逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 30
夢を見てるみたいだ。
飛散した無数の水塊が、夜空に舞い上がってキラキラ輝く。
地面に落ちて来るより早く、アーレストがミートリッテの体を抱えて冷たい衝撃から庇う。
目の前に居た女性と男性が瞳に殺気を宿して剣身を抜き放ち、アーレストの背後へ回った。
森に隠れていた偽海賊の軍属騎士達十人が、周りを警戒するように神父と怪盗を丸く囲い込む。
一瞬で物々しい空気が張り詰めた辺り一面に、一過性豪雨がバタバタと荒々しい音を立てて降り頻った。
そんな光景の総てに、現実感が無い。
(ハウィス……)
マーシャルとイオーネの打ち合いを通して、関係者である「ヴェラーナ」も彼女達並みに強いのだろうと思ってはいた。
そして、実際に現れた「ヴェラーナ」は血染めの軍服を纏っていて……咄嗟に見せた動きの速さも、戦い慣れている事を素人目にさえハッキリ伝えてくる。
確かに「ヴェラーナ」は強い。物理的に、人を傷付ける者として。
でも。
ミートリッテが知るハウィスは、深夜の酒場で働く一般民だ。
嫌がる娘に恋愛話を持ち掛けて揶揄ったり、休みの日にお酒が入れば何でもない日常の小さな愚痴を一日中延々語り通したりするけど、自身も時々物凄く間抜けな失敗をやらかす憎めないうっかり屋さんで。その割りに、小汚い浮浪者を迷い無く拾い育てるほど懐が深くて器量も好く、何処までも優しい女性だった。
間違っても、剣を振り回す部類の人間じゃない。
それだけに、七年を共に過ごしたハウィスと此処に居る「ハウィス」は、同じ顔の別人だとしか思えない。
けれど、ミートリッテが見ている「ハウィス」は、間違いなくハウィスで。
その彼女が実は国軍に所属する騎士の隊長で、経済難に喘ぐ南方領の一領主で、誰かとの賭けに負けた結果、他国の孤児だった現・犯罪者をアルスエルナ国内の領主後継者へ指名すると言う。
涙を溢して、謝りながら。
……訳が分からない。
こんなに大人数で、たくさんの嘘を絡めて。
いったい、どういう趣向の茶番劇なのか。
(なんなの、これ……手の込んだ悪戯にしても質が悪いよ? ハウィス……)
「まったく……」
河水の雨が止んでも言葉一つ出せず茫然と立ち尽くすミートリッテを解放し。
ふと、対岸に向かって転身したアーレストが崖先を見上げ、のほほんと呟いた。
「あの高さから落ちるなんて、無茶しますねぇ」
「「「いや、お前が言うなよ!!」」」
総勢十三人の呼吸ぴったりな突っ込みが綺麗に炸裂した。
「あんたが私を「あの高さ」から無理矢理落としたんでしょうが!」
目だけでキッ! と、背後のアーレストを睨んだミートリッテが叫べば
「私達がミートリッテの悲鳴を聞いて、どれだけ驚いたと思ってるのよ! 慌てて探し出してみればその子は気絶してるし、二人共水浸しだし! こっちは心臓が潰れるかと思ったんですからね!?」
「アンタはそりゃ平気かも知れんが、そいつはちょっと勘違いした努力家なだけで、普通の年頃の娘なんだぞ!? 全身ずぶ濡れで抱き合うとかも、もう少し気を遣え! ただでさえキレてるハウィスをこれ以上暴走させんな! 誰が止めると思ってんだ、誰が!」
一同も一斉にアーレストへ噛み付く。
「「「お嬢に何かあったら、俺達全員が姐さんに殺されるんだぞ!? 幾らお嬢がべらぼうに可愛くても、命と性に関わる手出しだけは絶対に止めてくれ! 本当、マジで真面目に頼む!」」」
「だから、それもあんた達が言えた義理じゃないでしょうが! マーシャルさんの演技も含めて、あんた達自身が下品な言葉とイヤらしい態度で私を脅迫したクセに!」
「「「「あ」」」」
「……あ?」
どさくさ紛れの阿呆な訴えに怒鳴り返した途端、ミートリッテに視線を集めた騎士達の顔が真っ白になる。
「………………ねぇ、クナート?」
「ひっ!?」
背後で急速に膨れ上がる冷たい殺気。
氷水を浴びせかけられた錯覚に、思わずその方向へ足先を向けると……艶やかに微笑んだハウィスが、隣に立つクナートの喉元へ、切れ味良さげな刃をヒタリと添わせていた。
「私、マーシャルと私を人質役にしてシャムロックを脅した……としか聴いていないのだけど。あの子の演技を含めた下品な言葉とイヤらしい態度って、どういう内容? 一挙手一投足、一言一句違わない、詳しい状況と台詞を此処で再現してくれないかしら? 今、直ぐに。」
すぅ……と薄く開いた群青色の虹彩が、激しい怒りを湛えて鋭く光る。
「あー……えーっと、だな……」
剣先は河に構えたまま、あさっての方向へ目を泳がせるクナート。
どうやら海賊達の下品な言動は、ハウィスも与り知らぬ物であったらしい。
(なんか……いつものハウィスっぽい?)
猛吹雪を招きそうな冷気には慄いたものの、義母に抱く高潔な印象を彼女に見出したミートリッテは、少しだけ安心した。
「仲が良いですよね、皆さん。ですが今は、落ちた二人の迅速な引き上げを優先したほうが賢明ですよ? 一人は深傷を負っている筈。水に浸けておくのは非常に危険です」
「! 貴方、誰がどんな状態で落ちて来たのか判ったの? この暗い中で!?」
喧騒の最中に黙々と袖を捲っていた神父へ、ハウィスが驚きの視線を走らせる。
アーレストは唇の両端をやんわり持ち上げ……
「あっ、ちょっと!」
彼女の脇を擦り抜けて、止める間も無く河へ飛び込んだ。
「……着水直後まで、河なんか見てすらいなかったわよね? 彼……」
「……見てなかったな」
「あなた達、落下した影を見極められた? 落ちたのが人間だと確信できた? 私は単に反射で動いちゃったんだけど……精々、奴らが石や岩を使って攻撃して来たのかと思ったくらいで……」
「ハウィスに同じく」
「「「姐さんに見えないモノが、俺達に見えるワケないっす」」」
「…………。」
「…………。」
「「「…………。」」」
(ハウィス達、アーレスト神父の異常さは知らなかったんだ……)
水面に拡がる波紋をぽかんとした表情で眺めつつ、暫く無言で怪物が戻るのを待っていると
「……っぶはーッ!」
水の膜を押し破り、男性二人と、気絶している女性が現れた。
三人の顔を確認した陸上の全員が、思い掛けない組み合わせに目を丸くする。
「ベルヘンス卿……マーシャル!?」
「げほ! はぁ……、……あぁ、リアメルティ伯爵、か」
剣を収めて駆け寄るハウィスに気付いた男性が、彼女の姿を確認。次いで周りの様子を目視し、苦しげな顔を一層曇らせた。
「アーレスト様に……ミートリッテ嬢まで……やはり、間に合わなかったか……。すまない。彼女を留められず、妹御の救助も遅れてしまった。至急手当てを」
「いいえ! 正規任務中に無理をお願いしたのは私達です。ベルヘンス卿に責などありません。マーシャルを助けてくださり、ありがとうございました。卿にこそ、お怪我は?」
「無い。自分より、妹御のほうが大問題だ。着水時には意識を失っていたおかげで水はそれほど飲んでないと思うが……浮上に時間が掛かった分、出血が酷くなってしまった点は詫びさせてもらう」
ベルヘンス卿と呼ばれた男性は、肩に掛けていたマーシャルの腕をハウィスへ預けると、急いで自身のマントを外し、比較的大きく平らな岩の上に広げて敷いた。直ぐ様、ぐったりしたマーシャルの体がその上に横たえられる。
別れた時は無傷だった彼女の手足や肩には幾つもの線が刻まれ、ドレスも所々切り裂かれていた。特に酷いのは左の脇腹。ミートリッテの立ち位置だと暗闇のせいで傷口ははっきり見えないが、かなり深く斬られているのだろう。白っぽいマントが、脇腹に触れた部分からあっという間に赤黒く染まっていく。
(酷い……あんな状態で河に落ちたの!? アーレスト神父が助けに行かなかったら、もっと酷くなってたんじゃ……っ)
「マーシャル! 目を開けなさい、マーシャル!」
マーシャルの左横で両膝を突いたクナートが、軍服のポケットに入っていた様々な小道具を取り出し、手早く怪我の処置を始める。
右横に片膝を突いたハウィスは、眉も動かさないマーシャルの頬を数回、乱暴に叩いた。
怪盗を囲む心配顔の騎士達が微動だにしないのは、周辺の警戒を続ける為か。
「……君も、河に落ちたようだな。怪我は?」
マーシャルの側を離れたベルヘンス卿が、想像を絶する惨事を目の当たりにして動けなくなったミートリッテの隣に立ち、蒼白い顔を覗く。
「私も無い、です。……昼間、置き去りにしてすみませんでした」
……きっと大丈夫だと思ってた。
しかし、いざ改めて無事な姿を見ると、「良かった」と「申し訳ない」が同じだけ溢れて接し方に戸惑う。自分を襲った斧の持ち主が暗殺者だと知った後で化け物染みた強さのマーシャルが死にかけている姿を直視してしまっては、尚更だ。
「……数刻の間に随分しおらしくなったな。まぁ、自らの意思で反省に至ってくれたんなら構わないさ。ああ、そうだ。あの食料はリアメルティ伯爵宅の玄関先に届けておいたから、君達で食べてくれ。君に貰ったと報告しようものなら我が主サマが不機嫌になるのは目に見えてるし、俺は受け取れない。君が関係者全員に手料理を振る舞ってくれるって言うなら、話は別だけどね」
目を合わせようとせずに肩を震わせるミートリッテの頭をぽんぽん叩いて、薄茶色の目がアーチ状に細められた。思い遣りに満ちた仕草が、逆に怪盗の心臓を締め付ける。
彼もマーシャルと同じ……自分の所為で殺されていたかも知れないのに。
(……此処で私が謝ったって、どうにもならない。土下座して泣き喚いて赦しを願って……それでマーシャルさんが助かる? 違うでしょう?)
拳を強く握り、ぐっと奥歯を噛み締めて、ベルヘンス卿を正面に見据える。
(現状理解だ。ぼけーっとしてる場合じゃない。頭を働かせろ。情報を集めて考えるんだ。私は今、誰に何を求められていて、これから何をするべきなのか。考えろ!)
突然目の色を変えて向き合ったミートリッテに首を傾げ……何かを感じ取ったらしい青年も、静かに見つめ返した。
「関係者って、何十人居るんですか? 私、未だに何がどうなってるのか、さっぱり解らないんですが」
「悪いけど、俺も具体的な人数は把握してない。仮に知ってても、情報開示の許可が下りなければ答えられないよ。現時点で教えられる事があるとしたら……そうだな。君を最初に眠らせたのは、其処にずらっと並んでる奴らだ。とか?」
「へ?」
既に聞いた後かも知れないが、と言ってベルヘンス卿が指し示したのは、二人を囲む十人の軍属騎士達。
「貴方が言ってた「アイツら」って、自警団じゃないんですか?」
「ネアウィック村の自警団とアイツらとでは格が違うよ。自警団員が留守中の婦人宅に忍ぶなど、天地がひっくり返ってもありえないね。万が一そんな団員が居ても、翌日以降その人物は村に存在しない」
「……ますます意味不明です。貴方のほうが格上に見えるのに、貴方は自警団を同等か、上に見てるの?」
自警団とは、村の有志で作った自衛組織。基本の装備費用や給料等は最低限の防衛費として領主から支給されているらしいが、団員はみんな一般民だ。
軍属騎士のハウィス達とそっくりな白っぽい騎士服(勲章は無い)を着用している青年が、同類の騎士達を格下扱いしたり、自警団を同等か格上に見てるのは、序列的におかしい。
指先を辿って騎士達の様子を窺った後、再び青年の顔を見直すと、彼は苦笑いで「守秘義務だから」と答えた。
(守秘義務……職務上知り得た秘密を守らなくてはいけない義務。騎士が義務を負う程度に隠しておきたい何かが『ネアウィック村の自警団』にもあるんだ)
ハウィスは、正規任務中のベルヘンス卿に、無理なお願いをした。
彼らはミートリッテを護る為に本来の仕事を休んでいるのか……或いは、ミートリッテの守護そのものが本来の仕事に近いのか。
(『彼女の願いであり、俺達に与えられた『役目』の一つ』……ハウィスの他にも、私を護れと「俺達」に命じた人間がいる。この人が敬称を使ったのは「あの方」と「我が主サマ」で……あれ?)
何処かで聴いた組み合わせに眉を寄せると……
いきなり、耳に覚えがある愉しげな笑い声が夜闇の中で響き渡った。
「あは! ブルーローズ、みぃーつけた。」
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