歳の差なんて
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第三章
第三章
「子供が観ているのを一緒に観ているうちにね」
「そうだったんですか」
「前から少しチェックしていたけれど」
「前からですか」
「特撮って何だかんだで昔から結構放送してるじゃない」
「はい」
ウルトラマンなり仮面ライダーなりギャバンなり戦隊ものなりだ。メタルヒーローはいまではやっていないがそれでも放送していたのは事実だ。
「それテレビ観ていたら自然に観るから」
「そうだったんですか」
「ほら、歌番組とか他のドラマのない時間」
とかくドラマの好きなおばさんである。おまけに歌番組も好きらしい。
「そうした時間にやってるじゃない、特撮番組って」
「ええ、確かに」
「最近は朝とかにね。昔だったら御飯の時間」
「そういう時間に観ていたんですね」
「そういうことよ。昔からね」
語るおばさんの目が楽しげなものになる。
「格好いい清く正しい青年とか戦うヒロインが出て来たじゃない」
「ええ」
それが特撮の売りである。
「確かに。それがいいんですよね」
「そうよ。最初は馬鹿にしていたけれどね」
「最初はですか」
「これが観ていたら中々」
「面白かったんですね」
「時代劇と同じだしね」
これはその通りだった。そもそも特撮を多く手がけている東映は時代劇を大の得意としている時代劇の特徴はまさにステレオタイプの典型的な悪役が出て来てそれを正義の剣士が成敗するという流れだ。予定調和だがその流れこそが面白いのである。王道の醍醐味だ。
「そういうのって」
「私は時代劇はあまり観ていません」
「そうだったの」
「時々。テレビかけてたら観るだけで」
「成程ね」
「面白いですけれどね」
美香も美香で観ている。
「それでも。確かに似ていますね」
「やっつけるのが着物来た悪者か怪人かの違いだけよ」
まさにその通りである。
「剣士のかわりに正義の味方でね」
「そうなんですよね、簡単に言うと」
「そう思って見ていたら楽しくてね」
「成程」
「昔から皆格好よかったけれど」
ここで言葉が少し変わる。
「けれど今は。男の子が余計によくなって」
「いいですよね」
「話も現代風になっていてね」
「勧善懲悪は勧善懲悪でもですね」
「難しくなってるけれど」
これは確かだ。伏線が多くなってきているのだ。
「それでも。楽しいのよね」
「ええ、そうなんですよ」
「けれど。話がテレビの話ばかりね」
「ええ、それは」
おばさんの言葉の通りだった。本当にテレビの話しかしていない。
「じゃあ話を変えるわ」
「はい」
「美香ちゃんって今年高校卒業したのよね」
「はい、そうです」
にこりと笑っておばさんに答える。
「そうなんですよ、実は」
「まだ十九?十八かしら」
「十八です」
また素直に答える。
「もうすぐ誕生日ですけれど」
「そう。じゃあ恋をしなさい」
ここまで聞いてこう美香に言うのだった。
「恋をね。いいわね」
「恋ですか」
「彼氏いるの?」
「いました」
過去形だった。
「昔は、ですけれど」
「高校の時?」
「はい、二年の時です」
こうおばさんに答えるのだった。
「一年の頃から付き合っていたんですけれど」
「そうだったの」
「けれど。喧嘩して」
やはりそれであった。よくある話だ。
「詰まらないことから」
「よくある話ね。じゃあ今はフリーなのね」
「はい」
はっきりと答えた美香だった。
「三年の時も今も」
「まあ、こういうのは引き寄せだからね」
「引き寄せですか」
「作ろうと思って作れるものじゃないし作るまいと思ってもできるものなのよ」
人生を感じさせる言葉だった。少なくともおばさんにとってはこれは実経験からの言葉であるのがよくわかる、そういった言葉だった。
「相手っていうのはね」
「よく聞きますけれど」
「私の旦那だってね」
こうした話では定番だがおばさんは自分のことを例えてきた。
「そうだったしね」
「出会いですか」
「そう、出会いよ」
引き寄せをこうも言い換えてきた。
「こういうのはね」
「そうなんですけれどね。どうも」
「気長に待つことね」
静かに美香に語る。
「こういうことはね。急に出て来ることもあるし」
「急にですか」
「だからあれよ」
また美香に言ってきた。
「韓流ドラマや大映ドラマみたいにね」
「突然はじまると」
「そういうこと。わかったら」
「ええ」
「待つことね。今は」
「わかりました。それじゃあ」
「韓流ドラマか大映ドラマ、どっちがいいかしら」
笑いながら美香に尋ねるのだった。
「美香ちゃんは。どっちなの?」
「今のドラマがいいです」
しかし美香はどちらも取らなかった。かわりにこう言ったのだった。
「今の感じで」
「今のですか」
「はい。何だかんだで日本の今のドラマみたいなのが一番です」
「オーソドックスねえ」
おばさんは今の美香の言葉を聞いて腕を組んだ。どうも今一つ面白くなさそうである。
「それって何か」
「けれどやっぱりそれが一番自然なんじゃないですか?」
あくまでドラマという意味でだがそれでも言うのだった。
「やっぱり。一番感動しますし」
「まあそれはそうだけれどね」
「ああいうふうに奇想天外なのもいいですけれど」
「実際にあったら疲れるわよね」
おばさんはその韓流ドラマと大映ドラマを思い出してそのうえで考えて述べた。考えてみれば確かにそうだ。その通りだった。
「本人達なら尚更ね」
「下手したら死にますしね」
「周りが簡単に死ぬしね」
これが実際であった。日常においてそう簡単にそんな状況があるものではないがそれでも起こるのがこうしたドラマの特徴だ。日常的ではないのだ。
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