大魔王からは逃げられない
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プロローグ
地下迷宮――別名、ダンジョンと呼ばれるものがこの世界には存在する。地上を支配するのが人間たちだとしたら、もう一つの世界である地下を支配するのは魔の生き物たちだ。そして俺――狭間八雲はそんな魔の頂点に君臨する者の一人である。
俺が生まれ育った世界とは異なる世界。エルフや亜人、魔物などが闊歩するありふれたファンタジー小説をそのまま絵に描いたような世界に俺は居る。右も左も分からなかったあの頃も今は遠い昔の話だ。
地下迷宮アリアード、最下層の執務室。二十畳程の広い部屋の中には俺と専属メイドのシオンの姿しかない。
「あー、暇だなぁ」
この世界に来た時からずっと身に付けていたスーツのネクタイを緩ませ、ボーっと天井を見上げた。彫刻のように隣に控えたシオンは無言のまま。
シオンは肩まで掛かるコバルトブルーの髪にワインレッドの瞳を持つネフェタリ族の魔人だ。ネフェタリ族の特徴であるダークブルーの肌に俺より十センチ低い一七〇センチの身長をしている。
常に黒を基調としたメイド服で身を包んでおり、彼女が動く度に程良い大きさの胸がプルンと揺れた。
「暇すぎるー」
羽ペンをクルクルと回す。こんなものでは暇つぶしにもなりはしない。
「暇だよぉー」
いい加減煩わしくなってきたのか、形の良い眉を顰めたシオンが鈴のような声で言い放った。
「ご主人様の決済を必要とする書類はまだ残っています。暇なんてありません」
「ええー、もう字を追うのも疲れたよー。というか、もうかれこれ七時間は机と向き合っているんだけど」
机の上に山積みとなった書類の山を見てため息をつく。気が重いとはまさにこのことだ。
一向に減らない書類の山にうんざりするが、俺のメイドさんはそんなこと知ったことかとばかりに表情一つ変えず応えた。
「今まで放置してきたツケが回ってきたんです。自業自得です」
「いやまあ、そうなんだけどね。些かこれは多すぎじゃない? フェリスはどうしたのよ。こういうときのフェリスでしょ」
フェリスというのは主に俺の書類仕事を補佐する者だ。
この地下迷宮は一つの国のようなものだ。全百層で構成されている迷宮には三十万を越す住民たちを抱えている。当然、迷宮内でのトラブルは発生するし、地上という他国からの侵略も受ける。迷宮の支配者である俺を国王とするなら、フェリスは宰相の立ち位置だろう。
「フェリス様でしたら書類の処理に追われていますが。ご主人様の倍以上の書類に」
(は、反論の余地がない……)
泣く泣く止めていた手を動かした。
「それにしても、最近の迷宮は平和だねぇ」
「そうですね。一昔前は冒険者や王国騎士、勇者などが頻繁に迷宮の攻略に挑んできましたから」
「ああ、懐かしいね。迷宮の設備を整える間もなく波状攻撃を仕掛けられたこともあったっけ?それがもう百年も昔の話か。時が経つのは早いものだ」
ため息とともに書類にサインを書いて印を押す。
「侵入者がめっきり減ったのもバルハルト国とレナード国が建国したからだっけ?」
「はい。いわば三竦みのような関係ですね」
抑揚のない声で肯定するメイドさん。
地下迷宮のアリアードは広大な面積を誇る巨大なダンジョンで、その入り口となる場所は丁度三国のど真ん中に位置している。
バルハルト国とレナード国が建国する前は迷宮の入口の周辺にはミーディア国しか存在しなかったため、一国で迷宮を制覇してその財宝や地下資源を我が物にしようと画策していた。
しかし、バルハルト国とレナード国が出来上がってからはアリアードを独占させないように互いが睨み会う関係となり、膠着状態となってしまった。
また、ミーディア国は幾度にも及ぶ敗北により出来立てほやほやの弱小国家にも迂闊に手を出せないほど国力が疲弊してしまった。
そんなこんなで、最近では国属ではないフリーの冒険者しか迷宮に訪れる者はいないのだ。
「冒険者といっても精々がBランク。第五層すら突破できずに全滅することが多いからね。最下層にたどり着ける者が現れるのは一体いつになるやら」
俺の前に現れた冒険者も今では八十年も昔の話だ。地上で三国が膠着状態となってからはめっきり人が現れなくなってきた。
暇は人を殺すとは本当のことだと染々思うこの頃だ。
「シオンー。何か面白い情報ないの〜?」
「面白い情報ですか……そう言えば一つだけありましたね」
「おお! それでそれで、一体なんなの?」
手を止め俺は隣を振り向く。興味津々の様子で目を輝かせる主にメイドさんはため息を吐いた。
「西方のコルドヤード付近に新たなダンジョンが生まれました。生まれたばかりなので平面階層ですが、まだ踏破した人はいないようですよ」
「ほうほう、新たなダンジョンか!」
この世界には多数のダンジョンが存在する。俺が拠点としている迷宮はここも含めて四つ確認されており、小さな迷宮も合わせれば百ものダンジョンが存在すると言われている。
そして不思議なことに、迷宮には最奥部もしくは最深部に核となるモノが存在する。いわば迷宮の心臓のようなものだ。迷宮の心臓である【迷宮の指輪】を手にした者がその迷宮の支配者となる。
どういった仕組みかは知らないが、【迷宮の指輪】はまるでゲームのように迷宮を自分好みに改造することが出来る。経験値というものを稼ぐことによって改造することが可能となるのだ。
そして、この【迷宮の指輪】が破壊された時、迷宮はその機能を止めて崩壊する。あたかも死んだかのように。この状態となると迷宮内は瓦礫で塞がれ、とてもではないが侵入できる環境ではなくなる。
しかし、時が経つと瓦礫は自然と消滅し再び迷宮が復活する。地上ではどうだか知らないが、俺たちはこの現象を『生まれた』と表現している。
俺は羽ペンをクルクル回しながら天井を見上げてしばし思考にふけた。
「…………よし、決めた!」
勢いよく立ち上がり声高々にして宣言する。
「俺、今日から家を出ます!」
「……はい?」
何を言ってるんだコイツは、という様に顔をしかめるシオン。俺は気にせず言葉を続けた。
「よくよく考えたらこのアリアードは先代から貰ったものだし、自分の手でダンジョンを作ってみたかったんだよね。ということで、俺今からそのダンジョンに行ってきますね」
「ちょ、ちょっと待って下さい。貴方がいなくなったら、このダンジョンはどうするんですか?」
「あー、ソル辺りに任せればいいんじゃない? あの子、下の者の意見を聞ける耳を持っているし、ああ見えてカリスマ性もあるしね。俺は居ても居なくてもそんなに変わらないから。ほとんどフェリス任せだったし」
部下の一人に押し付ける俺をシオンが呆れた目で見てくる。
「仮にも魔王ともあろうお方がそれでいいんですか?」
そう、俺はシオンの言う通り魔王である。とはいってもこれは称号のようなもので先代の魔王を倒した俺がいつの間にか次代の魔王となっていただけの話だ。このアリアードも元は先代魔王が作り上げたもので、俺はそれを継承しただけに過ぎない。まあ、その他もろもろも継承してしまったので、もはや人外の域に達してしまったけど。
「いいんだよ。ほら、魔王って傍若無人のイメージがあるじゃない。ラクシェミやリーゼも好き勝手してるし」
「どこから出てきたんですか、そんなイメージ。確かにあのお二人はその通りですけど」
「だろ? ちなみにこれは決定事項です。異論は認めません」
ため息をつく専属メイド。
「はぁ、仕方がありませんね。処理はこちらでしておきますので、ご主人様は荷物だけ纏めてください。まったく、一度言い出したらいうこと聞かないんだから……」
「苦労をかけるね。愛してるよ」
「はいはい」
愛の言葉を聞き流したシオンは足音を立てず静かに退室した。
† † †
衣服は魔術で清潔に保てるため必要な物といったら食料だけだ。目につくものを片っ端から『倉庫』に放り込むと支度はものの十分で終わった。
ちなみに『倉庫』というのは空間魔術の応用で四次元ポケットのようなものである。中は亜空間で時間の概念がないため鮮度を保ったまま保存することができる。生き物は入れることが出来ないという点がドラ○もんの四次元ポケットとの違いだ。
支度が終わり自室でシオンを待つことに。あの子は俺の唯一の眷属なのでどこに行っても一緒なのだ。
「ちょっと八雲様! どういうことですかっ!」
勢いよく扉を開け放って一人の少女がやって来た。
歳は十六ほど。一六五センチの身長に背中の半ばまであるプラチナブロンドの髪と碧眼をした少女だ。肩を怒らせ、吊り目の眼は俺を鋭く睨んでいる。
「ここを出て行くと聞きました。一体なにを考えているんですか! 貴方は魔王様なんですよ!? 貴方がいないと誰がこのダンジョンを運営するんですか!」
「あー、ちょっとやりたいことが出来てね。新しくダンジョンが生まれたと言うからちょっと、ね。運営に関してはソルにやってもらおうと思ってる。今まで俺が手を出さなくてもちゃんとやっていけていたんだから大丈夫だって」
軽い感じで言うと、フェリスはさらに眦を吊り上げた。
「大丈夫だって、じゃありません! まったく、貴方は本当に勝手なんですから……」
幾分、心を落ち着かせたフェリスは上目遣いで俺の顔を見上げた。
「……たまには顔を見せて下さいよ?」
「ああ。一息ついたら必ず会いに行くよ」
「絶対ですからね」
んっ、と目を摘むり唇を尖らせるフェリス。膝を折り俺たちは互いの唇を重ねた。
十秒ほどのフレンチキス。目を開けると潤んだ瞳で見上げる彼女の顔があった。俺の腰に抱きつきギュッと強く抱擁したフェリスは天使のような微笑を浮かべた。
「うん、八雲パワー充電完了! なるべく早く来て下さいね!」
軽快な足取りで退出するフェリスを見届けた俺は、この世界に来た時から身に付けていた中折れ帽子を手に取った。
「さてさて、これからどうなるか楽しみだな……」
帽子を目深く被り、独り部屋の中でクツクツと嗤った。
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