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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 35

 「金品を盗む時に各領主を殺しておけば、少なくともアルフィンと同じような子供は産まれなかった。若しくは領民を煽動した上で領主一家を掃討し、一般民に都合が良い頭と挿げ替えておけば、行き場を失くした死体が無駄に積み重なる事も無かった。現状の総ては、お前達義賊が先々の事など考えもせず、中途半端で無責任な理想と幻想を追い求めた結果にすぎない。……そうでしょう? 己の無能さを自覚していながら醜い八つ当たりですら権力を笠に着て正当化する、腐った塵屑殿下」
 エルーラン王子から数十歩分距離を置いた後方で、クスクスと妖艶に含み笑う女性。愉しそうな声音の反面、銀色に鋭く光る両目には王子への殺意が満ち満ちている。
 (イオーネ……生きてたの……?)
 地面へ広がり落ちた彼女のロングコートは無惨に斬り裂かれ、暗闇で見ても気分を害する量の血がベッタリ染み付いていた。それだけ深い傷を負ってる筈なのに、何故平然とした顔で立っ……
 いや、それより。
 「動かないほうが良いのではありませんか、イオーネさん。傷に障りますよ」
 首を傾げてふんわり微笑むアーレストに
 「あら、心配してくれるのね? お優しいこと。偽善者らしくて素敵だわ。余計なお世話だけど」
 艶やかな笑顔のまま答えるイオーネ。
 二人はそれぞれの右腕と左腕を絡ませ、互いに見つめ合う。ともすれば甘い空気漂う恋人同士のいちゃつきにも見える絵面だ。
 イオーネが、右手で握り締めた矢の先端を、アーレストの首に突き付けてさえいなければ。
 (あれは、アーレスト神父が叩き落とした毒矢? いつの間に……って、貴方の足元に倒れてたんだから、動き出すって絶対気配で判ったでしょ、アーレスト神父! ついさっき殺されかけたばっかりのクセに、どうしてわざわざ捕まるのよ!?)
 飛来する矢を叩き落とせるのは判った。
 斜面を走っても乱れない呼吸法や、それに付いて行ける強靭な肺と手足、利きすぎる夜目もある。
 しかし。
 幾ら怪物級の身体能力を備えていようと、彼の本業はあくまでも流血沙汰を忌避する聖職者。
 時々疑わしい言動も垣間見せたが、騎士に様付けで呼ばれたり王族との浅からぬ縁を窺わせたりと、予想外に骨太な背景を持つ、歴としたアリア信仰の神父だ。
 ぎりぎり触れるか触れないかの位置にまで迫った毒矢を僅かな傷も負わず・負わせずに避ける方法など、説教や説得以外には持ち得ない。当然、イオーネはどちらにも耳を貸してくれないだろう。
 自ら捕まるなんて「どうぞ、殺してください」と言ってるも同然じゃないか。
 何を考えてるんだ、この似非平和主義者は!
 「ア……」
 「動かないで」
 神父を助けようと踏み出しかけた瞬間、ベルヘンス卿が肩を掴んで制止。王子との間へ滑り込み、戸惑うミートリッテを背中に庇った。
 アーレストが殺されれば、次の標的はシャムロックだ。ベルヘンス卿の判断は、ハウィスを部下に持つ王子を護る意味で、ミートリッテにとっても正しい。
 そう、頭では解る。
 ……解ってはいる、けど。
 ブルーローズに対する異常な執着。
 アルフィンの過去と重なる『十三年前』に起きた変化。
 十一年前の自殺騒動を詳しく知っているかのような口振りと態度。
 初めて会った時から『アルスエルナの主要言語で』交わされ続けている会話。
 その他諸々の情報は、ミートリッテの脳内に刻まれたイオーネの輪郭を、狂った殺人者とは異なる物へ変えていく。
 (確証は無い。でも……もし私の推測が間違ってなかったら、あの人は……っ)
 イオーネを止めなければ。
 自分達が犯した罪の結果で、ほぼ無関係(?)なアーレストを殺させる訳にはいかない。
 これ以上の凶行は、せめて元凶である義賊の手で止めなくては!
 「二人目のマーシャルさんを作りたいのか?」
 「!!」
 声量を控えたベルヘンス卿の牽制が、焦燥で浮き上がった足裏を地面に叩き落とした。
 (マーシャルさん……ハウィス……)
 ミートリッテの後方で行われている治療は未だ終わりを見ていない。乾いた布が不足してる所為で止血が上手くいかないらしい。クナートの両手は黙々と傷口の洗浄、応急処置を続け、ハウィスはひたすらマーシャルの頬や腕を擦って体温の低下を防いでいる。
 一刻も早く十分な治療道具と明かりが揃う場所へ連れて行かなければ、本格的に彼女の命が危ない。
 (私、本当に莫迦で……最低だ。衝動任せに突っ走ればどうなるか、マーシャルさんのあの姿を見て反省したんじゃなかったの? 此処に来てまた新しい犠牲者を増やすつもりなの? イオーネの剣を避ける自信も無い私が無防備に飛び掛かったところで、あっさり捩じ伏せられるだけ。ハウィス達を余計に苦しめるだけでしょうが!)
 動くな。大切な人達を護りたいなら今は動くなと頭の中で何度も何度も繰り返し、飛び出したい気持ちをなんとか堪えた。
 でも。
 「……お願い……っ」
 それでも。
 ただ護られるだけの傍観者には、なりたくない。
 なっちゃいけないんだ!
 「お願いだから、もう止めてイオーネ!」
 ベルヘンス卿の斜め後ろから彼の左腕にしがみ付き、濡れた袖に無数の深い皺を刻む。
 思い掛けず強い力で抱き付いてしまった所為か、驚いた顔のベルヘンス卿が震える自分を見下ろした。
 「義賊が憎いなら……あなたを深く傷付け、ウェミアさんを死なせてしまった義賊に復讐したいって言うのなら! その矛先は、私達義賊にだけ向けて! もう、他の誰も殺さないで!!」
 掠れそうな叫び声に、イオーネの肩が小さく跳ねる。
 「……復讐?」
 アーレストを映していた瞳がゆっくり横に動き、ずぶ濡れた山猫を捉えてぱちぱちと数回瞬く。
 そして
 「……くっ! あっははは! 復讐……? 復讐ですって!? どうしようもないわね、頭にお花畑を乗せてる温室育ちの莫迦猫は! 私がそんな下らない動機でアルスエルナに来たと、本気で思ったの!?」
 楽しくて仕方ないとでも言いたげに、大声で笑った。
 「でもっ……だって、あなたは!」
 「復讐とやらに何の意味があるの? 仕返し? 気晴らし? 八つ当たり? あはっ、実に莫迦莫迦しい。得られるモノが一つも無い行為に執着しても時間の無駄。無意味だわ。……私はねぇ、シャムロック。この世界に存在する何よりも誰よりも、ブルーローズにこそ感謝しているのよ?」
 「「「!!?」」」
 くつくつ喉を鳴らすイオーネに、驚きと戸惑いが混じった軍属騎士達の視線が集中する。背後からも息を呑む音が二つ、聞こえた。
 「十三年前……ブルーローズに親の形見を奪われて激昂した子爵は、当日の邸宅に居た使用人全員を激しく責め立てた。中でも、容姿の珍しさと職務に対する勤勉さで群を抜いて目立っていたウェミアへの殴る蹴るを加えた叱責は、子爵との睦まやかな仲に定評があった婚約者でさえ怯えて逃げ出すほど、凄まじいものだったわ。ウェミアを庇った私は、彼女を見逃す代わりに一人で形見を取り戻して来いと命じられてね。調査と追跡の末に漸く辿り着いたバーデルの街で、形見の新しい所有者となっていた貴族をうっかり殺してしまったのよ。初めは、人を刺したナイフの感触が恐ろしいと思った。次に、アルスエルナへの帰路が断たれてしまうと焦った。権力者を害した罪人ですもの。渡国制限を科されるのは当然よね。けど……目の前に横たわる体が色を失っていくのを見届けると、恐怖も焦りも後悔も、全部消え去った。理解したの。欲しい物は根こそぎ奪い取れば良いのだと。『奪われた者が二度と関われないように、欠片も残さず総てを奪え』。これは、お前達義賊の行為が教えてくれた素晴らしい教訓。だから私は、気付かせてくれたブルーローズに深く感謝しているし、欲しい物を手に入れる為に神父とお前を利用する。それだけの話よ」
 握り締めている毒矢を自らの顔に引き寄せ、愛しささえ感じさせる仕草で口付けるイオーネ。
 鏃が離れた今、本気を出せば逃げられる筈なのに、アーレストは微動だにしない。
 この男……やっぱり、わざと捕まってる。
 「……欲しい物って、何? 私を痛め付けてハウィス達を苦しめて、あなたは何を得られるの?」
 彼女自身が義賊の被害者であり、アルフィンの生母・ウェミアの関係者だった……というのは、本人の言葉で確認できた。
 狂気染みている言動の数々は、「復讐が目的ならば」、寧ろ正気だ。
 アルフィンを傷付け、ベルヘンス卿とマーシャルを殺しかけ、多くの商人を殺した事は絶対に赦せないが……加害者に被害者を責める権利は無い。
 だが、彼女は復讐を嘲笑った。
 思い返せば憎悪そのものにしか聞こえない言葉を幾つも放っていた口で、報復の可能性を全否定した。
 (解らない……復讐が目的じゃないなら、イオーネは何を見て、何を求めているの?)
 ベルヘンス卿の袖を握り締めて反応を待つミートリッテに、けれど、返って来たのは答えではなく。
 「ねぇ……バーデルの軍とネアウィック村の自警団が共同で包囲網を敷いていたこの時機に、追われている私達がわざわざ足跡を残してアルフィンを拉致したのは何故だと思う?」
 「え?」
 「本来は王都に住んでいる殿下が、既にハウィスへと継がせた後のリアメルティ領に現れた理由は? ブルーローズを含めて七十……いえ、百人くらいかしら。これだけ多くの騎士を一度に動かした理由は? 殿下がハウィスとの賭けを通じてお前を領主の後継者に指名した理由、私が指輪の継承を後押しした理由は何だと思う?」
 「は? え!?」
 一度に様々な情報を与えられ、咄嗟にエルーラン王子を見上げてしまった。
 上半身を捻り、腰に手を当ててイオーネとアーレストを横目に眺める彼は、一音も発すること無く不敵に微笑んでいる。
 「あはは! まぁ、お前には答えられないでしょうね。折角殿下が教えてくれてた答えを、全部聴き流していたもの。良いわ。私が教えてあげる。話はとても単純よ」
 イオーネの右腕が真っ直ぐに伸び、毒の鏃でミートリッテを指し示す。
 「約二十五年前に開かれた大戦で、バーデルとアルスエルナは主要宗教の違いから敵対関係にあった。終戦後は表面上アリア信仰にも門を開いたバーデルだけど、面白く思わない連中は当然、貴族にも民間にも大勢居たわ。その一部が十九年前、アルスエルナとの国境付近で、アリア信仰の有力者と繋がりある女性を集団暴行……死に至らしめた。結果、どうなったと思う? 全世界発信のバーデル総叩きよ。大戦勝者のアリア信仰に唾を吐いた国がどういう扱いを受けるか、敗戦国への丁度良い見せしめになったってワケ。バーデルの上層は、アリア信仰寄りだった各国の激しい怒りを抑える為、自国の安全の為に、暴行犯共を考え付く限りの残酷な拷問付きで処刑させた。けどこれ、元々アリア信仰に好感を持ってない人間には、アリア信仰主導で行われた胸糞悪い私刑にしか見えなかったの。おかげでアルスエルナへの反感は、表に出ずとも今日まで絶えず続いてる」
 「…………?」
 十九年前の話は初耳だが、アルスエルナとバーデルの不仲は周知の事実だ。
 何を今更……
 「そんな中、アルスエルナがたった一人の義賊に国土を荒らされている事。義賊対策の中身が自国の兵力向上ではなく、傭兵を雇っている事。現リアメルティ領主が元怪盗集団の構成員で、彼女の正式な後ろ楯がアルスエルナの第二王子である事。更に、次代のリアメルティ領主が現役の義賊である事。ついでに、バーデル国内で商人達を殺していた暗殺組織の現首領が生粋のアルスエルナ人である事を知ったら、反アルスエルナ派はどんな行動に出るかしら?」
 「………………ッ!!」
 震えが止まる。視界が暗転する。喉の奥に形無い氷が詰まり、呼吸を止めた。
 だからか。
 だから、さっきの会話でエルーラン王子は自身の立場を強調し、騎士達は「答えを教えられたのに全く反応しないミートリッテに」驚いていたのか。
 (わたし……私は、なんてことを……っ!)
 「ミートリッテ嬢!」
 「ミートリッテ!」
 膝を折って崩れたミートリッテに、ベルヘンス卿が慌てた様子で声を掛ける。
 ハウィスの声も聞こえたが……真実の重さに潰れた思考はもう、彼女の思い遣りも受け付けなかった。

 バーデルの侵攻による、アルスエルナの崩壊。
 それがイオーネの……

 
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