられた相手である。というより、あの二人があれほど苦戦した相手は他にそう何人もいない。まぁ、『奴ら』はまた別格だが。
 ともあれ、彼らの死闘を追体験する事になった俺も、あの時はかなり深刻に死を覚悟したものである。そして――
(彼女こそが、全ての謎を解く鍵だった)
 ……そう。あの時も。

 
 

 
後書き
湯けむりとか言いながら、相変わらず入浴シーンなしですが……。
夜這い云々は……中身○歳越えの主人公はともかく、9歳の女の子にこれ以上を求めてはいけません(笑)
さてさて。そんなわけでさりげなくED後捏造編始動です。
本作の内容とはあまり関係ないですが、これからちまちまと垂れ流していくつもりです。よろしければお付き合いください。
とりあえず今回はサンクチュアリが最後の希望だったのなら、ED後の世界では魔法使いの立場も好転しているのではないかなと。
 
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