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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第三章、その4の2:拳と杖


「叙任式については、以上の通りだ。三人においては、国王陛下の英断を粛々とお受けになるのが筋かと考えておるのだが・・・」
「・・・納得できません。私達はその決断に至った本当の理由を聞く権利があると思いますが」
「そう言われてもなぁ・・・」

 口元を隠しながら、静かな声でレイモンドは言う。祭りの盛況の蛮声に意識を取られる事無く、彼の机の前には三人の者達が立っていた。第三王女コーデリア、近衛騎士アリッサ、そして異界人の熊美である。
 不満顔の王女に向けてレイモンドは続ける。

「コーデリア王女。此度の叙任式は実に目出度きものだ。クマミ殿に加えて新たにケイタク殿もまた誉ある王国の一員となるのだからな。これの何処に問題があろうか」
「御座います。確かにお二人が私達と同じ旗を仰ぐ事に異論はありません。それは喜ばしき事ゆえ、歓迎させていただきます。ですが三人に一方的に課される務めに付きましてはーーー」
「王女よ。これは自然の摂理だ。栄達を重ねる者が、それに相応しき道を行く。其処に微塵も、邪な情は入っておらん。これはクマミ殿、そしてアリッサ殿御両人も御理解頂いていると認識しているが、如何に?」
「・・・理解は、しております」
「同じく。異論の余地は御座いません」

 ゆっくりと言ったアリッサと比較して熊美は澱みの無い言葉である。コーデリアは思わず鋭き視線を送るが熊美はそれを無視するかのように執政長官を見遣るだけだ。
 コーデリアには大きな不満があった。数少なき自らの理解者である三者が、叙任式を機に一気に己から離れてしまうと、執政長官から一方的に言われた事が。それも式の直ぐ後に、である。王国に仕える騎士となる以上仕方の無い事であるが、自分が与り知らぬ所であっさりとそれが決まっていた事には、どうしても反感が生まれてしまうのだ。何よりも友人と離れ離れになる苦悩がある。今ではそれが怒りと取って変わり、言動の激しさを催している。

「・・・レイモンド執政長官」
「何かな、コーデリア第三王女」
「・・・国王陛下はこの取り決めをご自身で考えた上で御決断あそばされたのですか?」
「不敬であるぞ、王女よ。仮にも国王陛下の御心を一方的に窺い知ろう等と考えになるのは。況や口にするのもだ。全うで厳粛な教育を受けた王女とは思えぬ発言だ」
「っ・・・執政長官、返答や如何に」

 今までにないくらい不遜な言葉にアリッサが思わず目を開いて王女を見遣る。王女の怒りの瞳は、静かなままのレイモンドの態度をじっと睨んでいた。

「私が陛下より承った事は、ケイタク殿とクマミ殿、アリッサ殿に叙任式以降の予定を伝える事。ケイタク殿は任務のため此処には居らぬ。明日伝えるとしよう。
 よって私の義務は既に果たされたもの見る。これにて失敬するよ、御三方。別の部屋で政務があるでな」
「レイモンドっ!!質問に答えなさい!!国王は本当に自分で決断したの!?それとも貴方達宦官に唆されてーーー」
「王女様っ!!」

 激するコーデリアの言葉をアリッサが制止する。はっとして見遣ってくるコーデリアを押さえてから、アリッサは跪いて深々と頭を垂れた。

「申し訳ありませぬ、レイモンド執政長官殿。此の非礼の罰を、王女様に代わりましてどうぞこの私めに!」
「・・・誰にだって独り言を言いたい時もあるからな」
「っ・・・御温情に感謝致します、執政長官殿」
「なんの事かな・・・ではこれにて・・・」

 レイモンドはそう言ってはらりと白髪を靡かせながら執務室から出て行く。扉がばたんと閉まる。
 残された三者も既にこの部屋には用が無くなった。重苦しく足を動かすコーデリアに従うように、残りの二者も続いて部屋を出て行く。研磨された綺麗な石畳を踏みしめながらコーデリアは不満を零す。

「・・・不愉快です」
「コーデリア様。国王陛下がお取り決めに成った事に異を唱える事は、あの御方に御忠言申し上げる宦官の方々に反駁するも同義です。ただでさえ良い目で見られていないのですから、無闇な行動を執ってはなりません」
「それが一番の不快なのですっ・・・」

 ずけずけと歩むコーデリアに、アリッサは諌めの言葉を何度も投げ掛け続ける。愚図を零す子供をあやす姉のような光景を、数歩離れた所を歩きながら熊美は見詰めていた。

(どうしたものかしらね・・・あそこまで強情だとは・・・)

 国家の中枢に異を持つ事を赦さないとは言わない。だがコーデリアは王女なのだ、しかも王位継承権を持つ王女である。それが公然と国王の意思に異を唱える事は噂話のレベルであっても不穏極まりない。彼女自身それを理解出来ない程賢明ではないという事は在り得ない。だが友人が関わると自制が如何にも利かない感情的な性分であるが故に、その賢明さを失っているように見えた。
 何れ騎士の身分を戴いた後には彼女の心を更に鍛えようと決心した所、熊美の下へ一人の騎士が走ってきた。その者は跪いて頭を垂れ、恭しく言う。

「クマミ様、御助力をお願い申し上げたく参りましたっ!!」
「なんの助力だ?」
「教会の宝物庫にてドワーフの暴漢が一名、暴行を働いているので御座います!警備兵や憲兵、手の空いた兵士達を派遣しておりますが、かの者の膂力に勝てる者が居らず、苦戦しているので御座います!」
「・・・相分かった。馬を引け!直ぐに向かうぞ!」
「は、はっ!!承知致しました!!」

 騎士は急ぎ立ち上がり、案内するように背を向けた。熊美は急ぎ足で彼の背を追う中、宮廷に、そして王国に漂うきな臭い情勢に危機感を覚える。

(あまり良い物とは言えなくなってきたわね・・・もう昔のようにはいかない、か)

 若き日々と比べて重みと気だるさを感じやすくなった丸太の足を動かしつつ、熊美は厳しき表情で回廊を歩いていく。向かう先は、宮廷の厩舎である。




 教会の裏手にある宝物庫。貴族の館を改築しただけあって大きな広さを持つ建物は長き時を経て、今ではすっかりと物置小屋のような扱いを受けている。嘗ての一族の繁栄は露と消え、現世を謳歌する生臭い者達の財宝の受け皿となっていた。とある警備兵は思った。此処に昔日の賑やかさを取り戻せば、きっと草葉の陰に居るであろう貴族の霊も慰みを覚えるであろうと。
 その願いは図らずも今、全く別の方向性を持って叶えられていた。がしゃんっ、ばきんっと轟くそれは、まるで大きな割れ物が破砕する音に似通っている。穏便な色など微塵も感じられぬ館の内で、獣染みた雄叫びが轟いた。

『ヒィイイイハァァアアアッ!!』
『ああああっ!?!?こっち来るなぁぁっ!!!』
『馬鹿馬鹿馬鹿っ、それメッチャ高価なんだから投げるなって投げるなああああ!!!』

 悲鳴を上げた二人の警備兵の頭部に、豪華そうな壷が叩きつけられた。粉砕した壷の欠片と共に問答無用で昏倒する二人を二階のバルコニー部分にて、虎の刺青を体に施した蛮族風の男が快活に笑い飛ばす。フロアの隅では美麗な銀髪をした女性が怯え気味に縮こまっている。

「ハハハハハっ、ざまぁみろやっ!!おい嬢ちゃんっ!気分はどうだい?」
「なななな・・・何してやがるんですかぁぁっ、この脳無しぃぃ!!教会に完璧に喧嘩売るとか馬鹿じゃないのっ、本当にぃぃっ!」
「ふはははっ!今更何を躊躇う!!腐った蜜柑に火薬を投げつけるようなものだっ!!俺が火を点けるわけじゃないから大丈夫だぁぁ!!」
「予備罪の適用範囲内だよっ!脳筋野郎!!」

 女性の罵りを受けた男、盗賊アダンは低く笑いながら再び警備兵等に視線を合わせた。建物の一階部分、ダンスフロアのように広がるその部屋には壁側に向かってチェストやキャビネットや武器棚が置かれ、そして彼と相対する警備兵や憲兵、そして一般の兵士の姿等が見て取れた。数の暴力にて万事解決する彼らは而して此処では、圧倒的な膂力を誇る男一人に対して、全く為す術も無く打ち倒されているのが現状であった。
 一階フロアの所々では既に何人もの者達が倒されており、床に伏せたり壁に寄り掛かったりしている。かの者を倒さんと切り掛った瞬間、手当たり次第に部屋の宝物で以って潰されていく次第であった。現場に駆けつけた兵士、ミシェルは恐怖する。鍛錬を積んだ同胞達が唯一人の人間に蹂躙される事。そして教会の宝物が異常な速さで粉砕され、その価値を泥水と等しきものとしている事。

「なっ、なんとかしてあいつを止めなくちゃならんっ!さもないと・・・」
『ハッハッハァ!!ジュエリー弾を喰らいナァっ!!』
『いやそれ唯の宝石投げ、ってあいたたたたっ!!光物は大切に扱えぇぇ!!』
「教会の宝物が根こそぎ投げられるっ!」
「個人的には大歓迎だなぁ」
「緊張感持とうぜぇ、パック」

 哀れ、アダンに近寄った憲兵が顔にアメジストの嵐を受けて苦痛を漏らし、続けざまの飛び後ろ蹴りを腹に受けて吹っ飛ばされて、壁に後頭部を強く打ち付けて白目を剥いた。そしてそのまま横倒しで螺旋階段へと倒れ込み、段差に身体を跳ねさせながら転がり、階段半ば辺りまで行って漸く動きを止めた。見るも無残な最後である。
 汗一つ掻かず所業を成し遂げていたアダンは、ふと入り口の方に目を遣った。兵達の幾人が入り口から出て行っている。意図は直ぐに理解できた。

「挟み撃ちって訳か・・・漸く頭回してきたかねぇ。そうでなくっちゃぁ喧嘩は詰まらない」
「け、喧嘩ってレベルを超えてるし、もうこれ唯の一方的な甚振りだよ!虎がゴキブリを食い殺すようなものですよ!」
「ん・・・なら別に悪くはないな?」
「あたし何言ってんのっ・・・相手に正当な理由を与えるなんてぇぇ・・・」

 頭を更に抱える女性、同業者であるパウリナを他所にアダンは二階に置かれている調度品や武器に目を遣り、そして螺旋階段を登り始める憲兵達の姿を見る。数は全部で三人だ。

(階段は二箇所・・・中に一つ、外に一つ。ちょろいな)

 アダンは壷に手を掛けて、不満顔でそれから離れる。如何にも重さが足りない。ドワーフ二人程度で支えられるほどの重みだ。息を一つ吐いたアダンはむんずとその場にしゃがみ込んで、キャビネットの底の方に手を掛けた。そして唸り声を漏らしながらそれを持ち上げる。  

「ふんぐぉぉおおおっ・・・」

 鍛え上げられた腕の筋肉が盛り上がり、首筋に血管が浮き上がった。パウリナはありえぬ光景を目撃して瞠目する。彼が持ち上げたのは大の大人四人で漸く持ち上げられるほどの重厚なキャビネットだ。中は空のままであるが、それでも重量が凄まじいものに相違ない。
 その認識は兵達に共通する事である。螺旋階段を登り終えようとした者が恐怖の瞳で、どんどんと接近する足の生えたキャビネットを見詰めていた。

「ちょ、ちょちょちょちょちょっとぉっ!それは無いんじゃーーー」
「あらよっとぉおお!!」

 爽快な声と共にキャビネットが投げつけられ、先頭の男がそれを抱える形で倒れていく。当然の如く後ろに続いていた二人の者もその巨体に押し潰されるように倒され、三者揃って手摺に寄り掛かる。急激に圧力を加えられた手摺は元々の老朽化も手伝って皹が一気に入り、そのままばっくりと破砕する。声にならぬ悲鳴を漏らしながら憲兵等は穴から落下し、キャビネットに押し潰される形で一階に激突する。げぇっという蛙の悲鳴と共に床に落下したキャビネットが、風に膨らむスカートのように下腹部を潰した。
 下敷きとなった男達は死んではいないが、何らかの傷害を受けた事は間違い無さそうである。その光景を見てアダンはにたにたと笑みを浮かべた。

「へへへ・・・」

 これで目に付く王国の兵達は全て打ち倒された事となった。全てが一階フロアに身体を伸ばし、或いは壁や階段の手摺に倒れ掛かっている。
 アダンは踵を返して二階の奥部屋へと走って向かう。その扉を蹴り破ったと同時に部屋の向かい側にある外への扉も開かれ、警備兵の姿が現れる。慌てた様子で剣を抜こうとする兵目掛け、アダンは疾駆の勢いで接近する。

(遅い!)

 瞬きの間に近寄る虎の刺青と威圧的な蛮族風の顔付きに警備兵が顔を歪める。剣に手を添えた兵に、アダンは身を丸めて体当たりを決め込んだ。その勢い、まるでサイが突撃するかのようである。半分開かれた扉と共に兵が吹き飛び、そのまま外の階段の手摺を乗り越えて石畳に激突した。
 後に続いて建物に突入しようとしたミシェルは一瞬怯みながらも剣を抜刀して、階段を登りながら上段に斬り掛る。一歩退いて剣を交わしたアダンは振られた相手の手をむんずと掴み取り、強引にその握力を解いていく。剣を奪い取った後、反抗しようと殴りかかってきたミシェルの顔面を掴み、そのまま片手で持ち上げる。アダンは痛みに叫ぶミシェルを無視し、それを態々部屋へと連れ込み、速足に壁に接近して全力でそれを投げ抜いた。

「よいしょおおおお!!」
「あらぁぁああ!?」

 ばぁんっ、と勢いのままに衝突したミシェルは壁を突き破り、木片と共に一階の床へと落下する。受身を反射的に取って転がりながらも、衝撃の強さに呻き声をあげて苦悶する。

「おいぃ、ミシェルぅう!!もうちょい気張ってくれよおおお!!」

 螺旋階段を上がり掛けていたパックがそれを見て悲鳴を漏らした。陽動に陽動を重ねた狡い手段だ。素直に力押しで攻めればまた違った結末を迎えられたであろうに。
 アダンは意気揚々とパックに接近し、剣を振るわんとする。やけっぱちの表情を浮かべたパックはそれに合わせて下段より剣を合わせる。ぎんっと鳴動する音と共に弾き飛ばされる己の腕にパックは歪み面を浮かべる。一撃があまりに重過ぎるのだ、剣が折れるかと思う程に。だがパックは必死に剣を構え直さんとする。アダンが二度目に振り抜いた剣はその威力だけで、奇跡的にも構えが間に合ったパックの剣を今度こそ叩き折り、そして己の刃を完全に潰した。
 慣性に振り回されるように手摺へと身体を打ち付け、パックはぐっと息を飲み込んだ。その後頭部をアダンは無遠慮に掴み取り、アダンはサファイアの欠片を握ったもう片方の手を、彼の顔の前に翳した。 

「ドワーフの剣を受けて腕が無事のままってのは・・・あんた、意外と腕が良いな。そんな感触で燻るより、どうだい、一緒に財宝の海で溺れてみないか?」
「・・・もうちょい値の張る宝石がいいなぁ」
「贅沢言うんじゃありませんっ!!!」

 パックから手を離したアダンは、そのがら空きの臀部目掛けて直刀蹴りを叩き込む。鋭き一撃に押された身体は老朽で腐りかけた手摺を打ち崩し、そのまま階下へと落下していく。身体と顔を強く打ち付けてパックはがくんと頸を揺さぶられ、そのまま意識を落とした。
 階下のそれに向かってアダンはサファイアを指で弾き、建物の彼方此方で転がる兵達を見遣る。死んだ者は一人とて居ないが、明らかな重傷を負った者が大半といえた。

「・・・全滅か。呆気無さ過ぎるぞ」
「いやそれは旦那の腕力が凄過ぎるだけですって」
「当たり前だな。何せ俺は剛力を持つ者、ドワーフだ。膂力の比べ合いで負ける事など絶対にあり得ん。自慢ではないが、昔虎と取っ組み合いになった事があってな、一刻近く組み合った末虎を縊り殺した事がある」
「へぇー・・・だから虎の刺青なんだ」
「虎殺しのアダンだ。覚えておくように、同業の者よ」
「あ、あたしはですねーーー」
「聞く必要は無い」
「へ?」

 アダンは一つ溜息を零して周りを見詰める。これまでの暴虐の余波により、宝物庫を宝物庫たらしめる、教会の宝物や遺物の多くが破損してしまっている。

(やり過ぎたなぁ・・・まともな状態を保った物が少な過ぎる。この程度の宝石じゃぁ商売にならん・・・圧倒的に量が不足している・・・)

 本業は盗賊である。盗品の売買が生業の一つなだけにアダンは落胆を隠さずに居たのだ。
 彼はそのまま俯き、それまでの激動とは打って変わった冷静な表情を浮かべる。

「嬢ちゃん。あんたも同業の誼|(よしみ)なら分かるだろう?有象無象の闇商人共はたかが一個の宝玉には目もくれん。本物の価値を知らぬ雑多な奴はまとまった量じゃないと受け取ってくれんと」
「ま、まぁそりゃぁ、知っていますよ・・・。危険冒して盗賊と遭った末に取引したのはたった一個の宝玉じゃぁ、どうも損の方が大きいらしいですから」
「うむ。だから俺と嬢ちゃんがこいつらを山分けしても、まともに売買できそうなのはほんの一握りなのは分かるよな?」
「は、はぁ・・・分かりますけど」
「なら話が早い。嬢ちゃん、ちょっとあんたの取り分を取らせてもらうぞ」
「なっーーー」

 発作的なまでに危機感を覚えたパウリナ目掛け、アダンは素早く床に転がっている剣の柄を蹴り上げ、それを掴んでパウリナへ投擲する。パウリナは弾かれたように階段へと転がって避ける。その頭部が寄り掛かっていた場所に、刃を潰したばかりの剣が半ば辺りまで突き刺さった。
 パウリナはそれを激しき瞳で睨んで叫ぶ。

「て、てめぇ!本性見せやがったな!」
「ふん。あんたは身のこなしが良いだけの唯の小娘だ。盗賊の世界に足を踏み入れたのが間違いだったな。だから俺のような奴と出遭った時、どうすれば良いかを全く理解していない」
「へ、へぇ?ど、どうすりゃ良いんだよ?」
「簡単だ。命乞いをして相手の情けに期待をするのだ。俺は容赦はしないからやっても無駄足だな。足を踏み入れただけに」
「う、上手くないんだよっ!この馬鹿虎!」
「虎を馬鹿にするなっ!!!」

 裂帛。アダンは距離を一気に詰めんかといわんばかりに疾駆する。パウリナが階段へと身体を滑り込ませるのと同時にアダンの拳が空を切った。その速さは疾風の如きものであり、掠っただけで頬肉が千切れて飛びそうなほど。
 態勢を取り戻したアダンは、崩壊した階段の手摺から階下へと飛び降りるパウリナの姿を見遣った。

「待たんか、小娘ぇ!!!」

 その声を無視してパウリナは只管に出口へと突っ走る。背後の床にアダンが着地する音が響いたが、その頃には建物の出口は目と鼻の先であった。

(おっしゃあああっ!これで外に出られーーー)
「おぶっ!!」

 突然目の前に立ち塞がった厚い壁に顔が潰れ、疾駆の勢いが止まる。いたく筋肉質で熱さを帯びた壁である。

「ふん!案外トロいな、小娘!!そんな所で立ち往生とはーーー」

 パウリナを捕えんと走り出そうとしたアダンは、その壁を見遣って動きを止め、警戒を隠しもせずに身構えた。パウリナはおずおずとその壁から離れて、ゆっくりと上を見遣る。壁と思っていたものは、壁と錯覚して当然なまでに鍛え抜かれた鋼鉄の筋肉であった。厳しき羆のような大男が、それに相応しき老練で厳格な顔つきをして彼女を見下ろしていた。

「・・・娘、一体誰がこんな事を?」
「ああ、あ、あれ、あれです!!あの虎柄の馬鹿です!!」

 大男の視線に怯えつつ、パウリナはアダンを勢い良く指差した。彼女を脇へ押しやって男は歩きながら近寄る。

「おい貴様。虎殺しのアダンだな」
「・・・へ、へぇ。如何してそんな事を」
「手配書に乗っていたぞ。ほら、見てみろ」

 大男は懐から手配書を掴んでばっと投げ付ける。両者の鋭き視線の間に紙が漂い、一瞬の障壁となった。途端に大男が地を滑るかのように足を運び、猛然と拳を振り抜いてくる。その俊敏さはアダンのそれに及ばんかという程。

(早っーーー)
「ふんっ!!!」

 隙の無い一撃が顔面に飛んでくる。アダンはそれを間一髪で回避して反撃の拳を胴に放つ。而して鋼鉄の如き体躯にはそれは優しき叩きに相違無きもの。大男はそれを児戯の抵抗と看做し、勢いを増すかのように二度、三度と拳を振り抜いてくる。脇溜めからの二の腕への一撃はドワーフの膂力を以ってしても痛みを覚えるほど。
 下方から突き上げるかのような拳の連打を身体をよじって回避し、或いはタイミングをずらしてそれを逸らしていると、今度は鞭のような外払いの下段蹴りが飛んで来てアダンの腿を痛みつける。後退する彼を追うように大男は蹴りを放ち、回し蹴りも決め込む。アダンをサンドバックに見立てるかのように大男は左右へ足を運び、様々な角度から重き拳を放つ。而して全てにおいて回避され、或いは肝心な部分を逸らされるのは偏にアダンの手練の賜物といえるであろう。
 幾度の攻撃の最中に耐え抜きながらアダンは反撃の手も緩めず拳を胴に打ち込む。そして大男の左フックに合わせて、己の下からの突き上げの拳を見舞わせた。拳が鼻に突き刺さり、血の温かみを指の外皮に感じた。そしてそれと同じくして大男の右の直突きがアダンの頬を打ち抜き、両者の足を後退させる。
 鼻から滴る血に笑いつつ、大男、熊美は快活に言う。

「久々に骨のありそうな奴と遭えたな。我が武の前に平伏せ、剛力の盗賊」
「けっ。ドワーフ舐めてんじゃねぇよ、羆の爺。今すぐその牙叩き折って研磨して、ネックレスにしてやらぁ」

 手近の武器棚にある剣をむんずと掴み取りつつ、アダンは眼前の強敵に啖呵を切った。熊美はそれに応えるように武器棚の剣を握り締め、ゆるりとその切っ先をアダンに向ける。殴り合いはいわば挨拶のようなもの。そう思わせるが如き尋常ならざる殺気を醸して、両者は互いの瞳を睨み付けた。
 肝を冷やす末恐ろしい光景に、逃げればいいものをその場に踏み止まってしまったパウリナは、ずりずりと足を動かして、入り口近くの壁に背を預けて尻餅をついた。ごくりと飲み込んだ唾はやけに苦味のあるものであった。





 空気を焦がすじりじりとした音と共に火球が宙を凪ぎ、石壁にぶち当たって枯葉が集ったような火花を散らした。陽射以上に攻撃的な熱さを伴ったそれを避けつつ、石壁から石壁へと逃げ渡っている青年、慧卓は充分に荒げた息を整えようとする。
 
「・・・はぁ・・・はぁ・・・っっ!!」

 頬は幾度の炎の余波を受けたか煤が目立っており、警備兵の黒い外套は所々が焼け付いて焦げ目を作っている。命の度重なる危険に瀕してか、表情には余裕が失われており、目がはっきりと見開かれている。
 反対に、金色の光を放つ聖鐘を挟んで火球を幾度も繰り出した者、チェスターは実に涼しき表情を浮かべたまま、まるで学説を唱える論者の如き口調で言う。

「出てき給え。理性的な人間であるなら分かるだろう、この炎は偽り無く、本当に肉を焦がす火であると」
「で、出たら問答無用で焼くんだろ!?」
「安心して出て来た方が身のためだぞ、警備兵。次からは火力を高めるからな」
「ちっ!レアかミディアムかの違いだろ!?」

 かつかつと、聖鐘の聳える場に足音が響き、横から横に吹き抜ける風に混じって宙に消えた。
 慧卓はそっと柱から顔を覗かせる。巨大な聖鐘を挟んで相対する相手の姿は見えず、ただ徒に足音だけが緊張感を催していた。ふとその歩調が一気に早まり、鐘の左側から杖の禍々しき赤光が煌いた。途端に其処から揺らめくような火が生まれ、顔面と同等の大きさの火球を放出した。

「うおっ!!」

 それまでの二倍近くの火球に慌てて顔を引っ込めて身体を捩る。火球は石壁を掠めながら宙を裂いて消えてゆくが、その球は慧卓の外套に大きな炎を燈していた。腿辺りに強烈な熱を感じ出す。

「あっち、あっちっちっ!!」
 
 慧卓は急ぎ外套を脱ぎ捨ててそれを丸め、引火した部分を必死で叩く。外套は背中に大きな穴を作り、ズボンの部分にも俄かに茶褐色の焦げ目を作ってしまった。

(どうすんだよこれ・・・まだ新品なんだぞ・・・)

 一日で用無しとなった外套を抱きつつ、慧卓はそっと頭を石壁に預ける。
 火球が放たれた場所より、ゆっくりとチェスターが姿を表した。圧倒的な立場を誇りつつも、その顔はすっきりとしていない。幾度も火球を放っても慧卓に直撃せず、思った以上に時間が取られてしまったのが大きな要因であった。

(・・・肝心な所で避けるな。中々に機転の良い奴。まぁ次は外さないだろう)

 慧卓が潜む石壁まで残り十数歩。仮に反対側の壁に逃げようとしたとしても、聖鐘の下方から火球を放てば確実に足を焼ける。此方に向かおうとしたならば尚更である。
 チェスにいうチェックメイトを決める気分でチェスターは悠々と近付く。その距離が更に縮まった瞬間、黒い影が予想した方向へ飛び出した。

「っ!!」

 チェスターは反射的にそれ目掛けて火球を放つ。先よりも更に早く打ち出された轟々と燃え盛る火球は、寸分違わず、宙を泳ぐ黒い外套を燃やし尽くす。だが其処につんざめく悲鳴や、肉が焼ける音は存在しなかった。

(外套だけか!)

 そう思ったと同時か僅かに早く、外套が放られた所とは反対側の影から、慧卓が真っ直ぐに突っ走ってきた。 

「こんのぉっ!!」
「ちっ!!」

 二度目の放出は間に合わない。そう思って杖を振るわんと翳したが、慧卓が一手早くその行動を阻止せんと杖に手を伸ばし、無遠慮に掴み取る。両者は杖を挟んでその所有権を巡るように睨み合い、その足元で払いや突きの攻防をしながら、手摺の無い鐘楼の石畳をふらふらと彷徨い歩く。
 押しては退いて、流しては力んでの単純な攻勢を変化させたのは慧卓であった。相手が押し返そうと身体を強張らせた瞬間、身体の力をふっと抜いて相手を躓かせ、その後頭部に手を遣って聖鐘へと持っていった。聖鐘の金色の肌にチェスターの頭部が全力でぶち当たり、低く金属質な衝突音が響く。

「ぐっっ!?!?」

 呻くチェスターの後ろから回り込んで杖を握る手を鐘に打ちつける。杖と鐘の間に指が挟まれチェスターは思わず杖を足元に零しが、慧卓がそれを掴むより前に前方へと蹴飛ばした。からからと地面に円を描きながら、杖は入り口の戸の近くで止まる。
 杖に意識を取られた慧卓は一瞬其方へと目を向けてしまう。その煌きを視界の端に収めながら、形勢逆転と図らんとばかりにチェスターが慧卓の下腹部を肘で鋭く突き、俄かに前のめりとなった彼の顎を反対側の拳で突き上げようとする。

「しっっ!!」
「うおっ!?」
  
 慌てた様子で慧卓は距離を開けようとするが、無防備に広げられたその腕、手首辺りをチェスターはがっしりと掴み、己の膂力を使って全力で引き戻しに掛かる。肩に痛みを覚えながら慧卓は身体を振られ、聖鐘の縁の部分に思いっ切り額をぶつけた。悶絶の息を漏らす慧卓は不快げに言う。

「っぃっぃいいいっつ!てめぇっ・・・!」
「借りた分は返したぞ・・・!」
「俺は端っこ狙ってやってねぇぞっ・・・!!」

 怒りと痛みで表情を歪めた慧卓は果敢に立ち上がり、チェスターに殴りかかった。

「むっ!」

 乱暴に振り回されるその腕は格式ばった動作ではなく、洗練された振りでもない。しかし元々武道に親しき国に生まれた所以か、スクリーン越しに観た映像より覚えたその動作を、ほんのわずかな部分であるが慧卓はトレースをしていた。殴りかかる際には拳を捻ったり、腰に軸を置いて体幹を崩さなかったりなどだ。 
 だがチェスターにとっては多少の驚きこそあれど、児戯の技に見えるものであった。数度の振りをかわしただけで慧卓の実力を推し量り、チェスターは相手の正拳突きに合わせてカウンターの直刀蹴りを叩き込む。

「ぃぃっ!?」

 一瞬の攻勢の躊躇いが慧卓の不運であった。華奢な身体が小さなくの字を描き、前のめりとなった顔にチェスターの拳が無遠慮に突き刺さる。頬に拳を受けた慧卓は自分から力を流していき、過剰なまでに吹き飛ばされて聖鐘に背中を打ち付けた。
 再度飛んでくるチェスターの大振りの拳を避けようと慧卓は身を素早く屈め、聖鐘の下を潜り抜けて反対側へと前のめりに転がるように出でる。そして我武者羅に目前に転がる杖を掴んだ瞬間、奇怪な事に、杖の宝玉に同調するように頸に掛かったアミュレットが光り始めた。

「はぁっ!?」

 思わず素っ頓狂な声を漏らす慧卓の胸に、不意に漲るような力が沸いて来る。それは慧卓の胸中から生まれるものではなく、寧ろアミュレットの宝玉から生じるものであった。宝玉が、触れている大気から力を吸い込むように紫紺の光を放ち、それを慧卓の腕を通じて杖の先端へと送っているのだ。
 かんかんと、走り寄って来る足音に慧卓がはっとして面を上げて振り向こうとし、その目が聖鐘を吊るす極太の荒縄へと送られた。慧卓は弾かれたようにそれに向かって杖を振り抜いた。そう、先程までチェスターがやっていたように。

「ファイヤアアッ!!」

 振り抜いた杖の宝玉が煌き、轟々と燃える小さな火球を作り上げた。火球は真っ直ぐに聖鐘の上方へと向かい、その業熱が荒縄を一瞬にして黒い灰と変えさせる。
 自然の摂理に従うままに支えを失った聖鐘が落下して、その下に敷かれていた落し戸を打ち抜きながら沈み込む。強烈な破砕音と木片、そしてその崩落に巻き込まれるように、聖鐘を回り込んで足の向きを変えた直後のチェスターが、為す術もなく身体を沈めていく。

「ぬおおおっ!?」

 慧卓まで、後一歩の所まで近寄っていたのだ。それをこのような形で、しかも己が足蹴にした得物によって邪魔されるのは実に腹立たしい。
 チェスターは落下しながら渾身の力で執念の腕を伸ばし、幸運にもその左手が、憎き敵の足首を掴み取った。 

「あひぇっ!?」

 当然の如く慧卓も落下に巻き込まれる。突然の出来事に杖が手から離れてしまい、二つの宝玉から光沢が消え失せた。ずるずると引き摺られる身体に抵抗しようと腕を伸ばすがどうしようもない。二枚の落し戸を打ち抜いた聖鐘の轟きを聞きながら、慧卓はどうにか落し戸の残骸に両手の指を掛けた。足首にチェスターの体重が、そして両手の指の腹に二人分の体重が掛かる。落下の抵抗で削れた爪の痛みもそうであるが、今度は糸で締められるような痛みが指全体に広がった。
 慧卓は形相を完全に苦痛やら怒りやらで歪める。チェスターもまた同様に怒りを抱きながら叫ぶ。

「おのれぇぇっ、ちょこざいな手を使いおって!!私だけでは落ちんぞ!!」
「あああ馬鹿馬鹿馬鹿っ!!!なんで掴むの馬鹿野郎っ!トマトになるでしょぉぉ!!!」
「喧しい!!聖鐘を叩き落した奴がそれを言うなっ!落とした責任くらい自分でつけ給え!!」
「ワタシセキニンッテコトバワカリマセェェエン!」
「知らんわぁぁああ!!」

 口喧嘩をする内にも指に段々と力が入らなくなっていく。一本、二本、三本と指が残骸から離れていく。落下へのカウントダウンを無意識に数えてしまってか、五本目が滑ると同時に残り全ての指も残骸から離れてしまった。

「っひっ・・・!」
「ちっ!!」

 一瞬の悲鳴と舌打ちを伴って二人の身体は無様に落下し、聖鐘へ真っ逆さまに落っこちて行く。チェスターが身を捩って聖鐘の金肌に身体を打ち付て転がり、慧卓はその臀部を鐘を吊るす輪っかにぶつけた。

「ふごっ・・・!!」

 鐘から滑り落ちて身体を地面に打ち付ける。身体の痛みよりも先に臀部の強烈な痛みに慧卓は苦しむ。、

「あっっっつぅうう・・・二回とも端っことかぁぁっ・・・」
「・・・これが、地図だと?」
「あ?」

 慧卓は声に反応して涙目の面を上げ、奇妙な光景を見る。壁一面の何の変哲の無い白い石の壁面にに複雑な起伏を浮かべた台形の地図が、まるでスクリーンに映写機が像を映し出すかのように描かれており、その北側の中央辺りに赤い光点が刺さっているのだ。どの壁面にも同じような地図が描かれている。縁に海岸のようなゆらりゆらりとした歪みを抱いた特徴的な姿は、明らかにこの王国領土、そして紅牙大陸全土を顕した地図であった。

「か、壁に投影しているのか・・・頭良いねぇ・・・」

 適当にそういってのける慧卓とは裏腹に、チェスターはその赤い点をじっくりと見開いた瞳で見詰めていた。その赤い光点は台形の上半身、右肩よりの小さな穴の近くで光っている。

「・・・此処は北嶺・・・エルフ自治領か?」

 その言葉を慧卓は聞き漏らさなかった。痛みに耐える傍らにその光点が差す場所を脳裏に刻み付ける。
 ふと、壁越しに何やら急いたような足音が響いてくるのが聞こえた。その音は螺旋状にどんどんと登り、そしてトカゲのような見た目の翠色の鱗肌を伴って頭上高くに現れた。
 
「棟梁、何ヲやってイル!!」
「ビーラ!!」
「聖鐘騎士団が来ているノガ見えタゾ!さっさと来イっ!逃げルゾ!!」
「分かった!」

 チェスターは壁面の光の地図の一度見てから、颯爽と聖鐘の肌を蹴り登ってその頂点に辿り着く。ビーラがさっと垂らしたロープを掴み、チェスターは悠々と逃走を図っていく。

「っ!!待てお前っーーー」
「シィッ!!」

 慧卓が追い縋ろうとした瞬間、ビーラが回収していた魔道杖を振り抜いて火球を放った。火球は駆け出そうとした慧卓の足元に弾け飛んで豪快な爆発を生み出し、石造りの床を砕き散らす。
 顔を守ろうと腕を覆った慧卓に向かい、ロープを登り終えたチェスターは猛々しく言う。

「何れまた会おうっ、若人よっ!次こそは剣で相見えようぞ!!」

 下方を見下ろす二者の姿はその言葉を皮切りにさっと消え去り、足音だけを残していった。巻き上がった粉塵が晴れ、慧卓は腕にくっきりとした火傷を残しながらチェスターらが消えた方向を悔しげに睨みつける。ご丁寧にロープも巻き上げられていた。
 完全にしてやられた格好である。あの未練の感じられぬ颯爽とした所作、明らかに彼らの目的は達成されたものであろう。空気に触れてずきずきと傷みだす腕を庇い、だらだらと額に浮いてくる汗を垂らしながら慧卓は小さな溜息を零す。

「はぁ・・・どうやった抜け出そうかなぁ・・・」

 所在なさげにその場に座り込む慧卓。助けが来るのを待ちつつ、彼はなんとなしに壁面の地図を見詰めた。

(・・・北のエルフ、か)

 未だ見ぬ北嶺の雄大な自然、そして其処に住まう幻想の人種。一つ聞けば心が沸き立つ筈の単語であるが、己の職務を全う出来なかった慧卓の胸の内には悔恨と苛立ちのみが走る。破砕した石によって切り傷が出来た唇を舐めながら、慧卓は更なる精進を心に誓った。
 
 
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