ビロング/ビサイド
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ビサイド
タオルで髪をガシガシ拭きながらジョンがバスルームから出てくる。ざっと腰を結わえた白いバスローブ。生脚が裾を跳ねるのを横目で見て、見ないふりをする。昨日も一昨日も一週間、キスもしてない。触れがたい身体を組み敷いた日から。
ダイニングテーブルにビーカーを置き、どろりとした液体を注ぐ。
「人間の身体で一番硬い部位は?」
「歯」
「ここに歯がある」
手の中からくるり、親指と人差し指でつまんで見せる。
「永久歯、第二か第三大臼歯だな」
「エクセレント」
「医者なんだよ」
「これを地上から永久に消すにはどうしたらいいだろう」
「証拠隠滅? 殺人の?」
「野焼きでは燃焼温度が低くて焼け残る。2,000 ℃を超える高温釜かバーナー。どこでやる?」
「焼くより酸だな。そのビーカーは?」
「これは 18 モルの濃硫酸、じゃなくてビネガーだ」
ワインを煮詰めた濃い色の酢にポトンと歯を落とす。
「何日かかるか測る」
「気が長いな…。文献がありそうだぞ」
「せっかく新鮮な試料があるから」
「どこで手に入れた?」
「抜けたんだ」
唇を指で引いて奥の空洞を見せた。ジョンは毒気を抜かれた顔をする。
「シャーロック、僕は苦情を言いにきたんだ」
話を逸らしてもダメだった。今、僕たちは不安定な状態にある。手を伸ばせば届く。でも、それが怖くなった。ずっと一人でいたからだ。
「寝室に鍵をかけるな。僕が傷つくのがわかるだろう」
「うまく誘えない」
「傷つけてもいい。身体で払え」
ジョンは勇気がある。彼の美点だ。ダイニングテーブルに追い詰められる。
「一週間…、君はどうして平気なんだ…」
「平気じゃない」
ジョンのことだけを考えるのは甘い苦痛だった。恋なんて割に合わない。頭を掴んで口づける。舌を絡め激しくなる。
「血の味がする」
どうやってするか相談して、彼を裏返した。肩、背中、尻、膝を立てた脚を撫でる。後ろからだと距離が遠い。
「一回やられると傷になって疼く。つらいよ」
そこが欲望の源だった。舌を尖らせて入れると柔らかく粘膜がなまめく。背中の震えが伝わり、ジョンは何度も息を殺している。感じるんだ。この前は暴力だった。腹から前に手を通しペニスに触れると必死に頭を振って拒絶した。
「どっちかにしてくれ。おかしくなる」
けれど後ろは一気に開いた。舌先が中で動けるくらい。
「入れるよ」
興奮で息が荒くなる。教えられたように自分を濡らした。ジョンが待っている。手を添えて当てた。小刻みに入っていく。背中が丸くなり、声を上げて枕を腕で巻き、暴れる身体を抑えるように彼は衝撃に耐えていた。奥まで納めて背中に重なって抱く。やっと体温が混ざり合う。動かなくても、自分のが太くなったり、ジョンの肉が蠕動するのがわかる。熱い。もの凄い感情の塊が胸に上がってくる。所有感と、愛かもしれない。ジョンはもう話せない。口を開こうとして、涎になって落ちるのを隠そうとする。胸だけ上げて左腕を衝き、抽送を始めた。ゆっくりやる。
「ああああ」
ジョンが乱れてゆく。こんなの見たことない。セックスってこうなんだ。理性が動いて気が散り始めた。顔が見たかった。一度抜き、腰を抱えて表に返す。一回り小さい彼の脚を肩にかけ、入れ直した。ジョンは腕で目を覆う。
「シャーロック、君が好きだ」
それだけやっと言って突かれるたびに喘ぐ。感じて締めてくる。ずるい。愛しさが爆発した。これは僕のものだ。絶対に。擦れる感触に酔って忘我する。
「来た、何だ。何だよこれ、あああっ」
ジョンの反応に合わせて速さを上げる。深く刺して奥にいった。背筋に走る。射精の快感のあと、うまくできた達成感が満ちてくる。ジョンは息を切らせて顔を赤くしていた。
「今の。いったよ僕。たぶん、後ろでいった」
「…ミラクル」
「うわー」
動揺して枕に突っ伏す。尻を撫でてやる。
「すごくいいんだ…。悪いことをしていて、感じちゃいけないのに感じる」
「うん」
横目で僕を見た。
「今ごろ立ってきた。何とかしろ」
寝たまま向かい合った姿勢を寄せる。手を伸ばす。腹で挟むように上を向けて腰を付ける。
「手でしよう。キスしながら触るの好きだ」
僕の立ちかけのペニスを彼も指先で触れてきた。いたずらみたいな感じがして楽しい。互いの甘い息を吸い、唇を重ねる。長く、長く、上になり、下になり、傾けてずっとキスをする。酸欠でアタマがぼんやりしてきた。固いのを押しつけ合う。
「いくよ」
「一緒にいこう」
腹の上に出して精液が混じった。激しくなくてもよかった。
ー僕たちは死に近づいて仕事をしている。危ない目に遭う。強くなろうとする。生と死を分けるのは純粋に運だ。いつか負ける。最後には死ぬんだ。
ー僕たちは長生きしないね。
夜の中、静かな湖面に舟を浮かべているようだった。湖は死だった。
朝食の散らかった皿を退けて、ジョンがテーブルに肘をついて乗り出す。青いネルシャツを着て男の顔だ。僕もカルキュレーター・マシンに戻る。
「僕たちはうまくいってる。毎日しよう」
「毎日」
「みんな何のためにあんな大騒ぎして結婚すると思ってるんだ。毎日やるためだぞ」
「ええっ」
「ハネムーンだ」
もう大丈夫な気がした。苦しい恋は生活に溶けてゆく。
「そうだ、歯医者に行けよ。今日も暇だろ」
その時、ドアベルが鳴る。
「依頼人だ。始発電車で来たんだ。『至急』だよ」
冒険への期待で胸が躍る。僕たちはまた、二人で走る。
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