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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 31

 「ああ、良かった。今度はちゃんと十三人、全員を誘導できてるわね。余計なのも一人混ざってるけど、折角逃がしてあげたマーシャルがぐっすり眠ってて使い物にならないみたいだし……そうね。マーシャルの代わりだとでも思ってあげましょうか」
 くすくす、くすくすと。世界に在るもの総てを蔑んでいるような、純粋に楽しんでいるような、何処かでは冷めているような……こんな、不気味に狂った独特な女の笑い声、姿が見えなくても聞き間違える余地は無い。
 「イオーネ……!」
 深傷を負ったマーシャルが此処に居ると考えれば、彼女に執着心らしきものを見せていたイオーネだって近くに居ても不自然さは無い。
 が。
 それにしたって、ミートリッテの逃げ足には及ばないまでも、アーレストの移動速度は並じゃなかったのに。もう追い着いたのか。
 「指輪は……継承した後ね。なら、準備期間は無事終了。さぁ! 愉快な宴を始めましょう!! 貴女達が大切に護ってきた可愛いお姫様を! 貴女達の目の前で再び! 希望の欠片も残らない、ボロボロで惨たらしい塵屑に変えてあげる! 己の無力さを! 自分達が犯した罪の重さを! 何度でも何度でも繰り返し味わって、絶望し続けるがいい! 浅はかな幻想に溺れて自らの土や根を荒らした、愚かなる青薔薇(ブルーローズ)達よ!」
 「……っ!?」
 バリバリッと全身を撃つ音がした。
 落雷によく似たその音と衝撃は多分、錯覚じゃない。イオーネの叫びを聞いた瞬間、騎士達とミートリッテの間で跳ね上がった緊張感が、空中の放電と同じ現象を引き起こしたのだ。
 表情硬く、僅かに持ち手を落とした騎士達の傍らで、例によって例の如くアーレストだけが暢気に髪の水気を絞っているが、そっちはこの際どうでもいい。
 『青薔薇(ブルーローズ)
 イオーネが二回口にした名称を、ミートリッテは知っている。過去数回細やかな噂程度でしか聞かなかった名前だが、忘れられる筈もない。

 『……ブルーローズが活動を再開してくれりゃあ良いのにねぇ』
 『無理無理。あの怪盗集団、国軍に捕まったって話じゃん? 現に、現れなくなって何年経つと思ってんだよ』
 『それはそうなんだけどぉ……あーもーっ! あの浪費癖持ちの高慢ちきな連中を懲らしめてくれるんなら、いっそ詐欺師や強盗犯でも構わないわよ! 何かに付けて税金税金ってさ。これ以上お貴族様の狂った金銭欲に付き合わされるなんて、考えるだけでもゾッとするじゃない。義賊の働きで少しは搾取される側の立場を理解したかと思いきや、懲りずにまた住民税を上げるとか言い出すし! こっちにしてみりゃ、どれもこれも値上げされてちゃそもそも生活が成り立たないっての! どんだけ土を掘り返したって、水と養分を回さなきゃ作物は満足に育たない。作物の不足はあらゆる生命の存続を危うくする。下が整わなきゃ上まで一瞬でペシャッと潰れて全部おしまい。そんな、人間社会の構図にも通じる当然の理窟も解らないとか! 頭足りてないんじゃないの!?』
 『まぁなぁ……。確かに、ちったぁ額に汗して働く人間の苦労も考えろとは思うけど、あんま声高に愚痴んなよ。狂犬が強権発動して「叛逆罪だー!」とか吠えまくるぞ』
 『おお、恐い恐い……。もっともらしい理由を付けて他人様から物を奪うのは、あの方々の得意技ですものね。口紐を閉じておくのがせめてもの抵抗だなんて理不尽極まりないけれど、仕方ないのかしら。いつの世でも彼方の方々には分別能力が育てられないのか、開いている口総てに我が物顔で手を突っ込みたがる悪癖がおありのようだし?』
 『開いてる口だけならまだマシだけどな。閉じた口に無理矢理捻じ込まれても文句は言えないんだから嫌になる。つくづく真面目に働くのが莫迦莫迦しいっつーかさぁ……っとと、危ない危ない。この話は終わりだ終わり。行こうぜ』
 『! え、ええ。そうね、行きましょう……』

 ハウィスに連れられて南方領一大きな街の市場を訪れた、あの日。
 たまたま近くに居た子供の存在に気付くまで続けられた若い男女二人の会話が、まだ何も知らなかったミートリッテに教えてくれたもの。
 後にシャムロックを生み出す切っ掛けとなった者達。
 それが、かつて南方領全土で活躍していた劇場型の義賊『怪盗集団・ブルーローズ』だった。
 十一年前に忽然と姿を消すまで、主立った貴族からのみ金銀財宝を奪い去り、朝昼夜関係無しに派手な演出を添えて一般民へ配り回っていたという、顔を隠した『南方領民の英雄達』。
 (まさか、ハウィス達が『ブルーローズ』!? でも、ハウィスは伯爵だって……。今着てるのも、国軍所属騎士の制服で間違ってない筈。どういう事!?)
 信じられない思いで騎士達とハウィスをぎこちなく見回せば、ハウィスとクナートが唇を噛んで俯き、ベルヘンス卿が苦々しい顔で舌打ちする。
 「やはり、真の狙いはこっちか……!」
 「! やっぱりって、じゃあ……っ」
 ギリギリ聞こえるか聞こえないかの声量で忌々しげに吐き出された彼の呟きは、イオーネの言葉を肯定し、同時にミートリッテの疑問にも答えた。
 つまり

 『ハウィス達は正真正銘の『ブルーローズ』であり、イオーネ達の狙いは初めから「ハウィス達『ブルーローズ』を苦しめる事」だった』

 バーデルで火付けした時、ベルヘンス卿が『同じ事を何回繰り返せば気が済むんだよ』と憤っていたのを思い出す。あれは火付けに対してではなく、ハウィス達『ブルーローズ』を真似た義賊(シャムロック)としての行為を指していたのか。
 ハウィス達は自らが貴族でありながら、同じ貴族を標的に金品を強奪する怪盗でもあったと……
 「総員、ミートリッテ嬢の守備を固め直せ! 全方位からの攻撃に備えよ! 来るぞ!」
 「え? わ、っ……!」
 苦痛に耐えるような表情のハウィスへ茫然と視線を送っている最中、剣を抜いたベルヘンス卿にいきなり正面から抱え込まれた。ほぼ同時に、半歩後ろでドカッと重たい音。弾け飛んだ複数の小石が、ふくらはぎをピシピシと打ち付ける。
 小さく鋭い痛みを何事かと振り返れば、海上では使い勝手が悪そうだと思っていた珍しい二枚刃の銀斧が、地面に深々と突き刺さっていた。
 昼間に引き続き、またしても青年に命を救われたらしい。
 「……ありがとうございます」
 「君は時々、莫迦みたいに暢気だな! 礼を言ってる場合か!?」
 失礼な。「暢気」はアーレストの専売特許だ。
 「言える内に言っておこうかと」
 「こんな場面で不吉な物言いは止めてくれ!」
 悲鳴に近い怒声を上げつつ、ベルヘンス卿の右腕が斜め横に白い光の尾を引く。カカカッと連続して軽い音が聞こえたかと思えば、細長い棒が数本、足元へ落下した。投げ斧の次は弓矢と来たか。本物の人殺し集団だけあって、武器の種類は豊富に取り揃えているようだ。
 青年の腕の中で騎士達を横目に見れば、各々構え直した剣で飛来する危険物を相手に格闘している。暗闇で足場も悪く、相当やりにくいのだろう。動きに微かな躊躇いが混じっていて、とても危なっかしい。
 それでも彼らは一応、騎士の位を授かった武人だ。マーシャルとイオーネの打ち合いほど熾烈ではないが、何処から来るか判らない攻撃を悉く躱してる時点で、ミートリッテが手出し可能な範囲は軽く凌駕してる。
 (どうする? 私を痛め付けてハウィス達を苦しめるのがイオーネの目的なら、私は此処から逃げたほうが良いの? ……ううん、駄目だ。この人達は振り切れたとしても、相手方にはアーレスト神父が居る)
 アーレストが相手でも、全力疾走なら追い付かれない自信はある。
 が、現時刻、真っ暗な森の草木はミートリッテにとって障害にしかならず、かと言ってそれらを避けて河岸沿いを降っても、転がっている石に足裏の傷が刺激されて全力は出せそうにない。
 結局、どちらへ行っても反則に近い優れた夜目を備えた化物(アーレスト)を撒く材料が不足してる。
 (マーシャルさんを助けてくれたし、完全な敵とは違うんだろうけど……でも、現状ではあの人が一番厄介だ。どうにかして退けないと)
 逃げるのは得策じゃない。寧ろ、単独で騎士達の傍を離れては確実にハウィス達の足を引っ張ると判断し、大人しくベルヘンス卿に護られながらもアーレストの動向を観察してみる。
 と。
 「!?」
 髪の次はシャツの裾を丸めて捩り絞っているアーレストの遥か向こう……河を挟んだ崖側の岸辺で、何かがきらりと光った。
 ほんの一瞬の輝き。
 けれど、ミートリッテの全身に冷たい予感が駆け抜けた。

 『アーレストが、狙われている』

 「神父様、危ない!!」
 「!」
 咄嗟に大声を出すミートリッテに驚いたベルヘンス卿も、振り返った直後、目を剥く。
 「アーレスト様!」
 騎士達はミートリッテの警護で動けない。一人のほほんと水際に立つアーレストは、のそっと右手を上げ
 「あ、はい。どうぞ、私にはお構いなく」
 
 ぱし。 ぱた。

 「…………は?」
 ミートリッテにふわりと微笑み返し。
 対岸に背を向けたまま。
 素早く下ろした手で。
 飛んで来た何かを掴んだ。叩き落とした。
 ふむ。などと浅く息を吐きつつ、手中のそれをまじまじと見つめる。
 「毒矢でしょうか? 恐ろしい物を使いましたねぇ……河に落ちたら水棲生物達に害が出るじゃないですか。持ち帰って、厳重に保管してくださいね。イオーネさん」
 ミートリッテ「…………」
 ベルヘンス卿「…………」
 騎士達「「「…………」」」
 ハウィス「…………」
 クナート「…………」
 平穏な夜の静寂に包まれる河周辺。
 (え……っと……)
 ……一旦、落ち着こう。
 崖上で見た時、河の幅は確か、少し大きめな林が楽に入りそうだなーとか、一戸建ての家屋を横一列に二十軒並べたくらいかなーとか思っていたが、あれはきっと気の所為だ。でなければ、ハウィス達に隙を作らせる目的で事前に入念な武器の仕掛けと避ける練習を死ぬほど繰り返したんだろう。うん。そうであってくれないと、(矢の飛距離も含めて)こんな超常現象は説明が付かない。
 だったら何故、イオーネ達までもが沈黙したのか……なんて、知るもんか。
 疑問を抱くな、関わるな。神父はこういう生き物だ。誰かと勝負をしていたつもりはないが、気にしたら敗けだ。
 「……本当、役立たずな連中ね。神父一人も殺せないなんて」
 苛立ちが籠ったイオーネの声にも、ついつい「いや……化物を殺せる人間なんて、この世界には存在してないんじゃないかなぁ……」と、暗殺者達を擁護したくなる。
 「……って……えぇッ!? 待って待って! おかしいから! 神父様が変なのは今更だから別に良いけど、どうしてそっちが神父様を殺そうとするの!? 仲間になったんじゃなかったの!?」
 微妙に失礼な発言だが、本人を含めて誰も咎めない。混乱するミートリッテの様子を、イオーネだけが鼻で笑う。
 「お前が伯爵の正式な後継者となった今、最も厄介なのがその男だからよ」
 (……どっちにとっても厄介者なのか。アーレスト神父……)
 呆れとも憐憫ともつかない表情でアーレストを見やるが、彼は飛んで来た二本の矢を適当な石の上にそっと並べている所だった。
 当然、全く気にしてない。
 「折角仔猫を檻へ入れてやったのに、邪魔をされたら元も子もないでしょう? こいつらにできないなら……私がこの手で殺してあげる!」
 ザザザッと、騎士達が現れた森の枝葉が激しく揺れ動く。
 そして
 「愚かな……」
 (え?)
 ミートリッテを抱えるベルヘンス卿が、地を駆る女性の影を見てぽそりと零す。
 光瞬く短剣の切っ先が、優雅に立つアーレストの心臓目がけて軌道を描き……神父が薙いだ左腕で、あっさり弾かれた。
 更に、「イオーネの後ろで」風を裂く音。
 背を反らせて避けた彼女が、襲い来た誰かに視線を向け……驚愕に顔を歪める。
 「お前は……!」
 「悪いな。これも「私」の仕事だ」
 耳に心地好く響く、男性の声。
 突然イオーネの背後に現れた誰かは、虚空を斬った長剣を翻し
 「お前が見続けた悪夢をこそ。今日、此処で終わらせてやる」
 「ーーッ!」
 地を蹴った勢いに乗り、体勢を立て直そうとするイオーネの背中に刃を滑らせた。

 
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