外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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追憶 ~ 士官学校 ~
帝国暦 489年 6月 15日 オーディン ナイトハルト・ミュラー
「ここに来るのは久しぶりだ」
「六年ぶり、そんなところかな」
「そうか、そんなになるか。……早いものだな」
地上車を降りたエーリッヒが感慨深げに士官学校を見た。口調は長閑、表情は懐かしげだがエーリッヒの周囲には憲兵隊から派遣された護衛が厳しい表情で周りを警戒している。物々しいと言ってよい雰囲気だ。地球教の騒動が有ったばかりだ、油断はしていない。
今日は士官学校でエーリッヒが講話を行う。この講話だが士官候補生や幼年学校の生徒からは極めて好評だ。これまでは経験豊富なミュッケンベルガー退役元帥、メルカッツ元帥が講話を担当していたがそろそろ若手士官の話を聞きたいという声が学生から上がった。そして俺とエーリッヒが士官学校に来た。
候補生達が気付いたようだ、教室の窓から身を乗り出して俺達を見ている。エーリッヒはマントを羽織っている、誰が来たのかは分かっただろう。少々ざわめいている様だ。授業の妨げになってはいけない、エーリッヒを促して校門をくぐった。校舎に入る前に数人の士官が出迎えに現れた、校長と教官だ。焦っているに違いない、講話の時間より一時間は早く来たのだ。何故? と思っているだろうな。
校長はノイラート中将ではなかった。俺達が卒業した直後に大将に昇進して交代している。考えてみればノイラート校長の時代に今の宇宙艦隊の指揮官の多くが士官候補生として入学した。今の宇宙艦隊を生み出したと言っても良い。もう退役したはずだが俺達の事を如何思っている事か……。
今の校長はノイラート大将と交代した人物だ。コール中将、六十代半ばの士官だがおそらくは士官学校校長を最後に大将に昇進して退役だろう。挨拶を受けるとコール校長から未だ時間が有るから応接室へと誘われたがエーリッヒは行きたい所が有る、校内は良く知っているから案内は不要だと言って断った。
エーリッヒが構内を歩く、懐かしい廊下だ。何処に行こうとしているのか、直ぐ分かった、図書室だ。図書室に入るとエーリッヒは真っ直ぐに或る視聴覚用ブースに向かった。ブースに懐かしそうに触れると椅子に座る。士官候補生時代はいつもこの席に座っていた。
「変わらないな」
「ああ、変わらない。あの頃と同じだ、懐かしいよ」
相変わらずエーリッヒはブースを撫でている。
「そうじゃない、そうしていると卿はあの頃と少しも変わらない」
エーリッヒが“そうかな”と言って小首を傾げた。ああ、少しも変わらないよ、卿は……。
初めてエーリッヒを見たのはこの図書室だった。士官学校に入って半年、ようやく士官学校での生活に慣れた頃だっただろう。随分と小柄な生徒が居るな、と思った事を覚えている。編入生だという事は直ぐ分かった、見た事のない顔だったし十二歳の子供が入って来ると聞いていたから。それにしても予想以上に幼かった。
いつも図書室に居た、そして本を読んでいた。不思議だったな、普通は親しくなる人間が出来るはずだがそんな気配は無かった。特に編入生は後から入って来る事でハンデが有る。その分纏まりが良いんだがエーリッヒはいつも一人だった。年齢が低かったから編入生からも避けられたのかもしれない。
当然だがシミュレーションをする友人も居なかった。士官候補生はシミュレーションゲームをしながら相手を認め親しくなっていく。エーリッヒにはそれが無かった。時折シミュレーションをしていたが対戦相手はコンピューターだった。今思えばかなり妙な生徒だった、完全に孤立していた。
「どうした? 随分と楽しそうだけど」
エーリッヒが俺を見ている。
「楽しそうかな?」
「ああ、さっきからニヤニヤしている。上級大将の顔じゃない、悪戯を思い付いた士官候補生の顔だよ」
いかんな、思い出し笑いをしていたようだ。思わず苦笑が漏れた。エーリッヒも笑った。
「昔の事を思い出していたよ」
「昔の事?」
「ああ、昔の事だ。卿と親しくなる前の事だな」
「なるほど、それは平和な時代の事だな。卿らと知り合ってから碌な事が無かった」
おいおい、真顔で言うなよ。でも確かに卿が来てから退屈はしなくなった。最初の出来事は……。
「哨戒任務中、反乱軍の艦隊と遭遇した。反乱軍の兵力は一万二千隻、帝国軍は七千隻。君達が帝国軍の指揮官だとして、この場合どう対応すべきかを考えなさい」
シュターデン教官がしかめっ面をしている。もう少し普通の顔が出来ないのかな、この人。この人の顔を見ていると気が重くなる。戦術論概説の授業なんだからもう少し面白い授業にしてくれ。まあ設問はシミュレーション演習を想定したものだけど……。クレメンツ教官を見習って欲しいよ。あの人の授業は本当に面白いし分かり易い。
「君、どうかね?」
シュターデン教官が指示棒で候補生の一人を指名した。アドルフ・バーテルスだったな。成績は必ずしも良くない。指名されたバーテルスが顔を紅潮させて起立するのが見えた。
「機先を制して反乱軍を攻撃します」
バーテルスの答えにシュターデン教官が顔を顰めた。望ましい答えでは無かったようだ。
「ふむ、機先を制すると言うがそんな事は反乱軍も考えているだろう。君が機先を制するとは限るまい、私の言っている事は間違っているかね?」
言っている事は間違っていない。でも意地の悪い口調だからな、素直には受け取れない。バーテルスも顔が歪んでいる、屈辱だろう。“席に座りたまえ”と言われてバーテルスがのろのろと座った。この人、大佐だよな。まだ若いし士官学校教官って事はそれなりにエリートなんだろうけどこの人には上官になって欲しくないや。何かにつけて嫌味を言われるだろう、うんざりだ。
「では君は?」
今度指名されたのはリヒャルト・エンメルマンだった。時々話す事が有るが悪い男じゃない。エンメルマンが立ち上がった。上手く答えろよ。
「後退しつつ縦深陣を構築します。反乱軍が攻め寄せてくれば引き摺り込んで攻撃します」
うん、なかなかじゃないのかな。シュターデン教官も頷いている。
「まあそんなところだろう。反乱軍の兵力が多い以上、こちらから積極的に動く事は控えるべきだ。最善は味方に来援を要請し自分は反乱軍を引き止める。味方の来援後、協力して反乱軍を叩く。そんなところだろうな。時間を稼ぐ以上受け身に徹するのが望ましい」
なるほど、確かにそうだ。性格は悪いけど流石は士官学校教官だな。素直に感心した、彼方此方で頷いている人間も居る。
シュターデン教官が満足そうにしている。皆が教官を尊敬の目で見ているのが嬉しいのかな。教室内を見回していたシュターデン教官が視線を一点で止めた。満足そうな表情が消えている。俺もシュターデン教官の見ている方向に視線を向けた。一人の士官候補生が詰まらなさそうにしている。明らかに気の無い表情だ。直ぐに分かった、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、最年少の士官候補生だ。そしてあの有名な事件の遺族でもある。
「ヴァレンシュタイン候補生、君はどう思うかね」
シュターデン教官の指名にヴァレンシュタインが起立した。表情は無い。
「撤退します」
「撤退?」
撤退? シュターデン教官が驚いている。教室内でざわめきが起きた。皆が驚いていた、俺も吃驚だ。教室の中でヴァレンシュタインだけが平静な表情をしていた。なんでそんな事が言えるんだ? 戦意が足りないと叩かれるぞ。
「哨戒任務中の遭遇戦です、こちらが不利なら無理せず撤退するべきだと思います」
シュターデン教官が不機嫌そうな表情をしている。面白く無い回答を得た、そんなところだな。戦意不足、そう思ったのだろう。戦争だから勝たなければならない、戦意不足は一番忌み嫌われる要素だ。軍人なら、いや士官候補生、幼年学校生でもその事は知っている。当然ヴァレンシュタインも知っている筈だ。
「君は自分の戦術能力を以て反乱軍に勝利を得ようとは考えないのかね? 戦術とは何かを理解しているのかな?」
シュターデン教官が皮肉の溢れた口調で問い掛けるとヴァレンシュタインが微かに笑った。苦笑か? それとも鼻で笑った? おいおい、教官相手にそれは無いだろう。お前、まだ十二歳だぞ。案の定だ、シュターデン教官がムッとしていた。馬鹿にされたと思ったのだろう。
「反乱軍の指揮官の戦術能力が自分より低いという確証は有りません。それに多少の優劣は戦力差が埋めてしまいます。つまり兵力の多い反乱軍が圧倒的に優位というわけです。自分の戦術能力を証明するなどという馬鹿げた自己満足のために戦闘を行って部下を死なせる事は出来ません。無意味な損害を避けるという意味において撤退はおかしな選択ではないと考えます」
教室内がシーンとした。いや、言ってる事は分かる、確かにそうかもしれないが教官に喧嘩売っているに等しいぞ。シュターデン教官がヴァレンシュタインを不機嫌そうに睨み付けた。どうなるんだ、これ。皆凍り付いてる、息する事も出来ない感じだ。誰かが喉を鳴らした。音がやたらと大きく響いた。
「残念な事に君は幾分戦意が不足している様だな」
戦意不足と言われてもヴァレンシュタインはまるで動じなかった。教官の顔がひくついた。不機嫌、いや怒りだな。
「君は戦意不足と言われて恥ずかしくないのかね、ヴァレンシュタイン候補生。私には耐えられんな、自分の教え子に臆病者が居るなどと言われるのは」
ネチネチとシュターデン教官が嫌味を言い出した。勘弁してくれよ、相手は十二歳の子供だぞ、大人げないだろう。
「無意味な戦死者を出す事以上に恥ずべき事が有るとは思いません。戦意過多、戦略過少と言われるよりはましです。シュターデン教官は自分の教え子がそのように評価される事を御望みですか?」
え? 何を言った? 戦意過多? 戦略過少? それってやる気だけ有る馬鹿って事か? おいおい、しれっとした顔でとんでもない事を言うなよ。シュターデン教官の顔面が紅潮している、怒り心頭だ。今だけでいい、耳が聞こえなくなってくれ。それが駄目なら窒息死だ。呼吸を止めて、一、二、三、……無理だ……。
「君は戦術の重要性を理解していないようだな、戦場では戦術能力の優劣が勝敗を決するという事を覚えておくことだ。……席に座りたまえ」
不機嫌が人間になれば多分シュターデン教官が出来上がるに違いない、そう思った。しかしヴァレンシュタインは何も感じていないかのように席に座った。こいつ、教官を怒らせても何も感じていないらしい。
授業が終わった後、ギュンター、アントンの二人と一緒になった。
「あれ、凄かったな」
「ああ、凄かった。俺、眼が点だったよ。あいつ、本当に士官候補生か?」
「俺も仰天したよ、でも間違ってはいないだろう。大きな声では言えないが」
結構声が大きいぞ、アントン。ギュンターもそう思ったのだろう、呆れた様な顔でアントンを見ている。
「おい、前を見ろよ」
アントンの声に前を見た。廊下を歩くヴァレンシュタインが居た。一人だ、彼が歩くと自然に前が空いていく。皆、彼と関わるのを畏れているのだろう。だがヴァレンシュタインは気にした様子も無く歩いている。無神経なのか、それとも図太いのか……。
その後、暫くするとシュターデン教官が一部の士官候補生に不快そうな態度を取る事が分かった。そしてそれがシミュレーションの授業の後に多い事も分かった。皆不思議がったが理由が分からなかった。だが、ある時俺にはその理由が分かった……。
「アントン、ギュンター、シュターデン教官に嫌味を言われたぞ。最近弛んでいるんじゃないかとな。それと何故教官に嫌味を言われたかも分かった」
二人が顔を見合わせた。
「シミュレーションで負けたからだ」
「はあ?」
二人とも不思議そうな顔をしている。
「負ける奴なんて幾らでもいるだろう」
「アントンの言う通りだ。理由にならないな」
「いや、理由になる。負けた相手が悪かったよ、対戦相手はヴァレンシュタインだったんだ」
二人が驚いている。“本当か?”とギュンターが訊ねてきた。
「間違いない。対戦データを調べた。俺の相手はヴァレンシュタインだった。多分俺の他にもシュターデン教官に嫌味を言われた奴はヴァレンシュタインに負けたんだと思う」
アントンが太い息を吐いた。ギュンターは首を振っている。
「それ、拙くないか。教官が対戦相手を教えているとも受け取れるぞ」
「そうだな、俺もそう思う。アントンの言う通りだ」
士官候補生にシミュレーションの対戦相手を教える事は禁じられている。破れば軍籍を剥奪されるだろう。アントンもギュンターも囁くような声になっていた。
「どうする?」
「どうするって……」
「困ったな」
三人で考えたが解決策が見つからない。結局クレメンツ教官に相談した方が良いだろうという事になった。あの人なら上手く治めてくれるだろう、というより厄介事は他人に押し付けよう、そんな気持ちだった。それに俺にはもっと大事な事が有った。
「俺、ヴァレンシュタインと話してみようと思うんだが……」
俺が話しかけると二人が顔を見合わせた。誰もが彼を避けている、正気じゃない、そう思ったのだろう。
「彼は凄いよ、シミュレーションで俺は全く相手にならなかった。コテンパンにされたよ。彼と親しくなりたい、そしてもう一度シミュレーションをしたいんだ」
また二人が顔を見合わせた。
「本気か?」
「本気だ。データを見るか」
「ああ、是非とも」
それがきっかけだった。俺とアントン、ギュンターはエーリッヒと親しくなった。そして今が有る。もし、そうでなければ俺達三人、いや四人の未来はもっと違ったものになっただろう。
「なあエーリッヒ、もう一度士官候補生に戻ったとして俺やアントン、ギュンターと友達になろうと思うか?」
エーリッヒが俺を見た。
「そうだな、卿とギュンターはともかくアントンはちょっと……。彼の所為で随分と酷い目にあったからね」
本心ではない、眼が笑っている。
「それは近親憎悪だろう。俺には卿とアントンは良く似ているように見える。どっちも人騒がせで悪戯好き、おまけに性格も悪い、違うかな」
エーリッヒが顔を顰めた。護衛は困ったような顔をしている。
「時々思うんだが卿はとても良い男で信頼出来る人物だが人を見る目だけは無いと思う」
「確かにそうだな、おかげで悪い友人ばかり持つ事になった。……士官候補生に戻ったらやっぱり卿と友達になろうと思うよ。人を見る目が無いからね」
俺が笑い出すとエーリッヒも苦笑を浮かべた。
「今度四人で飲まないか?」
「そうだね、久しぶりに飲もうか」
多分、士官候補生時代の話に花が咲くだろう。楽しい時間が過ごせるはずだ。
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