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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 33

 アーレスト神父、ベルヘンス卿、そして、目の前の男性。
 三人の中で一番パッとしないのは誰? と問われたら、問われた十人中十人が目の前に居る「この男性」と答えるんじゃなかろうか。
 ミートリッテより高い背は二十代男性と考えれば平均的で、ベルヘンス卿と同じか小指を立てた分低い。体付きも顔立ちも、細く吊り上がった目をよぉく観察してみれば陽光に透かした若葉色が綺麗かも知れない程度で、他にこれといった魅力を感じる部分などは無く。艶はあるけど硬そうな直髪も、アルスエルナでは至って平凡な、蜂蜜にも収穫適期の麦にも例え難い金色だ。
 強いて挙げるなら、砕けた口調の割りに立ち姿が綺麗だったり、無駄を感じさせない動作や仕草が様になってたり、男性らしく低い声が耳に滑らかで心地好いが……アーレストの優雅な振る舞いや広音域で迫力ある歌声には到底敵わないし、彼のようなキラキラしい空気を放っている訳でもない。
 仮に、真っ赤な布地に金糸や銀糸をこれでもかと織り込んだド派手な服装で村や街を闊歩していても、誰一人振り返らず気にも留めなさそうな……所謂、何処にでもいる『近所のお兄さん』。
 それが。
 アルスエルナ王国の 王子様 だと!?
 (嘘でしょ? 何かの冗談よね? この人、支配層特有のカリスマらしきものが全ッ然見えないんだけど!?)
 失礼な話、男性よりもベルヘンス卿、ベルヘンス卿よりもアーレストのほうが、断然、王族っぽい。
 勲章や紐をたくさんくっ付けたロングコート型の騎士服と踝まで届くマント、脛を覆うブーツは不思議と馴染んでいるが、これで「貴族です」と紹介されても……微妙だ。
 「王子様、ね」
 疑わしげに顔を凝視するミートリッテから手を離した男性は、うーん……と両腕を組んで唸った。
 「立場的には間違っちゃいないが、年頃の娘に王子様ぁーとか呼ばれるのは、どうにもむず痒いぞ。どうせ様付けするならお父様にしろ、お父様に」
 「無理! この人達に瞬殺される!」
 思わず首を回す勢いで横に振り、ベルヘンス卿を指し示す。
 (人間社会で下層に位置する一般民が、王族の一員を「お父様」なんて軽々しく呼べるか! 特秘事項漏洩以前に、不敬罪で斬首刑に処されるわ!)
 今回はまだ知らなかったから見逃してもらえたのだろうが、堂々と「あんた」「悪魔」呼ばわりした後での身分開示とか、卑怯すぎる!
 「お前を拾ったハウィスは母親なんだろ? だったらお前の身柄をハウィスに預けた私も、父親認定されるべきだと思うけどな」
 「個人的な根拠を明示されても、周囲が認めるかどうかは別問題です! 大体、私がハウィスを母と慕うのは一緒に過ごした年月あっての話で、貴方に関しては父と呼び敬えるくらいに接触した過去も無いし、そもそも貴方自身がどんな人間なのか、私は髪の毛一本分も存じておりません!」
 「「「!」」」
 ハウィスとの七年間は『言われれば何処かで見たかも? でもやっぱり、いきなり出て来た知らない人』でしかない男性が入り込めるほど浅くはない。そういう意味で放った言葉に、何故か河岸に立つ(アーレスト以外)全員が驚きの表情を返した。
 「ふーん? お前にとって『アルスエルナの王子に』命を助けられた事は、大して重要じゃないのか」
 「当たり前でしょう? 今日まで私を育ててくれたのは貴方じゃない。ハウィスと村の人達です」
 「だが。私がハウィスに預けなければ、お前は今頃野垂れ死んでいたか、良くて罪人牢の住人だった。それについてはどう思う?」
 「どうって尋かれても……なら、貴方はどうして私をハウィスに預けたんですか? 私に感謝して欲しかったんですか? ありがとうございます、王子様ーって?」
 突然現れた見知らぬ偉い人に、実はお前を救った恩人なんだよとか言われたって、そうだったんですね! ありがとうございます、お父様! な流れになるか?
 普通に考えて無理だろう。
 正直、へ? そうなの? としか思えない。
 ハウィスが男性に対して何一つ言動を起こさないからというのもあるが、自分には彼に何かをしてもらった覚えが丸っきり無いのだ。
 命を助けてやったぞ。だからどうだと尋かれても、答えに困る。
 眉を寄せて首を傾ければ、ベルヘンス卿と顔を見合わせた男性が小さく笑った。
 「想像してたより、良くも悪くも視野が狭いな。こいつ」
 「丸二日間飲食抜きで寝動きした分の心身疲労もあるのでしょうが……そうでなければ後継者にはなりませんでしたよ。彼女がシャムロックを始めていた時点で、エルーラン殿下の完全勝利です。貴方は本当に碌でもない事ばかりをなさる。付き合わされる我々の苦労も少しは考慮してください」
 返すベルヘンス卿の声色は、少しの呆れと諦めで満ちている。
 「若い時分の苦労は買い貯めしといたほうがお得だぞ。狸ジジイと狐親父の鼻をへし折る頑強な武器を得られるし」
 「我々にそんな物は必要ありません」
 「無欲だなぁ」
 「貴方に殺されたくないだけです」
 「殺しゃしないさ。アルスエルナにとって価値がある内は、誰であろうと全力で護ってやる。ちゃんと知ってるだろ? ボナフィード=フルウム=ベルヘンス」
 「……」
 俯いて「護ってると言えるのか?」などとぼやくベルヘンス卿に構わず「とりあえず任せておけ」とミートリッテに向き直る男性。
 「さて。まずは質問に答えようか。私がお前をハウィスに預けた理由は勿論、感謝を要求する為じゃない。こいつらがブルーローズだったってのは、もう判ってるだろ? だから、だ。お前がリアメルティへの侵領者で、ブルーローズが私の手札で、私が当時のリアメルティ領主だったから。死にかけてたハウィスを生かす為、私が手札を失くさない為に、王子と伯爵の権限を利用してお前を確保した。……ああ、街に居た「伯爵」は私の前任者で、元・私の執務代理人だぞ。ハウィスへの領地継承直後に貴族籍を剥奪してやったら、一家揃って何処かへ移住したけどな」
 「!!?」
 予想もしてなかった言葉に耳を撃たれ、全身が凍り付く。
 物のついでに付け足された情報なんかどうでもいい。
 元領主? 一家も、他に比べれば多少大人しいだけで、結局良い噂を聞かない強欲な貴族だった。彼らがどうなったかに興味は無い。
 それより
 「ハウィスが死にかけてた……? それ、どういう意味!?」
 浜辺で出逢った時、瞳に深い悲しみを宿していた彼女には確かに覇気が無かった。
 でも、穏やかに温かく包んでくれて。
 死を連想させる様子なんか少しも……
 「十一年前。街で金を散蒔いてる最中のハウィスに石を投げ、大衆の面前で首切り自殺した売春婦がいたのさ」
 「……ッ!?」
 「ブルーローズの目的はお前と同じ、南方領の経済安定だった。とは言っても、当時は王都にさえ戦争被害が色濃く残ってたし、現代とは比べものにならない切実さがあったんだけどな。ま、それはともかく。自分達の活動が一般民の助けになると心の底から信じてたこいつらは、売春婦の自殺を目の当たりにして以降、精神的に追い込まれて鳴りを潜めた。特にハウィスの落ち込み方は酷かったらしいぞ。毎日毎日、寝ても覚めても狂ったように泣きながらひたすら謝り続け、赤い物を視界に入れれば声が掠れるまで絶叫した挙げ句気絶したそうだ。私が拾った後も本格的な治療はなかなか受け付けず、辛うじて呼吸はするが……それだけ。売春婦の自殺騒動から約三ヶ月後、ネアウィック村へ移り住んだ頃には、食べない飲まない聴かない喋らない寝返りすら打たない、ベッドの上の骨人形と化していた」
 そろりと首を動かして肩越しにハウィスを覗く。
 彼女は治療中のマーシャルに顔を向けつつ男性の話も聴いているのか、唇を噛み締め、肩を震わせている。
 「……どうして? ブルーローズは実際に南方領民を助けてたんでしょう? その売春婦はどうして自殺したの?」
 しかも、後に英雄とまで称されるブルーローズの……ハウィスの目の前で。
 売春婦の行動が、解らない。
 「それだ」
 「え?」
 なに? と見上げ直すと、男性が溜め息混じりで右手を自らの腰、左手を額に当てた。
 「お前達義賊は、南方領民を職人層や一般民だけだと思ってるだろ? だから売春婦は行き場を失い、若くして死に追い詰められたんだ」
 「……?」
 アルスエルナの場合、法律で禁止される以前に体を売っていた女性は元娼婦、以後の女性は売春婦と呼ばれ蔑まれている。
 現代社会では罪人扱いされる彼女達も、シャムロックから見れば「一般民」だ。寧ろ彼女達にこそ、農業や工業で生計を立てられる機会を与えて欲しいと思うのに……義賊の行為が、売春婦の居場所を失わせた?
 「例えばの話、この世で一番大切な人間……お前ならハウィスか。そいつに『一粒で家一軒が買える飴玉・百粒入りの箱』を貰ったとする」
 「は?」
 「箱そのものも、世界に一つしかない貴重品だ。お前は飴を一日一粒、寝る前に食べると決めて枕元に置いた」
 (いや、幾らハウィスの贈り物でも、そんな高級品は受け取れないって! 突然、何!?)
 「ところが次の夜に確認すると、九十九粒ある筈の飴は九十八粒になっていた。何度数え直しても一粒足りない。仕方なくその夜は食べるのを諦め、箱を閉じた。が、翌日の夜改めて数え直すと、九十七粒……昨夜は食べてないのに、また一粒減っていた。更に翌日も翌々日も、何故か一日一粒減っていく飴。お前はこれをどうする?」
 「どうするって……箱に穴が空いてないか調べる?」
 「箱に不審な点や欠損は無く、飴が溶けて消えた可能性も零だ」
 「じゃあ……紐で箱を縛ってみる、とか?」
 「それでも飴が減ったら?」
 「……置き場所を変える」
 「それでも減ったら?」
 「ハウィスに相談する」
 「結果、箱に錠を付けたとしよう。鍵の置き場所はハウィスにも隠した。しかし、鍵と錠に異変は無かったのに、やっぱり一粒減っている。今度はどうする?」
 (箱や中身に異常は無く、自分以外には開閉できないのに減る……人為的に持ち出されてるの? なら)
 「わざと目に付きやすい所へ置いて、一日中見張る」
 「怪しいモノは確認できず、飴は減っていた。次は?」
 「ハウィスに預けて様子を見る」
 「勿論、減る」
 ……本当に、何の話だ? 段々苛々してきたんだが。
 「ハウィスと相談して錠を増やす。複雑な型で時間を稼いで、開くまでに犯人を捕まえれば良い」
 「翌日、錠は総て閉じられたまま。部屋を変え、錠を増やし、眠らずに見張っていても、開いてみれば減っている飴」
 「……っ箱と飴を別々に隠す!」
 「減る」
 「錠を全部付け替えて、一日中脇に抱える!」
 「国内製の錠はどれも通用しないらしい」
 「だったら国外製の錠、を……」
 「錠を?」
 男性の瞳が、突然硬くなったミートリッテの表情を探る。
 (…………傷一つ無い箱から少しずつ減っていく高価な飴。施錠はできても本来の役目が機能せず、意味を持たない錠と鍵。まさか、これ……)
 「……国外製の錠に付け替える」
 「そうか。では、使わなくなった大量の錠と鍵はどうする?」
 「使えない物は……『棄てる』……」
 (……ああ、やっぱり)
 自分の言葉で足下がぐにゃりと歪む。
 苛立ちが自己嫌悪に取って代わる。
 吐き気を抑えたくて口元を両手で塞いでも、全身に溢れ出した冷や汗は止まらない。
 「理解したか。なら、答え合わせをしてやろう。もしも、『棄てた錠や鍵が人間だったら』? その道に生き甲斐と未来を望み・望まれた者達が、突然国内外で役立たずの烙印を押されたら、彼らは何処でどう生きていけば良い? そしてシャムロック。お前は、貴族達の屋敷でどれだけの『傭兵』を目にしてきた?」
 乾きかけた頬に再び、滴が零れ落ちる。
 何故……こんな基本的で簡単な『当たり前』に今の今まで気付けなかったのか。
 彼らはシャムロックに信号を送っていた。
 「生きる術を奪うな」と、あれだけ真剣に殺気を送っていたのに。
 シャムロックは総てを見過ごした。
 ミートリッテには関係無いと、顔を逸らし続けた。
 (これが……私「達」義賊の行いが生み出した『被害者』の……真実)
 
 「……自殺した売春婦が、アルフィンを産んだ人……なんですね……」

 
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